セオノート


黒機



 場面0-1

「最近さー、晶ちゃんってば、よく秋葉ちゃんのこと、陰からじぃーっと見てるのよね〜」
 三沢羽居がにやにやと意味ありげな笑顔を浮かべ、秋葉に声を掛ける。
 確かに、秋葉にも思い当たるふしはあった。最近の瀬尾はどこか自分の前ではそわそわしている。生徒会の会議の時も、たびたび、議題と関係なく意味ありげに上目づかいに顔を赤らめながら自分の方を見たり、何かを隠しつつ、そわそわと、自分の態度をうかがっているような……
「まったく、瀬尾も、何か私に言いたいことがあるなら、はっきり言えば良いのに」
 遠野家の若き当主は、軽く溜息をつきながら毅然とつぶやく。秘密、嘘、陰湿さ、みな彼女の嫌いな物だ……もっとも、自分にもそれが無いかといえば、無いことも無いのだが……

 ……などと思いながら歩いていたら、廊下の向こうから近づいてくる小柄なショートヘア、あれは当の瀬尾晶ではないか。小脇に何冊かの本を抱え、何やらノートを広げ眺め、難しい顔をしながら歩いてくる、まるで周囲の様子など見ていない、やれやれ無用心な……と、思っていたら、案の定、通りすがりの別の生徒にぶつかって、手にしていたノートやら本やらを床にばらまいてしまった。
「ちょっと、瀬尾、何してるの?」
 秋葉は近づいて声を掛ける。
「! とっ、遠野先輩っ!?」
 晶はあたふたと赤面しながら慌てて散らばった私物をかき集める、と、秋葉には、晶の手にしていた本の一冊の表紙が見えた。
『マリア様がみ』
 瀬尾の手に隠れてそこまでしか文字は見えなかったが、それが文庫本の題名だった。秋葉は晶を見ろしながら、ふと気づいてつぶやく。
「あら瀬尾、スカーフが曲がってるわよ」
 その言葉を耳にして、晶は一瞬激しく驚きの表情を見せ、次の瞬間には、いったい何を思ったか、満面の喜びの表情になり、頬を赤らめながら無言で秋葉を見上げた。
 三秒、四秒、五秒……無言の時間が過ぎる。秋葉は呆れた口調で言った。
「瀬尾、それぐらい自分で直しなさいよ。しっかりしなさい」
 秋葉はそう言って立ち上がり、晶に背を向けようとする。断っておくが、この秋葉の態度に特に悪意は無い。これが秋葉のいつもの流儀で、晶もそれを理解しているはずだった。しかし瀬尾はなぜか、ひどく落胆した顔になり、そのままそそくさと秋葉の前を去った。
 と、秋葉は、廊下に落ちたままの居一冊のノートに気づく。
「あら、これも瀬尾のかしら……? でも、もう行っちゃったし……」
 秋葉は青い表紙のノートを拾い上げた。



 場面1

「――ですから、さっきも申し上げた通り、その土地買収の件は白紙撤回です!」
 遠野家の若き当主は、毅然とした口調で言い放った。その精緻な彫像のような美しい白い貌、黒い瞳から放たれる意気には逆らえそうにもない。
「う……しかし、道路開発計画のため動いてきた代議士先生への体面もありまして……」
 男は額に脂汗を浮かべて答える。彼とて遠野グループの不動産部門で二十年働いてきた海千山千のビジネスマンだ、企業利益のためなら汚い手だって使ってきた、それがこんな小娘に言い負かされてどうする……とは思いながらも、どうにも気圧されてしまう。まったく、先代といい、やはり遠野の一族には、どこか鬼気を感じさせるものがある……
「そのような強引な買収では、例え後に莫大な利益を出せても、周辺住民の反発を買って、遠野家の名に傷がつきます。よろしいですか? 私はまだ高校生で、経営の難しいことはわかりません。しかし、伝統ある遠野家の名前を守る義務を背負っております。なんとなれば、その代議士の先生にも、私から直接ご説明いたしましょうか?」
「いっ、いえっ、秋葉お嬢様にそのような……了解しました。その件は、こちらで処置します。申し訳ございませんっ、しっ、失礼します」
 男は慇懃な態度を撒き散らして、そそくさと逃げるように去った。
 秋葉が軽い溜息をついて応接室の椅子に深く腰を降ろし直すと、扉が開き、割烹着姿の少女が盆を手に優しげな笑みを浮かべて入ってくる。
「秋葉様、お疲れ様です。お茶、どうぞ。秋葉様のお気に入りのですよ」
 秋葉は琥珀からティーカップを受け取ると、そっと軽く口をつけてから、テーブルの上に起き、再び、今度は深い溜息をついた。
「さっきの秋葉様、本当に格好良かったです。本当にスッとしましたよ。もう、当主の貫禄じゅうぶんですね! きっと槙久さまも胸が高いでしょう」
 琥珀は、愛娘をほめる母親のような優しげな口調で秋葉に声をかけた。秋葉はカップの紅茶をもう一口啜ると、細い声で琥珀に答える。
「琥珀、こっちにきて……」
「はいはい」
 琥珀が優しげな笑みのまま秋葉に歩みより、顔の高さを合わせるようにしゃがもうとすると、そのまま秋葉は琥珀に抱きつき、その胸に顔をうずめる。
「何が当主よ……私だって、まだ、普通の、女の子よ……」
 秋葉は軽く肩を震わせながら、か細い声でつぶやいた。海千山千の商売人を前に精一杯の強がりで啖呵を切っていた緊張感が一気に解けたその姿は、まだ十七歳で、父も母も亡くし、遠野一族の当主という重い責務を背負わされ、たった一人の兄は自分の心を知って知らずか、自分の側には留まらず、孤独を抱えた少女そのものだ。
 秋葉がそんな顔を見せられる相手は、たった一人、一度、徹底的に本音をさらしてお互いを滅ぼそうとし合う経験をへてなお、心からの忠誠心を見せる、この琥珀だけだった。
 かつて一度、本気で秋葉とその実兄の四季を破滅に追い込もうとした琥珀は、あれ以来、何かが吹っ切れたのか、秋葉に対しては、常に母親のような優しい理解者となった。
 あるいは、本気で後半生を秋葉と志貴への罪滅ぼしで生きることを誓ったのか……
「秋葉様、ちょっとやつれてるみたいですね。やはり、最近お疲れですか」
 琥珀は優しげな手つきでその白い指をたぐらせ、秋葉の長い黒髪と、細い躰を軽く撫でながら、穏やかな口調で声を掛け、そっと秋葉から身を放すと、割烹着の前掛けを解き、和服の胸元を緩め出した。秋葉の目の前には、白い、柔らかそうな乳房が現れる。
「私の血、吸ってもよろしいですよ。久しぶりに」
 秋葉は目を伏せて答える。
「だめよ……琥珀……そんな、私は……」
「あっ、そんな、また秋葉様の血を遠野寄りにさせようとか、そーいうのじゃなくって、本当ですっ、いえ、今日の秋葉様は立派でしたから、ご褒美ですよぉ」
 琥珀はそう言うと、戸惑う秋葉をそのまま自分のむぎゅーっと生胸に抱き寄せる。秋葉は柔らかで暖かな感触に頬をすり寄せながら目を閉じ、少しの躊躇のあと、琥珀の乳房を口にふくんだ。
「くす……秋葉様、可愛い……赤ちゃんみたいです……」
 琥珀は秋葉の頭を撫でながら、子供をあやすように声を掛ける。
「琥珀だけよ、私が……こんな顔、見せるのは……」
 秋葉は頬を赤らめて満面に羞恥の表情を浮かべ、しかし本心からの甘えた口調で言った。
「はいはい、当然です。いくら秋葉様でも、翡翠ちゃんに手を出したら、絶対に許しませんからねー……でも、前から思ってましたけど、本当に私の血で良いんですか? 私、処女でもないですし……」
 その言葉に秋葉は顔を上げ、一瞬、無言で琥珀の顔を見つてから、目を閉じて琥珀の唇に自分の唇を重ねた。琥珀も優しく応え、二人は堅く、濃厚な接吻を交わす。
 秋葉は琥珀の口腔に舌を滑り込ませて絡ませ、唾液が混ざり合う――琥珀の唾液も、血も、ちっとも汚いなんて思ってない――秋葉の、態度による答えだった。
 琥珀は秋葉からそっと唇を放すと、秋葉のスカートの中に指を忍び込ませながら、軽く唾液が糸を引く口で秋葉の耳元に囁きかけた。
「秋葉様、今日は、もっといっぱい、ご褒美、してあげます……」
 秋葉は無言のまま、そっと目を閉じて琥珀に躰を預けた。

 ――応接室には西陽が落ち、秋葉はソファの上で毛布をかけられたまま、穏やかな寝息を立てている。琥珀はその白い指先で優しげに秋葉の額を撫で、かすかな声でつぶやいた。
「秋葉様、ずっと、私が守りますから」
 ――この感情は、突き詰めれば、結局、かつて自分を支配した遠野家の当主が、今や自分に、母親に甘えるようにすがっているということへのひそかな優越感なのか?
 ああ、確かにそれもあるだろう……けれど今やもう、それだけではない、自分は本気で、自分を赦してくれたこの少女のために生きると決めたんだ――それに、汚辱の底で遠野家への憎悪に生ききてきた琥珀より、この今の、高慢で不器用だけど、とても純粋な主のために生きる琥珀の方が、自分自身を愛せると思う。
 ……それにしても、まったく、志貴さんは、人助けのためと思ってやってることとはいえ、屋敷に居かず、秋葉様を一人にして、本当に人が悪い。
 琥珀は傍らに眠る秋葉の顔を眺め、このままずっと抱きしめておいてあげたいと思うが、しかし、もう夕食の支度をしなければならない。秋葉を起こさぬよう、細心の注意を払いつつ、ソファから起き上がると、服を直して音を立てぬよう気をつけながら秋葉の眠る応接室を後にした。

「翡翠ちゃん、ひょっとして心配した? うふふ……」
 琥珀は服の裾を口に当てて意味深長な笑みを作り、応接室の扉のすぐ外に立っていた、清楚なメイド服姿の妹にそっと声をかける。
「わっ、私は、その……夕飯が……」
 翡翠は軽く赤面して、彼女にしては珍しくあたふたと取り乱しかけの表情を見せるが、琥珀はその翡翠の唇に人差し指を当て、優しい声で答えた。
「はいっ、じゃ、厨房に行きましょう、ふんふんふん…♪」
 琥珀は翡翠を促し、翡翠は無言のまま琥珀の後ろに付き従いながら廊下を歩くが、厨房の近くまで来て、ぽつり、ぽつりと言葉を漏らす。
「でも……姉さんばかり……こんな……」
「あっ、翡翠ちゃん、私になりすまして秋葉様に血をあげるのはナシよ。いい、秋葉様が吸っていいのは私の血だけなんだから」
 その言葉に、翡翠は不意に琥珀の前に出て、正面から姉の顔を見据えて言った。
「姉さん、そんな、自分ばかり汚れようとして、私だけ、子供扱いしないでください」
 琥珀は少し困ったような顔になりながらも、笑みを浮かべて翡翠に顔を近づける。
「翡翠ちゃん、ひょっとして、妬いてる?」
「そっ、そんな、でも……」
 翡翠は顔を赤らめて、その表情を見られまいと最愛の姉から目を背けようとする、と、琥珀は、そんな妹の頬に軽くキスして言った。
「大丈夫、翡翠ちゃんも仲間外れはなしでお姉ちゃんが可愛がってあげるから」
 翡翠は赤面しつつ、いつもの表情に戻って琥珀の後ろを歩く。
「さて、今夜のおかずは秋葉様の好物の――えーと、何にしましょうか……」
 琥珀は明るい声で言った。



 場面2



 自分の意志をはっきり言わない人間は敵を作らずに済む。しかし真に信用できる友人もできない。顔のない世間の多数派なんかどうでもいい、数は少なくても、本当に大事な、お互いをわかってる人さえいれば――

「――で、秋葉ちゃん、『今度の嫌がらせ』ってのはもう収まったわけ?」
 浅上女学園に戻ってから三週間ほどが過ぎた頃、昼食時に三沢羽居がそう声をかけてきた。
「ええ、今週に入ってからはもうさっぱり、さすがに飽きたんでしょう。それとも、今度のも、四条さんと同じ運命になると思って身を引いたのかしら」
 秋葉は鶏唐揚げを箸で口に運びながら、そっけない口調で答える。
「まっ、秋葉ちゃん無敵だもんねー、でも、どこの誰だったんだか?」
「さあね、まあ――確かに、私のことを嫌いな人はいるところにはいるみたいだから――」
 そう、確かに思い当たるふしはある。生徒会の業務の引継ぎもいい加減なまま勝手にいきなり転校し、いきなり帰ってきて再び生徒会の仕事に就いているのだ、前々から遠野秋葉の態度を好ましく思わない人間が、さらに反発を募らせてもおかしくはない。
 『今度の嫌がらせ』も、自分の靴が消えたかと思ったらごみ箱の中だったり、寮に戻る途中で明らかに意図的に放されたようなタイミングで野犬に出くわしたり、時に陰湿だったり、暴力的だったりしたが、結局は、さすがに命に関わるような事態にはならなかった。
「まあでも、どうなろうが、自業自得だよ。まったく、遠野も、態度が大きいのを改めないから……こっちも色々いい迷惑なんだから、いい加減にしとけよぉ」
 机に突っ伏して眠りこけていたかのように見えた月姫蒼香が、一言、皮肉げな口調でつぶやく。まるで心配した様子の無い態度だ。
 秋葉が少しばかり苛立たしげに溜息をつくと、羽居が穏やかな口調で口を挟む。
「あー、蒼香ちゃん、最近、疲れてるみたいだから、悪く思わないで」
「まあ、そうね。蒼香はよくわかってるわ」
 秋葉は、これもそっけない口調で、秋葉に顔を見せない蒼香に言葉を投げかけ、席を立った。

「ねえ、蒼香はまだ帰ってないの? この寒いのに……このままじゃお風呂の時間が終わり……それどころか寮の門限になっちゃうわよ」
 寮に戻ってから、時刻はもう就寝時間に近づきつつあるのに、月姫蒼香の姿は部屋に見えない、秋葉は傍らの羽居に声を掛けるが、羽居はいつものように道具箱をいじりながら、困惑した顔のまま答える。
「んー、秋葉ちゃん、ごめんっ、あたし今夜、前からの約束で、こっそり、先輩の部屋の『夜更けにだけ風の音がする壁』の修理に行くことになってるからさあ、あたしも心配なんだけど……」
 羽居に無理難題を頼み込んだのは、三年の運動部の実力者だ、寮の規則から断ることもできたが、引き受けておけば後で必ず義理堅く礼はしてくれるのはわかっているし、こわもての姉御肌から苦笑を浮かべながら頼まれて、断れる羽ピンではない。
「仕方がないわね……それにしても、ねえ、先日、蒼香が校舎から寮に戻る間にどこかの男子学生と一緒にいた、って噂を聞いたけど、本当? 蒼香に限って変なことはないと思うけど……」
「うーん、バンドの仲間とかじゃないのかなあ」
 羽居はがさごそと工具を取り出しながら答える。こちらはこちらで忙しそうだ。秋葉はやむなく、あてもないままとりあえず上着を羽織って部屋の外に出ようとする、と、背後から羽居の声が飛んだ。
「秋葉ちゃん、蒼香ちゃん、秋葉ちゃんが転校しちゃってた間、本当に、秋葉ちゃんのこと心配して、淋しがってたんだからね。あたしも、慰めるの、大変だったんだから……」
 秋葉は羽居に背を見せたまま数秒間無言で立ち止まり、しかしそのまま寮舎の門に向かった。
 と、廊下で見知った顔にすれ違う、寮長の環だ、見回りの最中なのか。
「あら環、蒼香……月姫さん見なかった?」
「いいえ。もう閉まるわよ、まったく、何やってるの?」
 環はそう言ってやれやれという顔のまま歩き去ろうとし、ふと歩みを止めて秋葉に近づき、小声で言った。
「月姫さん、最近、放課後に、二年の例の人たちと一緒に居るのを見たわよ」
「ちょっと、『例の人たち』って?」
 秋葉の問いに、環は軽く、ふふんといわくありげな笑みを浮かべて答える。
「さあ、私、生徒会の方のことは、ノータッチだから」
 そのまま環は歩み去ってゆく。二年の生徒会の関係者といえば、ああ、おおかた高等部一年の出戻り副会長、遠野秋葉を疎んじている連中だろう。その連中と蒼香が……いったいなぜ……
「まったく、蒼香も、人に偉そうに言っておいて、自分は何をやってるのよ……」
 秋葉は寮舎の門の柱に寄りかかりながら、苛立たしげに溜息をつく、吐く息は白い。
 と、暗がりの中、近づいてくる人影、ああ、蒼香だ、やっと帰ってきたか……と、秋葉は異変に気づく。
「ちょっと、蒼香! 何よ、その格好?」
「ああ、学校から寮までの間で、ちょっと、自転車にぶつけられちゃってさ……」
 苦笑を浮かべて答える月姫蒼香の小柄で華奢な躰は、半身泥にまみれ、髪や顔の半分には、点々と血が飛び散っていた。
「何言ってるのよ! まずは洗わなきゃ、それに寒いでしょ、お風呂よ、お風呂」
 秋葉は泥のついた蒼香の手をよく観察してから、慎重に蒼香の腕をつかんで浴室へと引っ張ってゆく。
「おいおい、もう閉まっちゃうよ、洗面台で洗って、あとは明日で良いよ。血ぃついてるけど、大した怪我じゃないし……」
 ボーイッシュなロック少女は、いつもの面倒くさそうな口調で答える。秋葉はルームメイトの顔を見ずに抑揚ない口調で言った。
「そんなの私と環の立場で何とかできるわ、それより何が自転車にぶつかったよ? そんな傷になるわけないでしょ! ちゃんと腕、見せてよね」

 寮舎の浴室は二人きりの貸し切りだったが、特権を楽しむ気分ではなかった。
「やっぱり、乱暴なこと、されたんでしょ? あいつらが、自分の男友達をけしかけて」
 秋葉は蒼香の傍らに椅子を置いて、丁寧にルームメイトの髪を洗いながら、その細い腕についた、男の腕につかまれた跡らしい痣を眺めてつぶやく。
 タオルを取りに行って、浴室に入るまで、ずっと適当な口調ではぐらかしていた蒼香は、やれやれと諦めたかのような口調で答えた。
「はいはい、そうです。遠野の想像どおりだよ。でもさ、見りゃわかるだろ、ほら、大した怪我じゃないって。それに、あたしが好きこのんでやったことなんだから、あいつら、あたしが面と向かって『陰からこそこそ格好悪いぜ』って言ってやったらこれだ、それも自分じゃ手を出さないで男にやらせるし、ったくヘタレが……」
 蒼香は頭にシャワーをかけながら、面倒くさそうな口調で答える。
 秋葉が見たところ、蒼香の躰には、目立った傷はない。そう、外見を見て解かる範囲では。しかし――と、秋葉はルームメイトの華奢な裸身を見つめる、乱暴な口ぶりとは裏腹に、小柄で、まるで妖精のような躰――これを、この高慢で愚鈍な自分のせいで……
 秋葉の視線に気づき、蒼香は赤面しながら困惑まじりの表情で言った。
「おいこら、そんなにじろじろ見るなよ、そりゃ見て減るようなもんじゃないのは、まっ、お互い様だけどさ……」
 蒼香は、その年齢にしては小振りな乳房を軽く自分の指先で弾いて笑った。その笑顔を見て、秋葉はついに堪えきれなくなり、蒼香の細い躰を堅く抱き締めた。
「蒼香……ごめんなさい、本当に……ごめんなさい、こんな言葉じゃ、何にもならないけど、私のせいで……」
 秋葉は顔をぐしゃぐしゃにして涙ぐんでいる。
 もう就寝時間になろうという寮の中、たった二人きりの浴室、湯を浴びて濡れ、ほんのりと赤く上気した二人の少女の、生まれたままの裸身はぴったりと合わさり、月姫蒼香の皮膚と鼻腔を、遠野秋葉の肌の温もりと髪の甘い香りとが一色に染めた。
「! っ、遠野! よせよ! そんな、変な気分になっちゃうじゃんか……それに……」
 蒼香はそう言って慎重に秋葉の躰を引き離し、涙に濡れた秋葉の目を正面から見据えながら、軽く溜息をついて続けて言った。
「……遠野さ、勘違いしてない? 男連中に乱暴されたって言っても、たぶん、その、遠野が想像してるような意味のことは、されてないよ」
 蒼香は満面に苦笑を浮かべ、おどけた表情のまま、少し茫然とした秋葉の頬の涙をぺろりと舐め、秋葉の長い髪に手を触れながら、さらに言葉を続けた。
「あー、連中としちゃ、三沢くらいのおっぱいと遠野くらいのきれいな髪なら、そういうことでもやる気になったかもしれないけど、あたしなんかじゃ全然その気にならなかったみたいだね――ったく、助かったんだか、屈辱だか――」
 その言葉に、再び秋葉は安堵の表情のまま蒼香に抱きついて堅く抱きしめる。蒼香は、軽く秋葉の髪を撫で、その頬に軽くキスして、目を閉じた。

 二人が部屋に帰ってくると、先輩に呼ばれているという三沢羽居の姿はなく、秋葉の机の上には、一枚の紙片と共に二本の瓶が置かれている、そのラベルにはこう書かれていた。
「赤まむしドリンク」
 秋葉は言葉を失いながら紙片を目にする、そこには羽居の字でこう書かれていた。
「秋葉ちゃん、今夜は特別に蒼香ちゃんあげます。二人で仲良くしてねっ」
 蒼香は赤面したまま秋葉から顔を背けてぶつぶつと言った。
「あ、遠野、あたしもう、寝るから。疲れたよ……」
 蒼香は自分のベッドに潜り込もうとし、秋葉も無言で自分のベッドに向かう。秋葉は電気を消し、「おやすみなさい」の言葉もないまま二人はそれぞれ眠りにつこうとした。が、不意に蒼香の声がした。
「遠野……その……、一緒に、寝て、いいか?」
 暗闇の中、秋葉は無言のまま、蒼香の細い手を引き、自分のベッドに寄せると、堅く抱きしめた。
「……ちょっと、何か言いなさいよ」
 数秒間の沈黙のあと、秋葉が気まずそうに言葉を漏らす。蒼香はおどけた口調で答える。
「んー、三沢に比べると、だっこされ心地が、少し、いまひとつ……」
「それはどういう意味……?」
「いや、遠野とはお互い様だから……」
 そう言うと蒼香は、苛立ち混じりな言葉を続けようとする遠野の口を、自分の口でふさいだ。



 場面0-2



「瀬尾、これはいったい何なのっ! どういうこと? 説明しなさいっ!!」
 秋葉は、落としたノートを取りにわざわざ自分の部屋まで来た瀬尾晶に対し、最大級の剣幕で怒鳴った。
「あぁうぅ……遠野先輩……ごめんなさいぃぃぃ、悪気は、ないんですぅぅぅ……」
「あのね、私は琥珀とも、蒼香とも、そんな仲じゃないのよっ! もう、勝手に人の私生活を捏造してっ!!」
 蛇に睨まれた蛙のような表情の晶は、気まずそうに赤面したまま、秋葉が拾ったノートの内容について、おずおずと説明する。
「……ですから、これは、次のイベントは創作百合同人誌で行こうと思って、で、それならと前々から遠野先輩をモデルにいろいろ考えてた、ストーリーのメモで……あ、当然、実際に描く本じゃ、名前は変えるつもりだったんですけど……」
 しかし、説明しようと、秋葉の怒りはまったく収まる様子がない。
「それにしても、この内容はあんまりだわ! 瀬尾、あなた私をこんな目で見てたの?」
「……そっ、そんな、これはちっとも遠野先輩を貶めるわけじゃなくて、むしろ、遠野先輩のことを、素敵な、同性にも愛される人だと思ってこその解釈なんですよぉ……」
「それにしても、今回という今回は、本当に瀬尾には愛想が尽きたわ……まったく」
 晶は理不尽な思いに陥る――説明した通り、確かに勝手にモデルにしたのは悪いが、遠野先輩を冒涜する気はない、むしろ、敬愛の意識あってこその想像を書いたつもりだった、だというのに、なぜここまでくってかかられるのか……?
「お言葉ですが遠野先輩、なんでそんなに怒るんですか? たかがネタじゃないですか」
 瀬尾の居直った言葉に、秋葉はさらに激昂の表情となるが、そこで言葉を詰まらせ、奇妙な沈黙が生まれる。いったい秋葉の苛立ちは何のなのか……
 と、そこで瀬尾の背後から声がした。
「それはねっ、秋葉ちゃんが一番大好きな女の子は、お屋敷の優しい家政婦さんでもなく、親友のルームメイトでもなく、中等部の可愛い後輩なのに、なんでそれをわかってないの? って苛立ちなんだよねっ、秋葉ちゃんっ」
 瀬尾が振り返ると、そこには道具袋を手に笑みを浮かべた三沢羽居が立っていた。
「――ちょっと、羽ピン!――」
「はいはい、恥ずかしがらない――あ、あたし今夜は、後輩の部屋に修理がてらお呼ばれしてるから、えーと、蒼香ちゃんはまだ親戚の忌引中で帰ってこないし、二人で仲良くしてねっ」
 そう言いながら、羽居は謎の道具袋から二本の瓶を取り出し秋葉と秋葉に押し付ける。そのラベルにはこう書かれていた。
「赤まむしドリンク」
 羽居はふんふんと鼻歌まじりに部屋を出てゆき、秋葉と晶が残される。
 晶は、無言のまま秋葉を上目づかいに見つめたり、急に目を逸らして手許のドリンクの瓶を眺めたり、そわそわとした表情を続けていたが、やがて、意を決したように言った。
「遠野先輩、今夜は、先輩に赦してもらえるまで、自分の部屋には、帰りません。もう、先輩が、好きなようにしてくださいっ」
 秋葉は、苦笑を浮かべて晶に近づきながら、微笑を浮かべて囁いた。
「ふ、仕方ないわね――瀬尾、明日の朝は太陽が黄色いわよ」
 晶は内心でつぶやく。
「はあ、ノートの内容全面書き直しか――しっかし、まさか自分の実録体験書くことになるなんて……でも、お陰で次のイベントの百合本、本当に迫真のを描いてやるんだから」

 浅上女学園寮の夜は更けてゆく……



 場面0-3



「秋葉のやつ、学校じゃちゃんとやってるのかなあ……」
 志貴は軽く溜息をつきながら、ぽつりと言った。
「あらあら志貴さん、大丈夫ですって、私たちの秋葉様ですもの、きっと愛されてますよぉ。ねー翡翠ちゃん」
 琥珀はそう言いながら、笑みを浮かべて食後のお茶のカップを片付けに立ち上がり、翡翠も無言のまま同意の表情で、姉と一緒に厨房に向かおうとする。
 何やら二人だけの秘密を感じさせる表情に、志貴は少しだけ疎外感を感じながら、奇妙な安堵感も覚えるのであった。
「ま、いっか」
 志貴は一人、そうつぶやいて、自分も部屋に戻っていったのであった。



(おしまい)










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