未来ある者を見るたびに、苛つく心。
親友を裏切った時点で自分はもう帰れない所に来てしまったのだと、男は思う。
それならば、どこまでも行ってしまおう。
諦めにも似た気持ちを抱き、彼は今日も誰かを傷つける。
第三章 「真実」
「や〜、助かりましたよぉ。騎士さん若いのに強いっすねぇ」
「暇だったから助けただけだ。礼なんか言われる筋合いはねーよ」
「そんな、照れちゃってぇ。んもうっ」
(……変な奴に関わっちまった)
絡まれているところをなんとなく助けた商人の青年。
退屈しのぎにはなるか、という軽い気持ちだったのだが、どこかネジが飛んだような彼の性格まではベイスとて予想できなかった。
青年の性格は普通の者にとっては元気を与えてくれるものなのかもしれない。
だが、荒んだベイスの心にはそれは苛立ちを起こさせるものでしかなかった。
「いい加減うぜーよ。離れろ」
「いやいやいや。お礼くらいさせてくださいよ。マジでオレ死ぬかと思ったんすから」
「そんな深刻そうには見えなかったけどな」
「あ、オレ、スフレ=ディオールっていいます。騎士さんの名前は?」
(……聞けよ)
あくまでもマイペースなスフレの態度に、ベイスの苛立ちがさらに高まる。
「……ベイス=ロスティ」
「ベイスさんっすか。いい名前っすね〜。あ、家に案内します。来てくださいな〜」
マイペースなだけでなく、強引だ。
スフレの手に引かれながら、ベイスは溜息をついた。しかし彼はすぐに黒い笑みを浮かべる。
(……だが、こういう奴を絶望させんのも楽しいかもしれねーな)
人の心を傷つけること。今やそれはベイスの趣味と化していた。
彼を悪魔のようだと人は言う。だが彼は気にも留めない。
どうせ自分は天国になど行けないのだ。5年前親友を裏切った時点で。
行く先が結局地獄ならば、どこまでも堕ちてやろう。それこそ悪魔と化すまで。
ベイスはそんなことを思いながら、裏切りを繰り返す。
それは、諦めにも似た気持ちだった。
奇妙な家だった。
首都の外れに建っている、こじんまりとした石造りの家。作りは普通なのだが、問題は中に置いてあるものだ。
棚には空き瓶ばかりが並んでいた。その数は一万本を越えているだろう。
「オレ、金無いんでメシでも作ってお礼しようと思って」
そう言ってスフレがにこにこと笑う。その笑みがまたベイスを苛立たせた。
「……そういえば、お前18、9くらいにはなるよな。なんでまだ商人なんだ?」
優れた鍛冶師になるには長い修練が必要なため、商人たちは普通の一次職より早めに転職することが多い。
だいたい16、7くらいか。それを越してまだ商人のままな者は、努力が足りないかよほど才能がないかである。
苛立ちを少しでも吐き出すため、ベイスはそれを皮肉ったつもりだった。
「んんっ。オレ、アルケミストになろうと思ってるんすよ」
「……アルケミスト」
つい最近その存在が表に現れ始めた錬金術師。その能力は未解明な所が多いと聞く。
なぜそんな不安定な職業に就こうというのか。
そんな疑問をベイスの表情から読み取ったのか、スフレは苦笑しながら続けた。
「双子の兄貴がいるんすけどね。そっちはもうとっくに鍛冶師になっちゃってるんですが。
最初は兄貴と同じことやるなんてつまらないから、って理由だったんすけど。
オレ兄貴よりも出来悪いから、兄貴を越えることなんてできないだろうし。
それなら別の道に進んでやろうと思って、アルケミストのことを調べるうちにどんどん惹かれていって。
役立たずなオレが出来ることって言ったら、薬を作ることでみんなの役に立つことだけだって、そう思ったんです」
「…………」
夢と希望に満ちた、スフレの瞳。そして、どこかで聞いた言葉。
――親父みたいな殴りもいいけどさ、俺支援プリーストになって、みんなの役に立ちたいんだ。
(あぁ、そうか。こんなことリッツも言ってたな)
今はもう友と呼ぶのも憚られるかつての親友の言葉。
夢溢れる過去の彼と自分。それをベイスは5年ぶりに思い出した。
もう戻れるはずがないし、戻る必要もない。すぐに彼はその情景を頭から振り払った。
「だからこんなに空き瓶ばかり集めてるわけか」
「そうっすよ。結構大変だったんすよ、ここまで集めるの。買取もしたりして……だから金欠なんすけどね」
まぁこれも夢のためです、とスフレは笑った。
「最近アルケミストになる方法が見つかったじゃないですか。だからオレ、明日転職しようと思うんです。
商人のまま長く過ごした日々がやっと報われるんですよっ」
そう言うスフレの表情は希望に満ちていて、輝かんばかりだった。
そんな彼を見て、ベイスの心に黒い感情が湧き上がる。
こんな希望に満ちた明るい表情を崩すことができたら、どんなに心地よいだろう。
幸い窮地を助けたことで、スフレは相当自分を信頼しているらしい。
信頼している人間から裏切られた時のスフレの絶望を想像するとたまらない。
その瞬間の何とも形容しがたい快楽を思い、ベイスは笑みを浮かべた。
「げ、いつの間にかこんな時間だ。すんませんベイスさん、こんな遅くまで。なんなら泊まっていきます?」
「今の時間じゃ旅館も埋まっちまってるだろうし、その方がありがたいな」
「じゃあ用意しとくっす。夕飯、腕によりをかけて作るんで期待しててくださいね〜」
スフレは彼の前で明るく振舞った。
彼をより深く傷つけるには明日のほうが好都合だと、そんなベイスの思惑も知らずに。
人を傷つけようと思い立った日に、いつも見る夢があった。
それはベイスが行った初めての裏切り行為――親友であったアコライト、リッツ=アルベールを犯す夢、だったのだが。
それが何故か今夜は違っていた。
プリーストの男性と、剣士の少年。口づけをし、ベッドに沈む二人。
少年は男性に縋りつき、喘ぎながら自分の思いを告白する。ずっと前から、好きだったと。
男性はそれに、自分もだと答える。少年はそれを聞き、嬉しそうに微笑んで――
「…………っ!!」
思わず飛び起きていた。額が冷や汗に濡れているのを感じた。
悪夢だ。何よりも酷い悪夢だ。ベイスは汗を拭い、呼吸を整えた。
リッツの夢ならまだしも、自分をここまで歪めた原因を作ったあの男の夢を見るなんて、どうかしている。
ベイスは再び掛け布団に潜り込みながら、先ほどの続きを見ないことを願った。
思えばこの時から、いつもとは違っていたのかもしれない。
「じゃあ、行って来まっす」
「……おぉ」
転職試験に出かけるスフレを、ベイスは不機嫌そうに見送った。
結局あの後続きは見なかったものの、やはり目覚めは悪い。
この気分の悪さを拭い去る方法は、ただ一つだ。ベイスはそう思い、立ち上がった。
空き瓶が詰まった棚の前に立つ。剣を抜き放ち、笑みを浮かべる。
帰ってきた時のスフレの絶望した表情を思いながら、ベイスは剣を振り上げた。
「ただいま〜っす。……!?」
「よぉ、お帰り……スフレ」
帰ってきたスフレが見たものは、床一面に散らばるガラスの欠片。
それが彼が必死に集めてきた空き瓶の変わり果てた姿だということは明白だった。
「ベイスさん……一体、これは」
「俺はな、夢とか希望とかに満ちた奴が大嫌いなんだ。
そしてな……人を裏切るのが大好きなんだよ。……これで遠ざかったな、お前の夢。ははははっ」
俯いたスフレを笑い飛ばしてやる。
スフレはどう自分に返すだろうか。怒りをぶつけるだろうか。それとも泣き叫ぶだろうか。
ベイスはスフレの反応を待った。しかし彼の反応は、ベイスの想像していたいずれでもなかった。
「……なんか理由があるんでしょ、ベイスさん」
「……なっ」
(何を言ってやがるんだ、こいつは)
思いもよらなかったスフレの反応に、ベイスは動揺した。
「あなたはこんな人じゃなかったはずだ。少なくとも昔は。
あなたの考え方がおかしくなっちまった理由……どこかにあるんっすよね?」
「お前に何がわかる。俺の5年間の苦しみや悲しみが、お前にわかるってのかよ……!」
「あなたの苦しみ、それ自体はわかりません。
でもオレは……長い間商人やってたから、人を見る目には長けてるつもりっすよ。……話してくれませんか、あなたのこと」
「……っ」
自分の気持ちを理解しようとするようなバカな奴が、今までいただろうか。それも裏切られた後に。
ベイスの胸を、苛立ちとは別の感情が満たす。
ベイスが今まで傷つけてきた者たちは皆、ベイスを罵倒するか絶望に泣き叫ぶかどちらかだった。
それなのに今目の前にいる青年は、そのいずれの反応もしないばかりか、ベイスを理解しようとまでしているのだ。
「とんだ……お人よしだな、お前は……」
「兄貴もよくそう言われるって言ってたし、似てるのかもしれないっすね」
そう言ってスフレは笑顔を浮かべる。
(こいつはなんで笑えるんだ、こんな時に。……くそ、なんで胸が苦しいんだ。
この俺が、こいつを裏切ったことを後悔してるってのか? 昨日会ったばかりの奴だってのに……)
ぐっと、ベイスは拳を握り締めた。
「話しても……わかりゃしねーよ。俺の憎しみや絶望なんてな。
いくらお前がお人よしでもな……俺のぐちゃぐちゃになった心を、元に戻すことなんてできるわけねーんだよっ!!」
「ベイスさんっ!?」
ベイスは、家を飛び出していた。自分でもわからないような感情を振り払うかのように。
でもそれが、捻じ曲がった心のまま過ごしてきた5年間感じたことのないものであることはわかっていた。
「……うわっ!?」
「……っ」
誰かにぶつかる。見るとスフレによく似た鍛冶師だ。
自分の心を乱した張本人に似た顔に、ベイスの心が再びざわついた。
「……スフレ=ディオールという男を知っているか」
「あぁ、知ってるけど……」
「そいつに、これを渡してくれ」
「えっ? ちょっと、あんた!?」
鍛冶師の青年に皮の袋を押し付け、ベイスは再び駆け出した。
早くここから出てゆきたい。そして自分の感情を見つめ直したい。彼はただ、そう思った。
「どうかしてるぜ……」
走りながらベイスは呟いた。それは、誰かに救いを求めているようでもあった。
「……はぁ」
空き瓶の欠片を片付けながら、スフレはため息をついた。
(結局何もできなかった。オレってマジ、役立たずかも)
瓶を壊されたことではなく、スフレはベイスに何もしてやれなかったことで落ち込んでいた。
「スフレ、いるか? うわ、何だこの欠片」
「……スフォン兄。どうしたんだよ、急に」
スフォンと呼ばれたスフレの双子の兄は、苦笑しながら言った。
「お前がどうしてるか見にきたんだよ。アルケミスト転職おめでとな。
あと、道歩いてたらぶつかった人に、お前に渡せってこんなものよこされたってのもあるな」
スフォンは弟に皮の袋を渡した。かなり重く、中にそうとう入っているのが解る。
「お、お金……!?」
「すご……これ、M単位はあるぜ」
皮袋の中には、かなりの量のお金が入っていた。
誰が、なぜこんなものを自分に渡そうとしたのか。それを考えると、スフレの脳裏にある人物の顔が浮かんだ。
「……これ渡したの、青い髪の騎士さん?」
「そうだけど」
(やっぱり……ベイスさんなんだ)
皮袋に入っていた金は、壊された空き瓶の額を差し引いても釣りがくる。
ベイスがこれを、自分への罪滅ぼしの為に渡そうとしたのならば。
そう思うと、いてもたってもいられなかった。
「追いかけなきゃ……」
「お、おいスフレ!? 出てくんなら床片付けろよっ」
「ごめんスフォン兄、頼むっ」
「はぁ!? ふざけんなおい、おいってば!!」
スフォンの怒声を背に、スフレは家を飛び出した。
……見つからない。やはりもう、首都を出てしまったんだろう。
スフレは首都を走り回ったが、ベイスの姿を見ることはなかった。
失意の中、スフォンが待つ家に帰る。
「……ただいま」
「お帰り〜。まったく、片付けんの大変だったんだぜ」
スフォンが片付けたのか、欠片が積もっていた床はすっかり片付いていた。
冗談というか、ノリで言っただけなのに。スフレは思わず苦笑した。
「スフォン兄は本当にお人よしだなぁ」
「おいおい、わざわざ片付けてやった優しいお兄様にそういう態度かよ」
口を尖らせながらスフォンは食卓についた。
食卓には夕食が並んでいる。いくら実家とはいえ、客人と言っていいようなものなのにわざわざ作って待っているとは。
やはりスフォンはお人よしだと、スフレは笑った。
(……ベイスさん)
同時に、自分をお人よしだと言ったベイスの顔を思い出す。
昨日会ったばかりの人間ではあったが、どうしても彼の苛烈ながら寂しげな瞳をスフレは忘れることができなかった。
「スフォン兄。……オレも旅に出ようと思うんだ」
「まぁ、お前も二次職になったことだしな。旅に出るにはいい機会だと思うぜ。
お前も出て行くとなると、この家も売り時かぁ。寂しくなるな」
「めったに帰ってこないくせによく言うぜ」
「痛いとこを突くな、弟よ」
おどけたように言い、笑うスフォン。
自分より能力が上とはいうものの、この性格のせいでどこか憎めない兄を見て、スフレも笑った。
「しかしスフレよ、中々旅ってのも大変なもんだぜ。そうだ、オレが旅のコツをレクチャーしてやるよ」
「そりゃどうも」
「なんだよ、態度悪いな。……そうだな、まず相棒を見つけることだな。それと……」
スフォンの旅の話を聞きながら、スフレは自分の旅に夢を馳せた。
まず、ベイスを見つけ出し、彼の心の内を聞き出すこと。それがとりあえずの目的だ。
昨日今日の付き合いではあるが、ここまで気になるのならそれは用意された運命なのだろう。
それに、ベイスも心の闇から逃れさせてくれる相手を探しているように思えた。
出来ることなら、自分がそうなりたいとスフレは願う。そのために、ベイスを探しにいくのだ。
そんなスフレの旅は、もうすぐ始まる。