スフレ=ディオールは旅をする。
整った顔よりも印象に残る、寂しげな瞳の騎士ベイス。
なぜ彼がここまで気になるのか。その答えを出すために。
深い闇に沈む彼に、手を差し伸べるために。
「う〜〜〜〜」
スフレは一人、唸りながら街を歩いていた。
旅に出てしばらく経つが、ベイスを見つけることはできていない。
(情報を集めようにも……なぁ)
過去に彼の裏切り行為を受けた人にうっかり聞いてしまい、ボコボコにされそうになったことがあるだけにどうにも気が進まない。
とりあえず、わかったことは一つ。ベイスはかなり多くの人を裏切ってきたらしいことだ。
スフレもその一人ではあるのだが、彼はどうしてもベイスを恨むことができなかった。
ベイスは悪人だ。それははっきり解っているのになぜ。
『ふふふ。それは恋だよスフレっ!!』
双子の兄の言葉がふと蘇り、スフレは顔をしかめた。
旅立つ前に事情を話し、なぜベイスがこんなに気になるのだろう、と言ったスフレに帰ってきた答えがこれだった。
まぁ、とりあえず殴っておいたわけだが。
恋ではないにしても、恋に近い感情ではあるかもしれないとは思う。
アルケミストになったら人のために薬を作りたいという、夢を中断してまで旅に出てきたのだから。
しかしなぜそこまで自分がベイスに入れ込んでいるのか。解らないから、悩むのだ。
「っと! すみません」
ぼんやり歩いていたせいか、誰かとぶつかる。慌てて謝り、通り過ぎようとすると肩を掴まれた。
振り向くと、いかにも柄の悪そうな男が自分を睨んでいる。
(……ヤバい)
この間のことといい、スフレは因縁をつけられる星のもとに生まれているのかもしれない。
ベイスは悩んでいた。
心を捻じ曲げ、人を裏切り続けてきた自分。未来の見えない闇の中から、そんな自分を救おうとしてくれた青年スフレ。
彼のことが気になって仕方がなかった。優しい言葉をかけられたことなど今までなかったから。
(俺の中にも、まだこんな人間らしい感情が残っていたのか)
5年前にすべてを捨てたつもりでいた。人を信じることも、人から信じられようとすることもやめたつもりだった。
しかし、あの青年のお人よしともいえる優しさに触れ、ベイスの心の壁は崩れ始めていた。
もしかすると、どこかでベイスは思っていたのかもしれない。
救われたい、と。
「てめー、人にぶつかっといてただで済むと思ってんのか、あぁ?」
「すみませんマジですみません。オレ特製の薬さしあげますから勘弁してください。……失敗作しかないけど」
「いるかそんなもん!!」
言い争う声が、通りの向こうから聞こえる。
(またどこかのぼーっとした奴が因縁つけられてんのか……。そういえばあいつと出会ったのも、こんな時だったっけ)
「さっさと金出せよ。治療費だ治療費」
「え、だってどこもケガしてないじゃ……」
「てめー……自分の立場がわかってんのかぁ?」
「ううっ、そんなこといったって旅に出たばっかでお金なんてないっすよ〜」
(……なんか、聞き覚えのある声だな)
何か嫌な予感がする。ベイスは声がするほうへと駆け出した。
そこには、彼を悩ます原因となった青年スフレ……彼の姿があった。
それも彼とベイスが初めて出会った状況そのままで。
ベイスの足は、自然とそちらへと向かっていた。
スフレと、彼に因縁をつけている男の前に立ち止まる。
(助けるか? ……いや、あいつなんか関係ない……赤の他人じゃねーか)
剣の柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜く。
(俺の頭の中をぐちゃぐちゃにして、不快にした男だぞ、あいつは)
男の首に引き抜いた剣の先を突きつける。
(助ける理由なんてない……それなのに)
「そいつを離しな……ケガしたくなかったらな」
(何をしてるんだ……俺は)
スフレは驚いた。目の前にいるのは、確かにずっと探してきたあの人だ。
間違えようのないあの鋭く、それでいて憂いを秘めた瞳。
(あぁ、オレはこの瞳に惹かれていたんだ)
探し人……ベイスを見た瞬間、彼はそう思った。
どうして瞳に惹かれたのかなどは、もうどうでもよかった。
人間の感情なんてそんなものだろう。理屈なんかない。これが運命だったんだと思えばいい。
今大切なのは、再び心の中に沸き起こる、ベイスの瞳の中の悲しみの理由を知りたいという気持ち。
そしてベイスが何故かはわからないが、また初めて会ったときのように自分を助けてくれたという事実だ。
スフレに因縁を付けていた男がどこかに走り去っていく。突然体を離され、彼は尻もちをついた。
痛みに顔をしかめながら見上げると、どこか戸惑ったような表情をしたベイスがいた。
スフレを助けようとするまでには葛藤があったのだと、はっきりと解る表情だ。
それでも自分を助けるという選択をしてくれたことが、スフレは嬉しかった。
「……また会ったっすね、ベイスさん」
ベイスの戸惑いを吹き飛ばすかのように、スフレは彼に笑いかけた。
「ほんとすんません……二回も助けてもらっちゃって。でもよかった。ずっと探してたんです」
「俺を……? まさかお前、そのために」
「はい。あなたを探すために、旅に出たんです」
ベイスはため息をついた。なんというお人よしだ。
一日ほどの付き合いの人間のために、家を出る人間などスフレの他に居はしないだろう。
「ベイスさんこそ、どうしてオレを助けてくれたんですか」
「どうして……だろうな」
本当にわからない。ここでスフレに関わらなければ、一生裏切りの鬼のまま生きられたのかもしれない。
この広い世界でスフレにもう一度会うことなどまず無かっただろうから。
それでもベイスはスフレを助けた。心の中とは裏腹に。
(やっぱり、俺は……)
「……救われたい」
「えっ?」
ベイスはスフレに力のない微笑を向けた。
「お前に救われたい。先が見えないこんな状況から。……そうどこかで、思っていたのかもしれない」
「ベイスさん……」
裏切られても自分を恨まない。それどころか、自分を救うために旅にまで出てきたスフレ。
彼にすべてを打ち明けよう。それで少しでも、先に進めるのなら。ベイスは今確かに、そう思った。
「話すよ。どうして俺がこんな風になっちまったのか。俺もお前も……それで満足できると思うから」
大好きだった人がいた。リックス=アルベール……清廉潔白なプリースト。
その人は親友の父親だった。彼を慕い続けて、たった一回だけだが結ばれた。
そのとき確かに、自分への愛の言葉を聞いた。
しかし彼の死後。その人が自分の両親を殺し、その罪に苦しみ続けていたことを知って。
彼は自分を愛していたのではない。両親を殺したという負い目から自分を愛していたふりをしていただけなのだと思った。
愛が憎しみに変わるのはすぐだった。激しい憎しみのなか親友を犯し、その心を傷つけた。
そこから心がおかしくなった。人を裏切り、憎悪に満ちた視線を浴びることが快感になるという、おかしな性癖がついた。
そのまま5年の時を過ごしてきた。人の憎悪を好む、悪魔のような男として。
「軽蔑するか? 同じ男への愛と憎しみから、こんなになっちまった俺を」
「……いえ。男同士だとかそういうの関係ないと思ってますし。恋愛の辛さは誰であっても変わらないっすよ」
ベイスは、すべてをスフレに話した。
その内容は男同士での愛憎という、普通では理解しがたいものであった。
それでもスフレは怯むことなく、ベイスを救いたいと思った。
「ベイスさん。もう一度、あなたの故郷に行ってみませんか」
「俺の……故郷に?」
「ええ。もしかしたら、何か解るかもしれないでしょ。
それにオレには、ベイスさんとそのリックスさんって人に、何かすれ違いがあるような気がして仕方がない」
「……すれ違い」
(そういえば……)
リックスが自分を本当は愛していなかったのだと思い込んで、その真偽を疑うこともしなかった。
罪の意識だけしかなかったから、彼が死の直前に書いた手紙には謝罪の言葉しか書かれていなかったのだと。
たった一つでもいい。あの手紙に、愛の言葉があったならと思い続けていた。
その思いが、考えが、間違っていたとしたら。
自分がこれまでの5年間やってきたことは、一体何だったのだろう。
「行きましょ、ベイスさん。憎しみだけで生きてきた5年間が否定されるかもしれない。それが怖いのはわかります。
でもこれを乗り越えなきゃ、あなたは前に進めない。ずっと足踏みしたままだ」
ここが大きな分かれ道。
進むか、立ち止まるか。救われるか、逃げ続けるか。
大きな決断を、今ベイスは下す。
「……そう…だな。このままじゃだめだ。これを逃せば、もう俺がまっとうな人間に戻ることはできなくなっちまう。
おかしなもんだ。人に散々酷いことをしてきといて、俺はまだ人間でいたいと思ってる」
「それじゃあ、ベイスさん」
「ああ。行こう、スフレ。俺の……」
故郷へ。
もう一度過去を、見つめなおすために。