新婚旅行も数日目を数えるころ、悠理と龍之介はとある島の港町にいた。
せっかく両親にジェット機をもらったというのに、悠理が空の旅に飽きたと言い出し、それならばと、ジェットには先に次の目的地に行ってもらうことにして、飛び込みで客船に乗り、しばらく2人で船旅をすることにしたのだった。
だが、ここはその目的地という訳ではなく、客船がいろいろと積み荷を変えるための中継地点で、留まるのはわずかに数時間程度。ほとんどの客は船を降りる様子もないのだが、そこは持ち前の好奇心が抑えられない悠理と龍之介。くれぐれも出航の時間には遅れないでください!と乗務員に強く念を押されながら見送られ、2人は船を降りてみることにした。
「なぁ悠理、ホントに船で飯食っておかなくていいのか?」
「だって、うまい食い物があるかも、って言ったの龍之介だぞぉ?
そんなこと言われたら、期待しちゃうじゃんか〜!」
ぷぅ、と膨れた顔をする悠理に苦笑しつつも、龍之介はその顔が可愛くてたまらない。
「そこまで煽ったつもりはないんだけどな?でもまぁ、オレの勘にあまり外れがないのは確かだからな。
それに港のすぐ近くに市場があるって言うし、屋台とか島の名物とか、何か変わった食材とかあるといいな」
「ふふっ!なぁーんだ。龍之介だって結局期待してるんじゃん♪」
「ははっ、まぁな?」
船のステップを先に降りてから、龍之介は悠理に手を差し伸べた。
「ほら、掴まんな」
「ん♪」
その手をぎゅっと掴むと、悠理はぴょん、とステップの最後の一段から、島へと降り立った。そのまま手を繋いで、2人は島の市場へと繰り出した。
『こんちは〜!』
『あら、こんにちは、いらっしゃい。おや、あんたたち外国人だね。旅行者かい?珍しいねぇ』
『あぁ、さっき港についたばかりだ。これ、なんていう食べ物だ?』
『これはねぇ・・・ていうか、あんた、ここの言葉がえらく上手じゃないか!』
市場を巡りながら、まったく物怖じせず店の店主たちといろいろと会話をしたり説明を受ける中、夏目仕込みの語学センスと耳の良さで、龍之介はすぐにこの島独特の訛りを取得してしまった。見た目はどう見ても外国人の旅行者、つまりよそ者ではあるのだが、ついさっき島にやってきたばかりという空気を微塵も感じさせずに流暢な言葉で話しかけてくる龍之介と、言葉はわからずとも人懐こい感じの悠理に、島の住人たちは、いつのまにやら親しげに応えてしまっているのだった。とは言うものの、やはり悠理にはどんな言葉もちんぷんかんぷんである。それでも、まったく疎外感がないのは、龍之介がちゃんと悠理のことも考えて、どんな些細な会話も同時通訳してくれるからなのだった。いろいろと買い物をしたり、屋台で変わった食べ物を味見させてもらったりして、2人は縦横無尽に市場を歩き回っていた。
「船が出るまでにはまだ時間があるなぁ」
「ねー、りゅう、お腹空いたぁ〜」
「もう?市場回っていろいろ食ったじゃんか。あぁ、でも、それ以上にいっぱい歩いたか。
どっか、ゆっくりできる店でも教えてもらおうか」
そこで一番最初に立ち寄った店に行くと、店のおばちゃんは2人に対してすっかり親戚か何かと同様の感じで、声を掛けてきた。
『おや、さっきの2人じゃないか!どうかしたかい?何か困ってんのかい?おやついるかい?』
「もらうっ!ありがと!おばちゃん!」
なにやら今まで見たことのない、だがおいしそうなおやつをもらって、悠理はすっかりご満悦だ。大体こういう時は、言葉が通じなくても心は通じる。おばちゃんはにっこりと笑って、『どういたしまして』と言った。
『いやー、なんか腹減っちゃってさ。どっか、ゆっくりうまい飯が食える店ないかな』
『あぁ、それならね、いいとこがあるよ』
2人が教えられた場所へ赴くと、そこは酒場兼飯屋といった感じで、どう見ても、一見の観光客が気軽に立ち寄れる類の店ではなく、地元の人間の行きつけの店のようだった。いわゆる“地元民のみぞ知る的な店”というやつを教えてくれたのだろう。教えてくれたおばちゃんは人の良さそうな感じだったし、まさか、ぼったくりというわけではあるまい。ただ、店の前にはしっかりと準備中との札が出ていたのだが。どうやら、店の主もいないようだ。
「・・・てことは、ご飯お預けってことかー!?」
すっかりがっかりしている悠理をなだめるように、龍之介は言った。
「しょうがねぇじゃんか。他の店探すか、それとも船に戻って飯にしてもらうか?
キッチン借りてオレが作ってやってもいいし・・・」
「ほんとぉ?」
「あぁ。」
がっかり顔がいつもの可愛らしい笑顔に戻りそうなので、そのもう一押しにキスでもしてやろうと、龍之介は悠理の顔に自分の顔を近づけた。だが、悠理は、まだ少し人前でのキスに照れがあるようで、近寄ってきた龍之介の顔を、ぐいっと手で乱暴に押し返した。
「ぅあっ・・」
「こらぁっ!こんな往来でキスなんか・・・」
しかし、旦那の方は、そんな抵抗でキスをあきらめるような男ではない。遮る手を掴むと、抗議顔だがほんのり頬を染めてる悠理にさらに顔を寄せる。
「んー?何?聞こえねーな・・・」
「人が見てるっつのー!」
「見せたっていーに決まってんだろ・・新婚なんだから。むしろ見せつける」
「・・・ばかぁ」
少し大きめのジーンズのつなぎ姿の腰に手を回した。ゆったりしたそのつなぎの中に細く柔らかな感触を見つけ、身体を引き寄せてやると、抵抗していたはずなのに、悠理の腕がゆっくりと龍之介の首に絡んでくる。そして、妥協案。
「・・・じゃ、ほっぺたならイイ」
・・・ふふっ、かわいーヤツ。
龍之介はその妥協案に乗ることにして、悠理の頬に優しくキスをした。船に戻ったら、もっといいヤツしてやるよと囁くのも忘れずに。
・・・と、その時。
『・・・あんたら、人の店の前で何じゃれあってんだ?』
2人が声のした方を同時に向くと、そこには、大きな荷物を抱えたすらっと背の高い金髪の女がいて、“人の店”と言ってるところから、どうやらこの店の女主人のようだ。その荷物からして、仕入れから帰ってきたところなのだろう。銜え煙草をくゆらし、店の前でいちゃついていた悠理と龍之介を呆れた顔で見ている。
『・・・あ。いや、飯が食いたかったんだけど、準備中みてぇだなって残念がってたとこだ』
龍之介がそのまま悠理を腕の中に抱き締めながらそう答えると、
『腹、減ってんのか?』
女主人はぶっきらぼうにそう言うと店の鍵を開けて、だったら入んな、とばかりに2人を促すように顎を動かし、中に入っていった。
「ほらぁ〜、怒られちゃったじゃないかー」
悠理は、未だ龍之介の腕の中で抱き締められながら、先ほどキスされたほっぺたをぷぅと膨らませて、夫の顔を見上げた。
「いや、怒ってはないみたいだ。店に入れってさ。よかったな、どうやらオレたち、飯にありつけるみたいだぜ?」
龍之介がそう言って片目をつぶってみせると、膨れっ面は彼にしか見せないとびきりの笑顔になった。
2人が店の中に入ると、やはり店の中はまだ準備中だったらしく、どのテーブルの上にも椅子が乗っていた。女主人はカウンターの中に入り、2人に再び顎でその手前の席に座れと促した。龍之介は悠理のためにカウンターの椅子を引いて先に座らせてから女主人に言った。
『あー、やっぱまだ準備中だったんだろ?悪いな』
元々コックをしていた龍之介にしてみれば、この状態で客を受けるのは、店側にしてみれば面倒以外の何物でもないはよくわかっていた。それでも、店に入れてくれるというのは、店主の好意に他ならない。しかし、女主人はそれには答えず、柑橘系のジュースが入ったコップを、2人の前に置いた。
『それにしても、あんたら旅行者だろ?なんでそんなにここの言葉がそんなに流暢なんだ?』
龍之介の並はずれた語学力のおかげで、ほぼ、どこの国でも聞かれる質問である。まさかバカ正直に、元・プロの殺し屋にコツを伝授されたと答えるわけにもいかない。
『ま、流暢なのはオレの方だけなんだけどな。ガキの頃、いい家庭教師に教わったんだよ』
大体こんなところで、相手は納得してくれる。それに、まるっきり嘘というわけでもない。
・・・しっかし、市場のおばちゃんのオススメだっていうけど、店自体はちょっと古ぼけてんなぁ。
改めてまじまじと店をぐるりと見回し、龍之介は素直にそう思った。だが、女主人が立っているカウンター越しの調理スペースも、古いながらも清潔に使ってるようだ。客席のどこに目を移しても、日々の掃除を怠っていないのがよくわかる。まぁ、店が古いのは個性のようなものだし、古いが古いなりに安心感というか安定感のようなものが感じられる。要するに古かろうが何だろうが、店たるもの、居心地のよさがあれば何も問題はないのだ。オススメされる所以はそんなところか。
・・・うーん、ここに住んでるとすれば、通いたくなるような雰囲気はある。次に気になるのはやっぱり味だよな。
なんてことを考えていると、隣から悠理に頬をつままれた。
「いって!」
「りゅーのすけー・・・目つき悪いぞー」
・・・やばい、やばい。ついつい人の店にチェックを入れちまうのは悪いクセだな。
「ねー、今、なに話したんだ?」
「ん?あぁ、何でここの言葉がそんなに上手なんだ?って聞かれたから、いつものごとく、ガキんときに、いい家庭教師に教わったって答えたんだ」
「ふふっ。すっかり家庭教師ってことになっちゃってんね、夏目さん」
「だけど、当たらずとも遠からずだろ?」
今頃、地球の裏側で、千歳鶴組の組長の椅子に座ってる男は、おそらく一際大きなくしゃみをしているはずである。2人でくすくすと笑っていると、女主人が言った。
『あんたら、仲良いな・・恋人同士か?あ、いや別にそういうのに、偏見とかは無いぞ?』
『偏見て?オレたちは、恋人じゃなくて夫婦だよ。ただいま新婚旅行の真っ最中ってヤツ』
それを聞いた瞬間、女主人の顔が驚いた。
『あ、あんたらの国は、同性で結婚できんのか!?』
それを聞いて、龍之介のテンションが一気に下がった。やはりどこの国に行っても龍之介の顔は、女性的に見えるらしい。そういや、市場でも自分たちにお菓子とかくれるおばちゃんたちの他、やけに親切にしてくるオヤジどもがいたなぁ・・・と龍之介は思い出した。
てっきり、悠理が可愛いからだと思ったのに・・・オレも女だと思われてたのかよ・・・。
「龍之介?どしたの?」
「悠理ぃ・・オレ立ち直れない。また女だと思われた・・・」
急に落ち込んだ龍之介が、少し心配になった悠理だったが、それを聞くや否や、弾けるように笑い出した。
「こらー、悠理笑うなよ。人が落ち込んでるってぇのに」
「だぁってぇ。うふふ・・ごめん、ごめん。
あのね、龍之介はこぉんな顔してるけど、れっきとした男なんだよ」
悠理は、笑いを堪えながら女主人に言った。
「・・・ってあたいが言っても通じないんだっけ。ね、りゅう、ちゃんと言いなよ」
『どうした?何かまずいこと言ったか?』
自分の言ったことで龍之介ががっくりと落ち込んだのを見て、女主人は困った顔をしている。
『オレは、女じゃなくて男!
見た目、女っぽく見えんのかもしれねぇけど、オレたちは普通に男と女のカップルだっ!』
『・・・そうだったのか?ていうかそうじゃなくて、そっちの子も男なんだとばっかり。
そうだよな。格好は男っぽいけど、ちゃんと顔見たら女の子だもんな。
さっきあんたといちゃついてた時は、顔がよく見えてなかったから・・・』
つまり女主人は、悠理が男だと思いこんでいたらしい。つなぎ姿にゴツいブーツなんか履いているんだから、そう見えたとしてもおかしくはないのだが。
『・・・そうか。そう見られていたのか。それはそれでさらにヘコむな・・・オレがと言うより・・・』
龍之介はチラリと隣でまだ楽しそうにくすくす笑っている悠理を見た。
「どした?ちゃんと言ったか?男だって」
「あ・・あぁ、言ったよ」
男同士に間違われていたなんてことは、言えたもんではないので、ここは誤魔化すことにした。
『まだ開店前だから、飯はこっちで適当に作らせてもらうからな』
そう言って女主人は、カウンター越しで調理を始めた。途端に、その手際のよい手つきに、龍之介の視線が釘付けになってしまった。
へぇ〜あの食材をあんな風に使うのなんて初めて見るな。お、あれさっき市場で見た調味料だな。あー、そーやって使うのか、面白いな〜。しかし、適当そうに見えて、きちんとした基礎があってこその無駄のない手つきだな。この人、元々はきっと、どっかでかくて有名な厨房にいたのかもな。
・・・どう見ても腕は一流だ。
もう完全に料理人の顔に戻ってしまった龍之介を見て、悠理はくすっと笑った。
あーあ、そんな真剣な顔して。他の女を見てんのはかなーり癪に障るけど、そんな顔じゃ、そういう意味じゃないもんな。ふふ。あたいも結構オトナじゃんか。むやみやたらにヤキモチ妬かなくなるなんてさ。ヤキモチ妬くと、結局ケンカになっちゃうし・・つーかあたいがケンカに持ち込むんだけど・・・、やっぱり仲直りするまで、心のどっかがチクチクしちゃうもんな。まぁ・・・仲直りした後は、前より仲良くなってる感じで、すっご〜く楽しいんだけどさ。だけど・・・やっぱり、料理人やめても、龍之介から料理は切り離せないんだよな。
龍之介に出された悠理との結婚の条件は、剣菱の婿養子になること。
そして、剣菱の仕事をすること。
つまり、料理の仕事を辞めろと言うこと。
龍之介はそれを受けた。悠理を得られるのなら、片腕を捨てたって惜しくはないと言って。
悠理だって、龍之介に料理の仕事を辞めさせたくはなかった。
何度も何度も、何度も、“それでいいのか”と尋ねた。後悔はしないのかと。
だが、その答えはいつも同じだった。
「後悔は絶対にしない。仕事として料理を作ることは無くても、料理を辞めるつもりはない。悠理、これからはお前が、お前だけがオレの作る料理を食ってくれれば、そして、オレと一緒に生きてくれれば、オレはそれでいい。それだけで、最高の人生だと思わねぇか?」
そう言ってから見せる邪気のない笑顔は、龍之介の純粋な思いの現れなのだ。
だから、もうそんなことを尋ねるのはやめた。
自分も、素直にこの男と共に生きることを喜べばいいのだ。
そのために神の前で愛を誓ったのだから。だから、これからはずっと2人でいられる。
・・・龍之介はあたいの専属料理人、兼旦那。逆?でも、それでいーんだ!
その代わり、あたいはりゅうの赤ちゃんをいっぱい生んであげるんだ。
あーぁ、早くできないかな・・赤ちゃん。もうず〜ぅっとがんばってんのにな。
そりゃ・・もうちょっとぐらいは2人っきりってのもいいんだけどさ♪
そんなことを思うと、悠理は自分がすごく幸せな気がして、龍之介に腕を絡めて寄り添った。
ただし、寄り添われた龍之介は、悠理の髪にそっと優しいキスを落としたものの、やはり一流の料理人を思わせる女主人の手元からは視線を外せないでいた。
すっかり料理バカ丸出しである。
龍之介の視線に気づいたのか、女主人は怪訝そうに顔を上げた。
『あんた・・・もしかして』
そう聞くのと同時に、店のドアが乱暴に開かれた。
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