『うぉい酒だっ!酒寄越せっ!』
見るからに人相及び柄の悪い連中がずかずかと店の中に入り込んできた。
準備中の札も目に入らなかった、というよりも完全に無視されたのだろう。
女主人はあからさまに嫌そうな顔を見せた。
『ん?こりゃ、上玉が揃ってるじゃねーか。そばに来て、オレたちに酒でも注げ!』
嘗め回すように店の中にいた3人を見ているところから、どうやらこの連中は、女主人と違って龍之介のことを女だと思ったらしい。
『・・・この連中、あんたの店の客か?』
『いや、客じゃねぇ。こいつらは海賊だ。まぁ飯を食いたいんだったら客だけどな』
『海賊ぅ?あー・・そういうことか』
事も無げにそういう女主人に、龍之介は少し納得をした。
どうして乗ってる客船が、これほど気持ちのよい島に長く停留しないのか。
ほとんどの客たちが船から降りてこようとしないのか。
・・・それでも、一応この町では海賊も金を払うなら客なんだな。ま、それはそれで構わねぇけど。
この時代でも海賊というものが未だに存在するということは、龍之介も知っていた。
海賊といえば、すぐに略奪という言葉が浮かぶが、物資の調達という点で、ある程度カタギの人々との交流が無くてはやっていけない。おそらく、“海賊が来る島”というレッテルが貼られてしまっているのであろうこの島も、それならば、と海賊たちを商売相手と割り切っているのだろう。ただし、あくまで“行儀の良い”客であるならば、ということは次の女主人の言葉で伺えた。
『何か悪さをするようなら、すぐさま店から蹴り出すから放っておけ』
女主人がそう言うのを聞くと同時に、男の一人が龍之介の顎を引いた。
『なんだ、こいつ男らしいぜ?女みてぇなツラしやがって。オレにケツを貸してみねぇか?
そしたらホントの女にしてやるよ』
色黒でごついこの連中にしてみれば、これだけ容姿が整っているなら、女でも男でもまったく問題はないのかもしれない。だが、龍之介にしてみれば、野郎にこんなことを言われるのは反吐が出るほどムカツク。さらには、ニヤニヤしながら再び嘗め回すように見られ、龍之介は無礼なその男の手をはねのけ、ギロリと睨み付けた。日本を遠く離れたところでも、ヤクザの組長子息の睨みは相当に効くようだ。男がその眼力に怖じけついたのと同時に、龍之介の陰にいた悠理が乗り出してきた。
「てめぇっ!あたいの龍之介に汚い手で触んなっ!それに今、何言いやがった!」
言葉はわからずとも、龍之介が男から何かムカツクことを言われたのが、野生の勘でわかったらしい。威勢のいい悠理の大きな声に、男は驚いたものの、所詮女と思ったようだ。
『ふ・・ふん、随分気っ風のいいねぇちゃんじゃねぇか。カリカリすんじゃねーよ。
アレの最中か〜?だったらわからねぇでもねぇよ。大好きなアレができねぇもんなぁ?』
男は仲間に同意を求め、男たちは下世話な笑いを上げた。
『それまでだ、クソ海賊共。これ以上うちの客を侮辱するんなら、とっとと出て行けっ!』
女主人は、これまでと思ったのか、料理の手を止め、カウンターをバンッと打ち付けるように叩いた。そしてカウンターを乗り越えようとしてきたのだが、その前に動いたのは龍之介だった。悠理に悪態をついた男の襟元をぐいと掴むと、力任せに持ち上げた。男のつま先が床をすれすれに掠るのを見て、他の連中はわずかに息を飲んだ。
『・・・お前ら。オレの大事な女にふざけたこと抜かしやがって。
ただじゃすまねぇからな。全員、表へ出ろ』
龍之介のその髪と同じ色の黒橡色の双眸が、先ほどまで大きな好奇心に満ちていたそれと同じ人物とは思えないほどの、強い殺気を含んだ光を帯び始めた。その冷たい殺気に、まるでその場の空気が凍り付いたかのようだ。
『な・・なんだ、お前。オレたちとやるってのか?』
『あぁ。全員ぶっ飛ばしてやるから覚悟しな』
龍之介の発するビリビリするような強い殺気に、顔を青ざめさせてはいるが逃げ出そうとしないのは、やはり海賊と名乗るほどの連中なのかもしれない。だが、龍之介に引くつもりはまったくない。当然、殴り合いのケンカと聞いちゃ三度の飯と同じぐらい大好きな悠理もすっかり乗り気だ。
「龍之介っ!あたいもやるぞっ!ケンカなんてすっげぇ久しぶりだ〜!」
「ばかっ。お前はダメだっつの!」
すぐさま龍之介に却下され、悠理は不満顔だ。
「え〜!?何でだよ〜!」
「・・・子供、出来てるかもしれないだろ。だからだ」
照れくさそうにぼそっと言われた理由を聞いて、悠理は俄に頬を染めて素直に納得した。
「・・・あっ、あぁ。そ、そっか、わかった。じゃ、すぐ片づけちゃえよな」
「あいよ。任せときな」
男たちに対する殺気とは真逆な優しさで、龍之介は悠理の柔らかな髪をくしゃっと撫でた。そんな2人の雰囲気にわずかに和まされたかけたものの、
『おいっ、ちょっと待てっ!多勢に無勢だ!』
焦って再び身体を乗り出してきた女主人を制して、龍之介は言った。
『あんたはその料理の続きしててくれ。大体あと2〜3分ってとこだろ?それまでには片づける』
『てめぇ、オレたちを2〜3分で片づけるだとぉ〜?この女面のガキがぁっ!舐めたこと言ってんじゃねぇっ!』
いきり立った男たちの一人が龍之介に殴りかかってきた。龍之介は向かってきた男に、襟元を掴んでいた男を放り投げてやる。男2人は開いてたドアから外へ勢い良く吹っ飛んでいった。さらにもう一人が殴りかかってくると、龍之介はその拳をまるで子供の手か何かのように簡単に掴んだ。あくまでそう見えた。だが、拳を掴まれた男の表情からはその色が消えていった。次第にその手から逃れようとぐいぐいと自分の手を引くが、それは一向に叶わない。
『てっ、てめぇっ!離しやがれっ!!!』
『わかった。離せばいいんだな?』
龍之介は唐突にその手を離すと、10センチと離れていない距離から、男に向かってすっと手を伸ばした、ように見えた。それがただ、手を伸ばして男の身体に触れただけではないということは、次の瞬間、さらに男がもう一人、開いていたドアから外へと吹っ飛んだことで明らかだった。
「わ!りゅうの掌底、久しぶりだな〜っ!相変わらず破壊力抜群!」
吹っ飛ばされた男の情けないうめき声がかすかに外から聞こえる。あばらの2〜3本は確実に折れたはずである。男たちの纏う空気がさらに緊迫した中、悠理だけが、嬉しそうに手を叩いている。いや、女主人も感心したように軽く口笛を吹いてる。
『お前ら、営業前の店に迷惑かけてんじゃねぇよ。表に出ろっつっただろ』
男たちは龍之介の強さの片鱗を目の当たりにし、思わず怯んだものの、
『たかが男一人じゃねーか!オレたちゃ海賊だ!やっちまえっ!』
連中の頭らしい男の声を合図に、その喧噪は店の外へとなだれていった。それを見送ってから、悠理はさきほど女主人に出してもらったジュースを一口飲んだ。
見た感じ、龍之介を手こずらせそうなタイプはいなかったし、人数は最初から問題ではない。刃物だろうが飛び道具だろうが、龍之介にしてみればおもちゃ同然だ。悠理は自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
・・・大丈夫。龍之介は強いもん。
カウンターに右足をかけたままの女主人が、悠理に何かを聞いてきた。何を言ってるのかまったくわからないが、多分、龍之介一人で大丈夫なのかと聞いてるのに違いない、と悠理は思った。
「大丈夫。うちの旦那、めちゃくちゃ強いからさ・・って言っても多分わかんないよな」
そこで、手振り身振りで説明すると、どうにか通じたらしく、女主人はカウンターの中に戻り、龍之介に言われた通りに料理の続きを始めた。
そして、その料理が完成する頃、まるで、旅先の思い出でも出来たと言うような呑気さで、龍之介が戻ってきた。たった数分を、ずっと待ちわびていた悠理の顔が綻んだ。
「りゅうっ!!」
「いや〜、今までヤクザとはいろいろやり合ったけど、まさか海賊とケンカすることになるとはなぁ。
食事前としてはなかなかいい運動だったな。すっかりオレも腹ぺこだ」
とは言うものの、龍之介はまったく疲れた様子もない。しかし、海賊たちが戻ってくる様子もまったくない。
『あんた、さっきの連中、本当に全員やっつけたのか?』
『ふふっ、まぁな。全員店の前で伸びてるよ。しばらく起きねぇだろうな。ま、起きても身動きもできないと思うけど』
それを聞いて、女主人は呆れているのか感心したのか、口角にくいっと笑みを浮かべながら、できあがった料理を2人の前に置いた。悠理は、再び自分の隣の席に腰を降ろした龍之介の服の、肘の辺りが破けてるのに気がついた。
「・・・りゅう、シャツ、破れてるぞ」
「あ、これ?なんか一人、でかいナイフ持ってる輩がいて・・・」
「ないふぅっ!?」
「あ、それはうまくかわしたんだけど、そんときちょこっとどっかに引っ掛けたんだな」
「じゃ、怪我はしてないのか・・・って、してんじゃんか!このバカっ!」
破けた部分からわずかに血が滲んでいるのを見咎めて、悠理は龍之介を怒鳴りつけた。
「おいおい、かすり傷だろー?怪我ってほどでもねぇ」
「任せろって言ったからには、無傷で戻るのがスジじゃないか!」
「そりゃ悪かったな。だけど、全然痛くねぇし、これっくらいツバつけときゃ直るよ」
「じゃ、あたいが舐めてやる!」
悠理はぐいっと龍之介の腕をまくって強引に引っ張り、わずかに血の滲むその傷にそっと舌で触れると、龍之介の身体がピクンと震えた。
「・・・やっぱ痛いんじゃんか」
「痛くねぇって」
「・・・痛い。」
「だからー」
痛くないって。
龍之介がもう一度そう言おうとすると、悠理が俯いてぼそっと呟いた。
「・・・あたいが痛いんだ!りゅうの身体に傷がつくのは。たとえ、それがどんなにちっちゃな傷でも!」
悠理はぷいっと横を向いてしまった。そのとがらせたくちびるが、泣くのを我慢しているのか、少しだけ震えている。龍之介は、悠理が自分のことを心配してくれていたのだと気づくと、その横顔がたまらなく愛しく思えた。
「・・・ごめん。もう悠理のこと痛くさせないから。ごめんな?」
龍之介が大きな手で悠理の頭をよしよしすると、悠理はちょっとだけ涙に滲んだ目をぐんぐんと拭った。
「絶対だぞ!?」
「あぁ。約束だ」
そんな2人を見つめて、女主人は優しく微笑んだ。2人が何を言ってるのかはわからなくても、2人の間の強い繋がりがわかったのだろう。
『・・・ほら、2人とも冷めないうちに早く食べな』
「うわっ、うっまい!やっぱり龍之介の勘、外れなしだなっ」
「おー、マジでうまいな〜。市場のおばちゃんが薦めるだけあるじゃねぇか」
「りゅう、そっちのもちょうだい!」
「いいよ。オレもそっち食いたいな」
2人が女主人の作った料理をシェアしつつガツガツと腹に納めていると、店のドアが再び開き、駐在らしき男が入ってきた。そして、嬉しそうに自分の作った料理を平らげている2人の健啖家ぶりを、煙草をくゆらせながら、ちょっと満足そうに見ていた女主人に向かって言った。
『おい、店の前で積み重なってる海賊どもは、またお前がやったのか?』
『いや、今日のは違うよ』
『じゃあ、誰がやったんだ?旦那が早くに帰ってきてたのか?』
女主人は頭を振り、黙って龍之介の方に顎を向けた。
『えぇっ?こんな・・・綺麗な・・・』
『こんな綺麗なツラだけどね、お嬢さんじゃないよ。れっきとした男だ。何てったって、自分の女房にふざけたこと抜かした海賊共に、真正面から一人でケリを付けたんだからな』
『だが、とても温厚そうに見えるがなぁ・・・女房?それは、もう一人のあの子かね?』
『あぁ。新婚旅行中なんだってさ』
『・・・新婚旅行?もしかして、今港に停船してる客船の客かね!?君たちは!』
『そうだけど?』
口いっぱいに料理を詰め込んでる悠理の代わりに龍之介が答えた。もちろん、悠理が口いっぱいに料理を詰め込んでなくても答えるのは龍之介なのだが。
『実は、君が捕まえてくれた海賊がだな、港に船を入れる際に、その客船に思いっきりぶつかったんだよ!』
『なんだと!?』
龍之介は慌てて悠理の手を掴み、店を飛び出した。旅の最中に世話になった船の乗組員や、知り合った客たちが心配になったからだ。悠理は、龍之介にのされた海賊の山を横目に見ながら、慌てて自分の手を引く龍之介にその理由を尋ねた。
「どしたの?りゅう〜なんかあったのか?」
「オレたちの乗ってた船が、さっきの海賊たちの船にぶつかられたんだ!」
「うっそ!?あいつら、人の船にぶつけておきながら、呑気に酒なんか飲もうとしてたのかっ!?」
「そーいうのが海賊だろ!」
港へ着くと、さっき2人が降りたばかりの客船からぞろぞろと人が降りているのが見えた。
「・・・見た感じ、それほどひどい状態でも無いみたいだね」
「・・・だな」
ずっと駆けっぱなしだった足を緩め、ゆっくりと船に近づいて行くと、船の傍から、仲良くなった乗組員が慌てて駆け寄ってきた。
「悠理さんっ!龍之介さんっ!よかったっ!ホンットによかったっ!」
何がよかったのかよくわからず、2人が彼の話に耳を傾けると、船がぶつかられた被害はそれほど大きくはなかったのだが、その箇所がちょうど、悠理と龍之介の客室を直撃していたと言うのだ。
「お二人がお出かけになってて、本当によかったですぅ〜!!!」
そう言って、乗組員は腰が抜けたようにへたり込むと、泣き崩れてしまった。
「あらら・・・あたいたち、やっぱり悪運強いんだな〜」
「じゃなくて、日頃の行いがいいってことだろ。ところで、どうしてみんなぞろぞろと船から降りてんだ?」
「ぶつかってきた船ってのが海賊船だったんですよ!
ですから、みなさん、すっかり怖がってしまって、海賊が戻ってくる前に船を乗り換えると仰って・・・。
船の状態がこれでは、修理に数日はかかりますし、すぐに出航は無理なんです・・・。
それ以前に、海賊が戻ってきたら僕らは一体どうすればいいのか・・・」
怪我人は?と聞くと、衝撃で少々むち打ち気味になった者はいたようだが、それほどひどい怪我人はでなかったらしい。海賊たちは、この様子ではしばらく客船が出航できないだろうと判断したらしく、先に酒盛りをしようと思ったのが幸いし、略奪も免れていた。それでも、乗組員は頭を抱えている。海賊が捕まったことをまだ知らないのだ。
「その海賊なら、さっき龍之介がやっつけちゃったぞ?」
「・・・へ?」
「龍之介っ、あたいたちの客室、どーなっちゃったのか見てこよ!」
「ん?あぁ・・・」
「えぇっ?あっ危ないですよぉ〜!?」
乗組員の間抜けな声に聞こえない振りをして、今度は悠理が龍之介の手を掴むと、船を降りる人々と逆行するように、船のステップを上っていった。
「うっわ・・・ひっでぇな」
「これって、もう、外じゃんか・・・」
海賊船にぶつかられたという2人の客室は、遠くに水平線が見えるぐらいすっかり眺めのいい状態になっていた。2人の使っていたベッドが、船と外の際でゆらゆらと揺れている。悠理がつい、つん、と触ると、ベッドはゆっくりと傾いて、その姿を消した。そして、海が一際大きな飛沫をあげた。
「・・・あ。落ちちゃった」
「落ちたというか、落としたんだろ?」
「えへっ♪」
「こ〜ら、笑ってごまかすな」
もしも2人が船を降りず、さっきのベッドで昼寝でもしてようものなら、2人は今頃この世にはいなかったかもしれない。大きな荷物はほとんど、さっきの乗組員が船から降ろしてくれていたようなので、2人は手ぶらで再び船を降りた。すると、さっきの乗組員が2人を待っていた。どうやら彼も、海賊たちは捕まり、大きな問題は無くなったという事実を理解できたようだ。だが彼はまだ、何やらめそめそとしている。
「今から1時間後にここを立つ船があります。
お二人が乗船できるよう、すぐに切符を手配しておきます・・・ぐすっ」
「なー、誰がこの船降りるって言ったんだよ?あたいたち、別に先を急ぐ旅でもないんだから。船が直るまで、もうちょっとこの町にいなきゃなんないってだけだろ?なぁ、りゅう?」
「あぁ。船が直るのを待つぐらい、どうってことねぇよ。
それに、オレたち結構この港町気に入ったんだ。・・・あ、だけど、問題は泊まるところだな。船じゃしばらく泊まれないんだろ?近くにホテルとかあんのか?」
2人が下船しないと聞いて、乗組員はホッとしたのか、しゃくり上げるのをやめた。2人がこの上ない上客だからというわけではない。この乗組員は、金持ちだというのにまったく飾らないこの2人がすっかり気に入ってしまっていたのだ。
「え・・えっと、いくつか安宿はあるんですけど、船の乗組員たちと、船の乗り換えをやめたお客さんたちで、どこももう満室になってしまったみたいなんです・・・」
「えー!じゃぁ、あたいたちどこ泊まればいいんだぁ?」
「えっと、島の人の話によると、貸し家(リャド)ってのがあるみたいなんですよね。
だけど、そこの料金はかなり割高で・・・」
「ふぅん・・貸し家か。てことはキッチンとかもあるんだよな?面白そうじゃないか。悠理、どうする?」
「うんっ!そこにする〜っ!」
ジェット機の機長・五代宛に、そちらへの到着が少し遅れる旨の手紙を、先に出発する船に託すと、2人は、貸し家の仲介をするという人物のところに案内された。
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