『薔薇と曼珠沙華』
江戸の外れの小さな村に、花を育てる幼い兄弟がいた。
渡来した花を自ら栽培していたその才能を、ある大店の若旦那が見出し、その花の買い付けを申し出たのだ。両親の居ない二人は、村の手伝いをして何とか日々を暮らしていたこともあって、その申し出を快く承諾した。
外来の花を育てられる者はまだ少なく、その少年の腕の良さは瞬く間に近隣諸国に広まり、あちこちの花栽培の元締めから引き抜きの声が掛かったが、少年は決してその地を動こうとはしなかった。
理由は、この地が花の栽培に適していたことと、もう一つ…。
「豪、今日は町まで出かけるぞ」
何とか雨露を凌げる程度の粗末な小屋で、兄である少年が朝餉の用意をしながら、川で顔を洗い帰って来た、一つ下の弟に告げた。
「町に? 今日って、何かあったっけ?」
「頼んでおいた肥料が届くはずなんだ。それから、買い足しておきたいものも幾つかあるし…」
鍋の中で波立つ汁を掻き混ぜながらそう言うと、頃合いと見たのか碗に注ぎ、弟に手渡した。雑穀と山菜を混ぜた粥のようなものは、貧しい村での主食に該る。
「ほら、豪。熱いから気をつけろよ」
「おおっ美味そ〜、さすが烈兄貴っ」
豪と呼ばれた弟は、旺盛な食欲のままに碗の中の粥を貪る。それを見つめながら、兄は穏やかに目を細めた。
二人は両親の顔を知らない。歳も正確にはわからない。おそらく、兄が十二、三で弟が十一、二だろう。しかし、それ以上に特異なのは、容姿が全く似ていないことだ。兄である烈は、整った顔立ちと、細身の体に白く基目細かい肌が人形のように見目麗しい少年だった。反して弟は、野山を走り回ることが大好きで、日に焼けた肌と屈強な手足を持つ、精悍な顔立ちをした元気な少年だった。
たった二人きりの兄弟である彼らは、とても仲が良かった。些細な喧嘩は日常茶飯事だったが、それでも二人の絆は深く、親代わりとして少年たちを見守る村の者達は、その成長を楽しみにしていた。
「そろそろ若旦那にも出荷の時期を告げないとな」
その言葉を聞いた豪は、突然箸を止め、碗を置いた。
「町なら俺が行ってくるからさ、烈兄貴は家で待ってろよ」
「何言ってるんだ。お前一人でわかるはずないだろ」
「子供扱いすんなよなっ! もう一人でだって町くらい行ってこれるぜ! それに…」
「それに?」
言い淀む弟に、兄は不思議そうに首を傾ける。
「それにっ、烈兄貴、具合悪いんだろ?」
「!」
「今日だけじゃなくて、ここんとこずっと顔色悪いし…花の世話してる時だって、辛そうにしてるじゃんか」
真剣な瞳で自分を気遣う弟に、烈は内心の動揺を隠せずにいた。確かに、ここ最近の自分は体調を崩している。しかし、それを弟に悟らせないように配慮していたはずなのに。
「…俺、烈兄貴が思ってるほど子供じゃねぇよ」
自分を心から心配する瞳の色に、烈は確かに弟の成長を感じ取っていた。どうやら、多少の自立心が芽生えつつあるらしい。兄としては喜ばしい筈なのに、一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
「わかったよ。今回はお前に任せる」
そう言って立ち上がると、唯一の家財道具である木の棚から小さな財布を取り出し、豪に手渡した。
「道草するんじゃないぞ。余計なものも買ったら駄目だからな」
「おうっ、わかってるぜ!」
行ってくる!と元気に家を飛び出して行く後ろ姿を見送った烈は、その足で家の裏手にある花畑に向かった。