黒レンガで造られた屋敷。
シャーレンは家の周りに常に魔術で結界を張っていた。
不審者が現れるとすぐにわかるように。
その日の朝は、結界に反応があって、すぐに様子を見に行った。
正門に立っていたのは、四天王の幻獣だ。
黒い虎の幻獣、鬼虎。
威嚇するように、唸っている。
「私が怖いか、猫ちゃん」
フィルシスが暗黒神官と戦っている間、この幻獣とその主人が加勢することないように、
痛めつけたのだから、無理はないかもしれない。
こいつが来たということは、向こうの傷がそろそろ癒えたということか。
鬼虎が大きく口を開くと、鋭く長い牙を見えた。
―主人から伝言だ、聖騎士をよこせと。
それだけ言うと、幻獣は消えた。

家の中に戻ると、一先ずシャーレンは茶を淹れた。
フィルシスは熟睡していたから、まだ寝かせてやった。
紅茶を飲んで、のんびりしていると、今度は呼び鈴が鳴った。
と言っても、この屋敷に来るのは、ラークぐらいしかいない。
「よう」
いつものからっとしたかけ声。
だいたい用件は予想がついていた。
自分の所にも多分同じメッセージが着ている。
「おい、イグデュールがものすごく怒っているぞ、どうするんだよ」
四天王の一人、幻術師イグデュール。
彼は暗黒神の熱心な信者だ。
「そうだろうな」
とりあえずソファに座ったラークには、コーヒーを淹れて出す。
「ありがとよ。
で、昨晩俺の所にイグデュールの幻獣が来た…聖騎士はどこだって。ここにはいないって返したけど」
黒い体に赤い縞模様の入った虎の幻獣。
飼い主に似て、獰猛だ。
「ああ、今し方私のところにも来た。
体調が回復でもしたのかな。そろそろあいつの怒りも臨界点か」
何故かくすっと笑いながら言うシャーレンに、ラークは嫌な予感がした。
「一回あいつの所にでも行くか。起こして来る」
「フィルシスを連れていくのか?危険じゃないか。
わざわざ殺してくれと頼みにいくようなものじゃないか」
「聖剣があるから大丈夫だろう。
ふふ、イグデュールのやつ、さぞ羨ましがるだろうなあと思って」
嬉しそうな彼を見て、ラークは予感が的中するのを悟った。
基本的に彼の対人意識は、余程気に入るか嫌いになるか、興味なしの三通りしかないらしかったが、
余程嫌いな輩に入るイグデュールに対しては、わざと怒らせて反応を楽しむ子供のようだった。
「自慢しに行くのかよ。
お前さぁ、何でいつもイグデュールの神経逆なでするようなことするわけ?
あんな挑発的な足止め方するから、余計キレてるじゃないか。
巻き添え食らう俺の身にもなってみろよ」
自分とフィルシスが神殿で闘っていた時、シャーレンはイグデュールの足止めをしていた。
暗黒神官に加勢することがないように。
ただ、足止め方法に問題があるように思われた。
毒薬を飲ませて、解毒剤を手が届くか届かないかの所に転がしていった。
別にイグデュールを殺して欲しいというわけではなかったが、
そこまでするくせに何故殺さなかったのかが不思議でならない。
「面白かったんだ、仕方ないだろ」
シャーレンはイグデュールと揉めた理由となると、必ずこう答える。
無邪気な笑顔、ただし純度は悪意が百パーセント。
「はいはい、わかったよ」
いつも通りの受け答えにラークは苦笑した。

シャーレンは立ち上がると、寝室に向かった。
「フィルシス様、起きてください」
「…んー…」
一応聞こえているようだが、フィルシスはまだ布団にくるまって起き上がろうとしない。
「フィルシス様」
その声が、聖騎士団の時、緊急事態に呼ばれる声に似ていたので、
まだ少し寝ぼけていたフィルシスは、びくっとしてようやく目を開けた。
首輪の不快な感触と、シャーレンの黒いローブを見て、現実を思い出す。
「……」
また何かされるのかもしれないと思って、拗ねる様に寝転がったままでいた。
「まだ眠たいの?」
「あ……っ」
布団から引っ張られて、膝の上に抱き寄せられる。
抵抗しようとしたが、体に力が入らないことに気づいた。
そのままシャーレンの胸にもたれてしまう。
「おや、本当は甘えたくて仕方なかったんですか?」
からかうようにそう言っても、優しくなでてくれる。
「ん…違…っ」
言葉では否定しながらも、なでられるのが気持ちよくて、安堵感が相まって反抗できない。
そのまましばらく身を委ねてしまう。
眠いというよりは、どうしようもなくだるい…
そんな今まで感じたことのない疲れだった。
「ああ、そろそろか」
一人納得すると、シャーレンは立ち上がった。
「ちょっと待っていてくださいね」
部屋を出て行って、しばらくすると戻ってきた。
手にナイフを持って。
「…何を……」
目の前で、刃をちらつかせられて、フィルシスはびくりと怯えた。
そんなフィルシスに微笑みかけて、シャーレンはナイフで自分の指を軽く切った。
「……!」
血の滴る指を飼い犬に差し出す。
フィルシスは驚いてシャーレンを見返した。
あやしい微笑み。
「幻獣は契約者の血を糧としてるんですよ」
確かに、シャーレンの血の臭いを嗅ぎつけると、たまらなく欲しい衝動に駆られた。
「これが欲しいのでしょう?」
もの欲しそうなの赤い獣の目を見て、血の流れる指をちらつかせる。
「いらない…」
ごくりと唾を飲み込んだが、我慢した。
そんな本当に魔物みたいなことをしたくなかった。
「ふふ、いつになったら素直に言うことを聞くのでしょうね」
シャーレンは一向に素直にならない飼い犬の口に、無理矢理指を突っ込んだ。
「ん…!」
いきなり指をつっこまれてバランスを崩したフィルシスは、思わずシャーレンのローブにしがみつく。
口の中にシャーレンの血の味が広がる。
なめらかな甘い血が。
「ん…っ…ぅん……」
一度味わうと、もっと欲しくなった。
黒いローブにしがみついて、形の良いその指に吸いつく。
「やっぱり欲しかったんですね」
ぴちゃぴちゃと血をすする音。
白い尾が揺れる。
「……ふ……ぁ…ッ」
シャーレンは従順な獣に満足して、フィルシスの頭を優しくなでた。
愛する人が、自分の血がないと生きていけない体になったなんて、嬉しくて仕方ない。
誰もが褒め称える英雄が、自分だけの淫乱なペットに変わった証。
「美味しかったでしょう?また欲しくなったらいいなさい」
「……!」
血が止まるまで舐めた後にそう言われて、我に返ったフィルシスはひどく後悔した。
同じになってしまう…
自分の両親や仲間を殺したものと。

「それはそうと、これを手入れしてください」
寝間着から聖騎士の制服に着替えたフィルシスに聖剣を渡す。
「…戦いに行くのか?」
「場合によっては戦いです」
まだ光を失っていないフィルシスの目を見て、シャーレンは微笑む。
剣を手入れしている間、説明する。
「あなたが暗黒神官を倒して次元の裂け目を閉じたから、暗黒神官の忠臣たちが動き始めました。
彼らも暗黒神官のような野望を抱いているでしょう。
四天王の内、私とラークはべつにこちらの世界での暮らしでもいい、
残り二人…幻術師イグデュール、召喚術ハウゼンはあなたの世界も手に入れたいと思っている。
今日は幻術師の方に用がある。
あなたも聞いたことはあるでしょう?
彼の幻術に、先代が率いていた時の聖騎士団はかなり苦戦しました」
フィルシスは暗黒神官さえ倒せば、平和になると思っていたが、まだまだすべきことはたくさんあると知った。
でもそれが自分が選んだ道…
辛くても自分には進むしかなかった。これからもずっと。
故郷の人々のために。
たとえ自分の苦労が知られることがなくとも。
たとえ自分の存在が忘れ去られて行こうとも。

一階のダイニングのソファには、ラークが座っていた。
「よう」
先日凌辱されたことを思い出して、フィルシスは露骨に嫌そうな顔をした。
しかし今まで暗黒騎士団とは何度も戦っており、
もっと恨まれていると思っていたため、彼の軽い空気は、少しフィルシスを安心させた。
戦闘や凌辱の際のラークは、鋭い視線や意地の悪い笑みを向けていたが、どちらでもない今は、好青年の趣だった。
「うん…」
気軽な挨拶に、警戒を見せて無言でいるべきか形式的な挨拶だけでも返すべきか、どう返したものか迷った。
が、持ち前の純粋さとラークの雰囲気に飲まれて、結局フィルシスは素直に頷いていた。
「じゃあ、行くか」
シャーレンはソファに座っているラークに声をかけた。
「いや、俺、行きたくないんだけど…ここで待ってていいか」
「何で」
「お前の巻き添え食いたくないって言ってるだろ」
ソファで足を伸ばし始めるラークを、シャーレンはじっと見た。
ブーツを履いているシャーレンの、苛立たしげに爪先で床を叩く音がする。
わがままを言う子供のような仕草だ。
「何だよ、俺は行かないぞ、あんな所…」
「…お前の、人に知られたくないような過去を、暗黒騎士達にばらされるのとどっちがいい?」
「……わかった、行くよ」
がっかりしてラークは渋々立ち上がった。
フィルシスは今まで自分が知っていたシャーレンの姿からはとても想像できない対応に面食らった。
「徒歩で行くのか?」
外に出ても、歩こうとしているラークに、シャーレンはたずねた。
ラークの幻獣で代々の暗黒騎士団長の騎馬でもある、額に一本角を持つ漆黒の馬がいない。
あんなに誠実な幻獣なのに。
「黒蹄は、イグデュールの屋敷に行くと言っただけで、申し訳ないがそれだけはできないって出てこない。
お前のペットは大丈夫なのか」
そこで、ラークはにっと笑った。暗にフィルシスに向けた一言。
「誰がペットだ!」
むすっとしてフィルシスが口を開く。
「お前しかいないだろ」
そう言ってラークは白い尾を握った。
柔らかくて朝の冷たい空気の中では気持ちいい。
シャーレンがよく触っている気持ちがわかった。
「さわるな…っ!」


三人は幻術師の屋敷の北側を目指した。
幻術師の屋敷の周りは森に囲われているが、北側だけ囲われていないからだとフィルシスは説明された。
「そんな所から入ったら、すぐ狙い討ちされるのでは?」
あまりやる気のなかったフィルシスが言った。
戦いとなると、やはり黙ってはいられなかった。
「そうです、普通の戦力なら、北側から行けば狙い打ちです。
でも我々はある程度戦力はある。
あの森を実際に見てみれば、狙い打ちの方が、まだリスクが低いとわかりますよ」
しかし、イグデュールの屋敷について見ると、誤算があった。
「…ここはいつの間にか全部あの森に囲われてるんだな」
ラークがため息混じりに言う。
「そのようだ」
シャーレンも少し動揺した。
「どうするんだ、お前のペットには無理だろ、この森」
ラークが意味深にフィルシスを見た。
「ペットって言うな!」
「でも仕方ないだろう、ここしか道はないのだから。
本当はこの森は通りたくなかったが…まさか広がっていたとはな。
暗黒神官が倒されたから、警戒でもしたという所か。
フィルシス様、絶対私達の側を離れないでくださいね。
あなたはきっと、恐ろしいものを見たり、おぞましい声を聞いたりすることに…」
シャーレンが言い終える前にフィルシスの顔が凍りついた。
厳しい騎士の訓練で悲鳴こそあげなかったが、あげてもおかしくはない表情だった。
「な…何だあれは…!」
思わず後ずさる。
森の中を、言葉で表現できないほど、気味の悪い姿をした霊魂が何百匹と飛び交っていた。
骨や内臓、筋肉が透けている霊…
今にも血が滴りそうな、何かに噛み千切られたようないくつもの跡のある不完全な形の霊…
それらはグロテスクな肉の色をしていたり、凍りつくような灰色をしていた。
そしてそれらは耳を貫き、心臓を凍えさせるような、声を発していた。
あまりのグロテスクさに吐きそうになった。
フィルシスは恐怖と気味の悪さに思わず目をつむって、耳をふさいだ。
「やっぱりあなたにはあれが見えるのですね。
仕方ない、イグデュールに会う前にこんなところで魔法を使いたくなかったのですが…」
その時、濃い霧が立ちこめ、植物が動いた。
木々が襲ってくる。
「ちっ!相変わらず嫌な森だ!」
ラークはあまりの恐怖で立ち尽くすフィルシスを引き寄せて、植物を叩き斬った。



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