森をさまよう霊魂は人間には見えなかった。
しかしそれでも人間が、その存在を全く感じないというわけではない。
ラークもフィルシス程ではないが、一刻も早く森とおさらばしたかった。
「おい、フィルシス、大丈夫か?」
ラークは以前、自分の幻獣がこの森に入る前に悲鳴をあげて逃げたのを思い出して、
とりあえず隣で立ち尽くしているフィルシスに問う。
「…ああ…」
フィルシスはほとんど上の空でそう答えたものの、全然大丈夫ではなかった。
獣を嫌う森の力が、人間を遥かに上回る五感を持つ彼にだけは感じられた。
あのおぞましい姿は人間の目には見えない…
恐ろしい声は人間の耳には聞こえない…
できる限り耳に入れないように、無意識の内に耳を下に閉じて、伏せていた。
足が震える。
これ以上先には進みたくなかった。
「ちぇっ…シャーレンと分断されたな…」
だが立ち止まってても仕方ないので、方向を知っているラークは進むことにした。
「…探さないのか」
歩き始めるラークに、フィルシスは戸惑った。
「あいつは多分大丈夫だよ。何だ、やっぱ心配なんだな」
「違う…シャーレンがいなくなったら…」
いなくなったら?
の先が、素直に言えずにフィルシスは口をつぐんだ。
「俺が代わりに抱いてやろうか?もちろん、部下達も一緒にだ」
フィルシスは反射的に鞘をラークにぶつけた。
「痛…ッ!何だよ、暴力ふるうのかよ、聖騎士様が」
「つまらないことを言うからだ!…その、心配じゃないのか…」
そっぽを向いて語尾が弱くなっていくフィルシスの様子に、ラークは笑った。
「お前、面白いな」
からかいがいがあるのだった。
幻獣しか感じられない存在が視える分、恐ろしいだろうに。
それなのに、あんな酷い仕打ちをしたシャーレンを心配している。
「何を…っ」
「あいつのことより、自分の心配をしろよ。
いいか、絶対俺から離れるなよ。あと、この森の植物には触れないように、気をつけるんだな。
毒を持っていたり、攻撃してきたり、色々難儀なんだ」
フィルシスの細い腕をつかんで進み始めた。
「…一人で歩く、大丈夫だ…っ」
敵じゃないとは言っていたけど、まだ疑わしかった。
シャーレンがあの場にいたから、そう言っていただけなのかもしれない可能性もある。
今は二人きりだ。
「何だ、俺を警戒しているのか?」
「………」
「まあ、無理はないな。
わかった、言い方を変えよう。
お前のためと言うよりは、シャーレンのためだ。友達だからな
それならわかるだろ?」
「友達……」
本当なのか疑わしい気もするけど…
暗黒騎士にも、そんな気持ちはやっぱりあるんだ…
偏見があったことを悔いた。
でも、それは疎外感を生み出した。
自分には、この世界で孤立していくに違いない…
「それに、お前が他人のために、果たしてどこまで耐えられるか、見物だからな」
「………」
そう言うと、ラークは先に進み始めた。
「ほら、こんな森、さっさと抜けようぜ」
また、暗黒騎士が嫌みのない笑みを向ける。
元々鼻筋通った男らしい精悍な顔立ちのラークは、そのような表情をすると意外にも清々しく見えた。
「ああ…」
フィルシスはもう一度、覚悟を決めて、進み始めた。
「さすがだな、聖騎士団長様。この俺を倒したんだから、そう来なくちゃな」
弱音を吐かずに進むフィルシスを見て、ラークは感心した。
植物はぐねぐねと動いて、襲ってきて、出口が見えない。
しばらく進んでいくと、再び濃い霧が立ち込めて、二人とも何も見えなくなった。
「この霧は…しまった……!」
ラークの叫び声だけが聞こえた。


「ここは…」
しばらくして、霧が晴れると、そこはあの森ではなかった。
そこは暗黒神官の神殿だった。
さっきまで、森にいたのに。
「どうなっているんだ…?」
フィルシスがいきなりのことに混乱していると、ラークが口を開いた。
「…お前、一人で行け」
「何…?」
「じゃあな」
そう言うとラークは廊下の遠くに消えた。
だが、追いかけようとしたフィルシスは次の瞬間、信じられないものを見た。
目の前に慣れ親しんだレンドラント城が広がる。
「…え?」
大司教だった。
後ろには教皇を初め、他の教会関係者もいた。
「大司教…教皇様…!」
しかし彼らの姿は、透けていた。
「最後に一度、会えてよかった。元気でな」
教皇がそう言うと、次々にみんな消え去っていった。
何が起こっているのか、全く理解できない。
「待ってください…!」
今消えていった教皇達の死体が転がっていた。
「まさか……死……」
驚いて、フィルシスは城の外に出た。
空は血に染まったように赤い夕焼けを、所々暗雲が覆っていて不気味な表情だった。
街は無音だった。
何も動いていない。
「さようなら、聖騎士様…」
城の人達や城下町の人々など、自分の知っている全ての人が、別れを述べて消えていく。
半分透けた彼らが浮いている足元には、死体が転がっていた。
みんな死んだ……?
幻獣になった自分には、霊が見えるから、死んだ人達の姿が見えるというのか。
「そんな…そんな……!」
どこまで城下街を走っても、屍の海だった。
「フィルシス様!」
自分の後ろから、見慣れた顔の部下達が自分の名を呼ぶ。
「お前達…!?」
彼らは透けてはいない、幽霊ではない。
フィルシスは思わず喜んだ。
生存者がいた…!
だが、部下達が、きちんと敬礼をして言った。
「我々も別れを言いに来ました…」
「何…?」
足元を見ると、彼らの立っている地面に血溜まりができていた。
「戦ったのですが、この通り負けてしまいました……」
彼らの顔から血が滲み始める。
皮膚がぼろぼろと剥がれ、頭蓋が見え始める。
「う……そんな……そんな……!」
腐り落ちた体から、霊が抜けてくる。
「お役に立てず、申し訳なく思います」
霊になった騎士団の仲間達が、遠ざかっていく。
「待て、行くな…!役に立ってないなんて、そんなことは……」
フィルシスは必死に追いかけたが、誰にも追いつけなかった。
消えていく仲間の背に向かって、叫んだ。
それでも彼らは振り返らずに、消えていった。
「みんな…」
いつの間にか城の景色が消え、闇に包まれた。
一人でつぶやくと、また後ろから声が聞こえる。
「聖騎士団長…」
淡々と、暗い怨念のこもった低い声だった。
「…暗黒神官!」
ぎょっとして、フィルシスの声は上ずった。
「私を邪魔した憎き者よ、この闇の中で独り、苦しむがいい…!」
死んでも怨霊となって、自分を呪いに来たのか。
あの死の瞬間を思わせる恐ろしい形相でそう叫ぶと、暗黒神官は消えた。
「……!」
また、呆然と立ち尽くすフィルシスの手に、誰かが触れた。
暗黒神官の闇を払うような、優しくて柔らかい手だった。
「フィルシス…」
夢にまで見た、柔らかな長い茶色の髪、温かい茶色の瞳の美しい女性…
「ローナ!」
思わぬ再会に、目頭が熱くなった。
恋人を抱きしめようと、腕を伸ばした。
「……!」
でも、素通りして、触れられない。
「ごめんなさい…フィルシス…」
「…ローナ……!」
「私も死んでしまったのよ…」
「…ローナ…!まさか…そんな…」
ローナの霊は悲しそうに呟くと、後ろを振り返った。
「ほら…」
崩壊した教会の、瓦礫の横に女性の体が横たわっていた。
「あれが私の死体よ」
黒い剣が身体中に突き刺さり、血の海に沈んでいた。
服は脱がされ、美しかった顔は抉られ、誰かわからない。
「…嘘だ…そんな……嘘だ!」
「私も行かなければならないの、みんなのところへ…さようなら」
ローナの姿がゆらめいた。
そっと口付けて、儚い微笑みを見せて、彼女も遠くへ消えていく。
「待って、ローナ…待って…!」
必死に追いかけて叫んだが、彼女は闇に消えたきり、二度と現れなかった。
「ローナ……ローナ……っ」
死体の側に座り込んで泣き叫ぶフィルシスの後ろに、誰かが立ち止まる音がした。
フィルシスがはっと顔をあげる。
「シャーレン……!」
思わず名前を呼んだ。
でも……
「私もお別れに来ました」
優しく微笑まれて、耳をなでられた。
「ずっとあなたの側にいたかったけれど…」
「シャーレン…やだ…まさか、死……」
手を伸ばして触れようとすると、シャーレンは背を向けた。
背中に手が触れる。
幽霊じゃない…?
そうか、霊ならなでることもできない…
シャーレンは無事だったんだ…
「…シャーレン…っ」
でも、無事なのにどうして別れなんだろう…?
一向に振り向かずにどこかに歩いていく。
「待って…!どこに……」
周りの風景はいつの間にか、瓦礫に埋もれたレンドラントではなかった。
また、暗黒神官の神殿に戻っていた。
シャーレンがようやく立ち止った場所は、あの祭壇だった。
「シャーレン……?」
そこで、ようやく振り向く。
「あなたを好きだったけど」
「え……」
「もう飽きました」
シャーレンはこちらに向かって手をかざした。
「この場で処刑してあげましょう」
「待っ……!」
闇の魔術のオーラが向かってくる。
視界が漆黒に染まっていくのを最後に、意識は途絶えた。



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