気絶したフィルシスを抱きあげて、シャーレンは廊下に出た。
ラークから、暗黒神官に仕えている者なら、誰でも覚えさせられる通信用の魔法で連絡が来たからだ。
イグデュールは屋上へ行ったようだから、そこへ続く階段の前にいると。
「やあ、ラーク。無事で何よりだ」
「ああ、酷い目にあった…油断してた、久々にあいつの幻術食らってしまった…。
何だ、そいつはどうした」
シャーレンに抱きあげられて寝ているフィルシスを見て、ラークは少しだけ心配そうに尋ねた。
「幻術が少し効いたようだ」
本当は違うけど…
あれは自分だけの秘密にしたかった。
「それよりもお前、あの森でわざと別れただろ」
少し不機嫌そうにラークが尋ねた。
「ふ、いきなり何を言い出す」
それでも動じずにシャーレンが、微笑を見せる。
「しらばっくれんなよ、別れ際、笑ってたくせに」
「私が側にいない時、どんなに寂しい思いをするか体感してもらいたかったのさ。
可愛かったなあ…耳も尻尾も怯えたように伏せて…」
仕方なく、シャーレンは呟いた。
腕の中で寝ているフィルシスをじっと眺めながら話す様子に、ラークは驚いて尋ねる。
「見てたのか?!お前一体どこにいたんだ」
「後ろ」
「…あの、姿を見えなくする呪文か」
二人で潜入捜査をした時によく唱えてもらった暗黒魔法だ。
「そうそう。だから私の所までは幻術は来なかった」
「って、お前なあ…!何かあったらどうすんだよ」
「ラークなら大丈夫って、思っているんだがな」
「そうかよ…」
何だか疲れて、ラークは気を取り直して進もうとした。
「う………」
騒がしい声で気がついたのか、フィルシスが目を覚ます。
「……シャーレン」
どこか安堵したように、フィルシスは呟いた。
「……!」
しかし、ラークがいる前で抱きあげられているのが恥ずかしくなって、すぐに降りた。
「おや、もう大丈夫なんですか?」
「うん…」
フィルシスは小さく頷いた。
にやにや笑うシャーレンにそう聞かれると、先程のことが思い出されて恥ずかしくなった。
「そう言えば、どんな幻覚を見たんですか?そんなに怖かったんですか?」
「うん……」
思い出すだけで、涙が出そうになった。
あれを思い出すと、思わずもう一度シャーレンにしがみついてしまった。
ちゃんと触れる。夢じゃない。
本物だ…幻じゃなくて。
「お前は?聞くところによると、”その人が最も恐ろしいと思うこと”の幻術だったそうじゃないか」
フィルシスをなでながら、今度はラークに尋ねた。
「ああ、そうか成程、あれってそういう幻術だったのか…俺は……
って、聞いてどうするんだよ、あんまし思い出したくないんだよ」
「別に…ラークが最も恐ろしいことって何なんだろうなって、思っただけさ」
「絶対教えねえ」

昇り階段の上には、夜の空が視えた。
屋上に近づくにつれ、夜は明けているというのに、あのおぞましい声は絶えずに聞こえてくる。
「…や…っ!」
フィルシスは思わず耳をふさぐ。
だが、今度はシャーレンが、怨霊を抑える魔法を唱えた。
「あの森では私達は分断されて、どうしようもありませんでしたが…」
白々しい…思わずぼそっと呟いたラークを、シャーレンは横目で睨みつけた。
「あれはイグデュールの幻獣、鬼虎の犠牲になった様々な生き物の怨霊です。
それでも彼らは鬼虎には手を出せないから、憂さ晴らしに他の獣に攻撃するのです。
だから、あれらは鬼虎と同じような高位の獣を見ると、襲い掛かってくるのです。
でも、もう大丈夫ですよ。しばらくの間はあれがあなたを襲うことはない。
その間にイグデュールを倒しなさい。聖剣があれば幻覚も大丈夫でしょう?」
「うん……」
そう頷いたものの、フィルシスはできれば、戦いはもう嫌だった。
話し合いで解決できないものだろうか…

屋上に出ると、イグデュールとその幻獣の鬼虎が立っていた。
「お前と決着をつけなければならないようだな」
イグデュールはシャーレンに向き直った。
「あいつら、最高に仲が悪いんだ」
「そのようだな…」
何となく、来る前にラークが行きたくないと言っていた理由がわかった気がする。
あの二人の仲を取り持つのは大変そうだった。
「お前絶対許さない」
激しい剣幕でイグデュールはシャーレンを睨みつけた。
「何をそんなに怒っている?
私は何もお前を殺そうとなんて、思っていないのに。ただ、一言報告しにきただけなのに」
飄々と自分の怒りを受け流すシャーレンの様子を見て、イグデュールの怒りは激しさを増した。
「…だったら何故一人で来ない」
「こんな危ない悪趣味な屋敷を、一人で来たいなんて思わないだろう」
「何が報告だ…僕に黙って見ていろと言うのか。
お前が聖騎士で遊んでいるのを…
もしくは、お前が聖騎士を殺して、暗黒神様を蘇らせるのを…黙って見ていろと言うのか…」
イライラとイグデュールが叫ぶ。
フィルシスは不安げに聞いていた。
シャーレンは本当はどう思っているのだろう…
「では、試してみたらどうだ?」
後ろから、シャーレンに頭をなでられる。
「お前に聖剣使いを殺して、暗黒神を復活させることができるかどうか。
せっかく聖騎士がここにいるんだから」
「シャーレン……!」
まさか突然そう言われるとは。
すでに何度も恐ろしいものを見せられて、フィルシスにとってイグデュールの幻術はトラウマとなりつつあった。
「大丈夫ですよ、今度はちゃんと聖剣があるでしょう?」
「……」
聖剣の柄に手をかけるフィルシスに、イグデュールはため息をついた。
「また君か…懲りないね。今度は何にしようかな!」
イグデュールが高く手を掲げた。
フィルシスの前にまた信じられない光景が現れる。
戦場だった。
聖騎士団が、見慣れた部下達が剣を振りかざして襲い掛かってくる。
「魔物だ!殺してしまえ!」
副団長のレヴィンが叫ぶ。
お互いに信頼しあっていた相手に言われた言葉が胸をえぐった。
「待てレヴィン!」
必死に部下達を説得した。
仲間と戦うなんてできない。
「何を戯言を!お前のような化け物があの方なわけないだろう!死ぬがいい!」
聖騎士達が襲い掛かる。
でも彼らを斬ることはできなかった。
どんなに辛く罵られても。
わかってもらえなかった哀しみが心を支配して、動けなかった。
その時、一筋の輝跡が視えた。
聖剣の光。
―そうだ、違う…みんななら例え姿が変わっても、自分を信じてくれる…きっと…
切なくそう思うと、フィルシスは聖剣をもう一度振りかざした。
視界が白く変わっていく。
幻が砕けていく。
元の風景に戻っていた。
「僕の幻術を破っただと……!」
一番最初は、フィルシスは聖剣を抜刀する前に幻術に取り込まれてしまった。
次は、聖剣を帯剣できなかった。
今は違う。事前に幻術が来るとわかっていたから、すぐに聖剣で打ち破ることができた。
「ぐ…う……ッ!」
聖剣の輝きを間近で見せられて、イグデュールは怯んだ。
その隙に間合いが詰められる。
「聖剣…!」
煌めく切っ先を向けられて、イグデュールは死を覚悟した。
「あきらめろ、イグデュール」
後ろからフィルシスを抱きしめながら、シャーレンが微笑んだ。
座りこむイグデュールを見下ろす。
「お前じゃ聖剣使いには勝てない。だから、お前に暗黒神は復活させられない」
しかし、フィルシスは剣の刺さる直前からその手を動かさなかった。
ずっと。
「何で僕を殺さない…」
イグデュールが不思議そうに言う。
「無益な争いはしたくない…」
もう、戦争は終わったのだから…
「本当に…僕を…殺さないのか……」
また、少し悲しそうな瞳。
先程部屋で話していた時、歪んだ笑みの中で時折見せた物寂しげな表情。
「君は憧れていると言っていた、創造神様の世界に。
そう思う心があるなら、争い以外でも、解決する方法はきっとあると、そう思いたい…」
甘い考えかもしれない。
だが、本当に、他に解決策があるように思われる以上、それに賭けたかった。
過去は変えられないけれど、未来を変えることはできる。
そのように望むなら、無駄な殺しなんてもうしたくない。
「………僕は…」
イグデュールは力なく俯いた。誰が見ても戦意を喪失したように見える。
あんなに怖い幻覚を何度も見せたのに、こんな自分を許してくれるなんて。
初めて出逢った、こんなやさしい人。
なのに、すでに……
「シャーレン…お前…本当は見せびらかしに来たんだな」
苛立たしげに、イグデュールはシャーレンを睨みつけた。
そう言うと、突然立ち上がった。
「………!?」
突然の口付けに、フィルシスもシャーレンも驚いた。
「僕はあきらめないぞ…必ずいつか、その聖騎士を奪ってやる……!」
そう言うと、イグデュールは鬼虎と共に姿を消した。
どこにもいないように見せる幻覚なのかもしれない。
「イグデュールめ…私のものは誰にも渡すわけ……」
いらつくシャーレンを見て、ラークがフィルシスににやりとしながら聞いた。
「お前さ、まさかイグデュールにもやられたのか?」
フィルシスは無言でラークの頭を聖剣の鞘で殴った。
「やられてない!」
「いってぇなー!だったら殴ること無いだろ」
「…でも、礼を言い忘れていた。あの森で助けてくれてありがとう」
少し気恥ずかしそうに、フィルシスは素直に感謝した。
「ふん、別にお前のためじゃ…。じゃあ、俺は帰るぞ、シャーレン」
お互いに慣れない雰囲気になって、照れるようなことが滅多にないラークはさっさと帰ってしまった。
「…あの人に止めを刺さなかったこと…怒ってる…?」
二人きりの帰り道、恐る恐るフィルシスは聞いた。
もしもこれで、言うことを聞かなかったと言われたら…
「いいんですよ、別に。あんなのどっちでも」
シャーレンは優しく答えた。
「あなたは止めを刺すわけないとわかっていましたよ」
だから、見せびらかし。
初めての理解者を得ても、彼は手に入れることはできない。

その夜、フィルシスは散々うなされた。
イグデュールに見せられたリアルなたくさんの悪夢が、何度も何度も繰り返される。
フィルシスははっと起き上った。
「大丈夫ですか?」
すでに起きていたシャーレンにマグカップを渡される。
長時間うなされているのに気づいていたのか、ホットミルクを用意してくれていた。
飲んでいる間もずっと頭をなでてくれる。
「…シャーレン」
ローブをそっと握った。抱きしめてなでてくれる。
そのままずっと甘えてしまった。
優しい微笑み、昔のように。
「そんなにあの森が怖かったんですか?」
「………」
幻術の方がもっと怖かった。
でも、怖くて聞けない。
本当にいつか殺そうと思っていたら?
自分は遊ばれているだけなのか。
本当のことを言って…
嘘なんてつかなくていい。
嘘なら、優しくしないで…
そうしたら、もう淡い期待も抱かずに、不確かな希望にすがりつく必要もないのに。
戦う決意ができるのに。
でも、本当はもう死にたくない…一緒にいてほしい…
こんなに優しく抱きしめてくれるのに、それが何故か悲しくて、涙が止まらなかった。


Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!