’芸術’っていいね、
作った人がいなくなっちゃっても、
ずっと残ってて、色んなこと、想像できたりおもいだしたりできるからさあ
ね、そう思わない?

―誰がそう言ったんだったかな?
コンクールに出す絵の構想をざらざらと紙に描きだしながら、そんな言葉を思い出していた。
ああ、そうだ、昔、隣の家に住んでいたリグレオだ。
幼い頃、毎日のように彼と遊んでいた。
地面に木の枝で絵を描いて、石で動物を作って…
その頃から、僕は絵を描くのが好きだったんだな…
あれは、そう言えば、授業で美術館に行った時のリグの言葉だ。
その後はたしか、彼はこう続けた。
「僕も芸術家になりたいな」
無心に木炭を走らせていると、無地のキャンバスに絵具が跳ねるように、様々な記憶が巡っていく。
覚えている限りの最初の記憶から、ぽつり、ぽつりと、心に反響する。
まるで、自分の原点とも言えるべきものを探るように。
「いつか必ず戻ってくるから…」
そんな親友のリグだったけど、僕が七歳の時、父の仕事の都合で引っ越すことになったのだっけ。
「約束だよ」
だけど、僕は戻ることはなかった。
あんなによく遊んだのに…
全てが幼い思い出の中にしかない。

「一人で人物デッサンか」
「うっわ、びっくりするじゃないか、ゴードン…!」
急に背後から、友人の顔が除き、僕は現実に戻った。
「だって、なかなか来ないからだろ」
放課後、二人で描きあいをしようと約束していたのに。
「悪かったよ、今日、掃除当番だったの忘れててさ」
しゃべりながら慣れた様子で、彼は僕の前で適当にポーズをとった。
そんな彼を僕もいつも通り、無言で描写する。
「じゃ、お前の番」
僕が木炭を置いたのを見たゴードンが言った。
「相変わらずほっそいなァ、お前」
同じ年なのに、同じ美術部なのに、スポーツも好きで背が高いゴードンがうらやましい。
「…これから、これからでかくなるんだよ!」
「本当かぁ?一回生の時から、ずっと同じようなこと言ってる気がするぞ?」
悔しいけど、一緒に二人で笑いあう。
今は、新しい別の友達がいて、過去が振り返られずに忘れてしまっていた。
―幼い頃の友人なんてそんなものだよ、他の皆も同じさ
そう自分に言い聞かせながら、過ごしてきた。
ただ写すのではなくて、この一瞬の想いを一緒にこめよう…そんなつもりで筆を動かした。
この幸せな時を、さっきみたいに、あんな頃もあったなぁ…と、思いたくないから。
今度こそは、この気持ちと、ゴードンと別れたくない、ずっと大切にしたいから。

―君は忘れてしまっても、僕はいつまでも覚えているよ
夢を見た。
リグの夢。
その中では、記憶の中の幼い彼が、成長していた。
しかし、目が慣れ始め視界が開けると、その辺りの景色にぞっとした。
絶え間ない風が、高くなったり低くなったり、唸るように吹きすさぶ。
黄昏の空の中で。
暗い雲の隙間に、真っ赤な夕焼けが見え隠れする。
毒々しい色。
その下には真っ黒な大地が広がる。
何故か動いているように見えた。
…いや…
目を凝らすと、それは土ではなかった。
人だ。
重なる人々の体、その中の誰もが悲しみにうちひしがれ、苦痛にうめいていた。
よく見ると、雲もただの雲ではなかった。
土と同じ色の雲を形作っているのは、苦しそうに蠢く人々の姿だ。
風の音だと思っていたのは、悲鳴、喘ぎ、嗚咽。
きっと夕焼けは、本物の血に違いない…
この景色に蠢いている何千、何万という人々の。
薔薇がどんなに艶やかに咲いていても、そこが地獄なら、反ってその美しさが不気味であるように、
この禍々しい場所の中、リグの姿はひどく恐ろしかった。
彼は変わらず穏やかな微笑をこちらに向けていたが、恐怖で目が覚めた。
気味の悪い夢。
体が震えていた。
「ゴードン…」
早く明日の朝が来て、あの笑顔に会いたかった。

「一体、この絵はどうしたんだ?」
明くる日、僕の描いた絵を見て、ゴードンは大層驚いた。
普段の優しい色使いの絵とは明らかな作風の違いに。
「昨日見た夢なんだ」
今日の絵のモチーフを他に何度も何度も探したが、あれがずっと頭から離れていなかった。
「嫌な夢だなぁ、これはこれで芸術なのかもしれないけど」
気持ちの悪い風景。
なのに、絵にまで描いてしまった。
というより、絵に描くことで、この焦燥を吐き出してしまいたかった。
「でも、この絵は完全じゃない…」
雲の中にも大地にも人々のうめく様子までは描いていないし、夕焼けは血じゃない…

そして何より、あそこで確かに微笑んでいた彼の不気味な美しさは、とてもえがけそうになかった。
「どこが、完全じゃない?」
そこで、自分の思考に寒気がした。
「…いや、何でも」
血だなんて、何故あんな恐ろしい夢の絵に、こんなにこだわっているんだ。
「そんなに怖かったのか、今晩は俺の家にでも来るか?」
「うん、行きたい!」
さっきまでの暗い声が嘘だったように、元気な返事をした。
ゴードンが少し呆れたように笑って、げんきんだな、と肩を軽く叩いた。
だから、なんだか少し気恥ずかしい。
でも、こんな暗い気分の時に、寮で一人で冷たい夕食をとるより、大事な友達やその家族と過ごしたかったし、
それで元気になる僕を見て、ゴードンはとても喜んでくれた。

温かな日常が続くと思っていた。。
あくる朝、ゴードンは自室で変死した。
部屋から聞こえたすさまじい悲鳴で、彼の元に駆けつけた家族の話によると、
彼の死の様子は凄絶を極めた。
自分で自分の首をかき切り、その傷口に平筆を突っ込み、溢れ出す血をキャンバスに塗りつけた…
来ないで来ないで来ないでと叫びながら。
彼と一緒に過ごした部屋は、もう足を踏む勇気の出ない世界と化していた。
優しい思い出の残る場所。
なのに、禍々しいキャンバスが置いたままになっていた。
「あぁ……」
絵の前で嗚咽を漏らした。
彼の遺作…
招かれざる場所だよ…
と死に際に彼が言い残したその絵。
塗りたくった血の量に違いがあったのか、下に行くほど濃い茶になっている。
あの夢と全く同じ、血の夕焼け。
―来ないで来ないで来ないでと叫びながら
それを聞くと、キャンバスの血痕は絵ではなくて、まるでそこに写る何かを塗り潰すようにも思えた。
大量失血でついに倒れた後、えぐれた喉で彼はひたすら呟いていたそうだ。
許して許してゆるしてゆるして…


葬儀の後、木枯らしが吹く公園のベンチに、僕は独り腰をかけていた。
寮に戻るのが怖い。あの夢の発端の場所が怖い。
僕の心をじわじわと蝕んで、染みを作って侵していく。
「セリック…?」
知っているようで知らない声。急に呼ばれて、僕ははっと顔を上げた。
「リグレオ…!」
幼い頃、離れ離れになった、かつての親友。彼が近づいてくる。
不意に、あの夢を思い出した。
地獄の中に立つ彼…どうして彼はあんな場所に立っていたんだろう。
僕が見た夢の中の話だけで、彼は全く関係もないのに、思わず叫びそうになってしまった。
幼い頃、あんなに仲良しだったリグレオ…
いつの間にか、そんな頃もあったなと、たまに思い出すぐらいになってしまっていたリグレオ…
「そんなに驚かないでくれよ…僕のこと、忘れてしまったんだね…」
「違う、そんなことはない、リグ……」
言いかけたその時、意識は暗闇に閉ざされた。

次に目が覚めた時には、この部屋に閉じ込められていた。
周辺は真っ暗で、ここがどこかもわからない。
ただ、闇の中にリグレオの姿だけが、見える。
それが、あの夢とまた重なって、背筋がぞくりと震えた。
「…リ…リグ…?ここは…?」
鳶色だった彼の瞳が、真っ赤に変わる。
「…リグレオ…?」
ほとんど悲鳴に近い言葉が出た。
「君がちょうど良い年齢になったから、迎えに来たのだよ」
冷たく低い声。思い出の中の声じゃない。
「なのに」
全てを貫き抉るような視線。
思わず肩をすくめて、震えあがった。
異形の色に?その鋭さに?いや、違う。
考える暇もないような、本能的な、恐怖に。
「君が僕のことをすっかり忘れて、彼と楽しそうにしていたから、君に少し苛立ってしまった。
君が僕のことをすっかり忘れて、彼と楽しそうにしていたから、彼に少し嫉妬してしまった」
部屋が突然明るくなり、僕の視界には、
「うわああぁぁ……!」
自分の顔をした石像が無数に転がっていた。
あるものは、両足が欠けていた。目を見開き、絶叫している造形。
「あの時の君は、僕のことはすっかり忘れていたのに、フットボールに随分熱を入れていたから、足を奪ってみた。なんだか嫉妬しちゃってさ」
あるものは、首だけだった。腕だけだった。胴だけだった。
「それは君を切り刻みながら石にした時。とても良い表情だろう?」
怖い。その石の表情を良いという彼が怖い。それは悲鳴をあげている。
「君はその腕でも奪ってみようか。案外、不完全でも美しいものだろう?
君の知らない世界には、ミロのヴィーナスっていう、腕のない彫刻があってね…」
フットボールの好きな人から足を奪い、絵を描くのが好きな僕から腕を奪おうとする。
赤い瞳の彼は、夢の中のあんな地獄にいてもおかしくはないかもしれない…
幼い頃の思い出が遠のいて、そんな気すらしてきた。
「『芸術に独創は要らない。生命が要る』―"ここにいる君"の知らない世界の人の言葉だけど。
絵もいいけど、’僕の’彫刻はもっといい。その時の、’本物の’表情が全て残る」
一人微笑む彼の後ろに、確かにもう一度あの絵の光景を見た。
今ならわかる。
もがいて蠢く暗い雲と黒い土は、今まで彼が嫉妬してきた人の狂える魂、空を彩る夕焼けはその血肉。
夢とただ一つ違うのは、暗闇の中にゴードンがいること。
手を伸ばして、そこから今すぐ連れ出したい。
彼の後ろに続く影に、黒い翼が見える。
「思い出したかい?rigleoはアナグラム。本当は……」
eligor…
彼は僕の主人…
僕は彼のための生け贄…
ああ、そうか…思い出した…
この石像は、昔の自分達。
「キミはいつもそうだね、何度も何度も生まれ変わり、そして僕を忘れている。僕はずっとキミを見ているのに」
彼は赤い瞳を細めた。その奥に長い長い景色がきっと焼き付いてる。
―まだ、この気持ちを噛み締めていたいのに、この気持ちを伝えたかったのに、伝えられないまま、消えてしまう…
この気持ちって、何の気持ちだろう、誰に何を伝えたいんだろう。
―ゴードンに親友だと思ってると?申し訳ないと?
―本当の主人に、ごめんなさいと?
たった一つのこの世での想いと、積み重なり続けてきた今までの世での記憶が錯綜する。
こんなのは嫌だ、またあの平穏な学生生活に戻りたい。
ゴードンと、もう一度絵を描きたい…
それなのに…
重なる想いが目の前の彼に向いて行く。
僕のために永劫の苦しみを強いられたゴードンから、いつの間にか移ろっていく…
「ご主人様」を思い出したことに気づいて欲しいと。
「思い出してくれたようだね。でも、遅い。また罰ゲームだ…
ほら…体の端から石になっていくんだよ、徐々に」
足が固まり、動けない。逃げられない。
「嫌だ……!」
大切な右手が固まっていく。
僕の生き甲斐、絵。描けなくなる。
「石になりたくない?それは困ったね。でも大丈夫だよ…選ばせてあげる。
君は苦しみから逃げ出したくて、石になりたがるか、
それとも、君は快感をずっと感じていたくて、石になりたくなくなるか」
「え…?」
彼が僕を膝の上に乗せて、尻に手を当てた。
「……ひ……っ!アア…ッ!」
走る激痛。後孔の中に指を差し込まれていた。
「や…やめ……て…!」
石化は四肢で止まったようだ。
生身のままの下半身と、胸に手が当てられる。
「痛い?そのうち慣れるさ……」
「家に…帰して……っ」
気づけば僕は涙を流して懇願していた。
「今日からここが家だよ」
くすくすくすと嗤う声が闇の中に反響した。

「…ぁ……ッたすけ……」
石になんか、なりたくない。
この屈辱の苦しみから抜け出すには、早く石になって、何も感じることがないようになるしかないのか。
そう思っていたはずなのに。
「んく……ひ……ッ…!」
何も感じなかった尻が、今は、気持ち良すぎて、声が抑えられない。
いつしか、この快感がなくなるのが、恐ろしくなっていた。
だが、僕の性器の先端は石になり、射精できない。
腕も、足も、石に変わり、熱が溜まるそこに触れられない。
「僕ばかりじゃ、飽きてきたな」
彼は耳元で楽しそうに囁くと、口笛を吹いた。
足元から、長いつるのようなものが現れる。
悲鳴が出たのは一瞬で、
「…ン……は…っ…そこ…」
やめないで…
いつの間にか、そんなことばかり考えるようになった。
「人は、いつも快楽に逃げたがるね」

あれから、どのくらいの時がたっただろう。でも、全てがどうでも良かった。
ただ、快楽を従順に待っている、そういうものになり果てた。
時折、快感に気絶する。その間は、触手は動きを止めるようで。
再び気付いた時、相手が動いていなかったら、自分から腰を振り、まだ感触のある部分の局部を、すりつける。
僕が起きたことに気付いたそれは、再びその長い触手を、僕のさらに奥へ伸ばしてくれる。
小さな筋を出して、周りの襞を刺激しながら。
「ア…ああぁ…ん……ッ!!」
それがあまりに気持ち良くて、目覚める度に大きく喘いだ。
「やあ、起きたのかい?」
満足そうな笑顔で、彼は口笛を吹いた。
「次のも試してみようか」
犬のようだが、それにしては大きすぎる動物が姿を現した。
「あっ」
触手が引き抜かれ、物寂しく後ろをひくつかせた。
「欲張りになったね。こんな少しの時間も我慢できないなんて」
物欲しそうに腰を振る姿をなでながら、彼は再び口笛を吹く。
黒い獣は、猛る股間を、白い肌にあてがった。
ずぶりと、挿しこまれていく。
「ひ…ぁあ……ン……!!」
全身を震わせて、快楽に仰け反る。
射精できないのがもどかしくて、頭を振った。
「…は…ッ……は…っ…」
代わりのように、舌が垂れ下がる口元から、涎が飛び散る。
次はどんな快感が与えられるだろう、それだけが楽しみになる程までに、堕ちていく。


「さて、そろそろ…」
観念して、僕が正気を手放したからだろうか。
その瞬間、僕の下半身はあっという間に全て石に変わり、何も感じなくなった。
官能の地獄が終わり僕は、徐々に正気に戻り始めた。
石はこんなにも浸食している、そしてそれは、腰から胸…首へとまだ続いている―
それを認識することが、こんなにも恐ろしいなら、快楽と狂気に犯されたままの方が良かった。
楽な方に逃げ、全てを失う覚悟をした後だったのに、
もう一度、たった一握りの希望と、絶対的な恐怖の中に投げ込んでいたぶる。
そんな悪魔が問いかけた。
「一つだけ、チャンスをあげようか」
闇の中、赤い瞳が見つめてる。
僕をなでてくれている?
石になった肌では、何もわからなくて……ただ遠い。
「生まれ変わって新しい世を生きるか、時間を戻し、再び同じ生を繰り返すか、どちらが良いか?」
やり直せるなら、ゴードンに出会わない。
それは寂し過ぎることだけど、僕に出会わなければ、ゴードンはこんなことにはならないから。
あの赤い世界でもがいてる。
せめて名前を呼びたい…。
でも、喉も固まって動かない。
大切だから、大好きだから、彼の幸せを願うから、やり直して、もう二度と出逢わない。
「やっぱり君は、そっちを選んだね」
彼の表情は先程までの優しげな頬笑みではなくて、この地獄に似合う笑みに変わる。
「だが、お前は勘違いしている。魂に過去も未来も時間もない。
ゴードンの魂は、もう囚われて、どの時間にも動けない。
きっとそのうち、この永劫の苦しみの中で、お前への情は、怨恨に変わるだろう」
涙が流せない。
目元までも石になっていた。
「ねえ…人の肉体は老いて、腐って、滅びていく」
気のせいか、不意に寂しげな、憂鬱そうな表情を見せた。
こんな残酷な悪魔が。
「記憶は消えていく…過去の世も次の世も。肉体は滅び、思い出もなくなり、何が残る?」
いつも思っていたこと。
だから、歴史に形として、何かを残したかったんだ…
「でも僕は、お前を一つ一つ、形として残しておきたいんだよ」
初めて彼の、情と言えるようなものを感じた。
「君が出逢った全てのことを忘れても、僕のことだけは、忘れずにいるんだ」
彼が、僕の口元に顔を近づける。
悪魔がゴードンにした仕打ちも忘れて、懐かしく待ちわびていた気持ちが胸をよぎる。
なのに、唇が触れあう寸前、固い石に変わってしまった。
どんなに優しく温かい口づけだったとしても、何も感じることはできない。
「まだお預けだ。次こそは、ちゃんと自分の力で僕に逢いに来るんだよ?」
また一番最初から始める。
思い出したのに…
瞳も耳も石になって、消えていく視界、消えていく音…
最後に言葉が聞こえた。
「僕はいつまでも待っているから」




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