真夜中に静まりかえった街を、一人の男が風のように駆けていた。
男は、金銀の糸で刺繍の施された黒コートを羽織り、フードとマスクで顔を隠していた。
その綺麗な文様の刺繍は、どの地方の文化なのか道行く人間達には分からない。
「おい、そこのお前、止まれ」
背が高く筋骨逞しい男と、太った大男と、手に凶器を持った男が、彼の前に立ちはだかった。
旅人を襲っては、金品を奪う、ならず者達だった。
「命が惜しくば、有り金全部よこせ」
お決まりの科白を言いながら、一人で歩いていた彼にじりじりと近づいていく。
「………」
だが、彼は、ぴくりとも動かなかった。
「金をよこせと言ってるだろ!」
そんな彼の様子を見て、短気な大男は、彼につかみかかった。
余分な筋肉のついていない、ほっそりとした体つきの彼は、太った男が側にくると、余計に細く見えた。
「何だ、この刺繍?糸がきらきら光ってるぜ。高く売れそうだな!顔なんか隠す事ないだろ」
珍しい模様を見て、男はそのまま彼のフードとマスクを払った。
だが、その下から現れた顔を見て、三人のごろつきは絶句した。
「な……っお前…?」
彼は、一見すると端整な容貌の人間の青年に思えたが、よく見れば、人間より長く尖った耳を持っていた。
フードがはずれたはずみで、銀色の髪が揺れる。
肌は薄い青色のような、灰色のような不思議だがきれいな色をしており、人間のどの人種の肌の色とも違っている。
獣のように縦の瞳孔の目も、月の光の加減で銀にも金にも見える、人間とは思えない美しい色をしていた。
「な…何だお前…!どこの国の者だ…!」
見たことのない姿の人間を見て、彼のフードを脱がせたごろつきが思わず叫んだ。
「フン…この俺を、薄汚い人間などと一緒にするな」
彼は初めて口を開き、邪悪な笑みを見せた。
すると、連れ立っていたもう一人の男が叫んだ。
「その尖った耳…肌の色……!お前はまさか、ダークエルフ…!」
「ダークエルフだって…?!そんなのが、本当にいるってのか?!しかも、こんなド田舎に……」
調子づいていた男達の声が震え始めた。
フードを被っていたのは、正体を隠すためだ。
同じエルフでも、友好的な森エルフや光エルフとは違い、闇エルフは他の種族に対して、排他的で残虐だ。
その事は、人間以外の種族も含め、ほとんどの者は実際にダークエルフを見たことはなくても知っていた。
「今、お前の目の前にいるだろう…。俺の名は…そうだな、人間風に発音すると、シクロだ。よく覚えておけ」
くくっと、低く笑い、彼は語りだした。
「お前達は見た目も中身も、最悪の豚共だ。だが今の俺には、その醜さが快感をくれる…」
ダークエルフの彼が使う人間の言葉はやや言葉の選びが下品だったが、文法上の誤りがあるわけでもなく、訛りがあるわけでもない。
だが、彼に絡んできた人間の男達には、彼の言わんとしているその内容がよく理解できていなかった。
「さあ、薄汚い人間共、この俺をその醜い手で嬲ってみろ…!」
彼が声高々に語っている間に、三人の男達はすでに彼の目の前から逃げ出していた。
「ち…っ…またか。人間共は腰抜けばかりだな」
一人取り残されたシクロは、吐き捨てるように呟いた。
本来なら、人里離れた荒野や、洞窟の奥、地下に暮らすダークエルフが、人間の街を例え夕暮れであれ、歩く事などあり得ない。
だが、彼は求めていた。
この身を焦がす疼きを治める、究極の快楽を。


街から少し離れた郊外には深い森があり、そのさらに奥に、丘があった。
静かに輝く月が、その丘の上に、古城のシルエットを描いている。
丘の周りに広がる黒い森に埋もれたその屋敷は、まるで時に忘れられたかのように、ひっそりとそびえ建っている。
石造りの城壁は茨で覆われ、赤紫のレンガは埃をかぶり、元の色は分からない程だ。
錆びた鉄の門の向こう側、城の内部は、銀のシャンデリアも緋の絨毯も、くもの巣と塵に塗れていた。
何の生き物も存在していないかに思われるこの空間だったが、最も地下には、棺が一つ安置されている。
もちろん、もう百年以上、外の人間が誰も足を踏み入れていないこの城で、それを知っている人間は皆無だ。
漆黒の棺桶の中、黒い天鵞絨のマントに身を包み、一人の男が眠り続けていた。
陶器のように白い肌、豊かなブロンドが目を引く、眉目秀麗な青年。
整った唇からは、白く輝く牙が覗いていた。
その男こそが、失われた城の主、ルシュヴン・バートリー。
彼は百年程前は、この地の領主だった。
ふもとの街に伝わる伝承では、若くして金と権力を手に入れた領主はある時、それらを全て失ってしまう死を異常に恐れ、いつしか狂っていき、
彼が二十四の時についに、家族をも含めた城の人間の命と引き換えに、魔の力によって不老不死の吸血鬼となったとされている。
その言い伝えが真実かは、今となっては確かめる術はない。
人智を超えた力を得た彼は、喜びのあまり、幾つもの夜の闇の中を駆け巡って旅をした。
深紅や純白の鮮やかな薔薇の精気をすすり、蝙蝠達を従えて、眠る街を大空から見下ろし、
そうして見つけた、異国の色つきの肌が美しい妖艶な女達、まるで彫刻のように繊細で可愛らしい女達、様々な生娘達のなめらかな生き血を飲んでは楽しんでいた。
しかし彼は、当時は魔の存在としてはまだ、生まれて十数年の未熟な吸血鬼だった。
そんな彼が、ある時獲物に選んでしまった人間は、不運にも強力な魔法使いだった。
怒った魔法使いに、彼は恐ろしい呪文をかけられてしまった。
ダークエルフの精気しか糧にできなくなる呪い。
それは、他の生き物の精気を糧とする彼らにとって、あまりにも無惨で致命的であった。
この世界で吸血鬼が糧にできる種族の内、最も手ごろで且つ、数が多いのは人間だ。
それに比べてダークエルフは個体数が非常に少ない上、住み処も人目に触れない場所で、彼ら独自の魔法の結界を張り巡らせ、外敵を防いでいる事が多い。
さらに、仮にダークエルフを見つける事ができたとしても、人間よりも遥かに強い魔力を持つ彼らは手強い。
呪いをかけられてから数十年、彼は未だにダークエルフの精気を吸えないでいた。
吸血鬼は、特定の方法以外では、刺されようが、殴られようが、何百年経とうが、死ぬことはない。
だが、食事を摂らないと、動く力は出ない。
いっそ陽光を浴びて、灰になって消えた方がましとさえ思うこともあった。
だが彼には、それができない理由がある。
棺の中で独り、幾晩も彼は考えていた。
一体いつまで、この餓えと渇きに苦しまされなければならないのだろう?
答えは、永遠だ。



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