雨宿り
(1)
雨のにおいがして、ヒカルは顔をあげた。
ねずみ色の雲がいつの間にか広がっている。降るのだろうか。傘は用意していない。
(塔矢から借りればいいよな)
今日も学校帰りにアキラの碁会所で打つ約束をしている。だから制服姿のままだ。
このあいだ、ようやくアキラとの初対局がかなった。そして二人は空白の時を埋めようとする
かのように、暇があれば打つようになった。渇いていた砂に水が染みこむような速さで、二人
は互いを盤上で求め合った。
アキラとの対局はいつもヒカルを昂らせる。それは"ふつう"の熱情ではなかった。
こう思うのは自分ひとりだけだと承知している。アキラはいたって平静だ。
(けど、オレは塔矢が欲しい……)
どうしようもないことを考え、ためいきをつく。
「進藤」
ふいに呼びかけられ、ヒカルは振り返った。塔矢アキラが立っていた。
海王の制服姿のアキラはどこか偉そうだとヒカルは思う。二人で並んで歩き出す。そう言えば
今までこんなふうに会ったことはなかった。たいていアキラが先に碁会所に来ていて、棋譜を
並べている。
「今日は遅かったのか?」
「ああ、学活があったんだ。文化祭が近いから」
「塔矢はなにかするのか?」
別になにも、とアキラはあっさりと言った。そんなことだろうと思った。アキラが学校行事に
取り組んでいる姿は想像できない。
(絶対コイツ教室の隅に一人でいるタイプだ)
横目で涼しげな顔をしているアキラを盗み見る。その頬に水滴が落ちた。雨だ、とつぶやいた
のと同時に、いきなり叩きつけるように降りはじめた。
二人は碁会所に向かって走り出した。だが信号が赤で渡れない。待つあいだも雨足は強まり、
制服を濡らしていく。周りの人もバタバタとしている。信号が青になった。もう走ってもムダ
な状態ではあったが、駆け出した。
しかしヒカルはふと立ち止まった。遠くに見えるマンションを視界にとらえた。
胸のなかが重くなる。これだから雨の日は嫌いなのだ。よけいなことを思い出す。
(2)
制服のままプールに入ったかのようだった。足元に水溜りができている。
秋の雨はものすごく冷たい。
「きゃあっ! びしょ濡れじゃない、アキラくん!!」
市河が慌ててバスタオルをどこかから持ってきてアキラにかぶせた。隣に立つ自分は無視か、
とヒカルは唇を曲げた。
「市河さん、控えの部屋使っていい? ボクも進藤もびしょびしょだから」
「かまわないわよ。あそこなら毛布あるし。制服、クリーニングに出す?」
「ハンガーにかけたら渇くよ。行こう、進藤」
タオルを頭にほうられ、腕を引っ張られた。碁会所のすみにドアがあった。今までそこに部屋
があったことにヒカルは気付かなかった。
部屋には大きなソファと机、碁盤、それに多くの囲碁雑誌が置かれていた。
「父さんが使っていた部屋なんだ」
「……塔矢先生が?」
アキラの寄こしたハンガーに制服をかけた。水はボタボタと落ちつづけている。
「うえー、パンツもビショビショだ」
「脱いで毛布をかぶっていればいいよ」
毛布は二枚あり、一つをアキラが渡す。どきりとしたのは自分だけであろう。
二人は毛布にくるまると、いつもどおり碁を打ちはじめた。途中、市河が入ってきたが二人が
ほとんど身につけていない状態を見て、慌てて出て行った。
窓の外の雨はいっこうにやむ気配はない。空はもう真っ黒だ。
ノックの音がし、おずおずと市河が顔を出した。
「アキラくん、ごめんなさい。ちょっと緊急の用事が入っちゃったんで、今日はもう締めよう
と思うの。お客さんもみんな帰っちゃったし」
「ああ、じゃあボクが最後の戸締りをしますよ。まだ服も乾いていないし」
市河はすまなさそうに礼を言うと、ドアを閉めた。
急に碁会所の温度が下がった気がした。
「お茶を飲もうか。入れてくるよ」
アキラが毛布を引きずりながら、立ち上がった。ヒカルは思わず手を伸ばしていた。
(3)
打っているときはまったく気にならなかった。
毛布の隙間から見える肌も、頬にはりついた黒い髪も、赤い唇も。
なのに今はそれらがヒカルの心を乱れさせる。
毛布のすそをつかんだヒカルをアキラはいぶかしそうに見た。
その瞳に、ヒカルのなかの人影が重なった。
「進藤!?」
急に引っ張られ、アキラはソファに倒れこんだ。その上にヒカルは乗った。
「ふざけるのはやめないかっ」
ふざけてなどいない。ヒカルは本気だった。雨のせいだ、と自分に言い訳をする。
雨の音が、匂いが、自分をおかしくさせるのだ。
ヒカルはアキラの両頬をはさむと、そのまま唇を押し付けた。アキラは抵抗するが、ヒカルは
かまわずに舌で表面をなぞりつづけた。目を閉じ、その薄い唇を味わう。どこか懐かしかった。
「しん……んぅ」
開いた唇のなかに舌を侵入させた。想像以上に熱かった。柔らかな粘膜をつつき、抗議するか
のように動く舌をからめとった。アキラの力が弱まっていくのを感じた。
毛布のまえを開き、胸元を撫でさすった。アキラが信じられないというような目をしている。
ヒカルはそんなアキラにほほ笑みかける。そして頭を下にずらした。
「進藤! やめろ! しんど……!!」
静止の声など聞かず、ヒカルはアキラのモノを咥えこんだ。頬をすぼめ、先端を口唇でしごく。
アキラの身体が勢いよく跳ねた。アキラはなぜ急にこんなことになったのか、わかっていない
だろう。ヒカルにだってわかっていなかった。
言ってみれば衝動だった。そしてこの衝動はずっとヒカルのうちで暴れていた。
今しかない、と本能が告げている。
舌を使って裏筋をなめ、先端を突くとアキラは呆気なく達した。
ヒカルの手はアキラの精液で濡れていた。
(4)
「なんで、こんなことを……っ」
アキラの頬は怒りで紅潮している。それを見てヒカルはきれいだなと思った。
ぼんやりしたままのヒカルに腹をたてたのか、アキラが腕を振り上げてきた。慌ててヒカルは
よけた。こんな細い腕に殴られるつもりはない。
「塔矢、オレにちょうだい?」
「なにを!?」
「コレ」
ぬめった手でアキラのモノを握った。アキラは目を丸くした。
「きみは、何を言って……」
「オレとしない?」
「馬鹿を言うな!!」
あきらかに激昂している。ヒカルは肩をすくめると、羽織っていた毛布をずらした。ヒカルの
身体が現われる。まだ大人になりきれない、薄い身体だった。
わずかにアキラがひるむのがわかった。
ヒカルは濡れた右手を尻の谷間にまわすと、そのまま指先を後孔に沈めた。久しぶりにそこに
触れた。やはりきつい。ヒカルは力を入れないよう、そこを広げる。
その光景をアキラが固まったまま見ている。
そろそろと思い、ヒカルはアキラを見た。アキラは肩をびくつかせた。
「ここに、塔矢のが欲しいんだ」
「き、きみはそんな目でボクを見ていたのか!! ボクは男だぞ!」
あの塔矢アキラが怯えている。ヒカルは少し笑った。
「知ってるよ。けど欲しいんだ。オレじゃイヤか?」
アキラは頭を左右に振り、それから思い直したように止め、また頭を左右に振った。
「できない。頼むから進藤、正気に戻ってくれ」
「オレはもともと正気じゃないよ」
でなければ、アキラを欲しいなどとは思わない。
いや、アキラよりもむしろ自分はあの人を――――
(5)
アキラはとにかくヒカルから逃れようとしている。
そうされると、ますます追いつめたくなる。
「なんでできないんだよ。いいじゃん、オレが入れるわけじゃないんだし」
身も蓋もない言い方をする。だがその言葉に、アキラは目を鋭く細めた。
「そういう問題じゃない。ボクはお父さんに顔向けできないことは絶対にしない」
「塔矢先生……?」
うなずくアキラを見て、ヒカルの脳裏に様々な情景が流れた。
歯を食いしばると、ヒカルは強引にアキラの唇をふさいだ。唾液も息も吸い上げ、翻弄する。
手はアキラのペニスに添わせていた。それはアキラの言葉に反して硬くなりはじめている。
「おまえの意思じゃなかったら、いいじゃん」
「しんど……! うぁ!!」
ヒカルは腰を落とし、先端をめり込ませた。音を立てるように割り開かれる。
痛くて涙が出る。ヒカルは力を入れないように、息を吐きながら沈めていった。
少しずつ動き出すとアキラがうめいた。
「とうやぁっ……はぁ、くぅ、ふっ……んん……」
ヒカルはのけぞり、腰を上下させた。だんだん動きがなめらかになっていく。
アキラの顔を見た。どこか陶酔したような、焦点の定まらない表情をしている。きっと自分で
は気付いていないだろう。ヒカルに合わせて突き上げていることに。
こすれあう音が狭い部屋のなかに響く。
アキラがヒカルのなかに放ったのと同時に、ヒカルも達した。白濁とした精液がアキラの腹を
流れていく。ヒカルはタオルでそれを拭くと、つながっているところにあてがった。ゆっくり
引きぬくと水音がした。タオルがわずかに赤く染まった。
「……しんどう、きみはボクのことが好きなのか……」
調わない息でアキラは言う。
思いがけない言葉に拍子抜けしたが、ヒカルは見えないように笑った。
「そうかもな」
偽りの言葉だった。