賭け碁
(1)
棋士・塔矢アキラは裕福だがその生活ぶりはいたって質素であった。生活必需品
以外の買い物をすることが殆ど無く、あっても6割が碁関係で残りは書籍とその他になる。
その他とはつまり愛しのハニーの為の買い物であり、アキラの趣味では決して無い
キャラクターもののバスタオルや独創的配色Tシャツ、ペアのカップに歯ブラシなどが
殺風景この上なかったアキラの下宿に甘ったるい花を咲かせている。
近頃そこに入り浸りのハニーこと進藤ヒカルは寝っころがってアキラが実家から
持ってきた対局時計を眺めていた。
「いーよなー。家でも棋院気分。」
「欲しかったらあげるよ?」
「さらっと言うなよ、そんなこと。もうちょい物に執着したら?」
「ボクの執着心は全部キミにつぎ込んでるから無理だよ。」
「…さらっと、言うなよ。そんなこと。」
何というかこの情熱オカッパ、恥じらいだの照れだの感じる神経が麻痺している模様。
(2)
「 なあ、早碁打とうぜ。合宿ん時みたいな打ちまくり。」
「…いいね。…………じゃあ折角だから賭けをしないか?」
「おカネを?」
「いや、それじゃつまらないからね。負けたら、勝った方のお願いを一つ絶対きくんだ。」
「あ、オモシレーかも。のった。」
勝負の前にそれぞれメモ用紙に要求を書いて脇に伏せた。
一手10秒7番勝負、先に4勝した者勝ち。
「「お願いします」」
結果、初戦こそヒカルが勝利したもののその後はアキラの力漲る攻めに主導権を
握れず立て続けに4連敗。勝者アキラ。
「あ〜〜っ悔しー。いけると思ったんだけどな。」
こてんと倒れて軽く床を掻く愛らしい敗者。
「うん、危なかった。ボクも必死だったよ。」
こちらはきちんと正座したまま、ほうと息吐く貫禄の勝者。
「ちぇ、オレだって。 …で、お前のお願いって?」
ヒカルは身を起こして紙を拾い上げ―――――― 思いっきり床に叩きつけた。
(3)
ああ、てがいたい。ふろーりんぐだもんな。にあわねー。こいつにはたたみだよな。
「進藤、大丈夫か?焦点あってないぞ?」
はい、しんどうひかる、げんじつとうひしてるであります。このまま ちのはてまで
にげたいきぶんです。
「…怒った?でも、そんなに無茶でもないだろ?」
いま、おまえのめいぜりふが あたまのなかでなりひびきました。
でもしゃくなので おなじせりふはつかいません。じぶんのことばでののしります。
「なに考えてんだボケ―――――!!!」
「あ、やっぱり怒った。でも『絶対』だから。取り消しはナシだよ。」
にっこりと、いっそムカつく爽やかな笑顔。
「…… サイッテー…」
ヒカルは激しく後悔した。
最初っからこれが目的だったんだ。アキラが賭けを持ちかけてきた時にもっと警戒
するんだった。畜生、はめられた。
へなへなと力が抜けていく。見間違いであって欲しいと祈る気持ちで再度
読み返しても、無常にも文面は変わらない。
「ほんとに…これ、するのかよぉ〜。 」
「勿論。」
きっぱり即答。さいですか。ははは… 諦めるしかないようです。南無。
「でも、でも。 ヤダよ〜〜〜」
そこにはとても読みやすい文字が並んでいた。
『 陰毛を剃らせて欲しい 』
ストレートが男の美学。 多分。
(4)
ヒカルは今、清潔な床に広げられた新聞紙の前で途方にくれている。
「進藤、準備できたよ、早く脱いで。」
しまった。剃刀を取ってくる間に脱いでおくべきだったのに、ぐずぐずしてたら
もう戻ってきてしまった。
これでは、アキラの目の前で下着を下ろさなくてはならない。
「…脱ぐから、向こう向いてろ。」
「どうして?」
「解るだろ!」
「恥かしいの?今まで散々してきたじゃないか。」
「………」
そりゃあそうだけれど。セックスなんてもう何度もしたことだし。
初めの頃のように、アキラに一枚一枚剥がれていくだけで恥かしさに震えることも
もう無いし。
隠しておきたかった何もかもは全て、その眼に暴かれ指で知られて唇に攫われた。
本当に泣きたいくらい辛い時もあったけど。好きだから許した。
そう、好きだから。アキラにだけは。
だからもう今更、脱ぐくらい何とも… 何とも―――…
「嫌なもんは嫌なんだよ!絶対しねえ!」
…どんなに好きでも、譲れないものは残っていた。
セックスの為に脱ぐのとは訳が違う。あの時は部屋も薄暗いし、甘い雰囲気の中で
お互い昂ぶりあった結果で行為にもつれ込むから良いのだ。
こんな灯りの下で、しかも午後3時という時刻で異様な目的の為に脱ぐはめになって
その上眼前でなんて。裸そのものよりもその過程を見られるのが嫌なのだと、
どう言えば解ってもらえるだろうか。
「折角一緒に居るのに、キミから目を逸らすなんて出来ないよ。」
だが、こちらも譲る気は全く無い様子。
(5)
「………わかったよ…」
こうなるともう強情張っても後が辛いだけだ。これからもっと凄いことをしなくては
ならない身、ここは我慢のほかない。
アキラに背を向け穿いていたジャージを下着ごと下ろす。極力動かずに出来る限り
恥部を見せまいとしても、自然に落すだけでは膝あたりで留まってしまった。
これを引き抜くには、どうしたってかがんで脚を上げる事になる。つまり太腿や
その上の肉が割れて――…
一切遠慮無しの視線がその部分を焦げ付かせる。ヒカルは心の中でアキラを罵倒した。
大変な精神力を消費してアキラに向き直り、促されるまま新聞紙に腰を下ろす。
その前にアキラも立て膝で座り、ヒカルの生白い両足を左右に開いた。
「……」
恥かしさに息を詰めて視線を逸らすとアキラが持ってきたものが視界に入った。
ハサミと剃刀と髭剃りジェル、それにティッシュ。(ジェルは薬局で買い物をした時に
貰った試供品。店員も、まさかこんなことに使われるとは思わなかったろう)
「剃りやすくしないとね…」
アキラの左手が伸びてくる。思わず逃れようと後じさりかけた脚をたしなめるように
掴んで開き直された。
長い指で適当な量を掴み、持ち上げるように軽く引っぱってハサミの刃を宛がう。
ジョキリと不恰好な音が刃を震わせた。