パッチワーク アキラ 2004.02

(6)
食卓について部屋中を見回すと隅には棋譜を並べ掛けた碁盤が置いてある。彼がこの部屋に来る目的
は僕ではなくて父の蔵書ではないかと思うことが時々ある。棋譜集なら二・三日に一冊、雑誌なら一
日三冊くらいのペースで読破してゆき、一冊終わる毎に気に入った棋譜を実際並べて検討・研究をす
る。そしてなによりも驚くのは図や碁盤を見ただけでどの棋譜の何手目か読んだだけの棋譜でも思い
出してしまうことだ。僕だってそれなりに棋譜を憶えているけれど重要な対局の投了図だけだ。若手
では芦原さんが一番棋譜を憶えていると言われていたけれど、もう彼は芦原さんを越えたかもしれな
い。そして彼と芦原さんの違いはそれが実践に生かされている・いないの違いでもある。芦原さんは
研究熱心で解説は的確だと評判がよいけれど実践にはそれが生かされていない。傍目八目という言葉
があるけれど解説では思い出せる手が実践では出てこないことがよくある。倉田・冴木といった同年
代の中では倉田さんのようにスピードはないけれどいずれはリーグ入りする、着実に上がって行くタ
イプだと回りも見ていたし、僕もそう思っていた。でも研究を実践し進化する彼のスピードと比べて
しまうのか、芦原さんはこのところ停滞しているように見えてしまうことがある。芦原さんだけじゃ
ない僕だって彼について行くために必死だ。そうしなければ彼に置いてきぼりにされてしまう。彼し
かいない僕にとってそれは恐怖だった。

(7)
 食後に風邪薬を飲もうとして朝に飲んだ分が最後だったのを思い出した。来週、香港の両親の所へ
行く以外の予定をいれていないのでこのまま薬を飲まずに治るまで我慢した方が良いのかもしれない。
食事の後かたづけをし終わった彼が居間に戻ってきた。「なにやってんだよ、歯を磨いて、さっさと
布団に入って寝る」僕が布団に入ったら彼は帰ってしまう。それが厭で僕はぐずぐずしていた。「こ
れからお風呂入るから、出てくるまでに布団に入っていろよ。」「帰らなくていいの」「お前を一人
に出来ないだろ。さっきお母さんに電話した。」現金な物で僕はすぐ洗面所に行って歯を磨き、布団
に入った。彼がお風呂から出てくるのを待っているつもりだったのにいつの間にか寝てしまった。寒
気がして目を覚ましたら彼が横で寝ていた。風邪を移すわけには行かないから客用布団のしまってあ
る場所を言うつもりだったのに。寒気がさらにひどくなって頭痛もしてきた。音がぼやけて聞こえる。
やめようと思っても歯が鳴るのを止めることが出来ない。彼を起こしてしまった。「大丈夫か。」薬
は飲まなかったけれど、もう治りかけで一昨日よりも熱が下がっているはずなのに一昨日のように気
合いが効かない。多分、彼がいるから、彼が守ってくれると思っているから僕は安心してしまって気
合いが入れられないんだ。彼はどこかへ電話している。僕は苦しくて身体を丸めてしまった。彼が毛
布の上から僕を守るように抱えながら背中をさすってくれている。僕は彼にしがみついてこの嵐が去
って行くのをただ待っていた。

(8)
 気が付くと僕は掛け布団を掛けられ寝ていた。彼の姿がない。居間へのドアが少し開い
ている。トイレに起きたのだろうか。枕元の時計を見ると午前一時を少し過ぎたくらいだ
った。ドアフォンの音がした。こんな時間に誰だろう。彼の声がした。「かおちゃんと菅
谷さんだったんだ。」顔ちゃん?彼の知り合いなんだろうか。「やっぱりヒカルだったの
ね。電話を受けた品川さんが絶対ヒカルの声だったって言って。でも住所は新宿だし。お
ばさんに電話したら一人暮らしの友達が風邪引いたから友達のところに泊まってるって。
おばさんが家に連れてくるように言ったの断ったんですって。」そうだ、僕は彼の家には
行きたくないと前に言ったことがある。あの女のいる彼の家には行きたくない。「男の子
の一人暮らしじゃ明日の朝ご飯に困ると思って持ってきたわ。ちぃばーちゃんの豚汁。チ
ンでいいから温めて明日の朝食べなさい。ご飯も持ってきたから。」「おばあちゃんが風
邪引いたからちぃばーちゃんが作ってくれたの。そのお裾分け。」「おおばーちゃん大丈
夫。」「もう、熱も退いたし大丈夫よ。ちぃばーちゃん言ってたわよ。ヒカルは家に来て
もじいちゃんと碁をしてて、一緒に出かけようって言っても断ってばかりだって。」「だ
って、ばあちゃんが誘ってくるのって能とか歌舞伎ばっかだぜ。歌舞伎ならおもしろい時
もあるけれど能なんてすぐ眠くなるんだ。」「で、患者さんはどこなの」

(9)
 僕はベッドから降りて居間へのドアを開けた。白衣のお医者さんと看護婦さんがいると
思っていた僕は虚をつかれた。そこにいたのはパンツスーツの若い女性とポロシャツにコ
ットンパンツの中年の男性だった。

「今晩は。扶桑診療所内科医の依田薫です。」
「看護士の菅谷登です。」
二人は名刺を出しながら名乗った。
「塔矢アキラさんですね。」
「はい」
「オレのじいちゃんのお姉ちゃんの孫でお医者さん。さっき往診して欲しいって電話したん
だ。」
「ヒカルが塔矢さんに訊かないで電話してきたみたいね。」
「風邪薬が切れたのでもし頂けたらお願いします。」
「なんだよ、言ってくれれば買ってきたのに」
「ヒカルは席を外して。」
彼は居間にあった碁盤を持って寝室へ行った。

僕は本当は彼に傍にいて欲しかったけれど言いだせないまま診察を受けた。
「喉の炎症は大丈夫そうだけれど、耳が軽い中耳炎ですね。今までに薬が合わなかった事は
ありますか。」
診察はテキパキと進んだ。
「三日分の抗生物質・消炎剤・総合感冒薬をお渡ししますけれど、早い内に できれば明日
でも耳鼻科での受診をお薦めします。こちらは今日のカルテです。耳鼻科に行かれるときは
このカルテのコピーをお持ちになって下さい。」

(10)
僕が寝室に保険証を探しにゆくと入れ替わりに彼が居間へ行った。彼と先生の会話が聞こえ
てきた。
「かおちゃん帯広行くってホント?去年アメリカから帰ってきたばかりなのに。」
「ちょっと、まだ未定。このまま東京かもしれない。」

僕が看護士さんから注意点を聞いている間も彼と先生は話を続けていた。僕は看護士さんの
話よりもそちらの方が気になって仕方なかった。
「来週みんなであかりちゃんのご両親のところへ行くのでしょう。お昼に玲子とお姉さんが
あかりちゃんを病院に連れてきていたけれど。風邪でも引いたのかしら。」
「智子おばさん...、ううん、何でもない。あかりのねーちゃんがスノボ教えてくれるっ
て。」
彼にしては元気がない感じだったのは僕の気のせいか。
それよりも、スノーボードなんて危なすぎる。大怪我をしたらどうするんだ。しかもあの女
も一緒に行くのか。風邪を理由に香港に行くのをやめようとおもった。けれど、彼に嫌われ
るのが怖くて言えなかった。

 香港から帰ってきて知ったが、彼は僕が香港へ行った翌日に熱を出して家族旅行は中止に
なったんだそうだ。僕は嬉しかったけれど、楽しみにしていたスノーボードができなかった
からか、彼は不機嫌だった。

パッチワーク アキラ 2004.02 了

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