幻惑されて〜Dazed & Confused

番外編 Chapter Dazed & Confused, come

(54)
俺がリヴィングのクッションの間でウトウトとしていると、ヒカルが起きてきた。
「う、気持ちワルイ…。」
ヒカルは薬の摂取で吐き気を催したらしい。俺は急いで身体を支えながら、トイレに放り込んだ。
しばらく中で嘔吐する音と苦しく喘ぐ声がしていた。
ヒカルがそこからフラリと出て、今度はおぼつかない足取りでバスルームへと向かった。
「おい、ちょっと待てよ。」
俺はあわててシャツを脱ぐと、一緒にバスルームへ入って行った。
「んー…なんかシンドイ…。岸本さん、洗って。」
こうして俺はスポンジを泡だてて、酔いが冷めた愛しい暴君の身体を丁寧に洗ってやった。その間にも、ヒカルは何度か気持ち悪いを連発していた。
俺だって加賀と何度かこの手のクスリは試したことがある――バックラッシュだろう――薬が切れかけているときに、それまでの異常なほど感じやすくなっていた身体が、反動で普段は気持ちのいいものが怖ろしく気持ち悪く感じたりする状態だ。
風呂から出して、ベッドに放り込み、今度は台所の中を見回した。開きをアチコチ開けていたらティーパックの入った箱が目に入った。
湯を沸かして二人用のポットで紅茶を入れる。マグカップに砂糖を多めに入れて紅茶を注ぎ、少し冷ましてからベッドへと向かった。
「ほら、紅茶。」
「んあ…?」
ヒカルは面倒くさそうにそれを受け取るとおとなしく飲み始めた。
「甘いのが、わかるか?」
「――え?…うん。」
五感を狂わせる薬物の判定法――だと俺は勝手に思っているのだが――薬が効いている間は脳天が割れるほど甘いものを口にしてもさっぱり甘さを感じない。切れてくるとその感覚が戻ってくる寸法だ。
「全部、飲めよ。」
飲みほしたマグカップにもう一杯、砂糖を大量に溶かしこんだ紅茶を入れて渡す。できるだけ水分を摂らせてさっさと排出させるほうがいい。紅茶なら利尿作用もあるし…コーヒーでもいいんだが、なんとなく良くない気がした。
四杯目の紅茶を飲みかけたところで、ヒカルが俺を見上げてうめいた。
「ねー、まだ飲むの?…ってか、砂糖入れすぎじゃね?」
俺は少しほっとした。だいぶ五感が正常になってきたらしい。
「――最近、ちゃんと食ってるのか?」
「うーん…。どうだろ?食べてるつもりだけど…。」
「アイツと毎晩、あんなことやってたのか?」
「毎晩ってことはないよ。」
そう言うなり、口ごもった。しばらくしてヒカルがトイレに立ち、俺は溜息をついてベッドによりかかった。
「岸本さん、寝ないの?」
戻ってきたヒカルが俺の顔を覗き込むようにしていた。
「こんな状況で寝られるか。」
「――こっち来て。」
ベッドの上に転がると、ヒカルは俺に背中から抱きついてきた。
「おい、まだ薬が抜けてないのか?」
「もー、大丈夫だってば。」
ヒカルはもぞもぞと身体を動かすと、俺をスッポリ包み込むように抱き、肩を甘く噛んできた。
「おい…。何やってんだ?」
「岸本さん、オカシイ。」
「なんでだ?」
「オレがいくらバカやっても岸本さん、おこんねーじゃん。」
「じゃ、怒ってほしいか?――塔矢みたいに。」
「それ、やめて。怖すぎ。」
「――だな。俺だって怖かった。」
塔矢が俺の仕事場に来た時のことを思い出した。彼は声を荒げるでもなく、殴りかかるでもなく、むしろ静かだった。だが、なぜだろう、俺はかなり久々に恐怖を感じたのだ。
「岸本さん、アイツに怒られたんだ?」
「怒られたというか…まあ、ちょっといろいろあってな。ヒカルは渡さないってスゴまれたぞ。」
「はぁ?何言ってんのアイツ?」
そう言うなり、ヒカルは押し黙った。背中とヒカルの胸がぴったりと隙間なくくっついて、俺はヒカルの鼓動すら聞こえるような気がしていた。
「岸本さん、ゴメン。」

(55)
俺はちょっと笑って肩にかけられたヒカルの手に自分の手を重ねた。
「もう済んだことだ。――で、どうするんだ?キミは塔矢がいないとあぶなっかしくてしょうがない。俺じゃ面倒見切れんね。」
「うん――。でも、アイツは…。新しいパートナーもいるし…」
「また奪い返せばいいじゃないか。」
俺はずいぶんと物騒なことを言っていたが、確信はあった。――塔矢のその新しい彼氏とやらの話はどうせ通り雨か当てつけだろうと。カップボードの中の写真はそう簡単に壊れはしない強い絆を漂わせていたから。
「ね、岸本さんってアイツからオレを引き離すつもりじゃなかったんだ?」
「バカを言え。俺は…。」
――好きだ。俺はヒカルが愛おしくてたまらない。どんなに汚れても、暴君でも、暴走していても――細い猫っ毛から、よく動く大きな瞳も、足の指先に至るまで――愛おしい。
小さな芽が太陽に向かって一杯に手を広げて伸びて行くような生命力があって、静かな眼をした勝負師でありながら、時に子供のように無邪気で天真爛漫で。
それに、何よりも美しかった。
「――俺はただのセフレとしか思っていないからな。」
ヒカルの指がピクリと震えた。くぐもった声が耳元で俺に囁いた。
「ウン、わかってる――。そうだよね。」
抱きたい。身体の隅々まで味わい、愛し尽くしたい。
だが、それをしてしまったら俺はまた離れられなくなってしまう。
「あとちょっと寝かせてくれ。――今日も仕事なんだ。」
ヒカルが背中の上で頷いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

(56)
そして数時間後、俺は恵比寿にある高級ホテルのダイニングルームで加賀と向かい合っていた。
「なんだあ、オマエ。忙しいのか?」
珍しく紺色のスーツに上品なタイをしている加賀は、俺の目の前にどっかりと腰を下ろすと、ウェイターを呼んでさっさと二人分の朝食を注文した。
「眼の下にクマができてるぜ。悪かったな、そんな時に朝っぱらから呼び出したりして。」
「いや、かまいませんよ。」
俺は他人行儀にそう答えた。朝食がてら会おうという約束を前日にしてしまったのを悔んだ。今の俺はいろいろありすぎて頭もどんよりと曇っている。
こんなときに複雑な契約についてツッコミでも入れられたらどうしようかと思ったが、相手は気心知れた加賀だ、朝食を食べながらへヴィな話はしてこないだろうと踏んだ。
「なんか、オマエと一緒に飯食うのも久しぶりだよな。」
「そうですか――?」
「おいおい、やめろよ。なんでオレがわざわざオフィスじゃないこんなところで飯食いながら話しようって呼びだしたと思ってんだ?」
加賀は苦笑しながら運ばれてきたコーヒーをゆっくりと口にした。
俺は目の前にある濃いコーヒーをじっと見つめたまま、加賀にヒカルのことを言うか言うまいか迷った。
――俺はあくまで仕事とプライベートは分ける主義だ。
だから、やはり黙っていることにした。
「まあ、呼び出したのは…単刀直入に言うとだ。――オマエ、オレんとこ来る気、ないか?」
俺はやっとのことで顔をあげ、まじまじと加賀を見詰めた。
「オレの会社も年明けから上場の準備にかかるつもりだ。それは知ってるだろ?――で、金融に明るいブレインが欲しいんだよ。」
「…それなら何も俺じゃなくても…」
「言っとくがな、オレはオマエに財務だの金融だのだけやらせて遊ばせておくつもりはないからな。オレが今必要なのは、オレと一緒に会社を育てていける人材だな。」
「あぁ…。」
「もちろん、報酬は今よりも多少色をつけて出すつもりだ。――ただし…今オマエがいるトコと違ってウチは何分にも若い会社だし…まあ、上場を機にゼロからの出発だって部分もあるよな。リスクもそれなりにある。」
「……。」
「だが、オレとオマエならできると思うぜ。」
「なぜ?」
俺の投げかけた疑問に加賀はプッと吹き出した。
「オレにはオマエが必要だし、オマエにはオレが必要だからとしか言いようがないな。…って、気持ちわりぃか、そんな言い草は。」
加賀はそう言って大笑いをした。俺はふと、カップボードの中の二人を思い出していた。運命とは一人だけではなく、最低でも二人必要らしい。
「なあ、オレを誰だと思ってんだよ?天才棋士を発掘して海王に乗りこませたヤロウだぜ。アイツの先輩と塔矢の先輩だろ?なんかフツーじゃねぇって気、しねーか?」
加賀の言い分は飛躍しすぎていてまるで論理的ではなかったが、俺はなぜかひどく納得してしまっていた。そうだ――俺も加賀もごく身近に奇跡が成長するところをつぶさに見て来たわけで…それはたしかに普通ではなかった。
「そういや、あのバカはどうしてる?」
「塔矢と仲良くやってるさ。」
「だろうな。」
加賀はまぶしい光が照りつける外を眺めながら、マルボロの箱をさぐっていた。そして、伸びをしながら明るく言った。
「出来のわりぃ後輩に負けてられねーぞ。あ、オマエんとこは違うか、ハハハ。」
朝日が眩しい。
この先、どうなるのかという不安はまるでなかった。午後、オフィスに帰ったら辞表の書き方をインターネットで調べなくてはならないと思った。
だが、眠くてたまらない。今日はこのまま自宅に帰って寝たほうがいいとも思う。辞表の書き方は明日にでも調べればいい――そう思った。

Dazed & Confused, Come ――End

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル