淫靡礼賛

(1)
その日、座間はほっとして清流の間を出た。すでに王座を我がものにはしているが、あともう一つぐ
らいタイトルを獲ってしかるべきだ。調子もいい。
今日の対戦、棋聖戦リーグの相手は倉田七段、新進気鋭にして去年の最多勝を上げている若造
だった。ここまで勝ち星を順調にあげてきている倉田だったが、やはり王者の貫録にはかなわなかった
ようで、座間の前に破れた。
何度かヒヤリとさせられはしたが、まだ若いヤツに負けるわけにはいかない。その意地をもってねじ
伏せた。
それにしても、塔矢行洋の息子といい、倉田といい、最近の若い棋士らはあなどれない。さらに若い
くせに落ち付いていて生意気なことこの上ない。
――ここで徹底的に叩き潰しておかねば…。
端をかじられてひしゃげた扇子を手の中でもてあそびながらロビーに降りると、よく見知った姿が目に
入った。
「座間先生、こんにちは。」
どうも気に入らない若造の一人だった。紺のブレザージャケットにボタンダウンのシャツ。細身の身体
はまだ成長期の途中で、どこか頼りなげだ。顎にかかるかかからないぐらいのまっすぐな髪がさらさら
と揺れた。
塔矢アキラ。塔矢行洋の一人息子だった。年はまだう十五か十六のはずで、しばらく前に話題になった
ジュニア杯では中韓の若手を撃破して二勝を上げた。この若造とは過去に二度、対戦しているが、通った
鼻筋といい、ネコを思わせるアーモンド型の目といい、類まれな美貌に食指が動いた。だが、親の七光り
かと思いきや、年に似合わぬ落ち着きと勝負強さを持ったこの若造を前に、座間は神経を逆なでされる
ような不快感を味わった。
「ああ、君かい。手合いは終わったのかね?」
「はい。」

(2)
今日の催し物を思い起こした。――おそらく、次期王座戦の予選トーナメントだろう。フン、上がって
来れるものならあがってくればいい。たかがジュニア杯で勝ったからといっていい気になるなよ。昨
シーズンの本因坊リーグでは一柳を沈めたというが、それだって今、下り調子の一柳相手だ。大した
ことはない。
俺と対峙したところで、その高慢ちきな鼻っ柱を叩き折ってやる、と座間は心の中でひとりごちた。
塔矢アキラのような生意気な若造をいたぶることを考えると、座間はゾクゾクした。――そう、盤上だ
けではなく…たとえばベッドの上でいたぶったらこの澄ましヅラをした若造はどんな啼き声をあげる
のだろう。
子供の頃から碁漬けでまともに異性交際すらしたことがなさそうなお堅いガキだ、ちょっと愛撫して
やれば涙を流して悶えるに違いないと踏んだ。或いは、お堅すぎて不感症かもしれない。ならば、
俺が開発してやるのもいい。
女顔の美形だし、しみ一つない肌もうまそうだ。
ふと、座間は出来心といったふうに色白の少年を見据えた。
「なあ、暇ならこれから一緒に飯でも食いに行かないか?近くにうまい鰻屋があるんだよ」
突然の座間の申し出に、少年は一瞬、たじろいだように見えたが、すぐにやんわりと笑って言った。
「ありがとうございます。ですが――」
彼がそう言いかけた時、階段をぱたぱたと降りてくる軽快な足音が響き、腰履きにしたジーンズにフード
付きのジャンパーを羽織った少年が現れた。
「――塔矢ぁ!」

(3)
少年は二段跳びでロビーに降り立つと、目の前の座間にはたと気づき、目をまるくしてペコリとお辞
儀をした。イマドキのガキらしく、前髪を脱色してジーンズはパンツが見えかけるほどにずりさがって
いる。院生のガキにも時々こんなのがいるが、コイツの奇抜なファッションは特に目立つ。だが、不
思議に似合っていて、見かけるたびに座間は今日はどんな格好なのかを楽しみにしていたぐらいだ。
「ざ、座間先生…?こんにちは!」
遠くからは何度か見ているが、至近距離で相対するのは初めてかもしれない。名前は進藤ヒカル、
この間二段に昇進したばかりだった。
北斗杯では韓国戦の大将に大抜擢され、善戦したものの半目負けを喫したのも覚えている。
なぜ、たかがジュニア杯でのことを覚えているかといえば、週刊碁に載っていたこいつがなかなか好み
のタイプだったからだ。座間は思わず口元が緩むのを覚えた。
「キミ…進藤君、だったよね。」
「は、はい…!」
少年はぴんと背筋をのばし、いくぶん頬を紅潮させながら返事をした。そういう初々しい態度も気に
入った。――塔矢アキラとは大違いだ。まあ、塔矢は塔矢で楽しみがありそうだが。
間近に見る進藤は思ったよりも小柄で華奢だった。

(4)
たしか塔矢アキラとは同い年のはずだが、すでに大人っぽさを秘めて年よりも上に見える塔矢アキ
ラと違い、進藤ヒカルは十五、六といった年齢らしいあどけなさを残していた。
「そうだ、進藤君も一緒にどうかね?」
何のことやらわからず目を泳がせて塔矢アキラのほうを見る進藤に塔矢が答えた。
「座間先生が食事を一緒にどうかと言ってくださっているんだけど――。」
塔矢はあきらかに目で「うまいこと断れ」と言っていた。ならば、逃げ道のないようにしてやればいいだ
けの話だ。あたりをキョロキョロと見まわすと、最近、出版部から渉外部に異動になったばかりの天野
の姿が目に入った。呼び止めると天野は手をあげてこたえた。
「あれ、座間先生!塔矢くんと進藤くんも一緒か!」
「天野君、ひさしぶりだなあ。今からこの二人と飯を食いに行くんだが、君も付き合わないか?」
断る隙をあたえないまま、勝手に行くことにしてしまう。天野が一緒ならそう気後れすることもないだろう。
座間は天野がこの二人を高く買い、あからさまといってもいいほどに応援していることを知っていた。
そうでなくとも天野は人当たりがよく、若手も話しやすい雰囲気を持っている。
「わぁ、天野さんお久しぶりでーす!」
思惑通り、進藤の顔がパアッと輝いた。よしよし、そのままついて来い。

(5)
「なあ、天野さんと話をするの久しぶりじゃねえ?碁会所は飯食ってからでもいいじゃん?」
「なんだ、これから碁会所へ行くつもりだったのか。」
「ええ、今日の検討を二人でしようかと…。」
「ああ、君のお父さんがやっているっていうところかね?」
「いいえ。進藤が時々行くっていう渋谷の碁会所なんですけど…。」
「ほう。」
俺は天野と並んで表に出ると、ゆったりとした足取りで二人を従えるようにして歩いた。
「な、道玄坂のほうがいいだろ?オマエんとこの碁会所、なんかこえーもん。」
「キミのところだって怖いよ。席主さんはいい人だけど、河合さんだっけ?」
「あー!河合さん、あれでもいいほうだよ。オマエには頭グシャグシャやんねぇじゃん。」
「頭グシャグシャって何?」
後ろの二人は座間に見せつけるかのようにベッタリとひっついて歩いていた。――なるほど。二人並べ
るのも悪くないし、向かい合わせてお互いのモノを摺らせるのもいい。だが、一時に二匹とも釣ろうとす
るのは早計だ。
「こうすんだってば。」
進藤が塔矢の頭をぐいと掴み、さらりとした髪を掻きまわした。
「うわっ!は、離せ進藤ッ!」
「オレ、いっつもやられてるぜー。」
一糸乱れぬ、という言葉がぴったりくるような塔矢の髪がほうぼうに散っていた。天野がちらと後ろを振り
返って笑った。

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル