「ジャック…トニー…ジャック、――トニー…」

 プツ、はらり。
 プツ、はらり。

 音もなく花びらが散っていく。
 その背中は少女のようにか細く、細面に刷いた唇は娼婦のように 妖艶な笑みが浮かんでいる。

「ジャック、トニー…」

 ブチ。

 華奢な茎は、ついに花弁ごと折れてしまった。

「あらあら――」

 持っていた花をぽとりと床に落とし、彼女はくすくすと笑った。


『come on boys,make my day』
らんびさんより5527(GOGOニーナ)


「ニーナ…何をしてるんだ?」

 バンの後方部、床に散らばった花びらを見て、ジャックは眉を顰めた。
 折れた茎がなんだかとっても不吉だ。

「あら、なんでもないわよ、ジャック。ちょっとした、習慣みたいな ものだから。それより、トニーがそろそろ店に入るわ」
「ああ、僕もいつでも行ける」

 この作戦は、ニーナが持ってきたものだった。
 チーフであるジャックをすっ飛ばして、なぜ彼女なのかはわからない。 しかし、何かと上層部に覚えの良くないジャックを、
ニーナはいつもフォロー してくれていた。見事に、不思議なくらいに。今回もその一環だというのだ。

『たまには穏便に事件を解決したらどうかしら? 前回、どれだけ公共物を 破損したかわかってる、ジャック?』

 そう言って持ってきたのが、テロのテの字も出てこない麻薬捜査だった。 実行要員はニーナとジャックとトニーの3人だけだ。

『地元警察や麻薬捜査官が怒るぞ、僕らは部外者だ』
『大丈夫、CTUが関与する許可は取ってあるから』
『許可? どうやって?』
『そんなの、ちょっとお願いしただけよ』
『お願い――?』

 それ以上は怖くて聞いていない。
 とにかく、上層部への点数稼ぎで働くことになったのだが、ジャックには これがニーナのお遊びだとわかっていた。
 シャペルの笑う顔が目に浮かぶようだ。こんな茶番に許可を出した彼を呪った。ついでに、最近仕事の後始末を
ニーナに押し付けすぎた自分を呪ったジャックだったが、そのとばっちりを受けたトニーは逆に張り切っていた。

『彼は現場捜査官じゃないんだぞ、ニーナ』
『でも、トニーほど適性な人物はいないわ。トニー、どう?』
『うーん。ニーナ、でもこの内容は――』
『自信がないの?』

 その一言で彼は陥落した。
 プライドが高いうえに、キャリアへの野望もある彼にとっては、どんな内容 であろうと現場で自分の力を示す機会は
歓迎だった。それが、たとえ「ジャッ クとカップル」を装うことであっても。

 麻薬取引が行われているらしいゲイバー「M&A」へ、カップルを装って ジャックとトニーが潜入する。
 取次ぎに当たっている人物の見当はついているので、その人物から「穏便に」麻薬保管場所と顧客名簿を徴収する、
という作戦だ。そして、なぜトニーが適性なのかというと、その人物の好みが、黒髪黒目のラテン系だからだ。それを
踏まえて、ニーナは作戦を立てた。それを思い、ジャックは深々と溜息を吐いた。

「ジャック、そろそろ行ってちょうだい」
「わかった」

 不承不承でも、作戦となると手は抜けない。
 ジャックは車から降りると、一足先に降りたトニーの後を辿った。

 その頃、トニーはゲイバー「M&A」の中で無駄にフェロモンをばら蒔いて いた。常よりシャツのボタンを一つ多く外した
姿態で優雅にカウンターまで歩 き、酒を注文する。

『トニー、ジャックが出たわ。――趣味の悪い曲ね』

 耳にはめ込んだイヤホンは、通信機のみならず傍受装置も兼ねている。
 ニーナの軽口に内心で苦笑し、トニーは店内を見渡した。客はトニーと 奥のソファを陣取っているグループだけで、探し
ていた人物はすぐに見つ かった。

 ジェド・テイラー。

 白金色に、透き通るような碧眼。
 遠目からでも華奢な骨格と滑らかな肌は、どう見ても10代のものだ。
 彼こそが幾多もの男を誑し込み麻薬を密売している人物だった。中には政界 の重鎮までが彼に夢中で、ゆえにここら
一帯は取締りが緩いという。

(鑑賞には値するかも――だが、同性愛者なんて理解できないな)

 数人の男に囲まれて、相手は値踏みするようにトニーを見つめていた。
 その視線を受けて、トニーは心中とは裏腹に、意味ありげな笑みを浮かべた。 なにせ、今回の彼の役目は彼に近付き、
その口を割らせることなのだ。

 男性を誘ったことなどはなかったが、彼の豊富なセックスアピールは通用したらしい。相手の顔に新参者への興味が
浮かぶのを見て、トニーは笑みを深くした。声をかけても、周りの男達はともかく、彼には歓迎されることだろう。しかし
それだけでは彼の懐に入るには十分ではない。ニーナが立てた作戦は、彼の方からトニーに近付かせることだった。

 その時、カランと扉を開けてジャックが入ってきた。
 トニーは振り向きその姿を認めると、満面の笑顔で両手を広げ歩み寄る。 ジャックもはにかんだ笑顔を見せてトニーへ
と駆け寄った。

「ジャック!」
「トニー」

 内心ではお互い、相手の見たこともない表情に唾を吐きながら抱擁を交わす。
 2人は互いの能力は認めていたが、それ以上の友好は深めていないかった。

『うーん、声音に愛情が足りないわね』

 ぼそりと聞こえたニーナの声は無視して、カウンターのスツールへと 腰を下ろした。
 親しげに顔を寄せ合い、時折声を立てて笑う。

 面白くないのはジェドだ。
 自分に熱視線を送ってきた好みのハンサムが、待ち人が来た途端に自分に 興味を失ったからだ。狭い世界で、どんな
男も篭絡してきたきたジェドのプライドは傷ついた。勢い良くソファから立ち上がると、黒髪と金髪のカップルへと近付く。
気付いた黒髪の男がニヤリと笑いかけてくるのを見て、ジェドは自信を強めた。

(ほうら、やっぱり、僕に夢中にならない男なんていないんだ)

「ハイ、僕、ジェド。店に来るのは初めて?」
「ああ。俺はトニー、彼はジャックだ」
「ハイ。失礼だけど、君は未成年なんじゃないかな?」

 控えめに話しかけてくるジャックを、ジェドは鼻で笑った。
 自分の恋人が他の男に気を取られているのに気付かないなんて。

「余計なお世話だよ。その未成年に色目使ってる男はどうなのさ」

 顎をしゃくってトニーを示すが、ジャックはキョトンとしただけだった。

「色目? 彼が?」
「ジャック、この坊やの言ってることは――」
「事実だよ、鈍いなぁ、もう! こいつは店に来た時から僕を見つめて たんだぜ、おじさん」

 その言葉に、ジャックは優しく微笑んだ。
 ジェドは思わずドキリとしたが、彼の口から出た言葉は辛辣なものだった。

「ああ。彼はハンサムで誰にでも優しいから、時々勘違いする人がいるんだ」
「なっ……!」

 つまり、視線を送られたというのはジェドの勘違いだと言いたいのだ。
 金髪の男は恋人を信じきっているようだった。それは、裏を返せば自分が 恋人から愛されているという自信の表れだ。

(この僕より、自分の方が勝ってると思うなんて許せない!)

 トニーがジェドに欲望を持っていることは確かだ。ジャックの傲慢の鼻を へし折ってやりたかった。ジェドはキッとジャック
を見据え、不敵に笑った。 上目遣いでトニーを見上げ、引き締まった彼の背中へとしなだれかかる。

「勘違いかどうか、確かめてみる? ねえ、トニー。僕が欲しくない? イ エスと言えば、特別に今夜は――ううん、貴方な
らいつでもいいよ」

『ここまで推測どおりだと笑えるわね』

 トニーとジャックも、ニーナと同じ意見だった。
 うんざりした内心を抑え、トニーはフラフラと誘われるように立ち上 がった。ジェドはにっこりとし、その腕へと両手を回す。

「トニー!?」
「ジャック…ごめん」
「あんたなんかお呼びじゃないんだよ」

 唖然としているジャックに溜飲を下げ、ジェドはトニーを奥の扉へと 誘った。先ほどの言葉に偽りはなく、ジェドは今から
でもトニーとベッド で楽しむつもりだった。

「おい、待ってくれ、ジェディ!」
「今夜の客は私じゃないのか!?」

 ソファで成り行きを見守っていた男達が、口々に不平を上げる。
 カウンターの中にいたバーテンダーは、このような風景はいつものこと なのか、さっさと退散してしまっていた。

「うるさいよ、気が変わったんだ。相手なら、傷心の彼を慰めてやればいい」
「待て、彼に余計な手出しは――」
「貴方が言える立場? 新しい恋が生まれるかもよ、アハハ!」

 慌てて口を挟むトニーを笑い飛ばし、2人は扉の向こうへと消えた。
 今夜の欲望の行方を見失った男達は、ジェドの言葉に導かれてジャックへ と視線を移す。年は多少喰っているが悪くは
なかった。ジェドと違い、穏や かで純朴な様子も興味をそそられる。どんな声で啼くのかと、男達はニヤニヤ と想像しながら
ゆっくりと彼に近寄った。猫なで声で話しかける。

「やあ、その――運が悪かったと思うんだな。ジェドにかかれば、大抵の 男は落ちるんだよ」
「そうそう。それより、予定が空いた者同士、今夜は一緒に飲まないか?」

『あらあら、モテモテね、ジャック』

 舌打ちしたい気持ちをジャックはこらえた。
 トニーがジェドの部屋へ入るまでは、行動を起こすことはできない。 店を出る気力も失ったかのように俯くと、その肩へ
誰かの手がかかった。 撫でるような手つきに嫌悪感が走り、思わず強く振り払ってしまう。

「触るな!」
「なんだよ、せっかく、慰めてやろうってのに」

 苛立っていた男は、ジャックの抵抗にカッときたようだった。
 荒い素振りでジャックの腕を掴み、無理やりソファへと連れて行く。

「やめろ、離せ!」
「あんな男に義理立てか? いいから俺達と楽しもうぜ」

 物音を立ててジェドに気付かれることを恐れるジャックは、僅かな抵抗 しかできない。戻ってこられても、逃げられても
困るからだ。ここまで馬鹿 な演技を続けたのだから、この作戦は成功してもらわなくては困る。

 ニーナからの合図を待つ間に、男はジャックをソファへと押し倒した。
 シャツのボタンへと手が伸ばされ、ジャックは演技だけでなく身震いした。

『ジャック、オッケーよ』

 その瞬間、ジャックは飛び起きて男へと頭突きをくらわし、次いで拘束の 外れた手で相手の首筋を強打した。
 近寄ってきていた他の男達が反応できないでいるうちに、次々と倒していく。

「ったく――冗談じゃない。ニーナ、部屋はどこだ」
『扉を出て角を左に曲がった、2番目の部屋よ。でも、扉の前にボディ ガードが一人いるわ。声の調子からすると、彼は
トニーのことが気に入らない みたい』
「ふん、そいつも兼、愛人って感じか」
『かもね。それと、ちょっと不安なことが―。さっきから、トニーは麻薬を 強要されてるわ』
「なんだって!?」

 常の潜入なら、ジャックは相手の警戒を解くために何でもしただろう。
だがこんなチャチな事件でそこまでするのは馬鹿げている。心配なのは、 作戦成功に意気込んでいるトニーが無茶をし
ないかということだった。 彼のことは好きでもなんでもないが、かといって身の破滅を見過ごすほ ど嫌いでもない。

 ジャックは扉を開けて暗い廊下へ出ると、足早に進みはじめた。


 続く  




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2006.2.9
終わらなかった、らんびさんゴメンンサイ(絞首刑)








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