その夜は、久しぶりにポルトスと2人での席だった。
アトスはトレヴィルの警護として、とある夜会に連行している。だが
彼ほどの男だ、今頃は客人の
誰かと文学の話かチェスでもしているのだ
ろう。全く、そういうことにはアトスはお誂え向きの男だった。
「こういう話を聞いたんだがな」
既に顔を赤くしているポルトスが、新しいマントの自慢を終えると
真面目な口調で話し始めた。
「俺に懇意にしてくださっている…ええぃ、俺に夢中なご婦人の話だ」
アラミスは口の端を吊り上げたが、ポルトスの言っていることを疑って
いるわけではなかった。
上流階級のご婦人方には、ポルトスのがさつさが
ワイルドな魅力として映るらしい。
「ちょっと前のことらしいんだが。とある伯爵が、伯爵といってもまだ若
くて、30前くらいだ。ベリー
だかそっちの地方らしいがな、大貴族だ。
そいつが、愛する妻を処刑人に手渡したんだと」
「突然、何を言い出すんだ?」
突飛な内容に怪訝な顔をするアラミスを、ポルトスは両手で宥める動作
をした。
「まあ聞けよ。伯爵は若い娘に恋をした。娘はよそ者だったが、恋に溺れ
たうえに良識のある男は
彼女を正式な妻に迎えた。だが結婚の後、妻の
暗い過去が露見したんだ。彼女は罪人だった。そ
れを知った男は激高し、
妻を処刑人の元へと引き連れていった、というわけさ」
「…それで、酒の席でそんな不愉快な話をする理由はなんだ?」
哀れな顛末に胸元で十字を切りつつも、アラミスは彼の言わんとするこ
とがわかるような気がした。
「俺だって好きでしてるわけじゃないさ。ただ友人として、黙っているの
もなんだろう? …この話、
誰かさんに当てはめてみるとどうだ?」
「どうも何も。本人が話さないんだから、俺達も勝手に推測するべきじゃ
ない」
冷めているんだな、とポルトスが肩を竦める。だがその指摘は誤りで、
アラミスもアトスの素性や
過去が気にならないわけではない。彼ときた
ら本名はおろか、自身について話すことを頑なに避け
るのだ。
例えば、優雅な物腰や豊富な知識を備えるにはそれなりの教育が必要
だ。そしてアトスは”それ
なり”どころか”一流の”教育を受けた人間
のように全てにおいて洗練されていた。また、誰にでも
愛想良く振舞う
大らかな性質も育ちの良さを偲ばせる。それだけに、不思議でもある
のだ。なぜ彼
のような人物があのように暗い目をしているのかと。
だからといって、ポルトスと2人で杯を交わしながらまるで興味本位
のように彼について詮索する
のは嫌だった。
「…せっかくできた、今ある距離を壊したくないじゃないか」
「は?」
ポルトスがきょとんとする。
自身が漏らした失言に気付き、アラミスは慌てて手を振った。
「い、いや! ほら、おっとりした奴が怒ると怖いと言うし…それに、
トレヴィル殿に申し訳ないじゃ
ないか。俺達に任せてくださったとい
うのに、仲違いなどになったら。お前もそんな噂話、よそに
広げるん
じゃないぞ」
「もちろんだ。ちょっと気にかかって、アラミスだから話しただけだ。
だがなぁ…ふーん」
「…なんだ」
「いや別に」
咄嗟の言い訳は効かなかったようで、ポルトスはにやにやと笑い始める。
アラミスがそれを止め
ようと身を乗り出した所へ、血相を変えた銃士が
駆け込んで来た。
「有事だっ!!」
2人はすぐさまマントを羽織って立ち上がり、金を投げ置くと店を出た。
「何があった?」
「トレヴィル殿の命が狙われた」
「なっ…!?」
事態の重大さに、思わず足が止まる。
急かされて再び駆けながら、アラミスは急き込んで尋ねた。
「狙われた…ということは、ご無事なんだな?」
「と、聞いている。近くにいた銃士が庇ったらしい」
その言葉に湧いたのは仲間に対する誇りと、その場にいなかったことへ
の悔しさだ。
思いはポルトスも同じだったらしく、大きく舌打ちをした。
「なんてことだ! こんな夜に俺達は居酒屋にいたなんて!」
「まだ終わっていない。暗殺者は逃げたんだ。しかも、トレヴィル殿の
外出の予定を知っていた
うえに、銃士と互角にやりあう腕前の奴だぞ…」
彼が近衛銃士隊の誰かを疑っていることは明白で、アラミスはショックの
あまり自分の顔が
青褪めていくのを感じだ。ふと、細身で黒髪の男の姿が思
い浮かぶ。
「ロシュフォール…」
小さな呟きに、隣に並ぶポルトスがハッと息を飲む。
「まさか…穿ちすぎじゃないか」
「あいつ以上に怪しい奴なんていない!」
仲間とはいえ、ロシュフォールを庇おうとする気持ちはなかった。常か
ら胡散臭い奴だと思って
いたのだ。だが彼は馬鹿ではない。一介の銃士が
王の信頼厚いトレヴィルを狙うなどと危険度の
高い真似をするからには、
誰かきっと庇護している人物がいるはずだ。近衛銃士隊に――引い
ては王
に刃向かうほどの、強力で恥知らずな庇護者が。
トレヴィル邸に着くと、庭には少数の銃士しか残っていなかった。恐ら
く、逃げた人物の捜索に
当たっているのだろう。隊長の姿を見止め、アラ
ミスとポルトスは足早に駆け寄った。
「トレヴィル殿! ご無事で何よりです」
「ああ、お前達か。不甲斐ない。私自身が犯人を見つけたいところなのだ
が、アトスに馬車に押し
込められてな」
「そうだ、アトスは大丈夫なのですか!?」
失念していたが、トレヴィルを庇った銃士とはアトスのことに違いない。
「彼はそのまま犯人達の後を追った」
「複数なのですか。アトスは1人で追ったと?」
「1人じゃない。たまたま、近くにロシュフォールがいてな。彼と一緒だ」
「なんですって…」
驚愕に目を見開く。ロシュフォールの存在をどう思っているにしろ、トレ
ヴィルは隊長という立場上、
彼を信用しなければならない。それがわかって
いても、アラミスはトレヴィルを責めたい気持ちだった。
自分でも不思議な
くらい、アトスの身が案じられる。焦燥に駆られ、アラミスは辞去の挨拶も
せずに
踵を返した。
つづく