もう一度会いたい

side桔梗

 ボンゴレとの戦いが終わり、ミルフィオーレのアジトに戻った桔梗は、以前と変わらず白蘭に仕える日々を送っていた。
 ただ、違うのは……。

 アジトのホールは火が消えたように静かだ。
 部屋の隅では、お気に入りのぬいぐるみを大切そうに抱えたデイジーが座り込んでいる。
「……」
 それにしても静かだ。あの頃は毎日うるさいほどだったのに。

 いつも彼がいた場所に目を移し、在りし日々の記憶に思いを馳せる。
 ほんの一瞬だが、ふと懐かしい面影と声が聞こえた気がして、桔梗は思わず彼の名を呼んだ。
「! ザクロ……?」
 だが、それは懐かしさが見せた幻に過ぎなかった。
 彼はもういないのだ。そんなこと、分かっているはずなのに。
「……ッ……」
 胸の奥からこみ上げてくる熱い衝動に耐え切れず、喉の奥から嗚咽が漏れた。
「? どうかしたの? 桔梗?」
 立ち上がったデイジーが、心配そうな顔でこちらを見つめている。

 戦場で命を落とすのは何も珍しいことではない。
 命がけで戦うマフィアである以上、死とは遠いところにあるものではなく、いつでも常に隣り合わせなのだから。
 誰がいつ死んでもおかしくはない。覚悟などとうに出来ているはずだった。
 それでも……。

 視界がぼやけ、頬に熱いものが流れる。
 そこでようやく、桔梗は自分が涙を流している……泣いているのだと気付いた。

「ねえ、桔梗、大丈夫……?」
 ふと気配を感じて視線を下に移すと、そこにはいつの間に来ていたのか、心配そうな顔でこちらを見上げるデイジーの姿があった。
「ええ、大丈夫ですよ。デイジー」
 桔梗は涙でボロボロの顔のまま、無理に笑みを作ってみせようとする。だがその様はかえって痛々しさを増すだけだった。
「ほんとに? ……僕チン、心配だよ」
「何がですか?」
「だって、桔梗ずっと寂しそうなんだもん。それって、やっぱり……」
 暗く沈んだ表情で言いかけて、デイジーはあっ、と一瞬驚いたような表情になる。
「ぼばっ……う、ううん、何でもないんだ! ごめんね!」
「あっ、デイジー?」
 デイジーはぬいぐるみを抱えたまま大慌てで走り去っていってしまった。

「……」
 デイジーが言いかけて言わなかったことは、おそらく彼のことだろう。
 きっと、桔梗に悲しみを思い出させないようにと、気遣ってくれたのだ。
「ハハン……ッ……全く、情けないことですね、私としたことが……」
 あんな小さな子供にまで心配されるとは。
 桔梗は自嘲気に笑うと、俯いて目頭を押さえた。
 乾いた頬に新たな涙が溢れ落ちていく。

 自分がこんなにも脆いだなんて、知らなかった。

+++

 ベッドに入っても、桔梗はなかなか寝付けなかった。
 このところ、いつもそうだ。
「……」
 暗闇の中、目を閉じて横になっていると、瞼の裏に浮かんでくるのは彼とのことだった。
 ミルフィオーレに入って初めて出会った頃のことから、共に戦ったこと、毎日の他愛ないこと、お互いに仲間以上の感情を抱いていたと知った時のこと。そして、仲間以上の関係になったこと……。
 楽しいこともあったし、些細なことでケンカしたこともあった。
 どれも今となっては優しく懐かしい記憶だ。

 あれからもうだいぶ経つのに、桔梗は未だにザクロの死を受け入れられなかった。
 戯れにも似た考えが桔梗の胸に浮かぶ。
 もしかすると、今ここにいる自分は彼が死んだという悪い夢を見ていて、夢から覚めれば何事もなかったように彼が側にいるのではないだろうか。
 あるいは、死んでいたはずの彼は生きていて、またひょっこりと姿を現すのではないだろうか?
 そんなこと、あるはずがないのに。

 どんなに科学が発達したって、一度死んでしまったらもう二度と会えない。一度失ってしまった命は二度と取り戻すことはできないのだから。
 そんなこと、痛いほど分かりきったことだった。
 それでも……。

「……ッ……」
 叶うことなどないのだと知っていても、会いたい。せめてもう一度、会いたい。
「……っ……ザクロ……ッ……」
 こみ上げる嗚咽の中、桔梗はザクロの名を呼んだ。
 瞬間、桔梗の中で今まで抑えつけていた感情が堰を切ったように溢れ出す。
 静かな闇の中、押し殺した嗚咽は咽び泣きとなり、やがて号泣へと変わった。

 どのくらい泣いただろう。涙も声も枯れ果てた頃、ふと、桔梗は温かい手が肩に触れていることに気付いた。
「え……?」
 驚いて目を開けると、そこには見覚えのある懐かしい姿があった。
『ったく、いつまでもメソメソ泣いてんじゃねーよ。バーロー』
「?! ザクロ?!」
 桔梗は驚き叫んで飛び起きた。
 これは夢? それとも……。
「ザクロ、あなた……」
 死んだんじゃ、と言いかけて、桔梗は口をつぐんだ。
 幽霊、というには目の前の彼はあまりにもリアルだったから。

「……どうして……」
 桔梗はザクロを見つめ、戸惑いながら掠れる声で呟いた。
『桔梗、俺を呼んだだろ? だから、会いにきてやったんだ』
 こともなげに言って軽い笑みを浮かべると、ザクロは桔梗の頬に手を伸ばした。
 ザクロの手が桔梗の頬に触れる。温かい。桔梗はザクロの手に自分の手をそっと重ねた。
『あーあ、ひっでー顔。せっかくの美人が台無しだな』
 冗談っぽく言って、ザクロは悪戯っぽい少年のような笑みを浮かべた。
 あの頃と変わらないまま。

「……ッ……」
 瞬間、桔梗の心に張り詰めていた糸が音を立てて切れた。
 涙腺が決壊し、熱い涙がとめどなく溢れ落ちる。
『おいおい、ちょっと泣きすぎなんじゃねーのか、バーロー。お前、さっきから泣いてばっかじゃねーか……』
 呆れたような口調で言うザクロの言葉をさえぎって、桔梗は叫んだ。
「だれの……誰のせいだと思ってるんだ?!」
『桔梗?』
 感情をあらわにする桔梗に、ザクロの表情が一瞬驚きの色に染まる。
「ザクロがいなくなってから、毎日、ずっと辛くて、悲しくて……何をしても、どこにいても、忘れることなんてできなかった……!」

 忘れようとしたって、忘れられるわけがない。
 忘れようとするには、自分の中で彼の存在は大きくなりすぎていたのだから。
 ザクロを喪ってから、桔梗の心の中にはぽっかりと大きな穴が空いたようだった。
 途方もない喪失感が虚ろな心の中に巣食っていた。

『ああ、知ってるぜ……お前、毎晩泣いてたもんな。俺の名前呼びながら』
「!?」
 ザクロの言葉に、桔梗は驚きを隠せなかった。
 なぜ、彼がそんなことを知っているのだろうか?
「どうして、それを……」
『俺、ずっと側にいたんだぜ。泣いてるお前を見てることしかできなかったけど』
 言って、ザクロは切なそうな目で桔梗を見た。
「ザクロ……」
 桔梗はうな垂れ、目を伏せた。乾いた頬を涙が伝う。
 分かっている。彼を責める意味なんてない。
 誰にも、どうすることも出来なかったのだから。

 ふいに強く抱きしめられ、掠れた低い声が耳元で響いた。
『……ごめんな』
 温かく懐かしいザクロの腕は、確かな存在感を持って桔梗を抱きしめていた。
 死んだなんてことが信じられないほど、まるで生きているかのようにリアルに……。
「そんな、私の方こそ……」
 桔梗はザクロの肩口に頬を寄せて呟いた。
 辛いのは彼の方なのに。

『ずっとこうしたかった。もう一度、桔梗とこんなふうに……』
「私もです……ザクロ」
 二人は強く抱き合ったまま、夢中で何度も口付けを交わした。
 夢でも幻でも構わない。もう一度こうして会えたこと、触れ合えたこと……それが何よりの幸福なのだから。

 どれほど、そうしていただろう。
 桔梗を抱きしめるザクロの腕が緩み、名残を惜しむようにゆっくりと離れていく。
 やがて、ベッドの側に立ったザクロは桔梗に向かって静かに言った。
『……桔梗。俺、そろそろ行くな』
 ザクロの言葉に桔梗は無言で頷く。

『なあ、桔梗。お前がいつかこっちに来る時がきたら、そのときは俺が迎えに来て、川の向こうで待っててやるよ。まあ、桔梗にはまだだいぶ先の話だろうけどな』
 言って、ザクロは屈託のない少年のような笑みを浮かべた。
 そして、あの頃と変わらず照れたような表情になると、今度は目を逸らさず、真っ直ぐに桔梗を見つめて言った。

『Io ti amo(愛してる)』

「Io ti amo, anche(私もあなたを愛しています)」
 桔梗も言葉を返す。その顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。

+++

 カーテンの隙間から眩しい朝の光が差し込んでいる。
 桔梗はベッドから起き上がると、カーテンを開け、窓の外を覗いた。
 見上げた空は明るく晴れてどこまでも高く、きれいに澄み渡っている。

 窓の外の景色を眺めながら、桔梗は昨夜のことを思い出していた。
 あれが夢だったのか現実だったのかは分からない。
 もしかすると、会いたいという強い思いが見せた幻だったのかも知れない。
 でも、そんなことはどうでもいいのだ。
 事実はどうあれ、もう一度彼に、ザクロに会えたということが、ただ嬉しかった。

 昨日まであんなに悲しく苦しかったはずの気持ちは、いつの間にか嘘のように消え去り、穏やかで温かい思いが桔梗の胸の内を満たしていた。

「デイジー。おはようございます」
「あっ、おはよう、桔梗」
 廊下で見慣れた姿を見つけ、声をかける。
 お気に入りのぬいぐるみを腕に抱えたデイジーは、桔梗を見つけると小走りに駆け寄ってきた。

「桔梗、元気になったんだね。よかった。僕チン心配してたんだよ?」
「おかげさまで。私ならもう大丈夫ですよ。心配かけてすまなかったですね」
 桔梗の様子が昨日までとはすっかり変わっているのを見て、デイジーは驚きながらも喜びの表情を浮かべている。
 桔梗は穏やかな微笑を浮かべ、デイジーの頭を撫でた。

「デイジー。次の休暇はお墓参りに行きましょうか」
「ぼばっ……それって、ザクロとブルーベルの?」
「ええ。そうですよ」
 言って、桔梗は廊下の窓から空を見上げた。明るく晴れた青空はどこまでも高く、澄み渡っている。
 きっと天国があるとすれば、この空の彼方だろう。
 そこに彼はいるのだ。

【END】2010/01/21UP

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