彼女を愛した事を、決して後悔しない。
世界の果ての物語
第一章
白馬は駆ける。森の中を。
その背には一人の女性。薄く金色がかった紙に、白いローブ。真っ白な顔に薄く桜色をした唇。美しい女性だった。
ただ、彼女の手に持つものは、その美しい外見からは少し似合わないものであった。
無機質な色をした大きな杖。真っ直ぐではあるが、先には様々な飾りがついている。
彼女がそのような武器を持っているとは、傍から見ればおかしな事であっただろう。
そのような彼女の表情からは、何も読み取れなかった。ただ無表情で、前を向いている。
森の木々の狭間から差し込んでくる光が、少し暗くなってきた。どうやら、陽は沈みかけているようだ。今日はどこで休もうか・・・彼女がそう考えている時、急に目の前が開けた。
その先には、村があった。
どうやら彼女が出た先は、村の広場に近いところだったらしい。沢山、とは言えないが、人がいた。その人々の目が、一斉に彼女に注がれた。
最初は遠巻きに彼女を見ていた人々であったが、すぐに彼女に近付き始める。外からの人間が珍しいのか、色々話しかけてくる。
彼女は困ったように顔をしかめた。
「お嬢さん、どこから来たんだい?」
「綺麗な娘さんだねえ」
「今日はどこに泊まるんだい?」
・・・などなど。
それに対し彼女は、「・・・静かにしてくれないか。今日中にこの森を抜けるんだ」と冷たく一蹴した。
彼女の剣幕を見て、気を悪くしたか、と村人が気づいたのかは分からないが、村人たちは数歩、さがった。
だが彼女は、村人がさがった理由がそれではない事に、すぐに気がついた。代わりに、一人の男性がこちらに向かってきたことに気がついたからだ。
「やめた方がいいよ。この森は魔物が跋扈しているんだ。今日はここに泊まっていきなよ、君は大丈夫でも、その馬はどう思っているかはわからないからね」
彼はそう言い放った。思わず彼女は愛馬を見やる。・・・そして、暫くすると少し悔しそうに、頷いた。
こっちに来いよ、とその男は馬の手綱を取った。
馬は彼女の予想に反して特に大きな動きも見せず、彼女を背に乗せたまま彼に連れられていく。村人が、また一歩下がり、すぐに各自の家に戻っていくのが彼女の目の端に入った。
それ幸いに、と彼女は彼に言う。
「・・・おい、何でこの子が大人しいのだ。人間に触られるのが嫌いなこの子が」
「君、魔法使いでしょう。多分王都の出身」
「・・・なぜ分かる」
「君の格好を見ればすぐ分かる。気をつけたほうがいいよ、あの人たちは金に目がないからね。明日の朝、朝日が昇ったらすぐに出発しよう。そうすれば日の高いうちに森を出れる」
「・・・おまえも、金に目がないのか?」
「さあ、どうなのかな。さあ着いた。ここが僕の家だ」
「・・・なんでおまえの家に泊まるんだ」
「君が魔法使いだから」
そういうと、彼は彼女を家に案内した。
小さいが、綺麗に整理されていて居心地は悪くはない。
彼女は物珍しそうに部屋の中を見回して・・・あるものに目が留まった。
「おまえの両親は王都にいたのか」
その先には、彼女が慣れ親しんだ王都にしか生えていない花の実があった。乾燥して黒く、硬くなっているが、それはまさしく彼女の故郷にしかないものであった。
そうだよ、と彼は頷く。「僕も小さな頃は王都に住んでいた。いつの間にかこんな田舎に来てしまったけれども」そう言って寂しそうに笑う。「僕はよそ者なんだ。だから少し皆と距離がある」
そうして彼は居住まいを正し、
「今更だけれども、僕の名前はアグダ。君は?」
「・・・セシル。あの子はシリウス」
窓の外にいる白馬を指して彼女、セシルは言った。
アグダはうん、と頷きながら、何となく心に引っかかるものがあった。何となく、彼女のことを知っているような、気がした。
セシルはアグダが自分を見つめている事に気づいて、なんだ、と睨み返す。いえいえ何でもないです、アグダは慌てて目線をそらす。
「夕飯を作るよ。さっき色々買ってきたからね。嫌いなものってある?」
「・・・城では嫌いなものが出なかったから何が嫌いかは分からない」
「え、君・・・城にいたの?」
そうだ。彼女はそう端的に答える。
城に住んでいるって・・・セシルって、かなりの魔法の使い手なんじゃないか・・・?アグダは彼女が何者なのか全く分からなかった。
「・・・飯はまだか」
「って、今作り始めたところだし」
夜、久々のベッドに気持ちよく眠っていたセシルは、物音に気がついて目を覚ました。彼を信用しすぎたか、一瞬彼女は自分の迂闊さを呪った。
だが、よく見ると彼女の荷物が荒らされた形跡はない。物音は、この部屋ではなくって隣の部屋から聞こえてきていた。・・・隣には確かアグダがいたはずである。
彼女はそっと部屋を抜け出し、隣の部屋に近付いた。ドアのわずかな隙間に目を当て、中を覗き見る。
よくは見えなかったが、アグダが何か、作業していた。
・・・心配して損をした。彼女はアグダに気づかれないように、そっと彼女の借りた部屋まで戻った。再びベッドに入り、息をつく。
「・・・おやすみ、レイス・・・」
朝早く、セシルは起きた。だが、アグダはもっと早く起きていたらしい。彼女がリビングに出たときには、もう既に朝食が出来上がっていた。
満足そうにセシルは頷き、食卓につく。
「おはよう、セシル」
「・・・気安く私の名を呼ぶな」
「あ・・・ごめん」
「・・・ん。・・・美味しいな」
「ありがとう」
食事を終えると、アグダはすぐさま食事を片付けて、出発の準備を始めた。
「・・・何でおまえは着いてこようとするんだ?」
準備するアグダの姿を見て、セシルは呟いた。
え、とアグダは中途半端な返事をして、苦笑しながら「まあまあ」と言って会話を無理やり終わらせようとする。
おい、と言い返そうとしたが、一泊の恩義があるので仕方がなく同行をさせることにした。「・・・どうせ途中までなんだから」そう彼女は自分自身に言い聞かせる。
何か言った、とアグダは尋ねてくるが、セシルは何も返さなかった。
肩をすくめながら彼は腰に剣を差した。
「じゃあ、行こうか」
まだ、日は昇っていない。村人に見つからないほうがいいだろう、アグダはそう言ってシリウスを馬小屋から出した。それと同時にもう一頭馬小屋にいた黒い馬を出し、彼はそれにまたがった。
村の端の方にアグダの家はあった。だから、誰にも見られることなく村を出て、再び森の中へと入っていった。
快調に二頭の馬は駆ける。
暫くすると日が昇り始めたのか辺りが明るくなり始める。
「この森には魔物が沢山住んでいる。特に、この辺りは危険が多いんだ。遠回りすれば危険は少ないけれども、ここを通るんだよね」
「・・・そうだ。一刻も早く行かなければならないからな」
「・・・何か、あるのかい?それも、この国に関係のある何かが・・・」
それを聴いた瞬間、セシルの表情が変わった。一気に険しい表情になる。
「・・・もう着いてくるな!」
セシルがそう叫ぶと、シリウスの速度が上がった。「待ってくれ」そう叫ぶアグダの馬を、少しずつではあるが引き離していく。
くそ、と呻くアグダ。彼の目の先のセシルの姿が少しずつではあるが小さくなっていく。だがそのセシルの動きが、止まった。
前方に影が見える・・・魔物だろうか。アグダはセシルに追いついた。
「危ないっ」
アグダは馬の上で器用に剣を抜き放つと、空いている左手でもって空中に簡単な魔方陣を描いた。
その空間が弾け、氷が生まれる。その氷は彼のもつ剣に吸い込まれていった。そして彼は馬の背から跳び、セシルの目の前に立ちはだかる大きな木の形をしながら目や口、手を持つ魔物に斬りかかった。
がきぃんっ・・・
次の瞬間、切り口から氷が迸り、木を氷付けにした。
「セシル、大丈夫?」
「・・・これくらい、私の魔法で消し去れた」
「・・・そう、だよね」当たり前だ。なんて言ったって、彼女は城に住む魔法使いなんだから、こんな所で苦戦なんてしないだろう。
少し肩を落としたアグダの姿を見て、セシルは少し困ったような顔をする。
二人はまた並んで馬を進める。暫くしてから、セシルは呟いた。
「・・・おまえも、魔法使いだったのか」その声には、驚きの色が少し、含まれていた。
「そうだよ。両親もそうだった」
「・・・魔法使いは、王にその存在を届けなければいけない」
「だから僕は小さい時王都に住んでいたんだ」
「・・・存在が認められたからここに移ったのか」
「うーん、どうなんだろう。分からない。両親共にもう死んでしまったから」
「・・・そうか」
魔法使いは王都におり、王の命令を聞くものだ。彼女はそう思っていた。だが、どうやらすべてがすべて、そういうわけではないらしい。
「もしかしたら、僕の親が勝手に移ることにしたのかもしれない。・・・だって、大変なんでしょう、王に直属する魔法使いの任務って」
セシルは少し、考えた。今まで王に命令された事の内容はどういうものであったか。・・・それは、大変なものであったか。
セシルから言わせてみれば、それらは大したことではなかった。だが、他の人にとってはどうだったか。だが、彼女だって、彼女自身が他の人とは少し違っている事は薄々気がついていた。他人の目であったり、聴きたくもないのに聞こえてくる噂だったり、様々な形でそれはセシルの前に現れていた。
「・・・私は特別だから。大変だとは思わない。・・・だが、おまえの両親の気持ちは分からなくもない」
誰からも命令されずに、自由気ままに生きる。それは、セシルが経験した事のない、彼女にとって憧れの生き方だった。
「そっか」
「・・・さっきはすまない。少し、かっとなってしまった」
「こちらこそごめん。訊かれたくない事を訊いてしまって」
二人はそれから暫く無言で馬を走らせていた。
森からははまだ抜けられそうもない。この森は、それほど巨大な森であった。
だが幸いな事に、先ほどの木の形をした魔物のほかは、大した魔物に出会うことなく進む事が出来た。
珍しい事があるものだ、と何回もこの森を抜けた事があるアグダは首を傾げながら呟く。そんな彼と一緒にいるのも悪くはない。セシルは心のどこかでそう思いはじめていた。
馬は駆ける。
落ち葉を踏みしめる音が辺りに響く。木の葉の影から差し込んでくる光は、まだ暫く日が沈む事はないことを告げる。
そして日がそろそろ沈みかけ始めるそのような時間に、二人は森を抜けた。
「んー、久々に草原を見たなー」
一仕事終えたぞ、といったような感じで、アグダは大きく伸びをする。
そうだな、とセシルは頷きかけたが、彼女の目がある人物を捕らえると、彼女はシリウスをそちらの方に向けた。何だ何だ、とアグダは彼女の向かった方へと目を向ける。
そこに、黒銀の馬に乗った一人の人物がいた。黒髪の、黒い鎧を身に纏った騎士であった。
その騎士は、鋭い目つきでもってアグダを睨みつける。
そして、アグダに近付いてきた。
「おまえは一体、何者だ」
・続く・
20061009
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