一緒に歩こう 壱
遠くに王都が見えた。 長い旅が終わる時が来たのだ。 安堵の表情を見せる仲間たち。その中で、裕之だけは違った。 「あの……僕は、もう行きます」 立ち止まり、言う。 皆が一斉に振り返る。どうしたんだ、尋ねる。 「僕はそこには行けないんです……行きたくないんです。でも鷹彦くん、鷹彦くんは大丈夫、ヒトだから」 「裕……?」 「……そうだよね……」 裕之の過去を知る鷹彦は目を落とす。「裕は来ちゃだめだ」それ以外何も言えなかった。 潤と信は顔を見合わせ首を傾げるが、隼人は頭を下げる裕之の姿を見て、ぽんぽんと頭を叩き、 「分かった。また会おう、裕」 裕之はぱっと顔を上げ、笑顔で頷いた。 「はいっ……!」 ……仲間を見送り、その姿が見えなくなった頃、一人平原に残った裕之の元に男が一人やってくる。 その男の登場を予想していた裕之は深く頭を下げて迎える。 「お久し振りです、師匠」 少し表情が強張っているのが自分でも分かる。裕之は恐る恐る顔を上げ、師の顔に目をやる。 師、響輔は裕之の顔を見ること無く、彼の手を掴むとそこに字がびっしりと書き込まれた布をきつく巻いた。 その作業を終えて漸く裕之の顔を見やる。 「これでお前の技を封じた。……もう覚悟は出来ているようだね」 「はい。でも僕は、隼人様と一緒に旅が出来て幸せでした」 その表情を見て、響輔は驚く。思わずそれが口に出てしまった。 「感情を取り戻したのか……!」 屈辱と恨みを晴らすために捨てたはずの感情が、今裕之にある。内心で響輔は喜んだ。 裕之は少し戸惑ったが、 「隼人様のお陰です」 素直に言った。 響輔は表情を緩め頷き、「行こう」歩き出した。 はい、と裕之は続く。 その日の夕暮れ、風ノ宮の屋敷に辿り着いた二人の前に当主が現れた。 額を床につけ、裕之は当主の話を聞く。 話は全て彼への叱責である。そしてそれは師への叱責へ続く。 ──私への叱責に怒ってはならないよ。ここに来る直前響輔は言ったが、裕之の我慢も限界に近付いて来た。拳をぎゅっと握り締め、必死に耐える。 目敏くそれを見つけた当主は、訝しそうに裕之を見やった。 「裕之、どうした」 「……何でも、ありません」 平静を装い返す。 当主はふん、と鼻を鳴らすと、 「処分は追って連絡する。逃げたりその封を外したりしようとすれば、その時は命は無いと思いなさい」 「はい」 ――屋敷を出た二人は無言のまま村から少し離れた裕之の家に向かった。日が暮れればこの村の住人は余り外に出ることはしない。誰の目にも触れること無く二人は家の戸を開けた。 入ったところで響輔が口を開く。 「お前がいなかった間、木乃葉が毎日掃除をしに来ていたんだ」 「そうか……あの箱入り娘がそんなことを……」 驚いたような表情をしてから苦笑しながら裕之は部屋を見回す。彼女に出会った時は彼女の破天荒さに困ったものであったが、彼女変わってきた。 ほんの一時話をした後響輔は「出来るだけ努力はしよう」と言うと出ていった。 頭を下げ響輔を見送ると、裕之は明かりをつけ戸を閉める。 数ヶ月ぶりの我が家はそれまでと何も変わらない……と思ったが、窓際に花が置かれていた。木乃葉が置いてくれたものなのだろう。有り難い。 手に施された封のために手は動かしづらいのだが、彼は何よりも先に花に手を差し伸べた。 ……そんな時、外が騒がしくなった。噂をすれば何とやら、彼女の声が聞こえる。 「掟を破った奴の所に当主の家の奴が来るとは」 やはり彼女は幾つになっても彼女ということか。 おや、と裕之は戸を見つめる。どうやら来ているのは彼女だけではないらしい。 「この声は謙か?」 「兄様、どいてくださいっ」 「何をしようとしているのかお前は分かっているのか?」 戸の前に木乃葉の兄、謙に立ちはだかられ、木乃葉は地団駄を踏む。 「だって裕が帰ってきてくれたんだもの! 裕……裕っ!」 木乃葉にも分かっていた。魔王とかつて取り交わした「不干渉」の取り決めのことを。そして裕之がその取り決めに抵触したことを。彼が罪人であることを。 だが、木乃葉にはそんなことは関係なかった。 裕之が帰ってきてくれたことが嬉しかった。 「兄様の……馬鹿ぁっ!」 木乃葉が謙に突進した。まさかの彼女の行動に謙は何も出来ず、二人は重なり、家の戸をばきりと割って裕之の家の中に倒れ込んだ。 そこには驚き目を丸くしながらこちらを見下ろしてくる裕之が。 謙は「馬鹿はお前だ……」木乃葉に身体の上に乗られ苦しいらしい、悪態をついた。 木乃葉は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、満面の笑みで裕之を見上げる。「裕、お帰りなさい!」謙の存在を忘れ去っている。 最初は唖然としていた裕之であるが、状況が分かると、 「くっ……くくっ……。全く君は何時になっても落ち着かないんだね……ふふっ」 その光景に今度は謙と木乃葉が驚いた。 「裕が笑ってるー……」 出会って以来表情を大きく変える様を一度も見たことがなかった木乃葉である。謙も同じであり二人は顔を見合わせ、また裕之の顔を見上げた。 「木乃葉、立って。謙が苦しそうだ」 差し伸べられた裕之の手を掴もうとして、木乃葉はそこに巻かれたものに気付いた。 「だ、大丈夫、自分で立てるわ」 しまった、と裕之は手を引っ込める。 「──謙、木乃葉を連れて帰ってくれ」 「違うの、裕に触りたくないんじゃないの」 「木乃葉、君の気持ちは嬉しい。でも、お互いの立場を考えてくれ、お願いだ」 「行くぞ、木乃葉」 謙が木乃葉の腕を掴んで歩き出した。彼女は俯き、やがてそれに従う。 二人が去った後、裕之は改めて自分の手を見つめた。 一本一本の指先までしっかりと巻かれた布。布にびっしりと書き込まれた文字は動かすことを戒める力を持つ。この布が巻かれている限り、技を放つことも武器を持つことも不可能となる。 「牢に入れられてないだけ有り難いと思わないと。 ……それよりも、この戸。見事に割ってくれたな、木乃葉。使い物にならなくなったぞ」 寒い季節でなくてよかった。 家の中を一通り見回しても戸に立てるような大きな板は見つからなかった、仕方なく彼は部屋の隅で毛布にくるまって眠りについた…… 翌朝、家に近付く気配で裕之は目覚めた。 「裕、入るぞ」 声と共に響輔が入ってくる。まず最初に、 「戸……どうしたんだ?」 真っ二つに割れたまま壁に立て掛けていた戸板を見て首を傾げている。木乃葉が壊したんだと言うと響輔は苦笑した。 だが彼の表情はすぐに曇る。 裕之の背筋に冷たいものが走った。 「よく聞きなさい」 「……はい」 「……隼人を、殺しなさい」 一瞬息が止まった。 「隼人様を……」 「そう」 「……そんな……」 「すまない……すまない、裕」 「待って!」 裕之は気付いた。 「何故師匠の左手が封じられているんですか!」 自分の両手と同じものが響輔の左手にあったのだ。 響輔はそれを隠そうとするが、裕之は問い詰める。 「……裕之。私はね、お前は間違っていなかったと思っているよ。 私にもう少し力があればお前を苦しませなかったのだが……すまない」 昨日の夜に何を言われたのか裕之には知る由も無い。だが、響輔が自分を守ろうとしてくれたことは分かった。きっと左手の封はそれが原因なのだろう。 もしかしたら自分が村を飛び出した時も同じように守ってくれたのだろうか…… ……師匠を守らなければ。今度は自分が。 「師匠、封を外してください。僕、行きます」 「裕……?」 「お願いします、師匠」 響輔は裕之の顔に決意を見た。 自由な右手だけで響輔は裕之の手に巻かれた布を解いてゆく。 そして解き終わると、彼は懐から金属の腕輪を取り出して裕之の右手首にはめた。 「命令内容が彫り込まれている。お前が再びここに戻って来た時に外そう。 ……行きなさい」 無言で頷き、裕之は駆けて行った。 「裕……私はお前を守れなかった……」 ――昨晩の事であった。 「──あやつ、感情を持つようになったな」 当主のその言葉に響輔の身体は震えた。嫌な予感がする。 「……折角感情を持たない<最強>の忍になったというのに、勿体ない。 あやつには感情は必要ない。原因を抹殺させなさい」 たまらず響輔は当主を睨んだ。当主の側にいた謙も驚きの表情を当主に向けている。この場にいる誰もが驚き、絶句していた。 その中で当主だけは違っていた。 「不服そうだな、響輔?」 何がなんでも自分の思惑を実行させたいようだ。 「元はといえばお前が奴を監視していなかったからではないか?」 「……っ」 「これは決定事項だ。いいな」 言い放つと当主は立上がり、響輔を睨み付けてから下がって行った── 「響輔さん」 顔を上げるとそこには謙がいた。「裕は……?」と聞かれ、彼はがっくりと肩を落とした。 それで謙も察したようだ。 「あの人は、おかしいと思うんです」 謙が言う。彼の言う「あの人」とは当主の事だろう。響輔も静かに頷いた。 「裕を助けたかったです……」 俯き、謙は拳を強く握り締めた。 「もう一度裕から感情が消えたら、多分二度と感情は戻ってこないだろう」 響輔は何よりもそれが恐ろしかった。 |