第三話  若葉は限りなく生まれつづけて





『ひさし、どこへ行くの?』
 白が久の腕の中から尋ねてくる。
「んー、どうしよっか……」
 空を見上げながら久はつぶやく。まるで他人事のように。
 やがて視線を元に戻すと、
「たまには色々なところをぶらぶらしようか」
 そう言って、笑った。
 またいつ何が起こるか分からないから、何もないときはゆっくりしよう。


 潮のにおいが風に乗って流れてくる。
 海鳥が、空を舞っていた。
 ウィンが風を受けて気持ちよさそうに舞い上がり、そんな彼女の美しい姿を白は目で追っていた。
 この小高い丘を越え、小さな森(林、といっても差し支えないかもしれないほどのものであるが)を通り抜けた所に、今日の目的地がある。
 それは小さな港町。
 何も考えずにぼーっと過すにはいいところだ、と久は思ってここに来た。
 王都の雑踏の中よりこちらのゆったりと時が流れる空間に、久はいたかった。
(義父さんにも舞にもあんなことをいってしまったけれども……)
 彼の本心は、
(怖いよ。あんな奴が敵だなんて)
 なのであった。
 砂漠で一瞬だけ刀を交えたことを思い出すと、今でも身震いがする。
 だが、歯車はもう既に回り始めていた……久もそれは分かっていた。


 町に足を踏み入れると、いつもは静かなこの町が少し騒がしいことに気が付いた。
 いつもとは違う空気に戸惑いながらも久は町に入る。
 ……少し、嫌な予感がした。
 やがて、町の中心から、一人の男性がこちらにやってきた。それも急いで。
 嫌な予感は更に高まった。
「旅のお方!海から現れた化け物から私たちをお救いください!」
 彼はそう叫び、久の手をとった。そのまま、久の反応をも見ず、彼は一行を町の中心、湊まで連れて行く。


 その少し前、海から顔を出す魔物について、町の人々は話をしていた。
 一体どうすればいいのか。
 すると、遠くから声がかかる。
「それは、こちらが大人しくしていれば陸には決して近付かない。心配する必要はないだろう、放っておけばいい」
 町人は振り返って声の主を見やる。それは黒装束を身に纏う、近寄りがたい雰囲気を持つ男であった。……だがその顔は美しく、更に持つ雰囲気をおかしくする。
 それに対して一人の町人が怒った口調で男に詰め寄ってくる。
「奴のせいで俺たちは船を出せない!この近くの魚はどこかへ行ってしまった!それを放っておけだと!」
 その町人は今にも男に殴りかかりそうな表情であった。そんな彼を他の町人が必死になって止める。
「それならば仕方ない。私にはどうしようもできないな」
 男は素直に無礼を侘びると、すっと姿を消した。まるで元からこの場所に男はいなかったかのように・・・
 町人たちは一瞬の出来事に目を見開き、唖然とする。


 海岸まで半ば強引に連れてこられた久たち。最初は久の腕の中の白に人々は恐れをなしたが、すぐに彼の可愛さに思わず頬を緩める。
 説明を聞き、海の魔物に目をやった瞬間、久の表情が変わった。目を細め、冷たい表情でその魔物を見やる。
 左手を鞘にやり、右手を刀の柄にかける。
 魔物までの距離はざっと100メートルほど。しかし魔物は海の中。どうやってそこまで行こうというのか。
「ウィン」
 彼はウィンに呼びかける。彼女は今までの彼との行動の中で彼が何をしようとしているのか、分かるようになっていた。彼女は頷くと、彼の足元で風を起こす。
 その風は渦を巻き、久の身体を持ち上げる。彼は慣れた様子でバランスをとり、合図する。
 すると、ウィンがその風を動かし始める。
 海上を風のように進む久。その隣にはウィンが付いている。陸に残された白は胸の前で手を合わせ、二人の無事を祈った。
 すぐに魔物の元にたどり着く。するとその魔物はすぐさま海中に潜り込んでしまった。
 一瞬ののち、久のまわりに何本もの水柱が立った。威嚇しているのだろうか。
 だが久はひるむことなく刀を抜くと、大きく息を吐き、呼吸を整え、精神を集中させる。
 刀を振り上げ、海面に向けて思いっきり振り下ろした。その風圧で久を中心として大きな波が生まれる。
 更にその場所に久は、
「行ってこい、<鷹(ホーク)>っ!」
 続けざまに刀を振るうと、蒼く輝く鷹を生み、海中に潜り込ませた。
 やがて暫くすると再び鷹が空に戻ってくる。と同時に四散した。
 海面が大きく揺れた。
 次の瞬間、久の目の前に巨大な水柱が立ち、そこから何かが大空へ飛び出した。
「――!」
 久は言葉を失った。
 先ほどまで水中にいた魔物が一瞬にして大空高く舞い上がってしまったのだ。
 それは美しい姿をしていた。まるで魚のような姿をしながら、しかしそれは宙を優雅に舞っていた。大きな翼を広げたそれは、まるで水晶のように輝く瞳を、久に向けていた。
 久は息を呑み、魔物を見つめ返すのみ。
「馬鹿!」
 ウィンが久の髪を引っ張りながら叫ぶ。
 久ははっとなり、刀を振るい、蒼く輝く獅子を生み出すとそれにまたがる。
 獅子は真上にいる魔物から少し距離を置くところまで動き、久を見やった。どうする?その目はそう久に言っていた。
「やばいよ……あれはやばいよ」
 ウィンはささやく。
「知っているの、奴のこと?」
 久は彼女に尋ねる。
「奴は……セクメト。通称<戦闘の申し子>。最悪よ、上級魔よ奴は……」
 それに久は応えなかった。その代わり大きく深呼吸をし呼吸を整えると、獅子の首筋をぽん、とたたき合図する。獅子は大空へ文字通り駆け上がった。
 その途中で久は獅子の背を蹴り、高く跳ぶ。その背をウィンが風で押した。
 セクメトの手が久に迫る。
 久は刀を振り上げて・・・全力で振り下ろした。
「破っ!」
 ぎんっ!
 久の刀とセクメトの鋭い爪がぶつかり合って鈍い音がした。
 予想以上の力で打ち合ったためにものすごい反動が久を襲う。彼の身体は大きく後方にとんだ。
 その先には回りこんでいる獅子。久は再び獅子の背に身体を預けた。
「ウィン、弱点とか分かる?」
 利き手である右手がしびれたために刀を左手に持ち替え右手をふらふらと振りながら久は尋ねる。
 ウィンは久の頭の上に降りて腕組みをしながら考え、
「うーん……聞いたことがないわ、ただ、怒らせるとすっごく危険みたいよ」
「これって確実に怒ってるね」
「うん、確実にね」
 そういっている最中にもセクメトは久を襲う。
 ただ獅子が間一髪で避けたり、ウィンが風を起こして攻撃をそらせたりしてくれているお陰で久は消耗をしない。
 やがて、至近距離では効率が悪いのか、セクメトは自ら久から距離をおく。そして身体を大きく振るわせた。
 一体何をするつもりなのだろうか。



 町の近くの森の中からその様子を見ていた黒装束の男の表情が変わった。
「あれは、まずい。このままだとあの子は死ぬ」
 呟きながら、動くか否かを考える。
 助けるなら今でないと無理だろう。
 だが……
「……隼人様に、似ている……。あれに耐えられる力を持つのなら、あの子は……」
 口元に手をあてながら彼はぶつぶつと呟く。……そして、もう少し様子を見ることに決めた。



 セクメトは身体をいっぱいに広げた。
 久ははっとなる。セクメトの身体に溜まったエネルギーに今気が付いたのだ。それは身体から漏れ出すほどのエネルギーをセクメトは貯めている、ということを意味する。
「久!逃げよう!今じゃないと間に合わない!」
 ウィンもそれに気づき、叫ぶ。
「駄目だ、そうしたら町の人たちが危ない!」
 久の言葉にウィンは背後を振り向く。……そこには、心配そうにこちらの様子を見守っている湊町の住人たちの姿がある。
 その時、セクメトが絶叫した。
 その瞬間に久に向けて強大な光の塊がとんできた。それは、ばちばちと火花を散らしながらすさまじい勢いで迫ってくる。
 だが久はそれに臆することなく光に突っ込む。刀を構え、
「……っああぁぁぁっ!」
 振り下ろされた久の刀が光に触れた。ばりばりと音がする。すさまじい反動と衝撃が久に伝わる……
 だが彼は歯を食いしばりそれに耐える。絶えなければ死ぬ。そして背後にいる人々も死ぬ。そう思うと、諦めることなんてできなかった。
 いつも蒼く輝いている刀が、突然、真っ白に輝きだす。
 久は全力で刀を振り下ろした。
 途端に目の前が開けた。



セクメトの放った強大な光は久の背後で爆発する。爆風に押されて獅子は少し前方に移動する。
 大きく息をつこうとしたその時、セクメトの影が久にかかった。頭上を見上げるとそこにはこちらを見るセクメトの姿。彼が光に目を向けている間にセクメトはもう次の準備を、久を抹殺する準備をとっていたのだ。
 鋭い爪が久めがけて振り下ろされる。
「久!」
 悲鳴に似た声をウィンがあげた。
 同時に久は海にめがけて落下を始める。
「!?」
 最初久は何が起こったのか分からなかった。だがすぐに獅子が彼を振り落としたことを理解した。
 獅子の身体がセクメトの爪によって切断される。
 蒼い光が漏れ出した。
「レグルスぅっ!」
 久が叫んだ。
 そんな久の目に飛び込んできたものは、どこからかとんできた何かが獅子の背に刺さりセクメトを巻き込んで爆発した光景であった。
 それと同時に、久の身体は海に沈んだ。



「――っ、はあっ……」
 暫くして海面から顔を出す久。そんな彼の元にウィンが舞い降りてくる。
「大丈夫?」
「それより奴はっ?」
「どこかに飛んでいってしまったわ。……それよりも、見えた?何かが飛んできたわよね、あれの所為じゃないかしら……?」
「うん……見えた。あれが僕のレグルスを爆発させた……あれは一体なんだったんだろう……?」
二人が互いに首をかしげているその時、少しはなれたところから声がした。
『ひさしー、ウィンー!』
 白である。
 町人が出してくれた船の上で白が叫んでいる。
『よかったぁ……よかったぁ……』
 白は今にも泣き出しそうであった。船に引き上げられた久の腕の中にすぐさま飛び込むと、いとおしそうに頬擦りをする。
 その船は町の桟橋に戻ろうと動きはじめた。……そしてその途中、久は自分に向けられた視線に気が付いた。それは町の方向から向けられたものではなかった。
 久がその方向、海の近くの森の中の小さな崖、に目をやると、こちらを見下ろしてくる男と目が合った。
(……何だ、あの人は……?)



 翌日、何度も礼を言い、久を引きとめようとする町人たちに挨拶し、久たちは港町を発った。
「ゆっくりするつもりが、大変なことに巻き込まれちゃったわね」
 そう言いながら久の周りを飛ぶのはウィン。
『でもおいしいおさかなたべられたしっ』
 皆が無事でその上おなかいっぱいご飯を食べられた白は上機嫌。
 くすくす、と微笑む久だが、森の近くに来ると表情を険しくし、道を外れると森の中に足を踏み入れる。「どうしたの?」とウィンは尋ねるが久は応えなかった。それに何かを感じたのか、ウィンの表情が険しくなる。
 白を抱え、道なき道を歩くこと数分。昨日謎の男の姿を見つけた小さな崖に出る。
 今まで緑の木々のみであった視界が急に開けた。――目の前には真っ青な海が広がっている。
 うわあ、と歓声を上げる白。一方久とウィンはあたりの気配を探ったり、あたりを見回したりした。
 やがて、久は振り向き、言う。
「昨日の人ですよね?」
 木々の間から黒装束の男が姿を見せる。
「何を投げたんですか?」
「……彼を追い払うためだ」
 男の答えはそれだけであった。その声に冷たい印象を久は受ける。
 二人は黙り込んだ。
 やがて、少し戸惑いながら、男は言った。
「……君は、私の知っている人に似ている気がする……」
「……?」
男はそれだけ言うとまた少し黙って、再び口を開いた。
「……隼人様に、似ている……」



「君はまるであの方の残した種が大きく育ち、大輪の花を咲かせたように見える」




続く
20051008
20070711改訂


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