第四話  夢ばかり見ていた





 黒装束の男はそう言ってからかぶりを振ると、「今のことは忘れてくれ」と言った。
 しかし久は逆に男に詰め寄る。
「隼人って……神隼人ですよね!」
 そんな久の行動に男は少し戸惑ったようだ、表情をかすかに変える。
「隼人は、僕の、祖父なんです!」
 そして久のこの言葉によって男の表情には明らかに動揺の色が浮かんだ。ウィンはそんな男の様子を見て不審がる、だが久は全く気にした様子は無かった。
 男は額に手を当て「信じられない」と唇を動かす、声は、出さなかった。
 そんな男の様子に全くお構い無しに、久は更に言葉を続けた。
「両親が殺されて、そのあと義父さんに……潤に育てられたんですっ」
 その言葉は男に更なる動揺をもたらす。だがやはり久はそのようなことが見えていないらしい、男の手をとって話し続ける。
 だがその話は男の耳へは入っていかなかった、彼の頭の中は別のことでいっぱいだったのだ。
(……潤様、それでは、先日貴方がおっしゃった「子供が巻き込まれる」、というのは……この子……!)
 そう思うと、彼は目の前が真っ暗になるかのような感覚を受けた。
 先ほどからの男の不審な様子を見ていたウィンは、久の全く注意を払わない様子に痺れを切らし、男の手をとってまくし立て続けている久の目の前に舞い降りると、
「久、落ち着きなさい!」
 大きな声で叫んだ。
 久は目を丸くし、ウィンの姿を見やる。それから、大きく息を吐いた。少し落ち着いたらしい、手を離し、数歩下がって、改めて男を見やる。
「す、すみません。僕は、神隼人の孫、神久。あなたは……?」
「……山崎裕之」
 男、裕之はそれだけ返した。ウィンがむっとした表情を見せる、が、今度は久が彼女を制した。
「隼人とは、どんな関係なのですか?」
 久は潤から裕之という名の人物の事について聞いた事が無かった。
 すると、男は目を細め、顔を上げると少しの間考えていた、そして、言葉をその場で選んでいるかのようにゆっくりと、言う。
「……そうだね……一時期、一緒に行動した、戦友……そういえば、いいのかな」
 彼の表情は寂しそうに翳っていた。まるでそのことを思い出したくはないかのように……
 それを聞いて久はまた興奮し始めた。裕之の表情には目を向けず、
「それでは、義父さんや信さんとも……!」
 更に裕之の表情は翳った。俯き、表情を険しくし、久に背を向けて、小さく呟く。
「お二方のことはよく存じ上げているよ」
 そう言うと、彼は歩き出してしまった。森の中を音も立てずに歩いてゆく。
 追おうとした久をウィンが止めた。
「胡散臭いよ、あの人」
「大丈夫、もしかしたら義父さんが教えてくれないことを知っているかもしれないし!」
 そう言ってウィンに笑いかけると、久は白を抱え彼を追う。その後ろを、納得いかない表情をしているウィンが続いた。
 裕之は全く足音を立てず、すばやく進んでいく。久は走って彼を追う。
 彼の隣に並び、声をかけようと彼の横顔を見た久だったが、その表情、全くの無表情、を見て、声をかけるのをためらってしまった。少し後方に下がり、彼に続くことにする。


 そのまま、裕之と久たちは森を抜け、大平原に出た。この大平原はこの国の中央部を占める巨大なもので、馬車や旅人が行き来するために平原の端のあたりには道が作られている。また、旅人のための市がひらかれている他にも、宿もあちらこちらにある。だが昼間はいいが、夜は何が起こるか分からない、少し危険なところでもある。
 今は陽の光が照りつける時刻。遠くには走りゆく馬車の姿も見えた。
 裕之は大平原の中央に向け進む。そちらには道は無く、危険を冒そうとする旅人以外通りはしない。
 暫く歩き、やっと裕之は足を止める。
 そして久を振り返り、
「君、俺には関わらない方がいい」
 そう言い放った。
「山崎さん……?」
 久は理由が分からず首をひねる。裕之は数歩、前に出てあたりを見渡し、やがて一点に視線を定める。
 その時、久は感じた。
 強い殺気の塊を。
 それは久の前方、裕之の視線の先に現れた。
『!』
 久の腕の中の白の身体が大きく震えた。久を見上げ、言う。
『あいつ!ひさしっ、あいつがっ!』
 白の母親を殺した何者か。久が砂漠で出会った人影――
 それはまさしく、今、久の前方に現れた魔物そのものだった。
 久の胸の鼓動が高まった。白をおろすと刀に手をかける。
 彼の肩に乗っていたウィンもふわりと飛ぶと、じっとその魔物を見つめる。
 久は今にも飛び出しそうな様子であった。白は、憎しみを込めた瞳で魔物をにらみつける。いつものかわいらしい彼とは全く違った。
 そんな久たちに対し裕之は、手で制し、一歩前に更に出る。
「……何か用か、ワズン……?」
 彼は冷たい口調でその魔物、名前はワズンというらしい、に言い放つ。
 すると、魔物ながら人型をしている(ただ、持っている雰囲気、威圧感はまさしく彼が魔物である、ということを示している)ワズンは、大きく頷くと、両手を広げ、裕之を迎えるしぐさをした。
「我らが王が目覚めた。王は裕、君に会いたがっている。さあ行くぞ、あの方の元へ」
 久はそれに驚いた。ウィンが彼の耳元で「やっぱり怪しい!」とささやく。
(我らが王……それって、死んだはずの魔王だろ?なんで、山崎さんを……!)
 裕之の後姿しか見えないために久は彼がどんな表情をしているかは分からなかった。だが、そんな彼の後姿を久はじっと見詰める。
 裕之とワズン、そして魔王。この関係は一体どうなっているのだろう?隼人と行動を共にした裕之は魔王たちにとって敵ではないのか?久の頭の中にそれがよぎる。
 反応の無い裕之に、そのことを予想していたような感じでワズンは肩をすくめる。そして、一歩、裕之に近付き、にやりと笑った。
「……力づくでも連れて来い、と命じられているのでね」
 途端、弾けるように裕之が動く。少し後ろに跳んで右手で久を抱え、左手で白の腕をつかみ、ウィンには「小妖精、遠くに行け」と叫ぶと、彼は大きく右に跳んだ。
 着地した瞬間に久と白から手を離し、その手を懐に入れ、小刀を取り出した。跳躍の勢いを殺さずにそれを投げる。
 次の瞬間、彼らの前の空間が大きくゆがんだように見えた。裕之の小刀が途中でまるで上から何かでたたきつけられたように真下に落ちる。そしてそれは跳ね返りもせず、地に吸いつけられるように落ちた。
 久は何が起こったか全く分からず、息を呑んでいたが裕之はそんな久に目もくれず、ワズンに立ち向かってゆく。
「無関係の子を巻き込まないで欲しいものだ」
「ふふ、君ならその子は誰だか分かっているだろう?彼はもう十分関わっている」
 それに裕之は小さく呻く。それを久に感づかせないために彼は質問を変えた。この間にもワズンの不可解な力は現れる。裕之は次々に場所を移動しながら、
「……っ、ワズン、お前のその重力を操作できる領域はどのくらいなんだ」
「ふふ、君は優しい。彼に私の力の正体を教えてあげるなんて」
 ワズンは久を見つめ、言う。久はその目を見つめ返す。
 そう、ワズンは一定区域の重力を操ることが出来るのだ。先ほど、空間がゆがんで見えたのは重力がそこだけ突如重くなったからである。
 久は立ち上がると刀に手をかけた。その目はまっすぐワズンに注がれる。
『ひさしっ』
 そんな久に白が呼びかけた。彼が振り向くと、そこには、また別の魔物の姿。だがこちらはワズンのような人型ではなく、獣の型をしていた。
 その二本足で立つ魔物を見た瞬間、久の頭の中に、ある光景がよみがえってきた。



 ――目の前に突如現れた魔物。
 牙を振るい、家の中を荒らす。
 父親が刀を抜いた。一方母親は子供を抱きかかえ物陰に潜む。
 子供は目を瞑り、ただ震えていた。そんな彼の耳に入ってくる音は……
 何かが打ち合う音。
 何かが飛ばされ、壁に打ち付けられる音。
 みしみしと床が鳴る音。
 父親の喚き声。
 そしてモノを喰らう音。
 母親は子供を家具の隙間に押し込むと、魔物たちの前に姿を晒す。
 辺りが急に冷たくなった。彼女が氷の魔法を放ったのだ。
 だが、それは魔物たちに対して大きなダメージを与えることは出来なかったらしい。魔物が何かを大きく叫んだ。
 そのとき入り込んできた人影があった。
 彼は動揺を見せながらも魔物と相対する。彼は槍を振るい、魔物を屠ろうとする。
 すると魔物は、ばっ、と身を翻すと壁を突き破ってどこかへ去ってしまった。
 男はそれを追おうとはせず、すぐに母親に駆け寄った。
「……ひさし、を……」
 彼女はかすれた声でそう言い、ゆっくりと呼吸を止めていった。男は彼女の呼吸が止まるまで、彼女の手を握っていた――
 やがて、彼女が息を絶やすと、彼は彼女が最期に指を向けたあたりに向かう。そこはキッチンスペースらしく、家具が多くあった。
 小さな隙間を覗き込むと――少年と目が合った。その瞳は恐怖に震え、男に対しても近付くことを拒否しているようだった。
 だが男はそんな彼の腕をつかむと強引に隙間から引っ張り出し、顔を胸に押し付けた。彼の両親の変わり果てた姿など、見せたくなかった。



 ――あれは、あのときの――
 久の心の奥底に思い出さないようにとしまわれていた忌々しい記憶がよみがえった。



 裕之は新たな魔物の出現になど目もくれず、ワズンにだけ注意を払っていた。
 彼は上級魔の中でも上の位であり、<魔王の片腕>と呼ばれている。それほど、彼の力は強大であり、その力は魔王と同程度である、といわれているほどである。
 立て続けに何本もの小刀を投げつける裕之。さすがに沢山の小刀には対応が遅れてしまい、初めてワズンは身を捩ってそれをかわす。
「やはりこの身体だと力が目一杯使えない。悪く思わないでくれたまえ、裕」
 ワズンはそう言うと彼の周りの重力を一気に変えた。しかし彼はその中でも何事の無いように佇んでいる。裕之は舌打ちした。
(これでは、まずい……)
 だが、そう思っている瞬間に、ワズンの身体が変化をはじめた。
 背には大きな黒い翼。表情は人間からかなり遠ざかり、牙が大きく唇の外に出た。瞳は色をなくし、身体は一回り大きくなる。威圧感が更に増した。
 ――これが、ワズンの本来の姿であった。翼を羽ばたかせ、宙に浮かぶ。
 一方裕之はワズンの姿が変わり始めた頃からそれに対する準備を始めていた。左手で印を組み、その拳を一瞬ぎゅっと力強く握る。そしてその掌を彼は地面にたたきつけた。
 途端、その地面が盛り上がる。それはまるで生きているかのように盛り上がり続け、宙に浮かぶワズンを貫こうと先を尖らせながら更に盛り上がる。
 だが、それはワズンに触れようとした瞬間、彼の放つ重力によってすぐに崩壊した。土が、ありえないほどの速さで地面に落ちる。
 しかしそれは裕之が予想していた範囲のことであった。最早ワズンに物理的な攻撃が効くとは思っていなかった。だから彼はその前に別の準備をしていた。両手で印を組み、その手を握るそしてその手が再び開かれたとき、彼の掌の上では雷が弾けていた。
 その姿はワズンからは土の山が邪魔をして見ることが出来なかった。だから、土が落ちた時、裕之の術は放たれていた。
 ワズンは自分に四方から飛んでくる雷を見、一瞬表情を崩した。だがすぐに更に高く飛ぶと大きく後ろに下がる。
 同時に四方から飛んできた雷がぶつかり合い、空に閃光が奔った。
(しかし、これからどうする。ああなってしまったワズンの攻撃範囲はかなりの広範囲になる、このままでは……)
 視線の先でワズンが笑った。それは勝利を確信した笑みに見えた。彼が遠くで手を上げる、すると……
「ぐっ……」
 裕之は上から何か強大な力で押さえつけられる感覚に陥った。ワズンの力を受けてしまったということはすぐに分かった……だが、最早どうすることも出来なかった。立つことは出来ず、膝をつく。腕で必死に身体を押さえ、抵抗を試みる。
「無駄だよ、裕。ふふ、少し無理をしてしまったよ、こんなに消耗したのは久しぶりだ……」
 気づくと、ワズンは目の前に居た。
 ワズンの手が裕之に伸びかけた瞬間、それは突如として起こった。
 すぐ近くに巨大な殺気が膨れ上がったのだ。
 ワズンは思わず力を緩め、それに見入る。力が緩まれたので少し自由が利くようになった裕之も、そちらを見やる。
 その目に入ってきたものは――
「……久君!」



「お前は……父さんと母さんを殺した……」
 久は刀を抜いた。
『んん?覚えていたのか、それは好都合、あのあと俺は魔王様にこっ酷く叱られてな、今までずっと謹慎させられていた。その間、お前を残してきたことを残念がっていたよ、はは』
 久はその魔物に近付く。刀を上段に構え、色の無い瞳でそれを睨んだ。
『魔王様は争いを好まぬ方だからな、だがしかし俺は我らの魔王様を傷つけたお前らの血が気に食わない』
 そう言って魔物も構えを取る。
 そんな状況をウィンと白が心配そうに見つめる。久との付き合いが長いウィンであれこんな久の状況は見たことが無かった。
 無言で久は刀を振り下ろした。魔物は間合いに入ってはいない。
 だが、振り下ろされた久の刀から飛び出したものがあった。
 それは光る<地龍>であった。……それは大きな口で魔物を一飲みすると、すぐに消えていった。
『かあさん……』
 呟いたのは、白。
「……っ……」
 久はそのまま地面にうずくまった。
 背中が震えていた。



 ワズンが言った。
「なんて力だ……裕、今回は君のことに関る状況ではなくなった。また今度、君があの子と一緒にいないときにまた会おう」
 裕之が応える。
「……あの子は、隼人様以上の力を持っている……やはり、彼の元へ向かうことになってしまうのか……可哀想な運命だ、あの子も、俺も、お前達も……」
 ワズンは「そうだな」と呟くと、ふっと姿を消してしまった。
 残された裕之は振り返り、久の姿を見つめる。



 その小さな身体に、無限の力を持つ青年は、泣いていた。




続き
20051015
20070711改訂


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