第五話 春雷





 ――陽が西の空に沈み始めた。
 夕焼けが姿を現し、闇が降りてこようとしている。
 そんな時に、大平原に立つ二人の男。


「……君……」
 少し躊躇いながらも、裕之は久に声をかける。
 暫くしてようやく泣き止んだ久は、頬をぺしぺしと叩くと、振り返り、少しぎこちない笑みを顔に浮かべた。彼が少し無理している、ということはウィンには見え透いていた。
「大丈夫……少し、驚いただけだから」彼はそう言うが、ウィンは心配でならなかった。
 しかし裕之はそれには全く反応しない。ただ、寂しそうに目を細めて久を見やるのみであった。
 風が、吹いた。
 冬の空気がまだ残っていたのか、少し寒い風だ。ウィンは身を縮める。
 沈黙が降りた。久も裕之も、口を開こうとはしない。
 白とウィンが顔を見合わせて肩を落とす。仕方なく、彼女は口を開いた。
「それより、どうするの、これから?もうすぐ夜になってしまうよ、ここは危ない」
 昼は光が照りつけ、見通しのよい、さわやかな風が吹き抜けるこの大平原であるが、夜になるとそれは一変する。ひとたび闇が降りると、ここは様々な獣が闊歩する危険な土地となるのだ。
 そんな平原の中に彼らはいる。陽は既に沈みかけている……早くどこか、街や村、とにかく安全なところへ行かなければ……そう、ウィンは思っていた。
 ――意外にも、それに賛成したのは裕之であった。
「……そうだ、ここは危ない」
 しかし、それは久の期待を裏切る言葉であった。
「君たちは早く、行きなさい」
 そう言って、前髪を書き上げる裕之。そんな彼に久は食って掛かる。
「「君たちは」って!山崎さんはどうするのですか!」
 先ほどの沈んだ雰囲気はどこへ飛んでいったのか、必死に裕之に言葉を投げかける。
 その彼のあまりにもの急激な変化に、白とウィンは言葉も出ない。ただ、彼の行動を驚きながら見守るのみである。
 そんな彼の態度に少し嫌な表情を浮かべる裕之は、久の手を弾くと、
「君たちには関係の無い事だ」
 それだけ言うと、彼から離れ、一人、歩き出す。
 久は白を掴むとすぐにそれを追った。
 仕方なくウィンもそれに従うが、彼女には久があまりにも裕之に拘りすぎる事が不思議でならなかった。何故彼にこだわる必要がある?思わずそう問いたかった。
(だってあいつ怪しいよ!潤さんと同じくらいの年齢のはずでしょう?なのにあいつはどう見たって40代には見えない……どう見たってカナリアぐらいだよ)
 そう、裕之の姿はどう考えてもおかしい。彼がもし本当に隼人等とともに闘ったのならば、最低でも年齢は40代半ばに入っているはずだ。彼らが闘ったのは25年前なのだから……。しかし彼の姿は若い、青年とも言っても差し支えない程である。
(騙そうとしているんだ。魔物と知り合いだったし、久を狙っているんだろう?)
 ウィンの目が、前を進む二人に注がれる。
 相変わらず久は裕之を何としても引きとめようとしていた。関係ないだろう、そう言う裕之に、彼は「駄目です」、と叫ぶ。
(あいつの方から離れようとしているんだから、さっさと離れちゃおうよぅ、久っ)
 そう心の中では言ってはいるが、久のあまりにもの裕之に対するこだわりを見ると、そうとは口を出せないウィンである。心配そうに彼を見やることしか出来ない。
 やがて久は、裕之の腕をしっかと掴み、
「もういいです、僕が山崎さんを連れて行きます!一緒に行きますよ!」
 そう叫ぶ。
 離れようとする裕之の腕を両手でしっかと掴む。裕之の腕の中に、久の腕の中にはいられなくなった白が移動する。こうなっては説得は無理、と思ったのか、裕之は肩をすくめた。
 ふわり、とそんな裕之の肩にウィンは舞い降りる。そして、久には聞こえないように、久とは反対側の耳元で彼女はささやいた。
「私はあなたの事信用していないから」
 一瞬彼女を見やった裕之は、それでいい、と言いたいのか、かすかに頷いた。
 そんなやり取りには久は気を向けない。ただ、裕之に色々と尋ね続けるだけである。


「ねえ山崎さん、隼人ってどんな人だったんですか?」

「ねえ山崎さん、どんな道のりを通っていったんですか?」

「ねえ山崎さん、出会いは一体どんな感じだったんですか?」

 質問は沸き出で繰るかのように続く。
 ウィンは少し、裕之に同情した。いったん気になったらそれを知るために色々調べる、久はそんな性格を持っていた。
 白はあきれたように久と裕之の顔を順々に見やる。
 あきれながらもウィンは久を止めようと裕之の肩からふわりと飛び出す。
 その時、白は裕之に尋ねた。


『ねえ、おじさんはなんでそんなにこまった顔をするの?』


 空気が止まった。
 裕之は顔を背け、久は口を噤む。白は首を傾げ、ウィンは大きく息を吐き、裕之の肩に戻った。
 沈黙があたりを支配した。
 夕焼けは、あと少しで姿を消す。


 ――夜は、近い。


 一行がやってきたのは<違法都市>。
 その頃には陽はとっくに暮れていた。しかし、この街が動き出すのは陽が暮れてからであった。この時間からがこの街のもっとも活気ある時間なのだ。
 中央に居座っていた者が消えても、この街は十分機能している……ここは、そんな街だった。


 街灯も何も無い大通りを進む久たち。
 人通りは少ないが、周りの家々からは薄暗い光と、話し声が漏れてくる。
 久はなれたように前を歩き、その後ろに白を抱え、ウィンを肩に乗せた裕之が追う。
 あれ以来、一言も会話をしてはいない。久も裕之から離れ、気まずいのか彼を見ないように、前を歩いていた。
 そんな裕之に声が掛かる。この街ではよくある風景である。
「どうだい、少し遊んでいかないか?今日はいいのがいるよ」
 そういいながら彼の方に手を掛ける男。
 そんな男に冷たい視線を向けながら、彼は男の耳元でささやいた。
 ただ一言。
 その声はウィンにも白にも、勿論久にも聞こえなかった。
 男は慌てて彼から身を引くと、まるで逃げるかのように走り出し、すぐに街を包む闇の中に消えていった。
 裕之は、一瞬だけ不思議な笑みを浮かべる。まるでそれは自嘲的な笑みのようだった……


 やがて久は街のはずれの方にある旅人たちの使う宿の前で足を止めた。
 ここでいいですか、といった感じで彼は裕之に目線を送る。彼は裕之が承諾してくれるだろう、と確信して彼を見たが……
 裕之は、違った。
「……やはり俺はここで失礼するよ」
「なぜですか!」
「だから、君、何度も言わせないでくれ」
「嫌です。僕はあなたの話を聞かせて欲しいんです。それに……山崎さん、僕は、山崎さん、あなたのことが知りたい。あなたは僕に何かの感情を持っている。僕だって、あなたに……」
 久がそこまで言った時、裕之はすう、と瞳を閉じた。
 彼の瞳が再び見開かれた時、彼の周りの空気が動いた。
 既に終わったはずの冬が再び舞い降りたかのごとく、急に辺りが寒くなる。久はそれに気づき身震いすると、言葉を止めて空を見上げた。
「山崎さん……?あの、何か悪いこと、言いました……?」
 おずおずと声をかける久。
「寒いですし、休まないと……。さあ、行きましょう」
 宿を指差し久は裕之に言い彼に手を伸ばしかける。……しかしその手を彼はばしん、と打ち落とした。
「あのねえ、久はあなたのためを思って言っているの!それを何よ、あなたは一体何を考えているのよ!」
 裕之の行動に我慢しきれなくなったウィンが思わず叫んだ。彼女は彼の耳元でそう叫ぶと、えいえい、といった感じで彼の髪の一部を掴むとそれを思いっきり引っ張った。
 すると、彼女の身体に変化が起こった。彼女は慌てて掌を見ながら上空に上がると久の元に舞い降りる。
 大丈夫か、一体どうしたのか、と久は彼女を掌の上に乗せる。すると……
「きゃあっ!」
 彼女の手は冷たく、肌は少し凍っていた。
 久は慌てて裕之を見やった。
「一体何を……!」
「君、……君は言葉で俺を苦しませる」
 二人同時に言う。
 久は言葉を続けることが出来なかった。彼は裕之の言葉に、胸が刃物でえぐられたような感触を受けた気がした……胸が痛む。
 裕之の言葉は感情も何も無い、ただ、冷たい言葉であった。彼の表情には苦痛の色が見て取れ、そして憎しみの色すら見て取れるほどだった。
 そしてそれに呼応するかのごとく、一段と寒さが増した……そんな気がした。
 そんな季節外れの寒さに、二人がいる街のはずれの大通りの中の宿屋街の周りにいる人の気配も絶えた。
「……君、こちらに来い」
 裕之が言った。
 そして彼は更に人がいないところへ向かう。


 宿屋街の近く、本当の街のはずれ。街を囲う城壁のすぐ近く、家も何も周りには無い、ただの空き地。二人と二匹はそこへやってきた。
 二人は距離をおき向かい合う。
 裕之は久と彼の腕の中の白、そして彼の肩の上のウィンを順に見やり、そして、呟いた。
「君は何故俺に訊く?何故俺に関わりたがる?」
 間髪いれずに久は答える。
「それはあなたが隼人と共に闘った仲間だから。でも、それ以上に僕はあなたのことを知りたい。だって僕の心があなたのことを欲しているから……何故だろう、出会ってから少しの時間しか経っていないのに……」
「……何故だ?君は潤様に育てられたのだろう?ならば俺のことを知っているはずだ」
「……いえ、義父さんは山崎さんの事は何も話してはくれていません」
 二人のやり取りは厳しくなっていく。
 拒絶しようとする裕之に対し立ち向かってゆく久。
 ウィンと白はそんなやり取りを見守るしかなかった。
 そんなやり取りの中で、裕之はついに決定的な拒絶の言葉を放った。
「……そうか、<忍一族>である俺の事は、話さなかったのか……」
「……え……?」
 久だけでなく、その言葉にウィンも言葉を失った。


 ――<忍一族>。それは忌むべき一族。
 その一族は人間の姿をしながら人間ではない一族。
 それは寧ろ魔物に近い一族。
 その力は天をも動かし、地をも動かす。それは最早人間とは呼べない力……
 姿かたちも全く変わらない。だがそれは人間とは呼べない。
 本来この世界には存在してはならない者たち。
 古来より王国よって排除されてきた。しかしその強大な力故に滅ぼすことは出来なかった。その一族。


『彼らには近付いてはならないよ。彼らは汚く、人々を不幸にする――』

 そう久に言ったのは彼の育て親であり、裕之と共に闘ったはずの潤であった……



「君の言葉は俺の<忍たる部分>を訊く様なものだ。君は知っているかい、この<忍>という名の由来を」
 裕之がどんな表情をしているのかは暗がりの所為で分からない。
 でも、久は思う、きっと、苦しいと……
「人間からの攻撃という苦難を耐え忍び、人間の目から姿を忍ばせ、隠れる。……それしか出来なかった一族だ。……誰も真実の姿を見てはくれない!悪い者、というレッテルを貼られそのようにしか見られない!俺たちはそんなものではないのに!」
 最後で彼は心のそこにずっと溜まっていたものを吐露した。つい大きな声になってしまう。
 ……しかし、その言葉を聴く久たち以外のものはいなかった。
 それを聞いて思わず久は彼との距離を詰めた。
「僕は、あなたのことを信じています、あなたは尊敬に値する人です。だから大丈夫です」
 彼はそう言ったが、しかしそれに対して裕之は静かに頭を振るのみ。
「無駄だ」
「そんなこと分からない!無駄なんかじゃない!」
 久が詰めた距離を今度は裕之が離す。
「いいかい、君。君はこれから生きていくうえで俺のような者には関わってはいけないのだよ。分かるか」
「でも……!」
「俺に関るな」
 そう言って身を翻す裕之。
 駄目だ、行かせてはいけない。自分なら大丈夫なんだ。久はその思いを伝えたく思い、駆け、彼に手を伸ばした。
 その手が彼にたどり着く直前、彼は身をかわし、その手を避け、更にその手を絡めとると、上体を崩した久を地に押し付けた。
 ざっ、と久が倒れる音が辺りに響く。
 裕之は久の両手首を両手で押さえ、彼の足に下半身を乗せ、彼の身動きを封じた。
「や……山崎さん、何を……!?」
 裕之はまっすぐに久を見詰めていた。
「……はっきりと言わせてもらうよ。君。君は俺を不快にさせる。君が俺にあのことを思い出させる。……もう、俺に近付くな」
 次の瞬間、久にのしかかっていた重みが消えていた。


 裕之の身体は4メートルほどの高さを持つ街の城壁の上にあった。
 仰向けに倒れている久の顔の上には槍が突き出されていた。彼はこれを避けたのだろう、しかしその跳躍力は最早人間とは言いにくいものである。
 久は彼の身体能力を思い知る。
 そんな所に、声が響いた。
「何をしている。この街でも犯罪は裁かれる行為なのだぞ」
 その声に久とウィン、白は息をのむ。
 辺りには明かりはほとんど無く、暗い。そのために姿ははっきりとは見ることが出来ないが、今まさしく久を守るために裕之に攻撃を放った人物は……
「――潤様」
 その言葉を発したのは壁の上に立つ裕之であった。
 そう、その人影は潤であったのである。
「裕!それに、久……!」
 潤は驚きの声をあげた。もつれ合っている二人が久と裕之であったとは認識できていなかったらしい。
 彼は立ち上がった久に近付きながら裕之を見上げていた。
「裕、君は何を……」
「すみません、俺は行きます」
 それだけ言うと、裕之は壁の向こうへ跳んでいってしまった。
 あっ、と声を上げ、久は城壁の出口を探す。しかしこの辺りには出口は無いらしい、しかしこのままだと彼のことを見失ってしまう。
 どうにかこの壁をすぐに越えなければ。
 そう思っていると彼らの足元から風が吹き上がった。
「ウィン!」
「分かってるわよ、あなたの考えくらい。行きましょ、あいつ、ほんと嫌なやつね。一回ぎゃふんと言わせたいわ」
 その風に吹き上げられ、白を抱えた久と潤はすぐさま壁の向こうへ降り立つことが出来た。
 しかしこの間に既に裕之はどこかへ行ってしまったらしい、暗闇の所為もあり、彼の姿は見つけられない。
 だが、そう遠くには行っているとは思えない。
 あたりを見回す。街の南にある平原、そして西にあるのは山……
『山だ、きょだいな力がみえる』
 その時、白が呟く。
「……そうか、龍だから巨大な力への反応があるんだな。白、道を指し示せ」
 潤が言うと白は、うん、と頷き指を示した。二人はそちらに向かって走り出す。
 暗いが、目は大分慣れている。少しの山道など問題なく走れた。
 遠くで稲妻の音が聞こえた。



(どうしてこんな時に潤様に会ってしまったんだ!)
(こんなところを見られてしまった……もう駄目だ、もう絶対に戻れない)
(これから先、何を思って生きていけば……)
 裕之は半ば混乱していた。
 彼にとって数少ない人間の仲間である潤を傷つけてしまったであろうことは彼の心を痛めつける。
 逃げたかった。
 少しでも遠くに。
 彼らから離れたかった。
「裕!」
 全速力で山道を駆ける彼を胸に抱きとめるものが突然現れた。
 それは胸の中に崩れ落ちる彼を優しく抱きしめると背中をさする。
「なんで……こんなところにいるんだよ……ワズン…」
 震える声で彼は毒づいた。
 遠くで稲妻の音が聞こえた。
 すぐに辺りが湿りだす。そして雨が降り始めた。
「25年前のあの日。君は雨の中、山道を泣きながら走っていた。今の君はあの時に似ている」
「だからなんなんだよ」
「行くぞ、我等の王の元へ。もう逃がしはしない」
「……もう……どうでもいいよ……俺はもう……」
 身体の力を抜き、まるで糸が切れたかのように裕之の身体がワズンの腕の中に沈んだ。
 そんな彼の身体を両手で抱え、ワズンは木々の中に小さく呼びかける。
「大丈夫だ」
 そして、彼はふっ、と姿を消した。



 雨が降り出した。
「早く探さなくっちゃ!」
 久は慌てる。
 白が指し示す方向に久と潤の親子は駆ける。
 やがて、二人は足を止めた。
 木々と草むらの影からそっと様子を伺う。
 その先には裕之と……
(ワズン……動いていたのか……)
 25年ぶりに見るワズンの姿に潤は目を細める。
 彼はじっとワズンを見つめた。
 そしてワズンも、裕之を両腕に抱きかかえて、彼を見る。そして、口を動かした。
(「大丈夫」……か……)
 次の瞬間、彼らは姿を消す。
『え!?』
 いきなり気配が消えて何が起こったのか白はよく理解できていないらしい、あたりをきょろきょろと見回し、どうして、と何度も呟く。
 一方久は草むらから飛び出し、ただ呆然と雨の中立ち尽くす。
「山崎さん……どうして……」
 そして潤は、最早仕方の無いことなのかもしれない、と心の中で半ば裕之のことについて思っていた。





続く
20051119
20070711改訂


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