第九話  心と心





 三人と一匹が、一人の男に襲い掛かる。すなわち、裕之に。
 裕之は舌打ちをすると、彼の周りをちょこまかと動き回って目障りな白に掴みかかった。
 彼は素早く白の後ろに回りこむと、首根っこを簡単に掴んだ。じたばたと白は動くが、それは無意味であった。彼は白を目の高さまで揚げる。
 それを見た久志は、
「白に何をする!卑怯者!人でなし!」
 すぐさま彼への罵倒の言葉を口にする。
 白を巻き込むのは心が痛い、と信は動くことを躊躇う。多分、龍の硬い皮膚なら対して衝撃を受けないのであろうが……
 最初はじたばたと、どうにかして手から逃れようと思っていた白であったが、ふと気になることを思いついたらしく、
『おじさんは――』
 ふと、呟いた。
『何で、はやとさんをころさなくっちゃならなかったの?』
 身をよじり、どうにかして裕之の顔を見よう、と悪戦苦闘する白。
 久志の目の色がかわった。それに気づいたのか、裕之は彼女に目をやる。
 彼は彼女のことを知らない。だが、何かを感じ取ったらしい。
 彼は白を下手から投げた。綺麗な弧を描き、白は琴音の元までとばされる。彼女は片手で剣を持ちながらも、器用に白を受け取った。
 一体何をするのか、と三人と一匹が彼に注目すると、彼は嫌な笑みを浮かべながら呟いた。
「あの日、<僕>は<俺>になった――」





 その日、裕之は隼人を彼の家から連れ出した。そして二人はそのまま山の谷にある集落を離れ、険しい山の方へ向かっていった。
 その光景を見た人物が一人だけ、いた。
 それは潤であった。彼は隼人を訪ね、彼の住む村までやってきたのだ。
 彼はその光景に何かを感じ取り、ひそかに後を追うことにした。


 先を行く二人は連れたって山道(とはいっても獣道である)を登っていった。辺りには木が立ち並び、あまり光が差し込んでこず、薄暗かった。
 しかし、そのようなところにも生物は生息しているもので、獣の足跡がちらひらと見受けられたり、鳥が木々の間を飛び交っていた。
「裕、どこまで行くんだい……?」
「――貴方だけには、僕たちと、魔物の関係をすべて伝えたくって」
 二人は、木々のなかで珍しく陽が当たる場所を見つけると、そこに腰を下ろした。
 枯葉は朽ち果てずに、積もっている。それらを手の上に乗せて、裕之は弄ぶ。そして、彼はおのれの過去を語りだした。
 自分の生い立ちや、十歳の頃に受けた屈辱のこと……そして、<忍一族>とそれを守る魔物たちの存在のこと……
「父上も母上も、全く抵抗はしなかったと聞きます。抵抗することによって僕たちへの攻撃が再び始まってしまうことを恐れたのです。そして、そのように弱い僕たちを守ってくれるのが、アイレスなのです……」
 隼人はただ、黙って聞いていた。
 空が、俄に曇りだした。折角陽のあたる場所を選んだのに、結局暗くなってしまった……
 裕之は空を見上げて残念そうにため息をついた。無意識のうちに身体が隼人の方に倒れ掛かる。
 そして、隼人の肩に彼の肩が触れ合った時に彼はそのことに気づき、顔を赤らめながら思わず離れようとする。
 しかし隼人はくすっと笑いながら、彼の手に自分の手を重ねた。
「隼人様っ……」
 恥ずかしさのあまり裕之は思わず声を上げる。顔がほてるのを感じた。
 それを同時に心苦しさも感じる。
 ……そんな彼を、隼人は自分の膝の上に倒した。
 隼人の微笑を見、裕之の胸はうれしさと恥ずかしさ、そしてもどかしさなど、様々な感情が入り混じりながら高鳴った。
 だが、その胸の高鳴りの中には別の意味も含みこまれていた……
 そんな彼に、隼人は優しく呼びかける。
「――裕之。君は今日、何のためにここへ来たんだい?」
 表情は全く変わらず、そして声も先ほどまでと全く変わらなかった。だが、その中には……
 裕之は内心で舌を巻いた。
 ああ、この人には何も隠すことが出来ないな……、と……
 寧ろ、もうこの人は自分がここにやってきた目的を知っているのかもしれない。いや、間違いなくこの人は知っている。
 もう、隠すことは出来なかった。裕之は意を決して、その言葉を口にした。
「僕は……貴方を殺すためにやってきました」
 隼人の表情は変わらない。
「上のほうが、皆、僕の所為でアイレスは僕たちのことを見捨てる、と言うのです。……確かに、そうかもしれません。僕はアイレスを裏切ったのですから」
「だから君は、一族のために罪滅ぼしをするんだね」
「僕は嫌なんです。でも、そうすると今度は僕以外の、もっと恐ろしい人が貴方の元へ……。ならば……僕が。せめて僕が貴方を殺して、僕も一緒に死にます」
 その告白を、やはり隼人は先ほどまでと全く変わらないやさしげな表情で聞いていた。やはり、分かっていたのだ、そう彼は確信した。
 年寄りたちから散々叱られ、戒めを受け、一度は決意した裕之であった。……しかし、隼人にいざ会ってしまうと、その決意は揺らぎ始める。
 口に出して伝えれば、自分を正当化出来るし、自分の心も説得できる……そうとも思ったが、肝心の隼人にこのような表情を……何もかも悟っている表情をされてしまっては……何もできなくなる……
「泣かないでくれ、折角の君の美しい顔が台無しだ」
 裕之のことを膝枕している隼人は、手でやさしく裕之の流した涙を拭ってやった。
 全く……この人は……
 思わず裕之は隼人の首の後ろに手を回し、上半身を起こした。そしてそのまま、彼の胸に額を押し付けた。
 いきなりのことに最初は少し驚いた隼人であったが、ふっと笑みを浮かべると、裕之の背に手を回す。
「――嫌だ、嫌だ……貴方から離れたくない。皆とずっと一緒にいたい」
 裕之の涙は、とどまるどころか、溢れ出てきた。彼は泣きじゃくりながら必死に言葉を紡いでいだ。そんな彼を、隼人はまるで親であるかのように、背中をさすり、あやしていた。実を言うと、二人の年齢差は親子ほどあった。
 先ほどから曇りだした空は黒さを増し、今にも雨が降り出しそうになっていた。
 周りに動物の気配はなくなっていた。きっと巣で雨雲が通り過ぎるのを待っているのだろう。
「裕之、やるなら早いほうがいいんだろう?」
 ぽつり、と、隼人が言った。
「――はい」
 長い沈黙の後、裕之は頷いた。
 裕之は手を離し、立ち上がると、尻についた土をぱたぱたと払い、改めて隼人と向き合った。
 彼の心臓が激しく脈打った。懐から刃渡り15センチほどの愛用の匕首を取り出し、ゆっくりと鞘から抜いた。
 自然と身体が震える。彼にとってこのような経験はいまだかつてないものであった。
 彼にとっては、生まれてきてから今まで、刃物は一番身近にある存在であった。
 自らの主人、といってもいいような存在であるアイレスへ刃を向けたときは、このような恐怖は微塵も感じなかった。
 目の前にいるのは、愛する両親を殺した人間だ……そう思っても身体は動いてくれない。
 人間をすべて消してやる……あの日、そう誓ったはずなのに……
 両手で匕首を握るその手が激しく震えた。息遣いが荒くなり、涙で目がかすむ。
 そんな彼を見かねて、隼人は彼の手を両手で包み込んだ。
「――隼人様。僕は、あなたに会えて、よかったです……」


 先ほどから二人の様子をじっと伺っていて、取り越し苦労だったか、と思い、一度は戻ろうか、とも考えた潤であったが、矢張り最後まで気を抜くわけには行かない、と考え直すと、木々の間から二人の姿を盗み見た。
 二人に気づかれないために二人の元からはかなり距離がある。そのため、二人の会話を耳にすることが出来なかった。
 しかし、二人の空気が一変したことには気がついた。
 彼は眉をひそめて注意深く二人を見やる。
 しかし、二人が立ち上がり立ち位置を変えてしまったために裕之の背しか見えなくなってしまった。これでは、彼が一体何をしでかすか見えなくなってしまう……
 彼が少し場所を移動しようかと思った瞬間、視線の先の裕之の足元に隼人の身体が崩れ落ちたのをその瞳は捉えた。


 崩れ落ちた隼人。彼は痛みに耐えながら自分の腹に刺さった匕首を抜いた。
 途端にあふれ出る血。
 裕之は彼を支え、彼の手から匕首を取った。
「僕も、貴方と共に……」
「隼人!」
 裕之が自分の腹に刃を突き刺そうとした時、直ぐ近くで叫び声が上がった。
 二人はそちらの方に顔を向け、絶句する。
 潤が、直ぐそこまで迫ってきていたのだ。
 潤はそのまま、スピードを落とさずに、困惑した表情をした裕之に掴みかかる。
 倒れた裕之の胸倉を掴み、一回その顔を殴った。
「やはり、なにかをしでかすと思っていた……やはりお前は……!」
「潤……やめなさい」
 苦しそうに立ち上がった隼人が、二人の間に入った。
 裕之は涙を流しながら彼を支え、潤は何故だ、と言いたげな表情をしながら彼を見た。
「裕……行きなさい。君は、死んではならない……君が、一族を、変えるんだ」
 そう言って隼人は裕之の胸を押した。数歩、裕之は後ずさりする。
 すると隼人は潤に寄りかかりながら、大地の上に座り込んだ。
「潤には、私から話す。だから、行きなさい……」
 ぽつり、ぽつりと雨が降り出した。
 隼人は裕之を見つめ、裕之はくるりと踵をかえすと駆け出した。潤の目から一刻も早く逃げたかった……
 直ぐにその姿は消える。そして、隼人は残った体力をすべて使い、潤に語りかけた。




「裕――お前は、心の奥底では何を思っているんだ……?」
 裕之の独白を聞き終わって暫くしてから、信が呟いた。
 彼は潤から裕之の事情を聞いていた。その内容は隼人が潤に伝えたすべてであった。
 だが、実際には裕之は隼人にそれ以上のことを伝えていたのだ……


 ――隼人と共に、自分たちを守ってくれるはずの存在であるアイレスに敵対した裕之。
 それゆえに一族から受けた傷。
 そして彼は命令された。両親の亡き後、彼を育てた人物から……



 ――嫌なのに。

 自分の行いがいけなかったことは分かっているけれども、嫌なのに……



 ――そのような彼の心の言葉が聞こえてくるような感覚を信は受けた。
「駄目だ、今度こそ、俺がそちら側についてしまったら俺は」
「さっきまでの態度は全部、お前の本心ではないんだな」
 裕之の言葉を切って、信は叫んだ。
 びくり、と裕之は肩を震わせる。その姿は先ほどまで見せていた、雄雄しい、恐ろしいものでは既になくなっていた。
 まるで、親に怒られ、身をすくめる子供のようである。
「お前はさ、いつまでたっても子供だな」
 声をあげて信は笑った。そのまま、無防備な姿で一歩一歩と裕之の元に近付いてゆく。
 裕之は、ただ頭を振っていた。
「そうやってさ、自分の心を隠すの、そろそろやめにしたらどうだよ」
 ゆっくりと、手を伸ばす。
「せめてさ、俺たちと一緒にいるときくらいは、もっと自分をさらけ出してくれよ」
 その手が裕之の腕を掴む。信はそのままその腕を強く引き、彼を抱き寄せた。
 裕之は、全く抵抗しなかった。寧ろ、自分からその腕の中に入っていった。
「裕之」
「……はい」
「もっと笑え」
「……はい」
「謝ってばかりじゃなくって、もっと強気でいろ」
「……はい」
「もっと自分の事を話せ」
「……はい」
「もっと俺たちのことを見ろ」
「……はい」
「自分の事で苦しむのはいいが、それを自分ひとりで解決させるなんて無理だろう。俺たちが、いるんだからさ」
「……はい」
「さっきは、酷いことを言ってごめんな」
「いえ、俺が悪いんです。信様……俺は皆に謝らなければならない」
「まあ、積もる話は後だ。お前はそのあたりで突っ立ってろ。俺たちは久の方のけりをつける」
 信は裕之から離れると、振り返り、久志と琴音に手で久の方に行け、と合図する。
 それから再び裕之と向かい合うと、笑った。
 すると、裕之は顔を赤らめながら今にも泣き出しそうな表情になる。
「お前、随分と表情豊かになったんだな、これなら俺も一安心だ」
 そう言って、また笑った。



 久の刀とアイレスの剣が交わろうとした時、その間に人影が割り込んできた。
 ぎんっ、と、刃と刃がぶつかり合う、鈍い音が辺りに響いた。
「お前はっ」
 苦々しく久は声を漏らす。
 その人物は、彼らのことを入り口で迎えた、あの青年であった。
 青年は無表情で交わった刀でもって久を押す。
 その力は人間のものとは思えないほど強く、久は一歩、二歩と後ずさりする。
 そんな状況を見かねて、潤が更にその間に入り込もうとしたとき、青年を止める声がした。
「君はどきなさい。これは彼らと私の問題だ。君の入り込むものではない」
 それを発したのはアイレスであった。
 それでも青年は引かない。この人物は、自分の主を窮地に追い込む存在になりかねない、そう思うと動くことは出来なかった。
「アイレス様、あなたがいなければ私は!」
 だが、アイレスは違った。
「どきなさい!」
 青年に対し、アイレスは強く一喝する。
 それでもってやっと、青年は動いた。
「アイレス様……」
 交わっていた刃を器用にそらし、彼は横に跳び、戦線から離れる。
 それにかわって、アイレスが前に出てきた。久の前に、立ちはだかる。
「君が、彼の孫か」
「そうだ」
 刀を横に一閃、久はアイレスに肉薄する。その距離、わずか数十センチ。
 アイレスは刀を振り上げ、そのまま振り下ろした。
 それを久は刀で受け止める。ぎりぎり、と嫌な音が響いた。
 上から押さえつけてくる力は強く、久は歯を食いしばってそれを受け止めていた。
 そんな二人の横から回り込んできたのは潤。アイレスの手めがけて槍を放つ。
 絡まっていた刀と剣が一瞬離れ、久はそれに合わせてすっと後ろに身をとばした。
 潤は繰り出した槍を無理やり横に、アイレスの顔面付近に動かした。
 だがアイレスは避けることもせず、剣を動かすこともせず、冷静に柄を受け止めた。そのまま二人は動かない。
 にらみ合う潤とアイレス。
「――人間とは、脆く、儚いものだな。その命は直ぐに尽き、果てる」
「それが何だ!」
 突然、アイレスは握っていた柄を離すと、その場で高く跳んだ。
 同時に、彼が一瞬前まで立っていた場所に氷の柱がたった。
 アイレスは空中で大きく息を吐く。それはすぐさま氷に触れ、氷はその息でもって溶けていった。
 そして彼は先ほどまで立っていた場所に再び降り立った。
 そこに、久が突っ込んでくる。
 だがアイレスは久を片手で持った剣一本であしらい、横の潤を長い爪でもって牽制する。
 少し離れた場所では、信たちが次の攻撃の準備をもう既にしていた。
「すぐに人々は姿を入れ替えていく。……それが少し、羨ましくもある」
 呟きながら、アイレスは気合を発した。それは空気を震わせ、彼を中心として風を起こす。それに押されて、久が数歩、後ずさった。
 だがその風はウィンが自身で風を起こし、風同士がぶつかり合い、消えた。
「……しかし、私には重要な任務があるのだ、人間などは出来ない任務がな」
 アイレスは外套を脱ぎ、高く放り投げた。
 潤は目の色を変えて直ぐさまアイレスへと飛び掛る。そしておなじことを信も行った。
 信は裕之に対して放ったのと同じように、掌の上に火を出し、それに息を吹きかけた。炎が、とんでいく。
 アイレスは剣を捨てて、潤の突き出した槍を左腕で受け止めた。切っ先が肉に食い込み、血が出る。
 そして、右手でもって柄を握り、潤の手の中から槍を奪った。先ずは、切っ先を腕から引き抜く。
 潤は槍を取り返すことを直ぐにあきらめると、手を離し、飛びのく。
 そこへ、信の放つ火の塊が迫った。
 アイレスは潤から奪った槍を、それに向け、投げた。
 火と槍がぶつかり合い、共に落ちる。
「見せてやろう、私の本当の姿を――」
 彼がそういうと同時に、彼の姿が一瞬にして変化した。
 背には翼が生えた。黒く光る、翼が。
 更に身体が一回り大きくなった。尾が生え、見える限りではあるが、皮膚のつやが変わった。
 髪が伸び、爪の鋭さが増した。
 先ほどまであった、穏やかそうな表情のかけらはきれいさっぱり消え去り、ただ冷酷な、冷たい雰囲気しかなくなった。
 ……これが、彼の本当の姿であった。
 それがもつ風格は、久たちが今まで見てきた魔物とは桁が違った。以前に見たワズンの本当の姿だって、このアイレスと比べてしまうとはるかに劣って見えた。
 先ほどの傷はふさがっており、どこにもダメージを受けたあとは見受けられなかった。
 久の背に、冷や汗が流れる。
 これは、やばい。直感的に身体がそう言う。
 だが、彼はもうひくことが出来ないところまで来てしまっていた。彼には、もう進むしか道が無かった。


 久は心を鎮め、アイレスを見やった。
 そして両親のことを思い出す……目の前で魔物に殺された両親のことを。
 そうだ、すべての元凶が魔王……目の前にいる存在なんだ!彼はそう自分に言い聞かせる。
 彼の刀が蒼く輝きを放ち始めた。
 そしてその光は刀を離れ、彼の目の前に巨大な像を作り上げた。
 地中に生きる龍、地龍の姿、そのままを。


 地龍の像が、動いた。
 咆哮をあげ、巨大な身体からは想像できないほど俊敏な動きでアイレスに向かう。
 アイレスはふわりと身体を宙に浮かせながらそれを迎え撃った。





続き
20060316
20070711改訂


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