……異国の民だった。
 父がこの地に辿りついた時、彼はまだこの世に生を受けてはいなかった。

 父が言うには、かつて住んでいたところは寒く、冬は雪に覆われてしまう生きるには厳しい土地だったらしい。
 しかしこの土地は違う。
 四季はあるが夏は暑すぎず、冬は寒すぎない、とても過しやすい土地だ。
 父は、この土地はまるで楽園のようだと言っていた。


       第一話  しあわせについて



 ティーユは顔をしかめた。ついに、その時が来たのか。
「――砂の国が、攻めてきた、か」呟く。

 小国が消え、ついに三つの国の争いが始まった。
 その三つの国は互いにそれぞれ国境を接しているが、武康の率いる砂の国が、ティーユが率いる海の国に攻め込みはじめたのだ。
 近いうちにそうなる――それは予想できていたものの、実際そうなってくると緊張で身体が震えそうになる。
 自分の指示一つで戦況は変わりかねない。何千もの命が自分にかかっている。
 負けるわけには、いかない。

 ティーユが息を潜めるかのように暮らしていた秘術を使う一族との協力体制を確立してからもう随分時がたった。
 彼らは影からティーユを支え、その御蔭もあり海の国は巨大な国になることが出来た。
 南の【砂の国】、東の【月の国】、そしてこの西の【海の国】。この三国が他の小国を全て飲み込んで数ヶ月が過ぎた。
 そろそろこの三国の闘いが本格化する、そう思っていた矢先に砂の国が動き始めた、との情報が入ってきた。
 しかし……ティーユは思う。
「やはり、砂が、か」
 王座に座り、書類に目を通しながら呟いていたが、気配を感じて顔を上げた。
「ああ、君たちか」
 ティーユの前に来て跪く二人の青年……外見も声もそっくりな双子……は顔を上げると、
「南の【砂の国】」
「東の【月の国】」
 そして同時に、「ティーユ様はどちらを先に倒すべきだとお考えですか?」
「――砂だ」
 間髪いれずに彼は答える。
「そんなことを聞くとは、どうかしたのか、ハル、アキ?」
 ハルとアキ、というもう何年も彼に付き従っている双子に、逆に質問する。
 すると、
「今回砂の国との戦闘に入ったけれども」
「ティーユ様はどう思われているのか」
「知りたかったんです」
 毎度の事ながら息が合う二人だなぁ、とティーユは二人を見つめながら内心で微笑んだ。
 そしてつとめて冷静に返した。
「砂と月を比べると、砂の軍事力の方が圧倒的に大きい。これ以上あの国が大きくなってしまうとまずい。
 それに……最近のあの国の動きは、おかしい。狂っているとしか言えない」
 そう。砂の国のここ数年の動きは恐ろしいものであった。
 ある小国を滅ぼして以降、それ以前とは全く違う勢いで周りにある国を攻め滅ぼしていったのだ。
 最後まで残っていた小国を滅ぼしたのも砂の国であった。
 そして最後の国を滅ぼすと共に次への準備を進め、今回こちらへ攻め入ってきた。
 それらの一連の動きは、原因は知る由もないが、まるで王の人が変わったかのような印象をティーユに与えていた。
 と頭の中で今までの状況を思い返したいたが、二人の言葉でその思考は中断された。
「そうですよね」
「【あの人たち】も」
「そう言っていました」
 そうか、と彼は頷いた。二人の言う【あの人たち】、それは今でも尚手を貸してくれる一族のことである。「彼らもそう言っているか」
 もしも彼らを敵に回すようなことがあれば……それは考えるだけでも恐ろしい想像だ。
 だが、何故彼らがここまで我々に手を貸してくれるのか、ティーユには分からなかった。今まで何度も考えたが、その理由は彼には分からない。
 ……その考えを頭の中から消すために、彼は改めて敵のことを考えた。
(……武康。一体あの国を滅ぼしたときに何が起った……それまでは未だ常識の範囲内で動いていたというのに……)
 兵たちに疲れはまだあるだろうし、物資にも限りがあるはずである。只でさえあの国は食糧を手に入れるのにも一苦労だというのに……だが、武康は止まろうとはしない。
 そして一方の月の国である。ここ数年の間に数カ国を併合した。それに際して大した武力衝突は起きなかったと耳にしている。寧ろ、月夜自らが武力でもって攻め入った、と言う話は聞いたことがない。
(……月夜。凄い男だ、実際に会ってみたい人物ではある。
 もしも彼と同盟することが出来れば、砂も容易に討てるしその後話し合いをもって国を統一できる、という気もするな……)

「でも」
 再び思考に入ったティーユを二人の言葉が引き戻した。
 何だ、と彼は二人を見やる。
「【あの人たち】は、月の国も危ないって」
「あの国は、上手すぎる、って」
 その言葉に彼は思わず眉をひそめた。
「どういうことだ? あの国が危ない……?」
 うん、二人は頷く。
「月には決して心を許してはならない、と」
 そう言ってから、二人は同時に「あ」と言った。大切なことを忘れていた。
「【あの人たち】からティーユ様にお話があるそうです」
「それを最初に言いなさい!」
 ティーユはマイペースに突き進む二人に思わず「ああもう!」と毒づくと、立ち上がり、部屋の横手にある扉に駆けていった。
 全く、こういうことがなければ信頼できる部下だというのに、狙っているかは分からないが時折こんなことをする。
 心の中で呟くが、すぐに彼は気持ちを入れ替える。
 扉の先にある自室へ向った。いつもそこで彼らと会うことにしているのだ。彼らの存在はこの国の中でも隠されたものになっている、そう多くの人の目に触れさせるものではないのだ。

 ……さて。自室に入ると、彼は後ろ手で扉を閉めた。
 正面にある執務机に行き、何時ものように椅子に腰掛ける。
 そこに――現れた。その存在を知る部下達は【あの人】や【影】、と呼ぶ、この国を文字通り影から支える一族だ。ただティーユ自身、彼らにそう多く会うわけではない。彼らはいつも風のように現れ、風のように去る。
「何かあったのですか?」
 少し緊張しながら、尋ねる。彼らと会うときは何時も緊張する。
 すると部屋に現れた男はティーユの予想していなかった言葉を口にした。
「砂の国の勝利の秘密」
「……え?」
 思わず目を見開く。だが男は彼に構わず続けた。
「ある女が持つ我々ともそちらとも違う力のためだ」
 途端に男の表情が厳しいものになる。
 違う力……ティーユはその言葉を自分でも口にした。
「【遠くを視る力】と呼んでおこう。武康の側近の女、雅という女の持つ力は、普通は見ることができない遠くの様子を見通すことが出来るもののようだ。それで防御の薄いところを突いたり奇襲をかけたりしてきたのだろう」
「それでは、最近の砂の激しい動きには……」
 ティーユの言葉に男は頷いた。
「その力を使い、最小限の兵で敵を攻め滅ぼしていたはずだ」
 男の顔が歪む。憎たらしい、という感情がそこからにじみ出ていた。
「その【遠くを視る力】、それをどうにかしないと今後の戦いは厳しいものになりそうだな」
 その通りだ、と男は言う。
 いきなり大きな問題が湧き上がってきた、ティーユは腕を組み、一体どうすればいいのか頭を巡らせた。一体どうしようか……
 すると、男がこちらに近寄ってきていることに気づいた。どうしたのか、驚いて顔を上げる。
「その女、こちらが全力を挙げて捕らえる」
「え」
「そのためにも兵力が欲しい」
 厄介な敵を倒してくれる、都合のいいことだ。ティーユはすぐさま頷いた。
「多分、その女がいなくなれば、砂は勝手に自滅するだろう」
 そう言うと――消えた。いつも通りの消え方だ。
 だがいつもと違うことがあった。彼が意味深な言葉を残していった事だ。
 一体、彼らは何を考えているのだろうか……
 それから、
「ああ……」
 ティーユは月の国について聞きそびれてしまった事に気づいた。「しまったなぁ」
 早急に手を打たなければならない、ということではないのだが、彼ら曰く危険な月の国、ティーユにもそして彼の部下にもその理由について思い当たる節がない、その理由を聞きたかった。




 ……海の国の城から随分と離れた山の中にある集落。
 そこで、何人もの人物が輪になり密談をしていた。
「――月夜」
「【奴】が接触したらしい」
「もし月夜が【奴】を受け入れるのであれば、間違いなくここを統一するのは月の国になってしまう」
「幸いなことに、月夜は【奴】の協力を断ったようだが……」
「何時また接触するか分からない」
「【奴】が――【魔王】が月の国を乗っ取る前に、海の国には統一してもわえねば」
「さもないと、我々の存在が危うい」


「――一刻も早く、月夜を処分しなければ」


 彼らはこの会話をティーユに伝えるつもりはない。我々の問題なのだ、それが彼らの結論である。
 彼らを除くほとんどの人は【魔王】の存在を知らない。それは、未だ魔王が大きな動きを見せていないからである。
 しかし、彼らは魔王の存在を知っている。
 それは何故か。彼らの持つ高い能力ゆえである。
 敵対勢力になると感じたのか、魔王は彼らに圧力をかけてきている。
 そしてその一方魔王はどういうわけか月の国の王、月夜を気に入っているようで、彼に近付こうとしていた。
 もし月夜が魔王に応じるようなことになれば、魔王と全面対決することになりかねない。
 そうなってしまう前に、月の国は滅びなければならない。
 それが、誰も知らない彼らが海の国に手を貸す理由であった……




 理由は何であれ、三国はそれぞれの思惑をもって動き始めた。

 遂に、戦いの幕は、あけた――


第二話

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20090506

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