「……まだ月は動かないのか?」
「ええ」
「そのようです」
山の都を巡る戦闘に勝利はしたものの、こちらの被害も相当あった。ティーユは悔しそうに唇を噛みながらも先のことを見据えていた。
月の国に送り込んだこちら側の人間――そろそろ、彼らを動かそうか。
「ならば、伝えろ。中から月を潰せと――」
――月の国の中心――
山の都を巡る戦いで砂の国が大敗した――その話が月夜の耳に入った時、彼は大きく息を吐いた……
その情報を伝えたのはカイ、魔王が月夜に遣わした、魔物の少年。
「月夜、どうするの?このままじゃ海が砂を飲み込んでしまう……そうしたら」
そうしたら、一気に攻め込まれてしまう。
この地で月夜の嫌いな戦闘が起こり、土地が荒れて人々が困る……でも何よりも、甲斐にとっては月夜と一緒にいられなくなってしまうことの恐怖の方が大きかった。
だが、彼は甲斐のそのような気持ちが分かっているのだろう。彼の頭に手をやり、優しく撫でる。
「分かっているよ、甲斐。僕は負けない」
そして、優しく微笑んだ。
その時、扉がノックされた。「月夜様」
「入って」
すっと、入ってくる一人の青年。月夜の片腕のような存在である敦志だ。
彼の表情を見て、月夜も表情を険しくした。
「反乱が――起きます」
「どういうことだ?」
「月夜様が動かないことに対する不満を募らせた馬鹿どもがこちらに向かってきています」
月夜は今まで大した戦闘を起こさずにきた。対話を通じ平和的に他国を併合することが多く、稀ではあるが月夜自ら敵の中心に切り込んでいくこともあった。
そして敵の中心人物は殺さずに、そのままにして軍の中に組み込んでいた。
それは、月夜が争いを好まないからであった。もともと畑を耕し、自給自足の生活を送っていた彼は、周りで争いが起こり始めたことに危機感を感じた――このままでは僕達の生活が壊されてしまう……
このような状況を一刻も早く終わらせなければならない――そのために彼は動き出した。だから彼にとってみれば、本当は戦乱が終わるのならば誰が勝利してもよかった……
……のであったが、今の月夜はたくさんの人の命を抱えており、そんなことはいえなくなってしまった。
「……今彼らはどこにいるんだ?」
「はい、もうすぐここにやってくるかと」
動かない月夜に不満を募らせた元実力者達……もしかしたら反乱を起こすかもしれないということは前々から考えてはいた。
「……それも集団で、か」
「謀ったのでしょう、しかし誰が、どうやって……」
反抗を考え曽て敵だった人物たちは、あまり近付かせないようにしていた。
だが、それでも月夜の気づかないところで何かがあったらしい。
そうしていると、月夜の袖をカイが掴んで引っ張ってきた。
「どうしたのかい?」
「……月夜、裏で動く奴らの気配がする……何人もいる……」
「それは本当か! 裏で奴らが動いていたのか、どうにかして彼らの下に入り込み、反乱を起こすように言ったのか……」
くそ、と舌打ちをする敦志、そして心配そうに月夜を見上げる甲斐。彼らに対し月夜は、「大丈夫、僕がすぐに押さえつける」と微笑みかけた。
「それじゃあ、外に出て彼らを待っていようか」
そう言うと、微笑みながら刀を二本腰に差し、颯爽と歩いていった。
「敦志、月夜を助けなきゃ!」
「月夜様はこの問題をきっかけにして進攻をはじめるのかもしれない」
そう言いながら、二人は月夜を追った。
館を出たところにある石に腰掛けながら、月夜は空を見上げていた。
真っ青な空にいくつか雲が浮かんでいた。
そして、
「来たね」
がちゃがちゃと音を立てながら、軍隊がこちらに向かってくるのが見えた。
カイは月夜に近付き、そっと耳打ちをする。
「いる。あの人と、あの人……それと、あっちにいる」
その人物を見やると、普通に周りに混じっていてそうと言われても分からない様な人物であった。
立ち上がり、月夜は前に進み出た。カイに声をかける。
「皆、大丈夫。僕は負けない」
十メートルほどの距離をおいて月夜は百人近くの兵と向き合った。
「さて、これはどういうことでしょうか?」
「どうも何も……分かっていらっしゃるでしょう?」
苦笑しながら、その先頭にいる男――最後の頃に併合した小国の王だった男は腰の剣に手をかけた。
「今なら、許します。考え直しはしないのですか?」
「考え直すも何も、私達はあなたの行動に失望しました。あなたならば海と砂を倒してくれると思ったのですが……この状況でしたら私が国を動かしたほうがよいでしょう」
その話を聞いていた月夜の顔が変わった――
「これから動く」
「ふふ、今更ですか」
「――そうだ、今更だ」
「笑わせるなっ」
その瞬間、その男の首が飛んだ。
その場の空気が凍った。
「それはこちらの台詞だ」
そのときにはもう、彼の刀は鞘の中に戻されていた。
「で、他に何か?」
その言葉に思わずカイも敦志も背中に冷たいものが走った。
それほど今の月夜の持つ空気は普段のものとは違う恐ろしいものがあった。
「行くぞ、海も砂もどうせ私が動かないと思っているんだ、その隙を突いてやろう。……勿論君達もついてくるだろうね?」
表情のない顔で周りを見渡すと、彼ら全員がもっていた武器を捨ててその場に膝をついた。
そんな彼らに冷たい視線をやりつつ、
「……あと、その中にまぎれている海の国の刺客、帰ってそちらの王に伝えなさい「そのような姑息を使うとは、貴方には失望した」、とね」
そう言うと、ようやく月夜の表情が和らいだ。
そして、先ほど斬り捨てた男に目を向けて、
「きちんと葬らなければね」目を細めた。
月夜の元にカイが駆け寄ってきた。背中からぎゅっと抱きしめてくる。
「もう海と砂の好きなようにはさせない。僕がこの世界を――」
「月夜様、ご無事で何よりです……」
部屋に戻った時に、敦志はそう声をかけた。
「……」だが月夜は答えない。
「敦志、行こ」
見かねたカイは敦志を引っ張って部屋を離れた。
残された月夜はその場に立ち尽くし大きく息をつく。そして消えそうな声を唇から絞り出した。
「また、殺してしまった。そして、これからまたたくさんの人を殺していくんだ……」
でも分かっている。もう後戻りはできないことを。
これから進まなければならない。今まで踏み出せなかった一歩を今踏み出さなければならない。
「皆……僕は進んでいいのかな?」
答えは勿論返ってこない。
愛刀を胸に抱き、気持ちを静める。
「行くしかないよね。僕には責任があるもの。だから、僕に力を貸してください、少しの勇気を下さい」
何故だか胸が熱くなった。
目に涙が溜まる。
思わずその場に膝をつき、涙が頬を流れ落ちるままにする。
「勇気だったら、僕があげるよ」
扉の向こうから声がする――カイだ。
「一緒に戦おう。僕はどこまでも月夜についていくよ」
「私だって、月夜様のためにすべてを捧げる覚悟でいます」
「君達……そこで聞いていたなんてずるいよ。……ありがとう」
このことはすぐに月の国の多くの人に伝わった。
そして今回の月夜の行動は人々を驚かせ、また決意させた。
この一件を通じて月の国は月夜を中心として完全に一つにまとまる事になる。そして、ここから月の国の快進撃は始まった。
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