―暗闇の中―
気づくと彼女は真っ暗な世界にいた。……ふわふわと身体が浮かんでいる……そんな気がした。
彼女は……雅は、流れに身をゆだねる様に、身体の力を抜く。心なしか身体が沈んだような気がした。
ぼーっとしながら上方を向いていた彼女の目の先に……光が見えた。まばゆい光が。
そして最初は遙か彼方に見えた光は、だんだんと彼女に近付いてきていた……
―国境の戦い 砂の国―
砂の国の軍勢が駆ける。その中心、先頭を行く馬には栄の姿があった。
彼らの表情はどれも硬く、険しかった。
砂漠を抜け草原を駆け抜けていた彼らは、ついに月の国との国境付近にある前線基地へとたどり着いた。
小さな砦の周りにテントが数多く建てられていた。
その中心へ栄は向かう。
この瞬間からここにいる全てを栄が指揮する事になるのだ。
そして、月の国に攻めるための会議を始めた。
出発は明日の朝。
武康は一刻も早く月の国を滅ぼすために、栄に一気に攻め込むように伝えた。そして、そのために大量の軍を投入している。
更に彼は栄に、すぐに続けて後援部隊を送ることを約束していた。
『――だから、後ろの事は心配するな』
そう、彼は言ったのだ。
栄は心の底から武康を信頼している。何が起きたとしても後援部隊は必ず来る……そう確信している。
仮眠を取り、空がかすかに色を変え始めた頃に、彼らはここを発った。
まだ薄暗い大地を栄を戦闘にした軍隊が進む。
その土地をほとんど砂漠が占める砂の国とは対照的に、月の国は緑豊かな国であった。
月夜の住む北の方に行けば険しい環境もあるのだそうだが、南の方、つまり砂の国との国境付近は地形も気候も穏やかであった。所々に森や林が広がっており、心地よい風が流れている。そして、美しい川の流れもあった。
国境付近にいた敵を難なく撃破した後にも少々の敵には出会ったが、そう大きな軍勢に出会うことなく彼らは順調に北上をしていた。――月の国のこちらに対する注目は、海の国に対する注目よりも遙かに低いだろう……その武康の読みはあたっていた。
……栄がそう思いかけたその時、
栄の耳に馬の嘶きが入った。……それは、こちら側のものではない事はすぐに分かった……だとすると……
「前方に敵の姿を捉えました!」
双眼鏡を使って先を見通していた兵が叫ぶ。
「敵の数は……」
そこまで言って、彼は口を閉ざした。「どうした、早く続けろ!」 その栄の声に、彼は意を決したように、
「……こちらよりも、遙かに多いように見受けられます!」
「何っ……!」
まさか、こちらの動きが読まれていたのか……!? 栄は思わず絶句した。
だが次の瞬間、周りの兵達が非常に動揺した事に気づく。
それは俺だって同じだ! ……そう叫びたかったが、彼は自分が取り乱すわけにはいかない、として声をあげた。
「すぐに仲間がやってくる! 武康様はそう仰った!」
そうだ、後援部隊が合流すれば、いくら敵は多いといっても倒す事はできる……
半ば祈るように彼は思った。
―国境の戦い 月の国―
田代月夜から砂の国に攻め込むように指示をされた星河は、すぐさま準備を整えると多くの兵を率いて南へ向かった。
その途中、国境に近付いてきたところで彼はこちらに向かってくる仲間の姿を視界に捉えた、
「どうした」
慌てふためく仲間を保護し、彼は尋ねる。
「すっ……砂の国が……国境を突破して……」
「何、奴らが攻めてきたのか。……いつ頃国境を越えた?」
「今日の明け方……あそこの砦は全滅だ……俺以外にも数人逃げられたとは思うが、どこにいるかは分からない……」
息を荒げながらそう語る仲間に休むように言うと、
「それならば、ここで奴らを待ち構えよう。誰か月夜様にこのことを伝えに……あと援軍の要請もだ。左方部隊と右方部隊は横に回りこませる」
地の利はこちらにある。星河は地図を広げると敵の到着時間を推測しながら、部隊の配置の指示をはじめた。
敵は間違いなく南からここを通って北上してくるだろう。この地は西を山……この山を越えると海の国になる……そして東を小高い丘が多い地形に挟まれており、その間を南北に渡って平原が広がっている。
山にも丘にも木々が広がっており、身を潜めるには十分だ。
また、この地の南方には大河があり、一端川を越えたならば、その川を再び軍隊が戻るには相当な時間がかかることが考えられる。
それらを考え合わせると、この地は自然の袋小路といってもいいかの知れないほどこちらにとって有利な地形であった。
……やがて、遙か彼方に敵の姿が見え始めた。
「進めっ!」
星河の一声で、中央にいた軍勢が一斉に進軍を開始した。
敵との距離はすぐにつまり、そのまま戦闘が開始される。
その中で、星河は一番奥で戦況を見つめていた……が、その目がすぐに、敵の中心にいる男に注がれる。
彼が敵軍の中心人物なのであろう。……だが、自らも戦闘の中心に身を投じていた。それほど、自分の力に自信があるのだろう。
「彼が話で聞いた【力】を使う人間なのか……?」
月の国にとっての不安要素はそれであった。未知の力を使う敵をどう倒すか……
だが、星河の注目する男は、彼の予想に反してまだ目立った動きは見せていない。
……とはいったところで、強力な敵であることには変わりはないが。
「……数ではこちらの方が勝っている。それに横から攻める準備も十分整っている……」
戦況を眺めると同時に、仲間から上方を得ながら星河は地図に次々としるしを加えていく。どのあたりにどれほどの人間が集まっているか、その戦力はどれくらいか、などである。
「もう少し追い詰めておきたいな。追い詰められかけたところで新たな敵が出現すれば、精神的にも相当きついだろう」
日は天頂を過ぎた。
だがまだ空が明るい時間は続く。
「……しかし、考える事は一緒だったのか。一国を滅ぼしたほうがもう一国を滅ぼすだろう、という考えは……」
呟き、再び戦況に目をやった。
―国境の戦い 砂の国―
まるで自分達の存在を最初から知っていたかのように待ち構えていた敵の出現に、さすがの砂の国の軍隊も混乱した。
だが栄の一喝で何とか混乱を収め、彼らは改めて武器を手にして駆け出す。
今まで大きな戦闘を経験していない月の国に対し、砂の国は――我々は、数々の死線をくぐり抜けてきた……その思いが栄の胸にあった。
「我々に敗北などありはしないのだ」栄が叫んだ。
周りもそれに応じ、雄叫びをあげる。
馬を駆けさせながら栄は馬上で器用に長剣を振るう。敵を切り伏せ、彼はどんどん前へ進んでいこうとする。
……だが、予想外に月の国の軍は上手に戦ってきていた。こちらの弱い部分を見つけると、すぐにそこに殺到しこちらの陣形を崩しにかかる。
そして、栄のもとにも数多くの敵が殺到してきていた。
離れたところから矢が射られ、馬が驚きのあまり大きく身を震わせる。
……一人一人の戦力を比べるとこちらの方が圧倒的に強力であるのだが、人数、戦術そして人間の心理が絡み、戦況は一進一退の様相を呈していた。
「……だが、援軍が、すぐに援軍が来る」
彼はひたすらにそれを信じ、剣を振るい続けた。
―再び闇の中―
「この瞳なんて、いらない」
雅はそう呟いた。
「この瞳のせいで見たくないものばかりを【視て】しまった。大切な人が殺されるところ……そして……」
閉じられた瞳の隙間から、涙が零れ落ちる。
「……この瞳のせいで!」
『でも、この瞳のお陰でよかったこともあったじゃない』
声がすぐ近くから聞こえた。彼女は顔を上げる。
瞳を開いた先に……目と鼻の先ほどの距離に、光があった。自分に似た形をした光が……
「誰?」
『あなたの瞳』
間髪いれずにそれは応える。
『武康や、璃や、光政、そしてみんな……みんなに会えたのは、この瞳があったからでしょう?』
「そうとは限らない!」
雅は無駄と分かっていても耳をふさぐ。
『そうかしら? ……砂嵐を覚えている? あなたがキャラバンに着いて砂漠を進んでいた時のことよ。あなたは砂嵐が進路上でおこっている事を【視て】知ったでしょう。あなたがいなかったら、そこにいた人はみんな砂嵐に巻き込まれてしまったでしょう。……その時あなたは始めて璃に出会ったのよ』
「……!」
『それに、隣国が攻めてくる準備をしていた事に気づいたのもあなただった。あなたは【視て】、武康に伝えたわ。そのお陰で敵を撃破できたじゃない』
「……っ!」
雅は両手で顔を覆った。
『お願い……瞳の事を悪くいわないで……私は、あなたのためにあるの』
「――……分かっている……分かっているよ!」
彼女は自分の無力さを恨んでいたのだ。【視る】事しか出来ない自分が嫌だったのだ。
『ねえ……私を、瞳を使って。あなたが【視】なければならないことがあるわ』
光は、そう言うと手を伸ばし、雅の手を握り締めた。
彼女は、すぅ、と息を吸うと、ゆっくり瞳を閉じた。
意識を、飛ばす。
――どこへ?
……【視】なければならないところへ……
……月の国の地で仲間が戦っている! ……ああ、囲まれてしまっている!
「早く援軍を送らなければ……!」
『そこだけじゃない!』
意識を戻しかけた雅の耳に、声が届く。
彼女はその声に誘われるがままに、目を移した……と、
「――!!」
その光景が目に入った時、彼女は瞳を見開いた。
……眼前には、見慣れた彼女の自室があった。
「ありがとう!」
彼女はそう言うと、部屋を飛び出した。
一刻も早く武康に伝えなければ……この状況を!
「武康様っ!」
「――雅!?」
突然雅が目の前にやってきたことに武康は酷く驚いた。
だが雅は説明も何もなしに、伝える。
「敵がっ……海の軍隊が今までにない規模でこっちに向かってきている! 陸から……そして海から!」
「……!」
「それに、月の国との戦闘の状況もかなりまずいわ。囲まれている! どうしよう!!」
「――月の国は、我々の行動を読んでいた、ということか……くそっ。しかしそれよりも海だ! 奴らは今どこにいる!?」
「草原の南端に近付いているわ」
地図を指差し、彼女は言う。
険しい表情で、彼女の指先と月の国に送り込んだ栄たちの軍、そしてその後援部隊の今いると予想される場所とを見比べ……
「……後援部隊をこちらに呼び戻す。……間に合いそうか?」
「――多分。今それを伝えにいけば、ギリギリ……でもそうしたら栄様たちが……」
「騏驥、頼む、彼らを急いで呼び戻しにいけ」
そして彼はぎゅっと拳を握り締め、
「……栄……すまん……俺は、お前達を……救えない……」
最後まで栄は武康を信じ、そして散っていった……
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