「あらオーランドさん! 最近見ないからどうしたのかと思っていたわ」
呼び止められらた巨体が振り向くのにつられ、一緒に歩いていた短い金髪も振りかえる。
カルッセルの一件から数ヶ月ほどたったある日。アリス少尉とオーランド伍長はそれぞれ書類の山を抱え、陸情本部の廊下を3課に向かって歩いているところだった。
誰だろうと一瞬思ったアリス少尉だが、すぐに集配業務のマーベル曹長だと気がつく。例の郵便局横領事件が片付いた直後、オーランド伍長が情報部の正門前で話しこんでいた相手だった。
「ああ……。ご無沙汰してます」
頭を傾けて挨拶したオーランド伍長に曹長は話を続ける。
「そうそう、あのあと市営局の配達員に会う機会があったから聞いてみたんだけど、とりあえずお店にはきちんと届いているみたいよ。ただ、そこでお母さんが確かに受け取っているかどうかまではわからないって」
傍らのアリス少尉は、お母さんという言葉に少し驚いたような顔をしたが、伍長の表情は変わらない。
「そうですか」
彼があまりにも平然としているので、いぶかしく思ったのかマーベル曹長は眉をひそめた。以前は心配でたまらない、といった感じだったのに、この変りようはなんだろう。
「あれ? ……え、ええと、お母さんのこと、もう一度頼んでみようか?」
予想外なことにあまりにあっさり返されたので、彼女は逆にお節介な気分になったらしい。毎月、判で押したように給料日に現れてはきっちりと送金していた男が、急に仕送り窓口に来なくなったことが気になっていたのもあるが。
しかしそんな彼女の様子に気づかないのか、伍長は決まり悪げな笑みを浮かべただけだった。
「あ、いえ、結構です。なんか煩わせるのは申し訳ないから」
「……本当に? 本当にもういいの? だってお母さんのことでしょう……あ、もしかして逢いに行ったの?」
「はぁ……」
返ってきた返事は歯切れが悪かったが、曹長は納得したらしい。
「そうなんだ……ところで今月は送金大丈夫? 給料日だいぶ過ぎちゃってるけど」
「はい? ……ああ、それはもういいんです」
伍長の態度はそっけない。彼女はだんだん心配している自分がバカらしくなってきた。以前は拝むような顔つきで窓口に立っていたくせに、なんだかもう用済みになったみたい……ああそういうことか。
「なるほど、じかに渡すことにしたわけね。まぁそのほうがいいわ、他人行儀に送金するより」
それじゃ、と言い残すと歩き去ったマーベル曹長の後ろ姿を眺めながら、アリス少尉はどことなくまぶしそうに部下を見上げた。自分が幼い頃に失ったものを持っている男が少々羨ましかったのだ。
「休暇中、母上にあってきたのか。それはよいことをしたな、喜んでおられただろう。……すいぶんな母だと言っていたが、お前その、怪我をしていたからこぴっどく怒られたのではないか?」
「いえ、母とはあってないです」
彼の答えは意外だった。アリスの目がまん丸になる。
「なんと?」
「あ、いやウソをつくつもりはなかったんですけど、なんか訂正してると話が長くなりそうだったもんで……」
伍長が書類の山を抱えなおしたのでアリスも歩き始めることにしたが、話は止めなかった。
「だがそれでは送金は? 母上は困っているのではないか」
「母には軍に入る前に結構な金額を渡しているし、しっかりした人だから今までの俺の送金分も貯金してると思います。別に気をつかわなくても大丈夫なんですよ」
アリスの心配顔を他所に、伍長はけろりとしている。
「だが、会わなくてもよいのか」
「はい。もう何年もあってないから。急に押しかけたって驚くだけです」
「……そういうものなのかな。子供に逢うのを喜ばない親はいないと思うが」
「ところが母は軍人が嫌いなんです」しかし内容の割りにその口調は妙にあっさりしていた。「嫌がられるのに会いに行くのは迷惑でしょう。俺も困るし……あ少尉、重そうですね。半分手伝います」
それは冷たいのではないか、といいかけてアリスは押し黙った。書類の山を片手で支え、彼女の方へ手を伸ばした伍長は、もう話は終わったとばかりにニコニコ微笑んでいる。本人が納得しているようなら親子の問題に他人が口出しすべきではないのだろう。しかしそれにしても……。
「おい、伍長」
「なんですか?」
書類の束を移し終わった大男は真っ直ぐに見下ろしてくる。コイツ、こんなに澄みきった目をしていただろうか。アリスは不意に首筋に寒いものを感じた。
カルッセルから戻ってこの方、伍長の雰囲気が変ったように感じる。何が変ったのかわからないけど、でも……何かとても大切なものが……。
そんなことを言おうとしたが、アリスは口を結んだ。あの街でのおぞましい悲惨な戦闘。触れてはいけないような気がする。
「いや、いい。手伝ってくれてありがとう」
それからはずっと黙ったまま、やがて二人は三課に着いた。
事務机に書類を置きながらアリスは部下のことを考える。彼は以前より明るく、少し饒舌になったような気がする。地下水道での一件の後の、傍からわかるほど落ち込み思い悩んでいた頃とは別人のようだ。カルッセルの出来事も後味の悪い事件だったが、とすると伍長は精神的に強くなったということだろうか?
気づくとステッキン曹長が、先に書類を並べ終わり持ち場に戻ろうとしていた巨体を捕まえ、昼食に誘っている。そういえばもうこんな時間かと、アリスはぼんやりと立ったまま自分の午後のスケジュールを頭の中でおさらいした。
デスクに向かっていたオレルドとマーチスが立ち上がるのが見える。そろって食堂に行くのだろう。ステッキンがこちらを向いたが、午後から出席する会議の準備をしないといけないので軽食を持参している、とアリスは断った。
みなが三課を出て行く。オレルド、マーチス両准尉に続いてステッキン曹長。見送りながら彼女は無意識に首筋に手を触れている自分に気がついた。何かしらの予兆を感じると疼く場所なのだが、最近いつも妙な違和感がある。あの、カルッセルでよろめくような痛みを感じて以来。
伍長の大きな背中が戸口を狭そうに潜り抜けたとき、アリスはなぜか言いようのない不安を感じた。
アイツは以前よりずっと明るくなった。まるで何かが吹っ切れたように。良い……ことのはずだ。明るくなり、くよくよ悩まなくなったのなら。だのに、なんで首筋がこんなに気持ち悪いのか。なぜ?
『アイツは一体、何を吹っ切ったのだろう』
月マガ10月号感想(1)