アリス少尉が三課でメイドの作ってくれたサンドイッチをほおばりながら、会議の準備に余念のない頃、食堂では一騒ぎが起きていた。
「バカやろ、チビッコ、さっさと謝れ!」
「悪いのはラーン准尉ですっ三課を侮辱するものは許しませんよ! パンプキーン」
テーブルの上で仁王立ち、両手をハサミのように広げ必殺技を繰り出そうとするステッキン曹長を小脇に抱え、オレルド准尉は猛然と走り出した。あっという間の見事な動作である。マーチス准尉が慌てて後を追ってくるのを横目で確認し、そういえばデカブツは……ああ、なんだこの既視感。
「大変、伍長さんが捕虜に!!」
「っーたくあのやろトロくせぇ!」
ボカボカ一方的に殴られ放題の姿を予想しながら振り返る。しかしそこは……奇妙に静かだった。
予想通り、陸情一課・第二小隊の若い連中に伍長は取り囲まれていた。しかし以前の彼は大きな体を殴ってくださいと言わんばかりに丸め、頭を抱えて情けない声を上げるだけだったが、今日は無抵抗に、ただ突っ立っている。
しかし。見下ろされている男たちはみなたじたじと退いていった。
「へっ、な……なんだよ! 今日はやけに姿勢がいいじゃねぇか」
触覚のような前髪を揺らしながら第二小隊のラーン准尉が悪態をつくのに、巨体は黙って視線を送る。
チラリと一瞥しただけだったのだが。准尉の顔は凍りついてしまった。
「な……クソッ、ほ、保安課が来る前にいっちまおうぜ。さ、三課なんかと喧嘩して罰金とられたんじゃばっかみてぇだ」
包囲網が解かれ第二小隊が立ち去るのを、三課の他のメンバーは少し離れたところから見守っていた。中心の大男の姿がだんだん現れてきたがなぜかしら近寄りがたく、大丈夫かと駆け寄る一歩がなかなか踏み出せない。
オレルドが小声でぼんやりとつぶやいた。
「ラーンのやつ、ブルッてやがった。……やいチビッコ! これからはもう問題起こすんじゃねぇぞっ」
「だってぇ」
「あんまり目立つことすんな! ……頼むからよ」
最初の命令口調は、お願いするように小さくなる。
「そうだよ曹長。……僕たちは、あんまり目立っちゃだめなんだ」
「どうしてですか、マーチスさん?」
両准尉は顔を見合わせ、マーチスがウェブナー中尉から聞かせられた警告を口にしかけた時、不意に頭上に陰がさした。
「どうもすみません」
「あ、伍長。だ、大丈夫?」
「はい」
気がつけば、喧嘩になる前に収まってしまったのがつまらないとでも言うように、食堂の秩序は元に戻りつつある。保安課に嗅ぎつけられる前に終了したのは幸いだった。
マーチスは小柄な曹長に向けていた顔を上げ、大男を仰ぎ見た。さっきの伍長がなんだか怖かったので、ぎこちない動きになる。あの時はなぜかランタンの灯りを思い出してしまった。彼がいつも腰にぶら下げている、901ATTと刻印の入ったランタンの蒼い光を。
「その……。大事にならなくてよかったね」
「はい、助かりました」
照れくさそうにうつむくオーランド伍長はいつもと変わりないように見える。でも。
巨体の後ろではオレルドが顎に手を当て何かを考え込んでいる。疑問に思ってるのは僕だけじゃないんだとマーチスは思った。なんだか伍長は変った。カルッセルから戻って以来。
「ねぇ、伍長」
「はい?」
「あのキミさ……いや、なんでもない」
思わず疑問を口走りそうになったが、マーチスは言葉を飲み込んでしまった。あの街での戦闘は……地下水道の何倍もひどかった……。
「伍長さん!」不意に素っ頓狂な声が上がる。「なんだか最近ヘンですよ」
オレルドがバカ、というふうに顔を覆い、マーチスのメガネがずりさがる。カルッセルから戻ってこの方、俺たちがさんざん気をつかっているのに、なんて空気の読めない女なんだー!!!
「俺が?」
当の伍長はきょとんとしている。
「特にさっきの伍長さんはヘンでした。あんなふうに怒るなんて。……伍長さんはあんな怒り方をする人ではなかったはずです」
「お、俺は別に……」
「いいえ、怒ってました。いえ、怒って人を睨むのはかまいませんが、あんな目で人を見ちゃだめです」
「え?」
「あれはむかっ腹を立てて机や椅子に八つ当たりしているオレルドさんと同じ目です」
「なんだそりゃー、なに言い出すかと思えばお前!」
怒鳴るオレルドを無視してステッキンは続けた。
「あんなの人に向ける目じゃありません。あの人たちは人間ですよ?」
「……お、俺、そんな目……してたんですか……」
伍長はひどく驚いている。
「そうです。ぜんぜん伍長さんらしくないです」気色ばんでいたステッキンだが、最後は優しい、気遣わしげな口調になった。「これからは気をつけてくださいね」
「……はい……」
すっかりうなだれてしまった伍長をしたがえ、三課のメンバーは部署に戻った。お通夜のような雰囲気になってしまったが、なんとなく彼以外の全員がホッとした。
伍長にはまったく申し訳ないことなのだけれども……。
(2)