(3)
 三課に戻り事務机を前にしても、伍長は意気消沈していた。
 人に向ける目じゃないって……俺は……わからない、ただ前みたいに怖いとは思わなかった。あの人たちに殴られ、傷つけられることを。……あの人たちを殴り、傷つける事も。
 彼は椅子の背もたれに手をかけたが、頭の中は食堂の出来事でいっぱいだった。
 ……だけど、自分に危害を加える者に感情を抱く必要なんてないはずだ。少尉だって言ってたじゃないか。そんなこと考えてたら兵士は務まらないって。
「おい伍長! 何ボサーッと突っ立っている」
「……? しょ……少尉」
振り返ると金髪の小柄な女が立っていて、それが現在の自分の上官だと気づくのに数秒かかった。901対戦車猟兵部隊の少尉と陸情三課・戦災復興部隊の少尉は、性別も雰囲気も何もかもが違いすぎる。
 俺は一体どうしたんだろう。最近、やけに昔の部隊のことばかり思い出す。もう三課のはずなのに。
 慌てて椅子に座りながら、ボーっとしてたら駄目だ、と彼は自分を戒めした。
 このところ夢を見ないでぐっすり眠ることができるようになったのに。こんな事では駄目だ。
 伍長は目を閉じると両手で頬を叩き頭を振って仕事の続きをはじめようとしたが、またとりとめのない思いにとらわれた。
 ……そういえば、どうして俺はあの夢を見なくなったんだろう。恐ろしい悪夢……群がる死人の手に血の海の中に引きずり込まれる……そんなものを見ないのはきっといいことなんだろうけど。
 でも、本当にいいことなんだろうか。俺が殺してしまった人たちを、俺が忘れてしまうなんて。
 不意に右脚に激しいかゆみを感じて手を伸ばした。太腿がムズムズする。カルッセルのホテルで気持ちの悪い幻を見たときみたいだ。包帯の上に生えてきた生き物。たぶん熱のせいであんなものを見たんだと思うけど……。
 伍長はバリバリと服の上から掻いた。
 銃創はもう治ったと病院で言われたのにいつまでも痒い。ズボンのつくろったところが当たってるのかな。もっと柔らかい布で裏からつぎあてしてみよう。
 それにしても、俺が何か考え事をしようとするとまるで邪魔をするように痒くなる。なんだか、嫌な感じだ。
 伍長はむず痒さを我慢し、机上の書類を手に取った。
 デスクワークに集中すると次第に痒みは収まっていく。
 彼はひたすら何も考えず事務仕事に没頭した。13ミリ対戦車拳銃や装甲剥離鋏をメンテナンスするときと同じように。
 
 最近の伍長はいつもこんな調子である。
 以前のように思い悩むことは、減っていた。



 帝立科学研究所・医療開発部では白衣の人々が忙しく行き来していた。
 そこでは人間の身体が扱われていたが、医療機関というよりは研究室の気配のほうが濃い。
 とある一室で、研究員の女が細い目をことさら糸のように細め、血液らしきものの入った試験官を見つめている。しかし実のところ彼女はガラス管など見てはいなかった。
 脳裏に幻のように浮かぶ巨きな男。
『検体901-E号』―― 先入観を持たないようにと採取されたサンプル以外の情報は知らされていないが、彼女はこの人物をこっそり“試験官の君”と呼んでいる。体の部品や分析結果だけでその人となりを幻視できるのは、総合見解者(スクリプター)の特権と言えよう。
 しかしガラス管を机に戻しながら、女の顔色は優れなかった。
 育っている。私が仮に冬虫夏草と名づけたあの物体が……彼の体の中で大きくなっている!
「どうしたの? 顔色が悪いわよ」
「主任」
現在はミュゼ・カウプランと名乗り、帝国を代表する科学機関の長となった、かつての大学の先輩が話しかけてきた。試験官を眺めていた研究員はこのカウプランの助手である。白衣に身を包んだ二人の女は、今や帝国の頭脳といってもいい存在だった。
「あら、E号の最新サンプルね。……何か見えた?」
試験管を眺めている主任の、眼鏡の奥の視線は冷たかった。この人は私のような総合見解者ではないから、サンプルはサンプルに過ぎないのだろうと助手は思う。
 ふと、主任にとってE号は人間ではなくモノなのかもしれない、という考えが脳裏に浮かんだが、助手は学生時代のまだ髪の長かった先輩の姿を思い出しながら、自分の考えを否定した。男のように髪が短くなって化粧の雰囲気が変わり、外見が冷たい印象になったから、そんな気がするだけだろう。科学研究所の長として男たちを御していかなければならないのだから、学生時代と見た目が変るのは当然だ。
 助手がいつまでも黙っているので、ミュゼはサンプルから目を逸らし、気分を変えるように言った。
「疲れたでしょう? ……コーヒーを淹れてくるわ。いいの、あなたは座ってて」
白衣のスラリとした後ろ姿が研究室を出て行く。助手は思わず目で追った。
 主任の研究対象がE号の冬虫夏草であるのは間違いない。助手の立場としては彼女に報告すべきなのだろうが、だけど……。

 先輩、信じてもいいんですよね。あなたは優しい人だった。……人をモノのように扱う人じゃない。

 再びサンプルに視線を戻す。
 漂ってくるコーヒーの香りを嗅ぎながら、彼女はいつまでも試験管を見つめ続けた。

END

月マガ2007年10月号を読で思った、 
こんな伍長はいや〜!
こんな展開はいや〜!
ねぇねぇ、こんな話になっちゃいやだよねー
という与太話です(意味不明)。

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