イナズマ前夜(4)

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 画面はふいに閉じられ、元のメニューページに戻った。
 不知火はマウスから手を離すと右手で両目を覆った。目が疲れたからだろうが、残念がっているようにも見える。いや、缶ビールをかなりのハイペースで飲んでいたから、たんに酔いが回ってきただけなのかもしれない。


『新魔球は可能か?−日本ハムファイターズ・不知火投手の可能性−』
というタイトルで、魔球に関する一文を研究室のホームページにアップしてもよいか、という問い合わせが教授から入ったのはそれから数ヵ月後のことだったと思う。
 不知火はとても嬉しかったのだが、その頃自分が置かれていた状況では、こう返答するしかなかった。

『論文、早速読ませていただきました。
 大変面白く、興味深いものでした。あの実験室での光景が目に浮かぶようです。
 この論文を読んで「ナックルを投げてみたい、そして魔球に挑戦してみたい」と思うピッチャーが大勢出てくるような気がします。
 しかし、残念ながらチーム事情もあり、僕がナックルボールを実戦で使う日は当分来そうにありません。そしてナックルを投げた記憶も人々の脳裏からは消えかかっているようですし、そんなわけでナックルの応用である新魔球に僕が一番近い投手とされているのは少々気恥ずかしく思います。
 これは決してナックルを封印する、という意味ではありません。確かにフォームを測るにはいいボールですし、あの日見せていただいた魔球の研究もこっそり続けさせていただいています。
 ただ実戦で使わない球種など自分にとっては持ち球と言えないので、不知火のナックルが魔球に一番近い、という書かれ方は不本意なのです。
 もちろん、僕以外のナックルを投げられる方々のためにもこの論文はぜひ発表なさるべきだと思いますが、僕の名前は出さない方向でお願いできないでしょうか。
 本当に申し訳ありません。しかし、上にも書きましたが今後も自分なりに魔球の研究は続けていきたいと思っています。先生のおっしゃる通り、いつか投げられ日がくるかもしれません。
 ひょっとするとその前にナックルを実戦で投げられる日が来るかもしれません。その時はどうぞ僕の名前を使ってください』


 
 両目を覆ったまま椅子にもたれ、不知火はメールの内容を反復してみた。四年近く前のことなので内容はところどころ怪しい。あれ以来教授とは年賀状をやり取りしているが、ホームページを見る限り、研究室のメンバーはだいぶ変わってしまったようだ。関西弁は卒業し、サッカー小僧は院生になった……。
『そして、俺も変わった』
 ごつごつとした大きな手の下からのぞく唇が、ふいにつりあがる。
 確かにあの魔球はナックルボールの進化系だった。変化のメカニズムもわからずただ闇雲に投げるのとは違い、あるべき理想を求めながらの投球は高校時代のナックル習得に比べれば各段に合理的で、一日にわずかしか投げなかったにもかかわらず、進歩は目覚しかった。
 不知火はかざした手を下ろすと、酔っ払い特有のとろんとした目で天井を見上げた。
「霧島先生……俺、魔球をつかみましたよ」
 あの日見た変化とは多少違うような気がするが、基本的には同じものを投げられるようになった。変化はあれほど大きくない。きっと風洞実験の魔球よりはボールの回転が少し多いのだと思うが、逆にスピードは速く感じる。変化が小さい分ストライクゾーンには納めやすい。この辺りがナックルよりは日本向けと言えるのかも知れず、投げるのなら今のうちだとも思う。来年の自分がどうなってるかは……わからないのだから。
 しかし風洞装置の魔球より変化は小さいといえ、何の練習もなしにキャッチャーが取れるものではないようだ。練習でも後逸したブルペン捕手になんかヘンな球を投げたな、といぶかしげな目で見られたものだった。まぁ不知火が奇妙なボールを投げるのは彼らにしてみれば今に始まった話ではないので、そう珍しがられるわけでもないが。
 ただはっきりしているのは、スピードがある分、ナックルより取り辛いということだ。
「土井垣なら取れるかな」
 取れなくても、前に落せれば彼の肩ならなんとかなるだろう。なんと言っても走塁防止率は山田以上である。
 それにしても、二年上の先輩を高校時代の癖で呼び捨てで呼ぶのはかなり酔っている証拠だった。飲み会では崩れなかった不知火だが、自宅でくつろぎながらの缶ビール一本が理性の一線を少し、越えさせたようだ。
 土井垣はここしばらく指名打者とキャッチャーを行ったり来たりで、今年は一年を通じて指名打者だったが、N口がトレードされたことを感えると来年は捕手で固定されるだろう。
「……前に落せれば、じゃない。なんのためのキャッチャーだ」
 不機嫌に呟くと眉根を寄せる。妙に座った目つき。
『まったく、FA宣言なんかしてどうする。あんたの役目は俺のボールを取ることだろうが』

 不知火はぬるくなった缶ビールを飲み干すと、パソコンをシャットダウンした。手順に抜かりのないところを見ると、酔ってはいるが記憶を失うほど泥酔しているのではないらしい。

 魔球なんて練習しだしたらコーチは怒るだろうと、不知火は自分より背の高いその姿を思い浮かべ渋い顔をした。でも新監督はメジャーでナックルなんか見なれているだろうから、それの応用だと言ってみたらいけるかもしれない。土井垣は……。
『あいつは簡単だ。目の前で投げて見せればいい』
 むやみに速い球の好きな男だがどうせ根っこはファン感謝デーの野球少年と一緒だ。魔球を見れば即、夢中になることだろう。
 不知火はアルミ缶を左手に持ち替え、易々と握りつぶすとゴミ箱へ投げた。マウンドでは制球の冴えを見せる男だが、ひしゃげた缶は見当違いの方向へ飛んでいき近所迷惑な音を立てる。しかしそちらを見ようともしないところを見ると、もともとゴミ箱のことなど眼中になかったらしい。
 再び濁音のかかった妙な息を吐くと、唇をヘの字に曲げた。ビールの匂いがする。
 土井垣のクセにFA宣言だと? 俺のFAはまだ先だってえのに、あんたが俺より早くメジャー行きなんて笑わせるぜ。どうせ残留するくせにぐずぐずやりやがって、まったくイライラする。
 不知火は大儀そうに立ちあがるとソファに移動し、テーブルの携帯を取った。
 深夜二時過ぎ、たいへん非常識な時間帯だったが、呼び出し音を聞きながら貧乏揺すりをしている。
「あんたのことだからどうせFAのことなんか忘れてるんだろうがよ。せっかく俺が心配してやってんのに」
 ようやく携帯の向こうで声がした。明らかに頭はまだ眠っているような不機嫌な声であったが、不知火は構わず怒鳴った。
「遅いぞ土井垣、待たせやがって!!寝ぼけた声出してんじゃねぇ。いいか聞けよ、明日の朝……朝……十……十一時からキャッチはあんたで投球練習はじめる。一生忘れられん、キャッチャーをやってて良かったと感動に打ち震えるような凄いモン見せてやる。せいぜい覚悟しておけ」
 ウフフ……と笑いながらもとんでもない早朝に時間を設定しなかったところをみると、不知火は翌朝、このセリフを全てきちんと思い出すことであろう。大量の後悔とともに。
 電話の向こうの寝ぼけた声の調子が変わり、やぎつばやに罵声と質問の混ざったものが飛んできたが、不知火はさっさと通話を切り、電源も切ってしまった。今日、いや正確に言えば昨日、球団と土井垣の間でどんな話し合いがなされたのか聞きもしないで。
「まったく、さっさと進退を決めないから俺が魔球を投げるはめになったんだ。……みんなあんたが悪いんだぞ」
 
 不知火はもう一度高らかにビールくさい息を吐きだした。
 そして立ちあがると携帯の向こうで悩んでいるであろう土井垣のことなど考えもせず、寝室のドアに向かった。






 


 土井垣さんの苦難はこの夜から始まったのです(笑)

「カットボールだ」と見破った太郎にケンカ売った内容で申し訳ありません(涙)。全ては管理人の妄想の産物です。
 この作品のナックルボールについての内容は、
福岡工業大学工学部知能機械工学科溝田研究室さまの
ナックルボールに関する論文を参考にさせていただきました。
 イナズマについては同HP内の『頑張れ!!WakeField』よりヒントをいただきました(事実誤認があると思いますがすべては管理人のいたらなさによります)。
 なお風洞装置の実物はこちらです。

 その他参考HP
It’s Gone! MLB Fane's Plaza On The Webナックルボールのページ
スポーツナビ梅田香子の現地発コラム
 他にも書籍等色々あります。野球関連のHPって本当に多いですよ〜。



 

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