クリスマスの贈り物(1)



 マンションのドアを開けると、坊主頭にスーツ姿のこの家の主人が、玄関で靴に足を突っ込んでいるところだった。
 今頃家にいるところを見ると、収録時間に遅刻しそうなのだろう。律儀な土井垣にしては珍しいことである。
 この人は俺が合い鍵を作ったことを知らない。驚かしてやろうとわざわざ家を空けるこの日に帰ったのに……不知火はちょっと拍子抜けする。
「今までどうしてたんだ、連絡ぜんぜん取れなかったぞ」
 靴べらを探しながら、土井垣は視線も合わせない。鍵の事には気づいていないようだ。よほど焦っているのだろう。
 少し不機嫌な物言いに、不知火は何故か嬉しくなった。
 2週間前、年末の用事を済ませたいので自分のマンションに帰る、と言ったとき、土井垣の顔に少しばかり『やれやれ』と言った表情が浮かんだ。カチンときた不知火は自分からはまったく連絡を取らず、土井垣からのメールも無視した。最もTVの収録やらラジオ出演やら色々忙しかったのが事実なのだが。
 ……でもクリスマスはあなたと過したいと思っていたのですがね……不知火は普段あまり履かないフォーマルな靴に手間取っている土井垣を見下ろした。以前、予定はありますかと聞いたら、困ったような顔をしていたけど。ご丁寧に連絡がありましたよ、あいつの弟から。

「知三郎から聞きましたよ」
 靴を履き終わった土井垣がやっと顔を上げたので、不知火はゆっくりと爆弾を落した。バッターボックスの打者に凄む目つきと、思いきり不機嫌な声音を使って。
「…………」
 土井垣はつま先をとんとんやる素振りを見せながら、また忙しくうつむいた。マズイ、やばい、と眉間に皺を寄せたあの人の顔が目に浮かぶようだ……不知火は命中の効果に、内心ほくそ笑む。
「すまん、急いでるんだ、……また後でな」
 通りやすいように不知火がドアのほうに身を寄せると、眉間に名残の皺を少し残したまま、視線も合わせず逃げるように、土井垣は玄関を飛び出して行った。

 ドアを閉めると、不知火は扉にもたれほくそ笑みを顔に出した。これであの人は収録中、ずっとあれこれ言い訳などで思い悩むに違いない。いい気味だ。俺に黙って犬飼小次郎と旅行の約束なんかするから悪いんだ……しかも2人っきりで。
 去年も同じ時期に2人きりで泊りがけの旅行に行ったらしい。不知火は靴を脱ぎながら知三郎の電話の内容を思い起こした。
 ひなびたとてもいい雰囲気の温泉旅館らしいけど、今年は2人きりになんかしてあげませんよ。俺くっ付いていってやろうかな。なんだかんだ言っても土井垣さんは俺の我侭は何でも聞いてくれるんだから。しかし知三郎のやつもそんなにアニキを独占したいなら、俺になど電話せず自分から行動しろってんだ。ブラコン野郎め。
 
 不知火は上着を脱ぎながら廊下を歩いた。

 ふと目をやると、寝室のドアが開いている。
 土井垣はかなり急いでいたのだろう、皺くちゃのパジャマがベッドの上に見えた。
 畳んでなんかあげませんよ。……不知火がリビングに入ろうと体の向きを変えた時。

 寝室ドアの影にスーツケースが見えた。
 開けっぱなしのクローゼットの前に置かれている。
 シーズン中土井垣がよく利用していた見慣れたもので、終了後、クローゼットに押し込むのを不知火も見ていた。何か奥のものでも探すのに邪魔だったのかな……。

 見馴れたスーツケースだった。ことさら注目するものでもない。
 だのに、不知火は目を離すことが出来なかった。


 ドアが一瞬、古ぼけたアパートの白茶けたふすまと重なる。
 

 思わず、不知火は目をこすった。
『今のはなんだったのだろう』

 足先が吸い込まれるように寝室に向かう。
 

 ここに鏡台。
 ここにスツール。
 ここに婚礼箪笥。上には人形が飾ってあって、窓には花柄のカーテン。
 
 畳敷きの小さな部屋。開け放たれた押入れの前に、スーツケース。
  

 ……一体どうしたんだ。
 
 不知火は頭を振った。
 
 フローリングの床、簡素なパイプベッド、部屋の隅にはダンベルなんかが転がっていて。
 ここは殺風景な男の部屋だ。

 眩暈。耳鳴り。
 空気が粘っこく呼吸が苦しい。
 

 化粧品の匂い。

 そんなはずはない……口紅や化粧水の匂いなんか、この部屋でするもんか。
 
 ……化粧品の匂い。
 
 頭が痛くなる。
 
 わざわざ化粧するなんて。
『あの男のところだ』
 
 ……違う。
 
 不知火は首を振った。よろめきながら額を押える。
 
 違う。
 違う、違う、あの人が行ってしまうはずがない、だってあの人は。


 ……何を考えてる。俺は、一体どうしたんだ。

 不知火は胸を押さえ、喘いだ。

 口紅の匂い。

 化粧水の匂い。

 たまらず、口元に手をやる。

「気分が悪い。……吐きそうだ」

 不知火はつぶやくと、新鮮な空気を求めて窓辺へ向かった。
 
 窓を開けると、冬の冷たい風にブルーのカーテンがはためく。


 眼下に広がる見馴れた風景が、何故かTV画面のように感じられたが、不知火は瞬きもせずに眺めていた。

 
 
 
 
「今、収録終ったから。ちょっと買い物してから帰るよ」
 そういうと土井垣は携帯を切った。苦い顔である。
「あれぇ土井垣さん、一人暮しじゃなかったでしたっけ?」
 横でH人選手が冷やかすように笑った。

 年明けの収録番組は新春・バッテリーの抱負という内容で、土井垣とともに呼ばれたのがH人投手だったために、不知火は大いにむくれたものだった。

「彼女が待ってる……と言いたいところだが、残念ながら実家さ」
 土井垣は滑らかに嘘をついた。昔の自分なら馬鹿正直に不知火が、と答えているだろう。
「ホントですかぁ」
 H人は胡散臭そうに目の前の生真面目な顔を見て笑った。
「それじゃ、土井垣さん年末年始は実家ですか?」
「ああ……家事は面倒くさい。わざわざ一人暮しなんかするんじゃなかった、寮のほうが楽だったよ。球団に掛け合って出戻ろうかな?」
「出戻りですかぁ?いっそ嫁さんでももらえばいいのに」
「嫁さんな……」
 鼻歌混じりで洗濯物を干している不知火の姿が突然浮かび、土井垣は苦笑いした。

 TV局を出ると、通りは人でごった返している。
 街のBGMはすっかりクリスマスソング一色で、店の飾りつけも赤や緑、金色が目立つ。外来ものの年中行事には無頓着な土井垣だが、クリスマスばかりはさすがにケーキの一つでも買わなければならない気がしてくる。
『俺の家は確か仏教のはずだがな』

「じゃ、土井垣さん、俺はこれで」
 今度会うのは来年ですかねぇ……H人は今年の挨拶を済ますと、地下鉄への階段を降りていった。

 通りの甘味所は和洋ともども、ここぞとばかりにクリスマス関連のお菓子の宣伝に忙しい。不知火にケーキは合わんな……家で帰りを待つ長身の大男の姿を思い出すと土井垣の唇の端はほんの少し持ちあがったが、浮かびかけた微笑はすぐに引っ込んでしまった。

 やれやれ、参った。
 
 先ほどの電話を思い出し、土井垣はまた渋い顔をした。出かけ際に、玄関で知三郎から聞いたと言っていたが……やっぱりあのことなんだろうなぁ。まったく知三郎のやつどういうつもりだ。
 不知火の恐ろしく不機嫌な声を思い出し、溜息がでる。まる2週間も連絡の取れなかったお前だって悪いんだぞ、俺だって話そうと思っていたのに。……お土産なんか買うより、早く帰ったほうがいいだろう。

 土井垣は駅のほうへ急いだ。


 

クリスマスの贈り物(2)に続く


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