子供たちが雑魚寝をしている部屋につながる急な階段を、C・Jはネズミを狙う猫みたいにこっそりと降りていった。
双子とイダテンが転がるように眠る横に、小さな子供たちと比べたらまるで巨人のように見える大男が、自分の古い軍用ジャケットを上掛けがわりに上半身裸で横たわっている。
スナイプスは言いつけを守ってるようだし、ウルスラはまだ頑張ってるらしい。C・Jは眠れる“兄さん”のそばにそっと近づき寝息をうかがい……そそくさと服を脱ぎ始めた。
バカッタレなランデル兄さん、きっとウルスラの気持ちにぜんぜん気づいてないんだ、でも私の変化にも気づかないってどうよ、などと思いながらC・Jは唇を尖らせる。
『ホントにもう、変ったのはウルスラだけじゃないんだぞ』
潔く黒レースの下着までさっさと脱ぎ捨て、“兄さん”が上掛け代わりにしている大きなジャケットの下にもぐりこもうとしたけれど……もうそこには入り込むスペースがなかったのでその辺に余っていた小さな毛布を体に巻きつけ、とりあえず身を寄せてみる。
辺りは静かで、ただ階下からスープらしい匂いとときおり小さな物音がするだけだった。それ以外は耳を澄ましてみても三人分の寝息しか聞こえてこない。
軍隊に入ってたくせに兄さん相変わらず朝には弱いんだ、と拍子抜けしたC・Jは仕方がないのでジャケットの袖を引っ張ってきて、添い寝の気分だけでも味わってみることにする。
くたびれた布地からは見知らぬ大人の男のにおいがした。
こんなふうに、昔も一緒に眠ったものだ(服は着ていたけど)。あの頃も兄さんは大きくて……でも考えてみたら私も成長したのに兄さんも変らず大きいままというのはなんか変だとC・Jは思う。
上目遣いに横を見ると、頬に見慣れた傷痕の目立つ懐かしい顔がある。しかし、鼻を横切る派手なサンマ傷や顎の縫合痕には違和感を覚えた。太く逞しい首や筋肉の盛り上がった胸や肩にも。
軍隊での訓練のせいかな。それとも毎日お腹いっぱい食べられたから?
あの背が高いだけで喧嘩はからっきしだったランデル兄さんが、こんな筋骨隆々になるなんて。
アベル兄さんが見たらきっと驚くだろう。もちろんアカシア姉さんも。
ブラン兄さんもトラマト兄さんも、当然ロッペル兄さんだって。
何にも言わずに突然いなくなって、また何にも言わずに突然フラッと帰ってきた。……こんな傷だらけの体になって。
『ホントにもう、変ったのはウルスラだけじゃないんだぞ』
変ったのはあの子だけじゃない。あの頃のみんな。
傷だらけの変わり果てた顔を再び眺める。すっかり大人の顔立ちになっているけど、でも眠っている表情は昔のままのような気がした。
『……変わらないものもあるよね』
私、ひょっとしたら甘えたかったのかな。
C・Jはドシンとぶつかるようにさらに体を摺り寄せてみたが、夢でも見ているのか眠れる巨漢はぴくりともしない。
「ラ・ン・デ・ル・兄・さん」
今度は取っておきの甘い声でささやいてみる。でも返ってきたのは寝息だけだった。
『……もう!』
こら、いい加減に起きろランデル、と毒づきながらジャケットの下にもぐりこむ。
包帯の下の分厚い胸板、見事に割れた腹筋。
うっひゃーすごぉい筋肉、と素直に感嘆しながらくすぐってやろうと手を伸ばしたところで、C・Jの動きは止まった。
『あらまー。お元気ですこと』
まだ年若いC・Jとウルスラにグランマが与えた仕事は、主に客とのデートだった。
相手は自分たちとさほど年の変らない貧乏な意気地なしだったり、ロータス・ストリートほどへヴィな遊びをしたくない連中や、女ではなく少女のほうが嬉しい変なヤツがほとんどだったが、時にはヘヴィな遊びが不可能な客――戦場帰りが多かった――もやってくる。
特に精神的なことが原因らしい客は、たいてい哀しそうな目をしていてどこか人との繋がりを諦めたような感じがあって……。別に傷だらけの兄の姿にあれこれ想像していたわけではないが、ふとC・Jの脳裏にそんな客たちの姿がよぎった。
『お元気で何よりですこと。……体はしっかり起きてましてよ、うふふふ』
なんだか安心し嬉しくなったC・Jは悪乗りして、兄の軍用ズボンのウェストボタンに手をかけゴゾゴゾやりはじめる。
『ちょ……うっひゃーすごぉい筋肉……だっけコレ』
軍隊での訓練のせいかな? それともお腹いっぱい食べられたから?!
確かに成長しきってない体では本当に危ないぞ、とか、軍に志願されたらマズイからスナイプスには黙ってよ、などとC・Jがぐるぐる考えているうちに、腰が楽になったせいか巨体が身動きをはじめた。
慌ててジャケットの下を滑り出て澄ました顔で横になる。
やがて大きな体は起き上がったが、まだ寝ぼけているらしく何の反応もない。
まったくと頬を膨らませながら毛布の下でモゾモゾ動いてみる。
『この私にここまでやらせるなんて、覚えてなさいよ』
やっと空気が変った。
C・Jは雰囲気たっぷりに“事後”を演出しながら起き上がり、頬を染め恥かしげな潤んだ瞳でじっと兄を見上げる。
目の前の、以前よりずっと大人っぽく男らしくなった顔。
その予想外の出来事に凍りついた表情は、身内の場違いなオールヌードにびっくりしている家族の顔というより、ぜんぜん記憶にない“情事”に驚きうろたえている男のものだった。
『あーはっはっ私の勝ちねランデル兄さん! どう私、変わったでしょう!!』
しかしC・Jのゾクゾクするような勝利の快感は、すぐに階下からの少女の呼び声に打ち消された。
「うおーい、朝食が出来……」
野生猫のようにすっ跳んでくるウルスラを尻目に、C・Jはすばやく毛布を引き寄せ背景に溶け込む。
怒れる少女の猫キック猫パンチ乱れ引っ掻きが次々と巨体に決まっていくのを安全地帯で見物しながら、この修羅場が終わるまでは話しかけないほうが無難だろうと気配を殺す。
巨体の顔に痣が増えるにつれ、嫉妬深い幼なじみの怒りも収まってきたらしい。
『兄さんコレに懲りて、もうちょっと乙女心に敏感になればいいんだけどね』
C・Jはイタズラっぽくこっそり舌を突き出すと、脱ぎ捨てた下着に手を伸ばした。