彼は子供の頭を撫でながら、自分の髪質とそっくりな感触に複雑な気持ちになった。
ランデルの父親は誰なのか、彼女は決して明かそうとしない。
あるいは本人自身わからないのかもしれなかった。
この子の容貌の中に自分に似ているところがあると彼は素直に喜んだが、あの夜はあまりにも酔いすぎていたし、十中八九自分である可能性はないと思っている(彼女の態度からしてもたぶんあれは夢だったのだろう)。
だがそんなことは今更どうでもいい話だ。出産の許可をもらいにグランマを説得しようと決めた頃には、子供の父親など彼は気にならなくなっていた。
『お腹に宿った子を産んであげたい』
ある日、まるでサプライズパーティーでも開くような明るいノリで、彼女はいたずらっぽくこっそりとささやいた。
その後はどんなに反対しても脅かしてもどこ吹く風で、青年の心配をよそに女はいつも幸せに満ち、日ごとに毅然とした美しさを増していった……明るいノリとは裏腹の強い想いをそこに感じた。
常々かしこく魅力的な女性だと思っていたがそれに逞しさ、しなやかさが加わり、職業婦人として男に頼る気持ちのまるでない彼女に対し、夫にも恋人にもなれないのならせめて子供の父親に……と彼が思いつめるようになるまであまり時間はかからなかった。
そんなもんいなくても子は育つよ、先生は取上げるだけでいいんだと彼女は文句たらたらだったが、父親は自分だということにしなければ協力しないと半ば強引に話しを押し進めた。
グランマや周囲が彼を父親だと信じたかは不明だが、商品に手をつけた不埒モノの分際で未だに娼館付き医師を続けられているところを見ると、きっとどうしようもない愚かな男だと影でバカにされていることだろう。
「おふね、ばいばーい」
ランデルは川下に向かって手を振っている。
水面はすっかり暗くなりもう何も見えなくなった。
「とーさん、ぼくもおふねつくりたい!」
「ああ、帰ったら教えてあげよう」
親子は手を繋ぎ歩きはじめる。男は小さな手のひらのぬくもりに、遠い昔自分もこんな風に言って母親に折り方を教わったことを思い出した。
彼が救えなかった生命を弔い、紙の舟を流すようになったのはこの子が生まれてからだ。オモチャ代わりに風船を折ってやったのがきっかけだったと思う。
外では帝国人らしく振舞うためにすっかり忘れ去っていた、かつて母の教えてくれた共和国の風習。
贖罪にもならないただの自己満足に過ぎないのはわかっていたが、患者の娼婦たちにとっては医者が悪酔いせずにいつも職務を真っ当してくれれば、偽善だろうが自己満足だろうがどうでもいいことだろう。
二人は客の目に付かぬよう裏通りを歩いた。見慣れた建物が現れると、子供は父親の手を振り払って元気に駆け出した。まだ宵の口で客にあぶれているのか暇そうにしている娼婦たちが、裏口のドアで子の名を呼び手招きをしている。彼女らはみんな……この子の母親だ。
扉の前でほとんど婆さんと言っていい年増の娼婦に抱き上げられ、ランデルは嬉しそうに笑った。母というよりは姉と呼んだほうがふさわしい年齢の若い娘が、ボサボサの黒髪を撫でながら客にもらったらしいキャンディを渡している。幼子の周りに溢れるたくさんの笑顔。
そんな胸の温かくなってくる光景を眺めながら、彼はこのようなところで父親の顔も知らずに生まれてくる子供が幸せになれるわけがない、とかつて思っていたことを恥じた。そして芽生えたばかりのその生命を、当然のように摘み取ろうと決めていたことも。
心の中に、罪悪感が灰汁のように浮んでくる。以前外で町医者をしていた頃のような澄んだ心には、もう戻れない。
「とーさん!」
うつむきかけていた彼は慌てて顔を上げた。いつの間に下ろしてもらったのか裏口のドアの側で、ランデルがきれいな包装紙を持った手をバサバサ振り回している。
「おふね、はやくぅ」
「おいおい、そんなに振り回したら紙がクチャクチャになるぞ」
罪悪感を心にしまい笑顔を向ける。小さな子供の前で父親がいつも陰鬱な顔をしているのは好ましいことではないだろう。
自分を愛し必要としてくれている人がいるのに、罪の意識に溺れてばかりいるわけにはいかない。たとえ罪悪感に苛まれる日々であっても、この子との暮らしはずっと続いていくのだから。
「ランデル、上手に作って母さんを驚かせてやろうな」
室内の明かりが白衣の後ろ姿をやさしく包み込み、娼館の裏口のドアがバタンと音を立てて閉まった。