「月明かりかと思っていたら星明りだったのか」
少尉が立ち止まる。石造りの堤防の下では川面が黒く流れ、街の灯が途切れたためか、星々はいっそう輝いて見えた。
「あ、ここ、俺の落っこちた川だ」伍長は少し顔を赤らめながら頭を掻いた。「あの郵便物盗難事件の時に……マーチス准尉が川沿いに逃げる犯人を追いつめて路上に誘導したのを、俺が捕まえるはずだったんですけど」
「なるほど、階段があるな。あそこから川に降りられるのか」アリス少尉は数段降りると顔を上げ、明るく言った。「下水の匂いがするかと思ったがそうでもないな。来い、こっちのほうがもっと星が多いぞ」
子供のように駆け降りてゆくふんわりとした金色の髪を伍長は追った。そして暗い夜空を見上げながらぶつぶつと星座の名をつぶやいている少尉の、斜め後ろにそっと立つ。
「うん?酒の匂いか?」
「あの、レジーナさんに祝い酒だと進められて、その少々、いただきましたので。ごめんなさい俺ばかり飲んで」
「いや、私は飲むわけにはいかないから。……しかしお前、酔わないのだな」
「あ、いえ、俺、酔ってます」
少尉は気づかなかったが、伍長の目元はほんのり赤かった。
「そうか?酔うとはオレルド准尉みたいに鼻の下を伸ばしたり、マーチス准尉みたいに踊るのものかと思っていたが」
「あれは悪酔いです」
「では、お前のは良い酔い方なのか?」
「はぁ、それはなんとも……」
「だが祝い酒とは粋な計らいだ。女将も退院を祝ってくれて何よりだった」
「はい。とても、嬉しかったです」
「そうか」少尉は満足そうに微笑んだ。「あの店を選んでよかった。……それにしても早くご主人が戻られるとよいのだが」
あれから店の常連のつてで捕虜収容所帰りの人間を見つけだし、主人のさらに詳しい情報を得ることができたらしい。復員はいつになるのかわからないが、元気でやっているのは確かなようだ。
「ええ。あの人の心の底からの笑顔を見たいです」
レジーナを気にかけているらしい伍長の顔を眺めながら、少尉はふと気づいたように言った。
「そういえば、お前の母上はあの店の女将に似ているそうだが、顔も似ているのか?」
「そうですね。雰囲気とかよく似ています」母親を思い出しているのか、伍長の目はあらぬほうに向いている。
「背の高い方だが母上もなのか? だとしたらよく似た親子なのだろうな」
「ええ、どちらかと言えば大柄ですが、……でも顔が似ていると言われたことはなかったような」
「女将に雰囲気が似てるなら、母上は豪快に笑う方なのだろう。ならば確かにお前とは似ておらぬ」しげしげと伍長の顔を観察していた瞳が、不意に子供のように無邪気な光を帯びた。
「……それとも母親というものはみな、あのように笑うものなのか?」