プロローグ
 棺に最期の土がかけられるのを私は黙って見つめていた。
 掘り起こされたばかりの土塊は黒さが際立っていて、周囲の踏み固められた地面とは対照的にしっとりと湿っている。
 ぼんやり大地のコントラストを眺めていると不意に後ろから肘を突付かれ、花輪を手渡された。いつの間にか葬儀は進んでいたらしい。
 促されるまま花輪を掲げ、墓の前に立つ。
 事前に教えられた手順どおりに跪き、盛り上げられた土の上に花を置くと、カメラのシャッターが切られる音があちらこちらから聞こえてきた。
 葬儀が終わったらまた新聞記者に囲まれるのだろう。
 お父さまの死について一言と。
 フランシア伍長なんて知りません、父はまだ上等兵ですよ……シャッターの響く中を立ち上がりながら、私は急に笑い出したくなって慌てて口元を手で押さえた。
 家に戻れば父の匂いがする。あの日もいつものように玄関を出て、いつものように帰ってくるはずだった。
『大丈夫だよフラウス。任地は国内だから敵にやられることなんか絶対ないさ。だいたい父さんがお前を一人にするはずがないだろ、天国の母さんに怒られる』
徴兵された時、父が言っていた言葉。
 わからない。あの捕虜は皇帝陛下の恩赦のおかげで共和国に送還中だったのに……もうすぐ祖国に帰れるというのに、どうして脱走なんか……。
 シャッターの音はまだ続いている。気がつくとペンとメモを持った男女が私のまわりに集まっていた。葬儀はいつの間に終わったのだろう。まるで自分が夢の中にいるような感じがする。
 周囲の口々が一斉に動き出した。矢継ぎ早の質問に私はただうなずき、はいと答える。
 早く家に帰りたい。懐かしい匂いのする場所に。ここはいや。こんなに大勢人がいるのに私は一人ぽっちだ。
「おお、それはお父さまの意思を継いで軍人になりたい、ということだね?」
「たとえ非力な一少女でさえ下劣な悪は許さない! 帝国民たるものの見本だわ」
「共和国の暴虐に憤慨する帝国の少年少女諸君よ、フラウス・フランシアに続け、と」
記者たちの興奮した口調に我に帰った私は、呆然と目の前の忙しく動き回る唇を眺めた。
 この人たちは何を言っているのだろう? こんなこと、考えてもないのに。
 言葉が細切れにされ勝手に紡がれていく。あらかじめ決められているみたいに。
 なんだかよくわからないけど……きっと“フランシア伍長”の娘ならそんなことを言うのかもしれない。おかしな人たち。私はフランシア上等兵の娘よ……。
 不意に新聞記者たちが黙り込み、私から退いた。
 出し抜けに肩を叩かれ振り向くと軍服を着た男の人が立っている。確か父の上官でこの人も棺に土をかけていた。
「車で家まで送ろう」
新聞記者たちが憲兵に追い払われる中、促されるまま素直に車中の人になる。
 自動車が動き出し、助手席に座ったさっきの軍人さんと下士官の軍服を着た運転手が小声で話している間、私は後ろの席でずっと黙りこくっていた。なんだか自分が背景になったような気分がしたが、とても疲れていたのでそのほうがありがたい。
 しばらくして自宅の手前に来たところで車が停まった。助手席の軍人が振り返り、後部座席の私の顔を見つめる。
「フラウスさん、突然で申し訳ないがこれから陸軍情報部までご足労願いたい。二課長ラインベルカ大尉が君に会いたいと言っている。フランシア伍長……お父さんも、君が大尉殿に会うのを喜ばれるだろう」
“伍長”だなんて。この人もあんなことを……。
 でも疲れすぎていて反論する気力もなかった私は“フランシア伍長”の娘でいることにした。本音は父の……フランシア上等兵の話をしたかったのだけど。命を救った民間人はどうなったのかとか、優しく温厚だった人柄とか。
 だけど人々は父のことなんか忘れてしまったみたいだ。みんなが話しているのは皇帝陛下の有難い情けを踏みにじった共和国兵捕虜の下劣さと、虫けらのように殺された私の知らない哀れな“フランシア伍長”のことばかり。
『しかしあの兵士も……。軍規に照らせば民間人を傷つけたって、別に構いやしなかったのに!』
 助手席から咳払いが聞えたので慌てて顔を上げ、“フランシア伍長”の娘らしく答える。
「はい。伺います」
自動車は再び唸りを上げ私と父の暮らした家の前を通り過ぎ、陸軍情報部へと進路を変えた。



   
 
「なかなか可愛らしい娘ではないか。タレ目で庶民的なところがいかにも国民の同情を引きそうだ」
上等兵死亡と書かれた新聞記事の見出しの下に、病院から出てくるところを撮影されたらしい少女のモノクロの写真が小さく載っている。色素の薄いウェーブヘアをショートカットにした髪形は、そこいらの真面目な女子学生といった風情だ。

 共和国兵捕虜の脱走事件に巻き込まれ殉職した、フランシア上等兵の葬儀が執り行われる数日前。
 帝国の頭脳・カウプラン博士亡命に伴い新たに編成しなおされたばかりの陸軍情報部・二課職務室で、部課長ラインベルカ大尉はいつものようにデスクに向かい新聞を広げていた。机上には他誌が何部か積み重ねられている。
 微笑を浮かべながら誌面の写真を指先ではじいたが、女とは思えぬほどの鋭い目つきのせいでその笑顔は何やら禍々しい。
「フラウス・フランシア。学校を出た後は自宅で家事をしていたようです。母親は……数年前に死亡しています。他に家族はいません」
波打つ金髪の上官とは対照的に、報告書を手にした副官は黒く真っ直ぐな髪を背中まで垂らしている。
 派手な容姿と独特なしゃべり方のかもし出す妙な迫力のせいで何かと目立つ上官に比べ、部下はいたって地味で常識的だ。
「新皇帝陛下即位のめでたい最中に起こった悲劇……良きタイミングよ。国民も祝賀ムードにはそろそろ飽いたところであろうし、だいたい戦時中に祝賀もクソもあるか。恩赦などお祭り気分でやっているからこのような事態になるのだ……ところでこの娘、今後の身の振り方は決まっておるのか?」
「わかりません。情報によれば父娘は親戚づきあいがあまりなかったようです……近所の人々は心配していますが、このご時世ですからどこまで親身になれるか」
ラインベルカ大尉は新聞を置くと机に両肘をつき、顔の前で手を組んだ。後ろで唇がさらにつりあがる。
「なれば天涯孤独か、それは都合がよい。……諜報部員として実に相応しい境遇よの」
「接触なさいますか? 上等兵の――殉職したので伍長に昇進するでしょう――彼の軍葬は明後日の予定です」

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル