エピローグ
 色素の薄いウエーブヘアをショートカットにした若い娘は、かしこまった顔で敬礼した後しずかに二課長執務室を出て行った。
 ラインベルカ少佐は珍しくため息をつき、椅子の背もたれに寄りかかった。
「少佐。フランシア伍長は広報業務へ移動させ、ヴィッター少尉の元からは外すと聞いておりましたが?」
波打つ金髪が揺れ、上官は黒髪の副官に顔を向ける。
「通信室や集配業務、アナライズ専門の一課第二小隊(ダブルショーテル)のごときならいざ知らず、男の恋心も上手くあしらえぬような不器用な娘に諜報部員はとても勤まらぬとみていたのだがな。……双方本気なら致し方あるまい。ヴィッターの未練たらたら振りを覚えておるか? 本人はバレておらぬと思っていたようだが。あの朴念仁にあそこまで惚れられてプロポーズまでさせるとは将来が楽しみな娘よ。それに……」少佐は遠くを見る目つきになる。「私はいささかあの父娘を利用しすぎた」
「少佐、」
かすかに混じる非難めいた調子にラインベルカ少佐はすぐ元の顔つきに戻り、自嘲気味に言った。
「わかっておるわ。後悔するぐらいなら最初からするなといいたいのであろう?」
「いいえ」そっけない事務的な答えが返ってくる。「主語が不適切かと思われます。我々二課はと言うべきです」
「ふん、同じことよ。今の二課を創ったのは誰だと思っておる」
しかしラインベルカ少佐の目には感謝の色が浮んでいた。




 車内の空気がどんよりと重くなる。列車は沼地にさしかかったらしい。
 窓の外は雲っていて今にも雨が降り出しそう。
 新たな任務地、カルッセルに近づくにつれ外の景色はどんどんひなびていく。じめじめした湿地帯ばかりが続き美しい自然もたいした特産物もない、観光には不適切な場所だ。
 延々と続く代わり映えのない景色に車窓から目を逸らし膝の上のバスケットを抱えなおすと、私は不思議な既視感に襲われた。揺れる車内、膝の上の大切な荷物。以前にもそっくり同じ事を……でも、隣にあの人はいない。
 少尉がプロポーズなんかしなければ今頃二人で共和国行きの列車に乗っていたのかもしれないのに。しかし私はもう彼を責めようとは思わなかった。
 結局、私たちは“たまたま”上手くいかなかったのだ。どちらか一方に非があるのではなく。単にタイミングが悪かっただけ。
 これが、ルームメイトが中継ぎ業務で不在なのをいいことに、出発準備がてら思う存分ひとりで嘆き悲しんだ私の結論だった。
 もしも少尉が私のような駆け出しの諜報部員で、若くて結婚など思いもよらず、まだ組織というものもよく知らずに成果を出せば必ず報われると無邪気に信じていたなら、彼は部下にプロポーズなど決してしやしなかっただろう。
 逆に私がベテランでフランシア伍長としての確かな自分と、上司に一目置かれるだけのキャリアをしっかり持っていたなら、結婚はどうであれ少なくともこんな最悪の事態にはならなかったはずだ。
 少尉が一人きりで走り続けることに疲れを覚えはじめる年齢でなければ……私がやっと自分の人生のスタートラインについたばかりの小娘でなければ……任務がテストケースでなく正式なミッションだったら……彼がコールド・ヴィッターではなく私がフランシア伍長の娘でもなく、二人がただの少尉と伍長だったならば。
 突然列車が大きく揺れ、膝の上から飛び出しそうになったバスケットを慌てて押さえた。中でティラミスが鼻でもぶつけたらしくヒャウンと小さな声がする。
 いけない、しっかりしなくては。もうこの子を守れるのは私しかいないのに。
 幸いそれ以上バスケットに変化はなかったのでごめんねとささやいてから過去の思い出を頭から締め出し、現地での新たな任務のことだけを考ようとする。だがブランドン中尉が少尉の直属だという副官の言葉を思い出したとたん、私は忘れようとしていた上官のことを再び考え始めていた。
 それってつまり、私はまだヴィッター少尉の部下ということ?
 という事は。まだ何も終わってなんかいない!
 私たちは離れていても上官と部下。あの人は少尉で……私は伍長。
 そうよ……新たな考えに重く沈んだ心が軽くなるのを感じた。
 周囲や境遇の変化なんか関係ないじゃないの。心の中では、これからもずっといつまでもフラウス・フランシアはあの人の伍長だ。
 雲が晴れたのか急に車内が明るくなる。
 促されるように顔をあげ窓の外を眺めた。線路の前方、湿地の中に石畳を敷き詰めた小さな街が見える。もう間もなくカルッセルに到着だ。
 大して重要な場所ではないと副官は匂わせていたし、街の名前を聞いた周囲の反応も似たようなものだった。でもどれほど程度の低いつまらない任務でも、いつも少尉は全力だった。
 私も頑張ろう。どんな任務でも手を抜かずきっちりと、真面目に規則にのっとって。だって私はヴィッター少尉の部下だもの。そしていつか、彼が部下であることを誇りに思うような立派な諜報部員になってみせる。
 誰かの娘としてではなく、コールド・フランシアとあだ名されちゃうような。
 それが私を幽霊から人間に戻してくれたあの人への感謝のしるし。
 そうしていつか私の本当の気持ちに、少尉がほんの少しでも気付いてくれたらいいな。
 ……手始めに先ずはカルッセルからね。

 駅に近づき列車のスピードが弱まった。
 降りる乗客はわずかのようたが、車内の空気がだんだん気ぜわしくなる。
 私は希望を胸に再び車窓に目を凝らし、近づいてくる石畳の街並みを眺めた。

END

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本当にありがとうございました。

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