普段は寡黙な男が、今夜はいつになく饒舌だった。
ここではないどこか遠くを見る目つきで、自分の知らない場所に、時間に行ってしまった男の様子に女は寂しさを覚える。
「……じゃないでしょうか。なんてみんな、少尉の受け売りなんですけど」
男は懐かしそうな顔をすると、なんとなく緩慢な動作で照れたように頭を掻いた。目のフチが赤いところを見ると酔っているらしい。
だからこんなに昔話をするのか、と女は合点がいった。
オーランド伍長は自分の過去をあまり語りたがらない。
戦争を知っている者として口にしたくないこともあるのだろうと、敢えてアリスも尋ねなかった。
寡黙であまり他と興じることのないこの男が、やっと人前で酔うまでに三課に馴染んだかと思うと上官としては嬉しい。まさか自分の知らぬ間に、地元の娘とダンスに高じたり、ズボンを脱いで下着姿で踊りだすようなことなどしていなければよいが。
「あ。……あのー、さっきの少尉は少尉のことじゃないです」
男は滑らかになりすぎて少し空回りしだした呂律で、やっと気づいたように意味不明なことをつぶやいた。
しかし女は理解していた。思わずうつむきそうになるのをこらえ、にっこり微笑むと、男を……部下を見上げる。
「なるほど。前の部隊の少尉どのは意味深いことをおっしゃるな。……私も見習わなければ」
ひさしぶりの現地視察は互いのカン違いから少々トラブルがあり、一時は地元住民と剣呑な雰囲気になったが、腹を割って話し合って見れば炭鉱町という土地柄か、豪胆で気さくな人々ばかりであった。
これと言って娯楽のない場所のせいだろう、事件が解決すれば皆お祭り騒ぎで、アリス少尉は思わずベルタ砦を思い出したものだ。
皆が楽しげにビールを浴びるように飲んでいるのを、一滴も飲めない彼女は少しうらやんだ。酒を飲むと記憶がなくなるというが(マーチス准尉など特にそのようだ)もしそうなら山のように飲みたい、今日はそんな気分だった。
なぜならば、恥ずかしいことに今回のトラブルの原因は主に、彼女にあったから。
解決した今となっては、
「きっぷのいい姉ちゃんだからこそ信頼した」
と炭鉱夫たちに慰められたが、責任を感じていたアリスは浮かれ騒ぐ気分にはどうしてもなれない。
飲めぬ酒を舐めたフリをして、
「眠くなった」
と早々に自室に引き上げたが、熟睡できるわけもなく。
ランプを灯しただけの部屋の中、ベッドの端に腰掛け、自分の不甲斐なさにまんじりともせずにいた時……小さなノックの音が響いた。
「少尉。あの……入ってもいいですか」
ベルタ砦の時と同じように、ランプの薄暗い灯火の中に巨きな男の姿が浮かび上がる。
オレルド・マーチス両准尉を含め、住民のほとんどが寝静まった頃に、オーランド伍長と薄暗い中、二人きりでいる。
ベルタ砦の時と同様だった。
しかしあの時はテーブルを挟んで向き合っていたのが……今は、狭いベッドに並んで座っている。
二人の関係はあの頃と変わっていた。
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