伍長は飲みさしの入ったままテーブルに放置されたビールジョッキのようなにおいがした。なんとなくだらけていて、いつもよりひどく重く感じる。体がむっと熱い上に、衣服の上からでもなんだかべたついている。
「こ、こらバカモノ!」
「大丈夫、みんな眠ってます」
「何が大丈夫だ、三課に無事戻るまで任務は終わらぬぞ!!」
彼女はだんだん息苦しくなってきた。伍長の吐く息が酒臭いせいもあるが、どうやら男は自分の力の加減がわからなくなっているらしい。
「こら、苦しい! お前、相当酔ってるな!」
「え? ちょっとですよぉ」
言い終わると、伍長は彼女をベッドに押し倒した……というより、彼女の上に倒れこんだ。
「んー、少尉大好きぃ!」
「…………」
巨体に押しつぶされたアリスは返事もできない。倒れこんだ伍長は何をするでもなく、彼女は重い体を蹴ったり叩いたりしながら、なんとか清浄な空気の吸えるところまで這い出すことができた。
「俺にとって……少尉は凄い人だった」
いまだアリスの脚を下敷きに、うつぶせのまま伍長がつぶやいた。
「何でもできる凄い人。いつも正しい道を教えてくれる偉い人。……俺なんかとぜんぜん違う、少尉に従ってさえいればきっと大丈夫ってあの頃はいつも思ってた。でも……」
伍長はベッドに顔をうずめたまま、まだ何やらブツブツ続けていたが、痺れてきた両脚を引き抜こうと必死なアリスにはよく聞こえない。
「少尉どのは……こら伍長、腕をどけんかっ……そんなに凄い人だったのか」
力の抜けた重たい腕を持ち上げながらアリスの心はますます暗くなる。気持ちの落ち込んでいる今の彼女には、伍長の言う“少尉”が自分のことであると気づくはずもなく。
やがてうつ伏せでいるのが息苦しくなったのか、伍長が大儀そうに寝返りを打った。赤っぽく濁った目がアリスの姿を捉える。
「……少尉は小さいです」
こっちは私のことだな、と気落ちしている彼女は思った。凄いに比べて小さいとは……。
「どうすれば大きくなれるのだろう?」
そう言えば今夜は無礼講だった。どんな手厳しい批判でも受けて立つぞ、とアリスは思わず身構える。
しかし伍長は微笑むだけで。だるそうに片手を上げると金色の髪に触れた。
「そんな必要ないです、……俺、頑張るから」
「は? どういうことだ」
「少尉は欲張り過ぎ。こんなに小さいのに。……俺が……頑張る……」
指が髪から外れ、重い腕がパタリとベッドに落下する。伍長はそのまま沈み込むように眠りに落ちた。
「それは前にも聞いた……ん? 伍長、こら、おい!」
どんなに揺すぶっても叩いても、起きる気配はない。
軽くイビキまでかきはじめた横顔にアリス少尉は固い面差しを向け、ベッドから立ち上がった。
男の片足はベッドからはみ出し、シャツが少しはだけていたが、上掛けをかけてやることもせずに部屋を出る。
『私はお前に愛されるより、随分な上官になりたかったんだろうか?』
後ろ手でドアを閉めながら、彼女は自問した。
おそらくそうなのだろう。否。
『わからない』
今夜はどこで明かそうか。
堅い扉にもたれると、アリスは苦いため息をついた。