(2)
 自分の心にはひどくアンバランスなところがある、と彼女はいつも感じていた。ごく幼い頃から全く変わっていない部分がある…… 否、その幼い自分こそが本物で、心の成長を拒絶した小さな少女が今ここで院長の話をしおらしく拝聴している社会的な自分を後から作りあげたといっていい。
 残酷で自己中心的で身勝手で、感情的には未熟な子供そのものだったくせに知能だけはとびきり優れていた幼い少女は、両親や周囲の人が説く道徳だの思いやりだのと言った甘ったるい話の裏側を敏感に感じ取っていた。
 この国で本当は何が行われ、何が尊ばれているのかを。
 善行を奨励しながら、大人たちが影で何をしているのかを。
『パパもママもばかじゃない?あたしがなんにもしらないとでもおもってるの?』
……そんなふうに皆が自分に嘘ばかりつくのなら、自分も嘘をついてやればいい。
 今、院長の前でうなだれているのはそんな欺瞞に満ちた周囲に合わせるために作った、偽りの自己だった。とはいえむろん二重人格などではない。 誰にでもある本音と建前なのだが、あまりにも幼い頃に作り上げたために、役割分担が明確になりすぎているに過ぎなかった。
 やがて、涼やかな微笑を浮かべるとミュゼは顔を上げた。
「ネズミが入り込んだのは死体だけではありません。瀕死の重傷者にも潜り込みましたの、もちろん両目から。彼らにしてみればまばたきほどの抵抗など動かないのと大して変わらないのでしょう」思わぬ反論に、院長は驚いて押し黙った。「この目で見ましたから本当のことですわ。実地検分に行きましたの、機関の仕事で。……ところで院長、以前お話したはずですが」
このような無駄口の多い男には自分の立場をわきまえさせる必要がある。 拘束は無用な負傷を引き起こすことがあるのでしないようにと伝えてあったはずだ。この調子だとろくに食事も与えていないだろう。塹壕でのショックで肉類を受け付けなくなった患者のために大豆や牛乳をふんだんに与えるようにと指示したが、守られていないに違いない。
 いつまでも成長しない少女が情け容赦ない口調で院長を攻め立てるのを、ミュゼはぼんやりと聞いていた。 
 私はこの残酷な子供を上手く飼い馴らしていると思う。時には相手の気持ちなど一切考慮せず物事を理詰めで推し進めていかなければならないこともある。その時だけ利用すればよい。
『この世界は愛と信頼で出来ている』
刹那的な刺激だけを好んで楽しむあの残酷な子供には、このやわらかで穏やかな世界のことはわかるまい。
 学校で、職場で、友情と尊敬を勝ち得たのはこの私だ。ミュゼ先生と患者たちに慕われたのもこの私。あなたはたまに現れて、あの人は時々厳しくて怖くなると言われただけだ。
 あなたが医学を志したのは単純に人間を分解して好奇心を満足させたかったからだけど、私は人を救うためにこの道に進んだ。
 そして研究が認められてこの国で最高の科学機関に入ることが許された。私の研究を、人々に役立てるために。深く敬愛する、機関の名称の元にもなったあの博士直々の招きで。
『あなたが考えているほど、この世界は悪くないのよ』


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