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この作品は表の二次創作小説ページに置いてある『出発』の続きです。 裏で完結です(汗)。まだ表のほうを未読の方はご覧になってからでないと話がわからないかもしれません。 コジ×オリキャラ(♀)・チサ×オリキャラ(♀)が出てきますので苦手な方はくれぐれもご注意ください。 |
赤茶けた楓の葉は小さくクルクルと回った後、何処へともなく吹き飛ばされていった。晩秋の木の葉は蝉の抜け殻のように、重さを失うものらしい。
しかし普段は知三郎と母親二人きりでひっそりとした犬飼家が、活気を取り戻す季節こそこの裏寂しい秋であった。これに父親の船が戻ってくれば犬飼家は元通りになる。だが今年の秋はいつもとは少し勝手が違うようだ。
庭には大型犬用の犬舎がいくつかあったが、一番古く、一番なじみの小屋には主の姿はいない。
六番目の家族と言える嵐の死。それは信じられないほど唐突であったが現実の出来事だった。冷たく硬く小さくなった四番目の弟を、三兄弟は土佐湾を見渡せる岬の一角に埋めた。
武蔵は一変に食欲を無くし母親を心配させた。てきぱきと墓にふさわしい場所を探してきたのも、どこからともなく墓標用の棒切れを見つけてきたのも小次郎で、知三郎と言えば墓碑銘を書く長兄の、墨を磨る手伝いをしただけだった。
しかしボロボロ涙を流しながらも、墓穴を掘るのに一番活躍したのは武蔵で。今、次兄は残された嵐の子供の一匹に、どことなく寂しそうではあるものの微笑みながら餌を与えていた。
長兄は縁側のある和室のこたつで耳掃除をしながらガラスの向こうの次兄をぼんやり眺めている。いや、目は開いているものの、実際は何も見てはいないのだろう。耳掻きの先端についた白いボンテンはひょこひょこと余念なく動いてはいるが、テーブルの上の“成果”はごく少量で、時折顔をしかめるところを見ると、大物にかなりてこずっているようだ。
「アニキ……とってやろうか?」
同じくこたつにあたっていた知三郎は、いつになく真剣な表情の小次郎に声をかけた。もっとも、耳掃除をしながらにこやかに微笑んでいる人間のほうが珍しい。
嵐の死は自然と兄弟を言葉少なにし、それはドラフトで揺れる……いや、もうとっくに結論は出ていたが何かが行動を遅らせていた……知三郎にとってはむしろ心地よい沈黙だった。中学、高校、大学と二人の兄とはむしろ違う道を一人歩んできた弟だったから、敢えて兄たちは弟のやりたいようにさせようという腹づもりだったのかもしれない。そんなこともあって知三郎は、自分から小次郎に話し掛けるのはずいぶん久しぶりのような気がした。
しかし長兄は弟のほうへ目を向けようともせずに、自分の耳に集中している。
「お袋に用事頼まれてたんじゃねぇのか?もう身体暖まったろう、とっとと行ってこい。日が暮れたらもっと寒くなるぞ」
言葉の調子はまともだが顔つきは上の空で、そんなに顔をしかめても耳の中は見えないのに、と知三郎はおかしく思った。いつもと変わらぬ兄の態度をむしろ嬉しく思いながら。
「いけね、忘れるとこだった。……まったく最近の母さんは人使いが荒いよ」
いただきもののおすそ分けを網元のところへ持っていってくれとのことだった。
知三郎が大学を中退してからというもの、母親は彼を昼間のお使いにこき使った。おかげで行く先々で『大学に行かない理由』を説明して回る羽目になり、母親の無言の圧力を感じた。
彼女は野球浪人を許しはしないだろう。同じそれでも長兄の場合とは理由が全く異なるのだから。
知三郎はふいに、土佐丸のユニフォームを着た小次郎を思い出した。今よりもっと精悍でギラギラしていて。そんな兄と寝食を共にしている武蔵や土佐丸の連中が、本当は死ぬほど羨ましかった。そしてちょうどその頃に兄の部屋で目撃したあの光景も……
「……アニキはさ、網元さんに、なんか用はないの?」
俺は小次郎アニキに何を聞きたいんだ?……知三郎は心の中で舌打ちした。はるか昔のとっくに終わった出来事。しかも自分には全く関係のない。
「ああん?オヤジさんに?……別にねぇよ」
小次郎は相変わらずしかめ面で耳掻きを使っている。時折引き抜き先端を見つめるが、納得のいかない表情である。なかなかしぶといらしい。
そんな兄を眺めながら、知三郎は小さく息を吸い込んだ。
「杏子姉ちゃん、結婚するって知ってるか」
「ああ。武蔵が悔しがっていたな」
知三郎の予想通り小次郎はまったく動じなかった。白いボンテンがモミアゲの横で、あいかわらず探るように動いている。
「感想は?」
「はぁ?そんなもん、ずいぶん前から決まっていたことだろうが」
小次郎の黒目が、見えるはずのない耳掻きのほうへ流れる。獲物がかかったらしい。
「姉ちゃんのこと、好きだったんじゃないのか」
「そんなわけねぇだろ、あんなじゃじゃ馬。あんなもん、嫁にもらうやつの気がしれん」
小次郎がそろそろと慎重に耳の穴から耳掻きを引き出した。先端を見つめ、快心の笑みを浮かべる。
「俺、見たんだけど。アニキの部屋でさ、杏子姉ちゃんを」
テーブルの上に獲物を移すと満足気に眺めていた小次郎が、初めて知三郎のほうへ顔を向けた。
「姉ちゃんの婚約が決まった頃だよ。それでアニキはあんなに個室を欲しがっていたのかって納得した」
小次郎の唇の端がつり上がった。思い出し笑いをしたらしいが、どことなく品がない。
「確かに、何かと都合よかったな。……だがよ、言っとくがあいつのために欲しかったわけじゃねぇぜ」
にやけた顔が苦いものに変わる。
「上手く立ち回ってたつもりだったのに、ダチョウのかくれんぼだったわけか。参ったな」
「大丈夫、上手くやったと思うよ。俺以外は誰も知らない、たぶん。……で、好きだったのか?」
小次郎のまなざしが遠くを見ているようなものに変わる。ほんの一瞬だったが下卑た笑顔とは違う追憶めいた表情が浮かんだような気がして、知三郎の心はざわめいた。
「まさか。若かさってやつだろうよ。身近にいて手ごろだった、てことさ……お互いにな。お前も男なんだから、わかるだろ?」
しかし言い終わると小次郎はテーブルに視線を戻し、獲物を耳掻きの先で器用につつき始めた。先ほどの質問に関しては、どうやら『証明終わり』のつもりらしい。
こりゃ武蔵に見せてやらにゃいかん、と得意そうにつぶやいている長兄を知三郎はしばらく黙って見守ったが、やがて立ち上がった。
「網元さんのところへ行ってくる。……杏子姉ちゃんに、本当になんか言うことはないのか?」
「ねぇよ」
ガラス戸の向こうで武蔵がこちらを向いた。縁側に上がってくる。大きな手が引き手にかかる前に、知三郎は廊下に出ていた。