トウキョウドーム・シティ




 カシャンッ。
 タイムカードは、始業まで残り十二秒ところで間一髪の響きを立てた。
「犬飼。相変わらず芸術的な間に合い方だな」
 徳川工場長の嫌味を、小次郎はヘの字口で受け止めた。
定められた時刻に間に合いノルマさえこなせば、途中で抜けようが遊んでいようが関係ない。全くもって楽な職場であった。
「ガキどもが待ってるぜ。早く着替えてこい」
 午後からは十歳児クラスか……。犬飼は壁の予定表を確認する。着替えのあるロッカールームへ続く廊下からは、五歳児たちのために割り当てられたプレイルームが見えた。
 年齢よりは小柄で、色白の美少年たち。つんと尖った鼻と愛くるしい大きな瞳と、いかにも脆弱そうな華奢な体つきをしていた。全部で二十人ほどの少年たちはベルトコンベアーの生産ラインから流れてくるビニール人形のように、顔つきも体つきもそっくりだった。

 愛玩用素体の生産工場。犬飼小次郎の勤めるここSプラントはS素体を用いて、最も売れ筋のSATORUタイプ――通称Sタイプ――を生産している。
 素体とは人工胚を用いて作られた言わば人造人間のことである。ヒトの遺伝情報をコピーして作られた彼らは遺伝子的にはクローン人間といえるが、あくまでも人工卵、人工胚から作られるが故に、ヒトとはみなされなかった。
 クローン人間製造は相変わらず禁止されており、そのため移植用臓器製造のために作り出された人工卵や胚から生まれたのが移植提供用素体であるが、人口卵が作り出された頃、法律上『人造物であり、ヒトではない』と規定されたために、技術が進み単なる肉塊ではない人間と同レベルの素体が生み出されるようになっても、それらはヒトでないとされ、むろん人権はなかった。
 当初は美容整形(主に若返り)のための代替ボディ用に開発された移植提供用全身素体を、いつ、誰が、愛玩目的に使用し始めたのかわかっていない。美容整形用素体はそもそも誰が見ても『好ましい』と感じるような外観に設計されていたから、不必要になった素体を『どうせ破棄されるなら』と私した関係者でもいたのだろうか。
 ……とにかく犬飼小次郎が技術職員を務めているこの時代、人型ペットとしての愛玩用素体は高価な玩具として日常的に存在するものになっていた。
 小さな人工卵から培養液中でその生を育まれる愛玩用素体は、Sタイプのもっとも普及している廉価版を例にとれば、それらおよそ3年で人間の15歳相当になり(とは言えもともと小柄なので十二、三歳に見えたが)、成長抑止剤を投薬された後、市場に出荷される。簡単な睡眠学習を短期間しか施されていないために、人間で言えば五歳児並の語彙とその程度の運動能力しかもたず、それらは全く生き人形といえた。
 十年も生きられず、長くてせいぜい二、三年でオーナーに飽きられてしまう廉価版は、寿命が尽きたり不用になると工場に回収され、培養液中で二重螺旋の屑に戻った後、再び少年の姿になって再生産される。髪の色、目の色、若干の性格の違い等、年毎に消費者の購買意欲をそそるようなマイナーチェンジを施されて。
 しかし犬飼が勤務しているのは、ほとんどロボットに任されている大量生産の廉価版ラインではなく、高級品のプレミアムラインである。効率よく、かつ充実した睡眠学習と筋力を並みの素体以上に鍛える細やかな電気刺激を施される以外に、彼らは一年ごとに……つまり、人間の歳で五歳と十歳の時に一時カプセルから出され、それぞれ一年間づつ、より自然に見えるよう教育がなされた後に出荷される。したがって彼らの育成にはより2年、長くかかるのであった。そんなわけで時間と手間のかかるプレミアム素体は、一般人には手の届かない代物なのである
 

 犬飼がぐずぐずとロッカーで着替えを済ましてからグラウンドに出ると、少年たちは既にストレッチなどしながら待機していたようである。さすがに未来のプレミアム素体たちは、廉価版のごとき木偶人形ではなく、その生き生きと賑やかな様は、人間の子供達と大差はなかった。
 犬飼は日の光に手をかざす。
『まったくドームの空はいつも青空だ』
 雨は夜遊びの需要の少ない日月火の曜日の晩にアトランダムに降ると決まっていた。
 
 トウキョウドーム・シティ。巨大なドームで覆われたこの街が、正しくシティをつけて呼ばれたことは、久しくない。素体という名の人身売買が平然と合法で行われているこの街は、トウキョウ・ドームと呼ばれていた。他にもドームと呼ばれる街はあるそうだが、犬飼は知らない。彼も他のトウキョウ・ドーム生まれの市民たちと同じく、このドーム以外の世界を見たことがなかったし、また、見たいとも思わなかった。

 犬飼は幼い素体たちを整列させると走り込みを命じた。何故かは知らないが、このS素体を鍛えるスポーツは野球と決まっていた。もうこのドーム内ではバーチャル意外では行われることのない、言わば古典スポーツである。指導者である犬飼自信、バーチャル空間以外では試合をしたこともなかった。
 この狭いドームで最も貴重なものは空間であり、野球場だのサッカー場だのを作ったりしたら、カプセル住宅で仮想4LDK暮らしを満喫している貧民層が、せめて本物の1DK住宅ぐらい供給せよと暴動を起こすであろう。にもかかわらずSタイプのプレミアム素体を野球で鍛えるのは、噂によればこのSタイプの元になった人物がかつてその古典スポーツの選手であったかららしい。

 
 
 
「おい、犬飼。キャッチボールでもやらんか?」
 振り向くと犬飼と同じぐらいの背格好の青年が、バットを片手に立っていた。
「土井垣か。五歳児クラスは練習とっくに終ってるのに、なんでグラウンドなんかにいやがるんだよ?」
「自由時間に何をやろうが俺の勝手だ。素振りをしていたのさ。五歳児相手じゃ体を使った気にもならんからな」
 土井垣と呼ばれた青年は、帽子を取ると額の汗をぬぐった。体格も立派で髪型もそっけない坊主頭であるにもかかわらず、つんと尖った鼻や澄んだ大きな瞳は、S素体の少年たちにも見劣りがしないほど美しかった。
「練習か……。お前は、相変わらずのヤツだな」
 そんな土井垣の整った顔立ちに、犬飼はぼそりとつぶやいた。
「何が?」
 土井垣はきょとんとしている。
「いや、何でもねぇよ。……ところで、まだ他のドームに行こうなんて考えているのか?」
 犬飼はその翳りのない暢気な顔から視線を逸らした。
「ウフフ……工場長から辞令が出たよ。一週間後にはフクオカ・ドームシティの工場に転勤だ。あっちは野球が盛んらしいから、バーチャルでない練習もしておきたくてさ。そんなわけで、キャッチボール」
 土井垣はもうバットをミットに持ち替えていて、左手にはめたそれに右拳をバシン、と叩きつけた。
「一週間後、か……」
 犬飼は屈託なく微笑んでいる端正な顔に、胸の痛みを覚えた。

 お前は他所のドームになんかいけない。
 お前に、トウキョウ・ドーム以外の未来などありはしない。
 
 コイツは鏡を見ても気づかないのだろうか、S素体と自分の顔の相似に。仕方なかろう、偽の記憶をうえつけられ、自分は人間だと思い込んでいる素体が、自分も工場生産品の一種に過ぎない、などと考えるわけがない……。と、目の前の大きな図体を眺めながら犬飼は考える。広い肩や厚い胸板の何処をとっても、ジャンクDNA情報のバグによる変異体であるとは、S素体を見慣れた連中にだってわからないかもしれない。
 
 走り込みの集団に眼を向ける位置にいた土井垣が、ぼんやりしている犬飼を促した。
「あの一番後の素体……さぼってるぜ」
 犬飼が怒鳴りつけると、少年は小ずるい笑顔をうかべてスピードを上げた。
「あの分じゃまたさぼるな。Sタイプは素直で善良な性格が売りなのに。……あれ、特別仕様になるんじゃないか?」
「肉体的には他の素体と今のところは変わらんな。特別背が高いわけでもないし……変異体かどうかはニ年後、育ちきったところで工場長が判断するだろうよ」
 お前も変異体、特別仕様なんだぜ……。犬飼は少年を見つめている土井垣を、生産物チェッカーの眼で見た。プレミアム品も特別仕様ともなると名前がつけられる。これには、土井垣将と言う名がつけられていた。
 十歳児クラスにいたやけに練習熱心な素体。目覚めている時の素体は、リトルリーグで合宿中という記憶を刷り込まれているのだが、それにしてもこの素体は熱心過ぎた。
 こいつは特別仕様だぜ……。横で見ていた徳川が嬉しそうにつぶやいたのを覚えている。普通のS素体なら、こんな長時間の練習には耐えられねぇ。
 遺伝子菅理の徹底している工場では、突然変異など至極稀な現象であった。それが均一的な質の良さを保っているセールスポイントであったが、どこの世界にもマニアックな好事家はいる。工場製品としては瑕疵にあたる変異だが、そういった業界では高額で取引される対象になっていた。
 徳川の見込み通り、この素体は一年後、普通の十五歳体よりもはるかに大きく成長していて、特別仕様として育成されることになった。
 
 一週間後か……。
 小次郎の目つきが暗くなる。土井垣はいくらで売れるのだろう。十五歳で市場に出回るところを、一年長く十八歳過ぎまでカプセルで過ごし、現在はより自然に仕上げるために、この工場で社員として過ごしている。変異体は成長しきってからのほうが違いがよりはっきりするので、プレミアムよりもさらに長く育成され、青年素体としてお披露目されることのほうが多かった。そもそも少年素体の市場が成熟して、『お人形のようにかわいい少年』素体が飽きられてきたからこそ、青年素体市場が生まれてきたのであった。
 土井垣は一年後に成長抑止剤を投与され、マインドコントロールを受けて後、オークションにかけられるところを、まだカプセルを出てから半年もたっていないのに買い手がついたらしい。こんなルール破りにはかなりの金が動いているはずだ。
 
「お前も、ドームから出る気はないのか?」
 何時の間にか土井垣がすぐ近くにいて、人目をはばかるように犬飼の耳元でささやいた。
「あん?そりゃプロポーズか。古い映画で見たぜ」犬飼は友人に対するようなふざけた笑顔で返したが、すぐに真顔になる。「……って、なんでそんな話、俺にすんだよ」
 あんまり土井垣が人間臭いので、つい情が移りそうになる。あいつはヒトではない……犬飼は自分を戒めた。
「野球、好きだろ?このトウキョウ・ドームじゃバーチャル球場でしかプレイできない。他でなら、本物ができるぞ」
 少子化の進んでいるドームでは、犬飼のような若者は一握りしかいなかった。実際、犬飼がバーチャルでなしに同い年ぐらいの人間と言葉を交わしたのは土井垣が初めてだと言ってもいいほどであったのだ。最も現実にはこの男は素体で、そのメモリは作られたものに過ぎないのだが。
 何処かへ行けば出会えるかもしれないリアルな同年代の友人や恋人。別のドームに行けば、こことは違う生き方があるのだろうか。……ふいにこめかみの奥が痛んで、犬飼の思考は中断された。思わず顔をしかめたのを、土井垣はたんに自分が妙な質問をしたからだ、と思ったらしい。少し寂しそうな顔をした。
「そんなこと考えたこともない、か」
「トウキョウ・ドームから出たがるなんておかしなヤツだ。俺はわざわざ地方のローカルドームになんか行きたかねぇ。」
 痛みに気を取られ、犬飼はドームでの一般論を口走った。
「知らない世界を見たい、とは思ったことがないのか?」
「見てどうする?それに、どうせ何処へ行っても似たりよったりさ。本当に知らない世界を見たいならドームの外へでるんだな。他のドームシティじゃなくて、ドーム壁の外だよ」
「ドーム壁の外って噂通り、廃墟しかないのだろうか。本音を言えば他所のドームシティなんかよりも、そっちのほうが気になるんだ……。なんで俺たちはドームにいるんだろう?どうしてみんな他所へ行こうとしないんだろう?」
 土井垣は遠くを見るような眼差しをしていた。
「つまらんことを考えるヤツだ」
 ドームから出たい。しかも他のドームへではなく、ドームそのものから出てみたいと考えるなんてマインドコントロールを施されていないせいだ、と犬飼は思った。まだ育成期間中の土井垣には、後頭部に識別チップが埋め込まれている以外は、これといって特別脳に手が加えられているわけではない。このチップはドーム内のコンピューターネットワークと無線LANでつながっており、ドーム内のバーチャル施設を利用するには絶対不可欠で、人間の市民にも普通に埋め込まれているもので、もちろん犬飼の後頭部の、盆の窪辺りにも、それを埋め込まれた後らしい微かな出っ張りがあった。
 犬飼はたまにそのような人工物を脳内に埋め込むことを拒否しているらしい老人を見かけることがあったが、彼らは簡単な“遊び”をするだけでも、大騒ぎでコードの配線だらけの、巨大なヘルメットを被ったり潜水服のような不恰好なスーツやグローブを身につけねばならず、ずいぶん面倒くさい人生を選んだものだと思わざるをえなかった。
「お前はおかしいぜ、そんなもんどうでもいいことじゃねぇか。なんか今の生活に不満でもあんのか?もっと気楽にやんな……。おい、お前ら!走り込みはもういい、ノックだ。守備につけ!」
 こんな話は下らん……。まだ話し足りなそうな土井垣を置き去りにすると、犬飼はバットを掴んだ。

 


 

(2)に続く



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