(2)



「あの素体はずいぶん体力がありますね。練習で一汗掻いた後にキャッチボールですか」
 長身の若い男が、グラウンドを眺めている。
 窓の外では、振りかぶった犬飼の投げたボールが、土井垣のミットに乾いた音をたてて収まったところだった。
 結局、仕事が全部終るまで土井垣はしつこくグラウンドで粘り、犬飼はキャッチボールをするはめになった。速球にミットの中の手が痺れたのが嬉しいように、土井垣はにこやかに笑うと犬飼にボールを投げ返した。
「守様、そりゃ特別仕様ですからな」
 徳川工場長は自分よりはるかに年下の男に、丁寧な口調で答える。
 若い男はそんな徳川に微笑みかけたが、眼は笑っていない。
「守様、は止めてください。オフィシャルでは一介の不知火研究員ですよ」
「会長のご子息を研究員呼ばわりなんざ……ジンジニアでいいですかね?資格をお持ちなのですから事実でしょう?」
 ジンジニアとはジーン(遺伝子)+エンジニアの造語。ヒトの遺伝子を思うがままに操る資格を持つ、ドームで最も尊敬されている職業であった。こんなに年若いジンジニアなど徳川も見たことがなかったが、ドームの設立者の一人でもあり素体の開発にも携わった、真の最高権力者ともいえる不知火会長の息子なのだから、こういうこともあるのだろうと気にしないことにする。
「仕方がありませんね」
 徳川の気持ちを知ってか知らずか、不知火守は冷めた笑みを浮かべた。

 犬飼と土井垣がそれぞれシャワーを浴びて社屋に戻った頃、プラントを見学していた不知火研究員と工場長も休息室に帰って来ていた。
「おお、犬飼に土井垣、研究員の不知火守様だ。どんな方かはわかっているな?ジンジニアとお呼びしろ」
 徳川の横の、白衣を着た長身の男。犬飼はこの男と、バーチャル野球でなんどか対戦したことがあった。速球投手のくせにクセ球も得意な、いけ好かないやろうだった。
「親父が会長だとたかが研究員でもジンジニア様、か」
「犬飼、てめぇ何を言いやがる!」
 徳川が慌てて怒鳴った。
「事実ですよ」
 不知火は余裕の顔で微笑んでいる。犬飼はますます癪に障った。
「こりゃまた失礼しました。……俺と同い年ぐらいの年でジンジニアの称号をお持ちなんてさすがですよ。こんな大人物に会ったのは初めてだ……まるで睡眠学習をうけた素体みたいですな。ネットワークの中枢にはいるそうじゃないですか、気象演算用の生体コンピュータ素体が」
 不知火は微笑を浮かべつつ聴いていたが、最後の言葉は、何故か気に障ったらしい。相変わらず唇は微笑を浮かべていたが、目つきが鋭くなった。
「生体コンピュータ素体みたい、ですか……誉め言葉と受けとって言いのですね?僕も初めて会いましたよ、こんなにひねくれた……」
「ジンジニア!」不知火研究員がすべて言い終わる前に、徳川が口を挟んだ。「変異体のDNA保存についてなんですがね……」慌てて話を逸らす。「犬飼、土井垣。もう下がっていいぞ」
 土井垣が興味なさげにさっさと部屋を出ようとしたので、犬飼は徳川の話をもう少し聞きたかったのだが、慌てて後に続いた。
 
 社員寮への廊下を歩きながら、犬飼はDNA保存について思いを巡らせた。土井垣のDNAを保存して、こいつをSATORUのように、工場で量産するつもりなのだろうか。
「おい、犬飼。おい、聞いているか?」 
「ああ?」
 物思いに集中していたので、土井垣がさっきから話しかけているのに、犬飼は全く気づいていなかった。
「お前の部屋に遊びに行ってもいいかって、さっきから聞いているんだが」
「すまん。別に、かまわねぇよ」

 
「相変わらず汚い部屋だ」
 入ってくるなり、土井垣は辺りを片付け始めた。
「ちったあ落ちつけよ。人の部屋に入ってくるなりバタバタするな」
「座る場所を確保してるのさ」
「ふん」
 小次郎は寝乱れたベッドの上に無造作に腰を下す。
 土井垣と言えば、床に散らばる古雑誌を重ね、落ちていた犬飼の皮ジャンパーを畳んで脇に置くと、やっと腰を降ろした。
 テーブルの上は乱雑に色んなもので産め尽くされている。煙草の吸殻の突っ込まれた空き缶やカップラーメンの空容器の乱立する間から、写真立てを発掘すると、手に取った。
「こんなもの初めて見るな、お前の家族の写真か。……五人家族?三人兄弟なのか。うらやましいな、俺一人っ子だから」
 土井垣は一人っ子で両親及び祖父と暮らしているとインプットされているらしい。もちろん人間らしい感情を作るための偽の記憶である。
「よく似てるからすぐに家族だとわかる。……お母さん以外はみんな、もみ上げがあるんだな。デカイのが次男坊、眼鏡が三男坊か?お前も年取ったら親父さんみたいに髪が薄くなりそうだ。みんな、本当に似ているな」
「よく見ろ、似てんのはもみ上げだけだろうが。末の弟は俺や一番目の弟とは似ていないだろ?色白だし……鼻の形なんかぜんぜん違う、コイツだけお袋似なんだ」
「言われてみればそうかもしれん。……でも小次郎´(ダッシュ)って感じだがな、雰囲気がなんとなく似ているよ」
「ダッシュとは傑作だ。今度アイツに会ったら行ってやろう」
 この前会ったのはいつだったろう、去年?一昨年?いや、もっと前だったか……。犬飼はふいに顔を歪めた。
「どうした?」
 額に手を当てた犬飼に、土井垣は心配そうに言った。
「何でもねぇよ」
 また頭痛か、痛み止めを飲もう、と犬飼は不愉快そうに唇を曲げた。
 土井垣が何か言おうと口を開いた矢先、携帯が鳴った。犬飼のだった。
「はい犬飼……ああ。……わかった、今行くよ」
 携帯を切ると犬飼は顔を上げた。
「すまん、用事が入った。鍵、預けておくからゆっくりしていってかまわんぜ、後でお前の部屋に取りに行くから」
「いや、帰る」土井垣はとたんに不機嫌な顔になった。「またあのばーさんか?」
「ばーさんなんて、あの女泣くぜ……ボディは二十代に作ってある、なかなかいい抱き心地だ、アソコだけ素体と取り替えてんのかもな」
 やに下がる犬飼を睨みつけながら土井垣は立ちあがった。眉根を寄せている。ひどく怒っている時の癖だということは、彼が十歳の時から、犬飼は知っていた。
「愛もないのに何故なんだ?ドームじゃ俺たち若者は金には不自由はないし、……寝るだけならバーチャルの女の子でもいいだろ?なんであんなのと付き合ってるんだ?」
 素体が偉そうに……ののしりたくなったが、犬飼は言葉を飲み込んだ。
「知るかよ。お前には関係ない」
 本当になんで付き合っているのだろう?そんな疑問が湧いたとたん、眼の奥に痛みが走り、思わず犬飼は片手で目頭を押えた。
「どうした?」
 寄せていた眉が離れると、土井垣はにわかに心配そうな顔つきになった。
「ちょっと眼が痛くなっただけだ。……鍵、どうする?」
「いらん」
「そうか」
 二人は扉の前で別れた。

 
 
 

 ドームの夜空は、下界はネオンの灯りで一杯なのに、月も星も、ヤケにくっきりと美しかった。書割のように青く美しい月に見守られながら、犬飼は守衛に会釈をすると、社員寮に向かう。特に門限はなかった。
 工場の研究プラントの前を通り過ぎようとした時だった。飛び出してきた人影にぶつかり、危うくふっとばされそうになる。よろめいた影は……土井垣であった。
「なんだ?どうした!」
 抱きとめると、犬飼は両肩を揺さぶった。
 土井垣はぼんやりと犬飼を見た。眸には目の前の顔が映っているものの、恐ろしく動揺しているらしく、誰なのか識別が出来ていないように見えた。
「おい!」
 犬飼はさらに揺すった。しかし土井垣の眸に力は戻らない。底無しの井戸のように空虚であった。
「違う……」
 表情の消えうせた顔のまま、土井垣がポツリとつぶやいた。
「え?」
「俺が素体だと?そんな……。俺の家族は?俺の……今までの人生は?」
 その時、走りよった人影が土井垣の後頭部を軽く叩いた。崩れ落ちる土井垣を、犬飼は慌てて抱きとめた。
「何をしやがる!」
「麻酔だよ」
 人影は犬飼の同僚だった。何時の間にか徳川もそばにいた。
 恰幅のいい初老の男が、汗を掻きかき、体を揺さぶりながら走りよった。犬飼の見たことのない男であった。
「たまりませんでしたな、さっきの表情は。一週間後、なんて言わずに、今すぐ連れていってもかまわんかね?金はいくらでも出しますぞ」
「不良品を連れて帰りますかね?なんで後一週間が待てなかったんです!まだマインドコントロールも済ませてないのに……精神崩壊して使い物にならなくなっても、責任はとれませんぜ!」
 いつも顧客には頭の低い徳川が、かなり憤っているようだ。
「いったいなにが……」
 犬飼が口を開いた時、培養カプセルの準備は出来てるぞ、と研究プラントから声がかかった。麻酔を注射した職員と犬飼の二人がかりで土井垣をプラントに運び、裸にして培養液に沈めるのを手伝う。素体に何かトラブルがあった場合は、この培養カプセルという名の人工子宮に戻してしまうのが一番手っ取り早くて確実な方法であった。
 プラントの照明のせいで薄青く見える液体の中で、胎児のように体を丸めた裸の土井垣の毛穴から、無数の泡が立ち上るのが強化プラスティック越しから見えた。色白の皮膚が培養液と同じ色に見え、立ち上るおびただしい気泡のせいで体の輪郭が揺らいで見える。
 土井垣が培養液の中で解けていってるみたいだと感じたとたん、犬飼はぞっとして手足が冷たくなったような気がした。
「処分、するのか!」
 思わず傍らの職員に詰め寄った。
 培養液中にある種の酵素を注入すると、DANはばらばらになる。さらに再製酵素を再度注入すれば、廉価版のリサイクル素体の出来あがりだ。
「バカ違う、精神を安定させるだけだ。コイツをこの大きさにするのにいくら時間と金をかけたと思ってるんだ」 
「す、すみません。……一体、何があったんです?」
「さっきのあの男が土井垣を購入した客なんだが……。オークション前にわがままを通してきた客だから、マナーの悪さは覚悟していたがね。しかし素体とは言え、土井垣に同情しちまうよ。顔を見るだけだと言っていたのに、土井垣を見たとたんこうだ、これがあの素体かね、ずいぶん立派に育ったものだ、S素体は何体も持っているが、こんな美丈夫は始めてだよ、だとさ」
「コイツの目の前で」
「他にも耳を覆いたくなるようなことばかり、べらべらしゃべってな……。自然育成の一環とは言え、俺たちの同僚として生活していたんだもんなぁ……。素体でも、なんか気の毒でな。見ていられなかったよ」
 徳川が職員を呼んでいる。安定剤注入が完了するまでしばらく見守ってくれ、言い残すと、彼はプラントを出ていった。
 カプセル内の泡立ちは収まっていた。注入はもうすぐ完了するのだろう。胎児のように体を丸め液中に漂う土井垣は、穏やかに眠っているように見え、犬飼はほっとした気分になった。
 突然土井垣が眼を開ける。悲しそうな眸が、こちらを見た。意識はないはずだと、犬飼は思わずガラスに手を当てて、見つめ返した。
 しばらくして、瞼はゆっくりと閉じられた。
 
 もうあの屈託なく笑う男は死んでしまった。

 注入完了のブザーが鳴る中、犬飼はカプセルの強化プラスチックに額を押し当てて、頭を垂れた。

 


 

(3)に続く


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