成る程、そういうことか。
不知火はバーテンダーの妙技に感心している風を装いながら、さて敵チームの投手として話したものか、それとも恋敵――思わずこんな言葉が浮かんできたのを彼は面白がった――として話したものか、考えてみる。
俺がいる時はいつも不機嫌なのに、今日の犬飼さんはなんだかしおらしい。……なるほど、傷ついた恋人の様子を知りたいわけだな。不知火は顔を隣に向けた。
「オールスターは間に合わないかも知れませんね」
「……そうか」
飲み物が出来上がり、グラスが運ばれてくる。またしばし沈黙。
「見舞いに行ったり、しているのか?」
小次郎は不知火ではなく、グラスの中で溶けていく氷を見つめている。
「ダイエー戦が終ったら、会いに行こうかと思っていたところですよ」
「そうか……」
小次郎は鼻の下に手を当てると、ちらりと不知火を見た。すぐに目をそらす。甲にもじゃもじゃと毛の生えた手のひらの下の口は歪んでいるようだが、目つきには不機嫌というよりは……戸惑い、困惑が現れていた。
『犬飼さん?』不知火は訝しく思った。こんな……かわいらしい表情のダイエーのエースなんて見たことがない。『なんだ?……恥ずかしがって、いる?』
「……ちょっと、頼まれてくれんか」
そ知らぬ風を装いながらもやっと決心がついたのか、小次郎は尻ポケットからごそごそと皺んだ封筒を取り出した。
「何ですか、これ」
「……俺が故障していた頃に、よく効いた温泉があったんでな。宿泊券だ……あいつに渡してやって欲しい」
「ご自分で渡されたほうがいいんじゃないんですか?郵送してもいいし」
不知火はいい気分になっていた。今日の試合、打たれてピンチの連続だった勝利投手に比べれば自分は味方の援護のなかっただけでむしろ出来は良かったと思っていたのが、実際に勝ったほうから下手に出られると、まんざら負け惜しみでもないような気がしてくる。
にべもない不知火の返事に、小次郎は困った顔つきでグラスを傾けた。男らしい大きな喉仏が上下して、琥珀色の液体が半分になる。ため息をつくとグラスから唇を離し、カウンターに置いた。
「その……俺が渡したんじゃいかんのだ。昔、ちょっとした行き違いがあってな。あいつ……素直に受け取たんだろう。それに、お前が渡したほうが、きっと喜ぶ」
小次郎はずっと無表情だ。再び左手でグラスを持ち上げると、氷がカラカラと揺れる。眸がそれを追う。
「もうすぐ七月だから、お前からの誕生日プレゼントだとでも言え。十一日だ。……あいつ感激して、怪我なんか一変にふっとぶぜ」
あんた、本当にいいのか?……不知火がどうしたものか躊躇しているうちに、小次郎はグラスを置くと、立ちあがった。
「マスター、こいつの分、俺がおごるから……とりあえずツケといてくれ、また今度な」
「え、もう帰るんですか?」
不知火は驚いて顔を上げた。ほとんど呑んでないじゃないか。
「じゃあな、頼んだぜ。お前はゆっくりしていけよ……おごるから言うわけじゃないが、ほどほどにな。体は大事にしろ」
扉を開けると、小次郎は夜の中へと出ていった。
バーテンダーは黙って小次郎のグラスを下げる。
『俺もこれを呑んだら引き上げるとしよう』
土井垣さん……ぜんぜんわかっちゃいないな。あの人、あなたのこと本気だぜ。
封筒を開けると、宿泊券はご丁寧に2枚入っていた。
『犬飼小次郎……あんた、本当にいいのか?』
ほどなくして、不知火も夜の街に出た。
同チームで、バッテリーを組んでいて、お前けに相手は自分に惚れ抜いていて(いわゆる恋情とは違うようだが)、困ったような風でもどんなわがままでも結局は聞いてくれて……犬養小次郎より自分のほうが圧倒的に有利なのはわかりきっているのに。
『なんなのだろうな、このモヤモヤした気分は』
どうしたもんかな。不知火は皺んだ封筒を思い出し、軽くため息をつく。
俺から渡せば、きっと土井垣さんは喜ぶだろう。感激屋のあの人の嬉しそうな表情が目に浮かぶ。
治療に役立つだろうし、俺の株も上がるし、何より土井垣さんにとっては何よりの誕生日プレゼントになるだろろうし。
『しかし、アイツの言いなりになるようで気にくわん』
それに……。不知火は暗い目つきになった。
きっと、土井垣さんは見破るだろう。
いつもなら、俺のウソにコロリと騙される人なのに、なぜだかそんな気がする。
悔しい、と思った。こんなもの、捨ててやろうか。
『……いや』
犬飼小次郎にもらったと言って渡そう。俺からの誕生日プレゼントだと騙せと言われたといったら、一体どんな顔をするか。
『楽しみだ』
見舞いに行くいい口実が出来た、と不知火は闇に紛れてこっそり微笑んだ。
了
(2)
何年ぶりに書いたんだろう…
土井垣さんを書くのに遠まわしに不知火やら小次郎やら使ってしまいました。
やっぱり好きだな土井垣さんv
ご無沙汰してたらわけのわからん話ですみません。
土井垣さんを書くのに遠まわしに不知火やら小次郎やら使ってしまいました。
やっぱり好きだな土井垣さんv
ご無沙汰してたらわけのわからん話ですみません。