梔子の夜

〜The night of the gardenia〜

6


「ねえ、どうしたの?本間君」
 隣を歩いていた岡田が、言いにくそうにそう切り出した。
 僕はその声に、甘美な過去の追憶から現実に引き戻された。
「別に何も……」
 映画を見た帰り、結局岡田の家まで送ることになってしまった。内心は辟易していたが、まさか嫌だから送らないとも言えず、僕は仕方なく駅から歩いて十分ほどという岡田の家まで歩いていた。
「ごめんね。なんか無理言っちゃって」
「いや、僕の方は全然かまわないよ」
 僕は優しそうとよく言われる顔で少し笑いながらも、注意深く辺りを見回した。僕が歩きながら、ユウマのことを思い出したのには訳がある。
 似ている―――ような気がする。この街並―――
 ユウマが住んでいた街に……。


 僕はあれから、ユウマの家を探し出そうと何度かチャレンジした。しかしあの街には、二度と辿り着くことはなかった。

 どうして街の名前を憶えていなかったのか……
 どうして僕はあの時逃げ出したのか……
 どうしてユウマは僕を追ってはくれなかったのか……

 探し出すのに失敗し、諦めて家路につく時、いつもそんな思いが付きまとった。もうおそらく二度と会うこともない男……。繋がっていた糸を、幼い僕は恐怖心に駆られ自ら断ち切ってしまった。そのことをこんなにも後悔するとは、思ってもみなかった。
 妖しく、甘い梔子の香りを嗅ぐたび、僕は立ち止まってユウマの影を探した。あの夏の日から、今年でもう六度目の夏になる。
 忘れなければ―――そう思うたび、ユウマの優雅で美しい笑顔、僕を酷い言葉で攻め立ててサディスティックに抱いた顔が鮮烈に蘇った。
 ユウマは一目見て、僕自身さえ気付いてはいなかった僕の性癖を見抜いたのだろう。僕は今や、かなりマゾヒスティックな嗜好を持つ男になっていた。
 一年ほど前、もうどうしても我慢できなくなって、携帯の出合い系サイトで知り合ったゲイのサラリーマンに抱かれたことがあった。でも彼は同性愛という以外、ごく真っ当な人だったので、そのセックスは僕には物足りなかった。
 自慰さえ知らない時期にあんなセックスを経験してしまったら、普通のセックスじゃ物足りないのは当たり前なのかもしれない。
 あの日、喧嘩別れした純太と夏彦とは、あの後すぐに仲直りして、今も同じ高校に通っている。
 最近僕が取り付かれている妄想は、僕がユウマに抱かれているところを、あの二人に見られてしまうというものだった。
 僕が酷い言葉で責め立てられ、恥ずかしい格好で後ろに男を飲み込まされているところを、親友の二人に視姦されたい。浅ましい、恥知らずな男だと侮蔑を込めた視線で見て欲しい。
 僕がそんなことを妄想しながら自慰をしているなんて、健全すぎるほど健全なあの二人は夢にも思わないだろう。
 僕は岡田の隣を歩きながら、さっきから感じ始めていた胸のざわめきが、より大きくなっていくのを感じていた。この街並には見覚えがある。あの道をまっすぐ行ったところ、確かあの角で転んで、怪我をしたんだ。だとしたら、ユウマの家はきっとすぐ側だ。
 記憶がどんどん鮮明になっていくにつれ、僕の足取りはギクシャクと不自然なものになっていった。しかし隣を歩く岡田は、幸いにも僕のそんな様子には気付いていない風だった。
「ほら、あそこがあたしの家」
 岡田が指差したのは、最近建ったばかりらしいこじんまりしたマンションだった。
「よかったら上がっていく?」
 僕を上目遣いで見つめながら話す岡田の声が疎ましい。僕は苛立ちを表さないように、できる限り慎重に答えた。
「今日はごめん。またにさせてもらうよ」
「そう……」
 岡田は声のトーンを落としながらも、無理強いするつもりはないようだった。
「じゃあまた学校で。今日はありがとう」
「こちらこそ。じゃあ、またね」
 僕は踵を返し、来た道を歩き出した。角を曲がったところで、立ち止まる。顔だけ出して、岡田がマンションの中に入っていくのを確かめ、そっと出ていってその前を足早に通り過ぎた。
 もう頭の中から、岡田のことはきれいさっぱり消し飛んでいた。
 四つ角に差し掛かる。そうだ、覚えている。この道で僕は転んで、そしてユウマに助け起こされた。そしてユウマに付いて歩き出した。
 右か、左か―――
 僕は道路の真ん中で、どちらに進むべきか思案し、微かな記憶を頼りに右に進んでみることにした。
 頬に、ポツリと水滴がかかり、雨が降り始めたことに気付く。僕は本降りにならないように祈りながら、道を急いだ。すると目の前に突然、本当に突然レンガ造りの邸宅が見えた。ユウマの家だ。間違いない。
 僕は半ば呆然とその邸宅を見上げた。いきなりのことに、心臓がギュッと縮んで痛んだ。
 庭の方から、あの独特の甘く凶悪な香りが漂って来た。そういえば、もうそろそろ梔子の花の咲く季節だ。  僕は本格的に降り始めた雨に打たれながら、門の前で立ち竦んでいた。今さら、ユウマの家まで押し掛けてきて、僕はどうするつもりなのだろう?五年前、あなたに強姦された少年だと?また抱いて欲しくてやって来たと言えばいいのか……。
 何分ぐらい、その場に佇んでいただろうか。僕の身体は夏の雨に、すっかり冷やされていた。
 もう僕のことなど、忘れてしまっているかもしれない。僕にとっては一生記憶に残る経験でも、ユウマにとってはとるにたらない日常の一コマだったのかもしれない。
 やっぱり、このまま帰るべきだろうか……。
 僕がそう結論を出そうとした時だった。
「雨に濡れるのがよほど好きらしいな、お前は」
 突然、横合いから声をかけられ、僕は文字通り飛び上がった。
「いつまでそうしている?聡……」
 見ると、二メートルと離れていない所に、僕と同じように、降りしきる雨に身体を濡らしたユウマが立っていた。あの頃と、少しも変わらず美しかった。僕はそのあまりの変化のない容貌に、一瞬、五年という歳月は、幻だったのかとさえ思った。
「ユ…ウマ、ユウマ……」
 僕は震える唇で、ようやくそれだけを口にした。
「こんなところで何をしている」
 ユウマはそう言って、細く美しい曲線を描いた眉をひそめた。
「なに、って……」
 僕はオドオドと視線を彷徨わせた。寒さのせいじゃなく、身体が震えて仕方ない。目の前に、あのユウマがいるということが、まだ信じられずにいた。
「あ……の、どうして僕のことすぐわかったの?覚えてた……の?」
 ユウマは僕の質問に、クックッと喉の奥で笑った。
「お前ほど淫乱な餓鬼は探したってそうはいないからな。だから覚えていた」
 ユウマが一歩、僕に近づいた。僕は金縛りにあったように、その場から動けないでいた。
「僕は…あなたを探してた。ずっと……」
「ふん、あの時慌てて逃げ出したくせにか」
 ユウマは冷笑と呼ぶに相応しい笑みをたたえ、じっと僕を見下ろした。
「随分大きくなったじゃないか。僕に抱かれに来たか?」
「あ……」
「なら、おいで。その身体がどれほどいやらしくなったか調べてやる」
 いつの間にか、僕の目から涙が溢れだしていた。雨が降っているから誤魔化せると思ったが、ユウマは僕が泣き出したことに気付いたようだった。
「僕は……僕は、僕はッ!」
 僕は涙と雨でグチャグチャの顔のまま、少し上にあるユウマの顔を見上げた。あの頃は、随分見上げなくてはならなかったのに。
「僕は、あなたが憎い。あなたが憎い!」

 僕に一生消せない印を刻み付けたあなたが―――
 僕を追わなかったあなたが―――

「あなたのせいで僕は……」
「男の味を覚えてしまった……か」
「違う!」
 僕は大きくかぶりを振った。ここが住宅街だということも、もう頭の中から消し飛んでいた。

「あなたの味を、覚えてしまったんだ」

 ユウマは、少し驚いた顔で、僕の顔を見下ろした。そのまま無言で、門を開け、目で入るように命じた。
 一歩、中に踏み込もうとした僕の後ろで、ユウマが囁いた。
「この中に入ったら、もう後戻りは出来ない。お前はもう僕のモノだ。僕の玩具だ。それでもいいなら入れ」
 僕はその声に怯むことはなかった。
「早く……あなたの玩具になりたい」
 もう五年も待った。これ以上は待てない。
 後ろでユウマが低く笑った。
 風に乗ってやってきた濃厚な梔子の香りが、鼻腔をくすぐる。

 ―――頭がクラクラする。おかしくなってしまいそう……

 ねえ、ユウマ。一つ提案があるんだ。
 僕が恥ずかしい格好であなたにめちゃくちゃに犯されてるところ、僕の友達にも見せてあげたいな。


 きっと凄く、喜んでくれると思うよ………。





fin





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