「ゲームの達人」(VS 草刈正雄)



タイトルはシドニィ・シェルダンから。

作品中に様々なゲームが出てきて探偵物語としての雰囲気を彩っているのがいい。
が、殺人とゲームにほとんど関連がないせいか、テーマが浮いてしまっている印象を受ける。端的にいうと、この犯人が「ゲームの達人」であった必然性がないわけです。舞台設定も、ビリヤード台などのゲームがたくさん置いてある屋敷でなくても成立するお話ですし。

「汚れた王将」は犯人が棋士でなければいけなかったし、「赤か、青か」は爆弾の専門家でなくてはならなかった。
古畑ものは「その筋のプロフェッショナルとの頭脳比べを、犯人の土俵の上でやってしまう」という面白さがあるわけなのですが、今作ではその趣向が希薄でした。やってることといえばビリヤード対決だけで頭脳比べのところに「ゲーム」というテーマが介在する余地がなかった。せっかく「ゲームの達人」という魅力的な犯人設定なのにもったいない限り。
しかも犯人は「ゲームの達人」を演じさせたら日本で最も巧いと思われる草刈正雄だというのに。


メイントリックは面白い部類に入ると思います。
「なぜ遺書に署名がなかったのか?」という謎の提示は魅力的であり、解決のロジックも充分納得できるものになっている。
しかし、というか、古畑モノでトリックが良い時の常なのだが、伏線の張り方がまずい。
「停電」「被害者はインクのなくなったボールペンを取っておく癖があった」の二つがしきりに強調されれば、誰だって「なぜ遺書に署名がなかったのか?」の答えは判るでしょう。今回も視聴者の90%は真相を看破したであろうと思う。

「汚れた王将」の時も思ったのだが、三谷は伏線の張り方のまずさで作品を台無しにしてしまうことがよくある。この辺が、「本格推理作家・三谷幸喜」の最大の弱点でしょう。
テレビという巨大メディアだから誰にでも解けるぬるいミステリにしているという意見もあると思います。確かにそれは一理あるでしょうが、それは受け手への迎合です。視聴者は馬鹿ではない。「難しい」ミステリだって充分楽しめるはずなのです。

古畑シリーズはとにかく「伏線とは何か?」を考えさせられるシリーズです。改めて思った。


2003年8月8日



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