(……ューイ………)
(リューイ……きろ…)
「リューイっ! 起きろってば!!」
爽やかな朝日の差し込む豪邸の一室で、一人の少年が目を覚ましていた。
正確には強引に夢の世界から引きずり出されたのだが――――。
「……え、テッド…? あれ、グレミオ…は」
「グレミオさんなら朝メシの準備で手が離せないんだよ。だから代わりに俺が…って、おいリューイ?」
テッドと呼ばれた少年は、人差し指を立てて目覚めたばかりの親友にこんこんと状況説明をしたのだが、
当の少年は心ここに在らずといった様子で口許を押さえて俯いていた。
心なしか赤い顔をしているようにも見える。
「どうしたんだ、おまえ。顔が赤いぞ。風邪か?」
「えっ…ち違うよ、平気」
「なんだ。それじゃあヤラシー夢でも思い出してたのかあ?」
冗談混じりの口調でテッドが少年の顔を覗き込むと、
その頬がかっと染まった。
「―――マジ?」
「ちっ…違うってば!!」
しかし耳まで真っ赤になりながら必死で弁解しても、この耳年増な親友に効果はなかった。
「お子様なおまえがね〜」
「テッド! だから違うって」
「で。どんな夢だよ? ゆってみ?」
どかっとベットに腰を下ろして来た友人を眺めて、少年はため息を吐いた。
これ以上はどんなに否定しても無駄だと悟ったのである。
「そんなんじゃないよ。ただ…夢の中の僕は、いまより幾つか年上だったと思う。
森の中で、必死で誰かを捜してたんだ」
「うんうん」
「濃い霧の中を散々走り回って、…息が苦しくなって立ち止まったんだ。
そうしたら―――今まで誰を捜してたのか解らなくなって…すごく焦った。すごく大事な人だったのに、早く思い出さなきゃ…って」
「ふむ」
「そうしたら、捜してた人影が一瞬、霧の向こうに見えたんだ。
気が付いた時には走り出していて…僕は、その人を掴まえることができた」
「おお」
「その人は振り向いてくれて…僕を、だ…抱き締めて―――」
「それから?」
言い淀むリューイをテッドが強引に促す。
「顔を上向かされて…キスされそうになったんだよ…っ」
言いながら、少年はぷいと赤くなった顔を逸らせた。
「キスされそう? したんじゃなくて?」
「そこで目が覚めたんだっ! テッドが大きな声で僕を起こしたんじゃないかっ!!」
リューイの顔は真っ赤である。
照れ隠しもあって怒鳴るような口調になっていた。
「ぶ…っ」
「何がおかしいんだよ?」
「いや、だって…くっくっくっ…おまえヤラシー夢っていうからどんなのかと思ったら…ぶっ…あっはっはっはっは」
「テッド!!」
テッドは腹を抱えてベッドの上でのたうちまわっている。
「誰もいやらしい夢なんて言ってないっ!テッドが勝手に想像したんじゃないか」
「いやー悪い悪い、いいところで邪魔しちゃってさあ」
笑い過ぎてテッドの目には涙が滲んでいる。
「もう、さっさと降りろよっ」
「は〜…笑った笑った。まあ、そんなに怒るなって。お前もお年頃だから仕方ないよな」
むくれてしまったリューイの頭をテッドはからかうようにぽんぽんと叩く。
「お年頃って…テッド一体いくつのつもり?」
「そんなことよりさ―――夢のお相手は誰だよ?」
「だ、誰って…っ」
まだ幼さの残る頬に再び朱が走る。
リューイ自身にもどうしてあんな夢を見たのかわからなかったのだ。
ただ、なんとなく見てはいけなかったものを見てしまったような、罪悪感にも似たものが胸にある。
「誰だっていいだろっ。僕だってなんであんな夢を見たのかわからないんだから…」
「ふうん。じゃあ俺が当ててやろうか?」
「え」
「相手、グレミオさんだろ」
「―――っ!!」
少年は何度目かわからない羞恥に顔を真っ赤に染めた。
「な…っなん、なんでっ」
「落ち着けよ」
「テッド僕の夢覗いたのかっ?」
リューイの目には涙が滲んでいる。
滅多に見られない少年の動揺ぶりに、テッドは必死で笑いをかみ殺した。
顔の筋肉が引きつってしまいそうだと思いながら、
「だってさ、おまえ夢の中で抱き締めた、じゃなくて抱き締められたっていっただろ。
それに、キスするとき見上げたって言うし。これはどう考えたってお前より上背のある相手だよな」
「そ、うだけど。でもそれだけじゃ…」
「ま、決定打はおまえの寝言だけど」
「まさか…」
「そ。何度も名前呼んでたぜ、グレミオ、グレミオってさ。
でも、まさかそんなお楽しみの最中とは知らなかったからさ。ほんと悪かったよなあ、いいとこ邪魔しちゃって」
「…っテッドのすけべ!!」
恥ずかしさに耐え切れずにリューイは枕を投げ付けたが―――
「おっと」
攻撃を予想していたテッドにはひょいと避けられてしまう。
「おれに当たるなよなー」
しかし、枕を見事キャッチしたテッドが見た親友の顔はこれ以上ないというくらいに赤く、
加えて恨みがましい目つきというオマケ付きだった。
さすがにからかい過ぎたかと、テッドは頬を掻く。
「あのなぁ。よーく考えてみろよ? もし俺が起こしにこなきゃいつものようにグレミオさんが来てたんだぞ。
そしたらさっきの寝言はもちろん、その先まで全部聞かれてたかも知れないんだぞ?」
テッドは階下を指さして、むしろ感謝してほしいくらいだぜ、とぼやいてみせる。
「うっ…そうだけど…ってそんな大きな声出したら下まで聞こえちゃうじゃないか!」
「…おまえの声も相当でかいって」
「だって…! って、」
呆れ声の親友に何か言い返そうとしたリューイは、しかしテッドの背後にあった時計を見て我に返っていた。
いつもならもうとっくに朝食を済ませて出かけている時間だったのである。
「こんなことしてないで早く着替えて下に行かないとグレミオが来ちゃうよ!」
慌ててベッドを抜け出そうとした少年を見て、テッドは素早く立ち上がる。
「っと、おいおい待てよ」
(なんてーか…こいつは年の割に聡いところがあっても、こっち方面は『あの人』のせいで純粋培養なんだよな。
てことは、もしかして―――)
「何? 急がないと」
良くも悪くも多方面に気が回り頼りになる親友・テッドである。
その彼が、あることに思い当たってリューイをベッドに押しとどめた。
「おまえ、その…平気か」
「どういう意味? 平気って」
「だから、その下着ってーか…いいから布団の下見てみろよっ」
いつになく歯切れの悪いテッドに促されて、リューイは上布団をめくってみた。
そして言われるがままに寝間着の下を見ると…
「―――え、濡れ…」
ばふっと布団を戻す。
「やっぱりか。その様子じゃ初めてだな」
訳知り顔でテッドは頷く。
「言っとくけど、おねしょじゃねーぞ」
「解ってるよっ―――何かベタベタしてるし…しかも―――なんか変…まさか病気…?」
「どこまでお子様なんだよ。ったく、グレミオさんの過保護にも困るよなあ」
「病気じゃない…?」
「違うよ。とりあえず気持ち悪いだろ、さっさと着替えちまえよ」
ほら、とテッドは布団を引っ張る。
「にしても奇特な坊ちゃんだよなあ」
「何が―――って、テッド自分で脱げるってば…!」
「普通はさ、綺麗なオネーサンとか可愛い女の子とか想像すんのって…どれどれ見せてみ?」
面白そうにテッドはリューイの寝間着を掴んだ。
「やだ…っ離せって、テッド!!」
リューイがひときわ大きな声を上げて掛け布団が跳ねた、
ちょうどその時。
「いったい何をやっているんですか?」
二人とも、という冷ややかな声が、賑やかに騒ぐ二人の背後から聞こえてきた。
「え…」
「あ」
二人がおそるおそる振り向くと、そこには予想に違わず、長い金髪を緩く肩辺りで纏めた長身の青年が立っていた。
切れ長の瞳にすっと通った鼻梁を淡い金の髪が縁取った端正な容貌。
頬に大きな十字傷を残しているが、それを差し引いてもその整った容姿は人目を惹く。
「グレミオっ」
「グレミオさんっ」
リューイの母親代わりとも呼べる青年の登場にテッドは慌ててベッドから飛び退いた。
「いつまで経っても下りて来ないので呼びに来たんですけど…いくら仲がよくてもこういった遊びは感心できませんね」
乱れたシーツやリューイの衣服などを見ながら、じろりと二人を睨む。
滅多に怒らないグレミオが珍しく本気で怒っているようだ。
(やべ…。こりゃさっさと退散した方がいいな)
歩み寄って来るグレミオを見て、テッドは素早く壁沿いに扉方向へと移動した。
「あ、テッド、ずるいぞっ」
「えーと、グレミオさん、ふざけてたのには訳があってさ。
だから、つまり…リューイに赤飯でも炊いてやってよっ。じゃなリューイ、がんばれよ!!」
よくわからない激励を飛ばしてテッドは階段を一気に駆け降りていった。
「テッド!」
本気で逃げモードに入った彼に追いつけるものは誰もいない。
「お赤飯…?」
何のことだと、グレミオはベッドから動けないリューイに視線を戻した。
いつもなら寝坊しても、仕方ないですね、と半ば呆れながらも笑顔で服を用意してくれるのに今日は無表情である。
普段甘いだけに、一度怒るとテオよりも怖いかもしれない。
***
一方、無事マクドール家から逃げ果せたテッドは…。
「やべーやべーグレミオさん本気で怒ってたよなあ。
やっぱり、リューイのベッドに乗って寝間着を脱がそうとしたのがまずかったか? こりゃしばらく遊びにいけねーなあ」
道路の往来で一人ぶつぶつ呟きながら、無事に帰路についていた。