今クロウの手元には、五通の手紙が並べてある。
一通目から四通目までは、封筒の後ろに数字が書き込まれていた。しかし五通目はその一連の手紙とは関係がないのか、
フライング
ひどく楽しげな字が踊っていた。
差出人の名前はどれにも書かれていない。ただ住所と、クロウの名前。
薄い薄い水色の封筒はどれもうっすら汚れていて、随分と長い距離を随分と沢山の人の手で渡し渡され、クロウの元までたどり着いたのだということが伺える。
消印はぼやけて見えない。辛うじて異国の文字が認識できるだけで、それがどの国の言葉なのかはまるでわからなかった。
まあ、誰が出したかなんて、すぐにわかることだけど。
クロウはまず、フライングと書かれた手紙から手にする。
本来ならば順当に、数字を追った方がいいという気持ちもあったけれど。フライングの文字が、本当に楽しげに書かれていたから。ふわっと浮き立つような、丸めの柔らかい文字だったから。
そこにはアクシデントと書きながら、じんわりと暖かい情景が読み取れる。ギガントを引きながら歩く京介の後ろを、ぞろぞろとついていっただろう町の人達。心配だから、面白そうだから、見送りたいから。様々な思惑があっただろう、けれどその向かう先はひとりだけ。
京介だけ。
だからこそあの時、あんなに人がいたのだと。楽しそうだと、その表面を見ただけで感じた苛立ちは少し間違っていたと、クロウに伝えた。
いやそもそも、旅に出た最初から間違っていたんじゃないか?
次々に開いていった封筒の中に書き連ねられた風景は、あまりにも断片的で一方的。垣間見えるのはごく一部で、その断片から想像するしかない。馴染みすぎる事を良しとしなかった京介らしい文章は、無意識にクロウが感じるだろう共感をも奪おうとする。
機嫌のよさげな文字から、内容から、それでもはっきりと感じる拒絶。お前はこの空気を感じなくていいと、自分の思いを受け止めてくれるだけでいいと、独占欲を丸出しにして突きつけられている気分になる。
そして拒絶されているのはもうひとつ。
クロウ、クロウ、クゥ…何度も何度も記された名前以外に、かなりな頻度で使われるはずの名前。
鬼柳京介
それが極端に少ない。クロウに関連付けたときにだけひょっこりと顔を出す名前、署名として書かれたのは一度だけ。多分一番凹んでるときにだけ。それもきっと、クロウにその名前を言ってほしいと感じたからだろう。
鬼柳京介は鬼柳京介を拒絶している
緩んだと、かぶる猫はもういないと、なんでもないことのように笑顔を見せながら言ったくせに。
心配されるのは当然だ。彼女さん、記された女性が京介の頬にキスを送るのも当然だ。
緩んだのはクロウに対する感情だけ。防波堤を作らなくても良くなった、その真っ直ぐな感情にだけ。かぶる猫は表面にださなくていいからいないという。でも気付かないところで京介は、自分に猫をかぶっている。
そんな見るからに寂しい相手がいたら、抱きしめてキスのひとつでも送りたくなるだろう。
ふざけんな
クロウが手紙を読み終わって、最初に感じた感情は怒りだ。
そのすぐ後に、怒りという感情に引きづられるようにして現れた悲しみ。
ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!!
そのときキュインと、ブラックバードが通信をキャッチした。
映像ではない、文字
>クゥ
>
>クゥ クゥ
>
>
>
>何度でも謝るから
クロウが読めたのは、ここまでだった。カタカタと文字が追加されていく中、それを目で追う事も出来ず。
ただ膨れ上がっていく、暴力的なまでの怒りと悲しみ。
気付けば映像での通信を許可し、叫んでいた。
「鬼柳、京介っ!!」
「はいっ!!って、クゥ…」
「鬼柳京介、鬼柳京介、鬼柳京介!!」
「クゥ?」
「俺はっ!俺は、大切、な名前沢山!沢山ある、けどっ!別格なんだよっ!違う、どれとも違うっ…名前!」
「クゥ、ちょ…」
「そう、思っ…るのに!っそう思って、っから、だから!鬼柳京介って名前、否定すんなっ!俺からっ、奪うな!お前の名前、は!お前だから!俺が惚れてるっ、この世で唯一だから!ぜんっぶ揃えて、一個にしねぇと!俺…の気持ち、何処行きゃいいんだよっ!!」
ズビズビと鼻を啜る音がいやに響いて。必死で紡ぎだした言葉すら何処に行ってしまったのだとうっすら目を開けたクロウは、表情のピクリとも動かない京介の、世にも珍しい不細工な顔を見た。
眉間に皺が寄りかけているけれど、寄りきれていなかったり。眉を下げようとして、下げきれていなかったり。なのに笑おうと頑張ったまま時が止まった目。口を開こうとしてアヒル口になった口元。
誰が見ても不細工な京介がいた。何故其処で止めたのか理解に苦しむほどにアンバランスな京介。
あまりの驚愕にぱちと大きく目を開いたクロウの前で、あうあ、そんな意味不明の言葉が零れ落ちる。
あ、う、あ
それから徐に、画面に向けて腕が上がり、リストバンドあたりでスクリーン上を何度も拭き取って。
「て無理じゃんギガントお前どうにかなんない?!」
逆ギレした途端流れ出した時間。
違う、いやごめん?うんなんか、そのな?いや、やばい無理
ぶつぶつと呟きながら手で口元を隠した京介の視線は明々後日に泳ぎ、その頬は真っ赤。
何故だ?考える間もなく告げた言葉の意味を理解したクロウは、急激に自身の頬も朱に染まっていくのがわかった。頬だけじゃない、耳まで。下手したら身体まで。
「いやちがっ…」
「拝啓!!」
あまりの羞恥に咄嗟に否定しようとしたクロウの声にかぶせて、そのとき真っ直ぐに京介が顔を上げた。
「拝啓、クロウ・ホーガン様」
「お、おう」
あまりに真摯な眼差しに、クロウもまた体制を立て直す。聞く体制。
「なんかよくわかんねぇけどクゥの気持ちが迷子みたいなんで、今から俺ちゃんと鬼柳京介になる。自分ではわかんねぇけどクゥを不安にさせたならそれは全部俺の責任で、別の奴のせいなんて頭おかしくなりそうだから考えないことにして、俺が俺自身をどうにかクゥの言う一個にするために全俺を総動員して対処するから。だから戻って来いよクゥの気持ち、誰にも渡さない誰にも見せない俺の、鬼柳京介っていう俺だけのもんだ!……って気分です」
―――――
「…駄目?」
――――――――うん
「敬具」
「は?」
「敬具、次」
「……あ!敬具、鬼柳京介!」
「…おう、謹んで頂戴した」
そのときのクロウの笑みったら
後になって京介は思う。
涙目で、でも本当に嬉しそうで。
本当に嬉しそうで。
顔を真っ赤にしながら笑ったから、もうなんていうか、うわぁって。
うわぁ、俺なんでここにいるんだろうって
そんな気分になったんだ。
通信を切った後に文章の全文を読んだクロウは、大きなため息をつく。
いつの時点で自分が泣いたのかさっぱりわからないのに、何故京介はわかる?
「繋がってるにも程があるぜ」
言いながら。
なんてことだ!でもなく。なんてこと!でもなく。何故かなんてこったい!思っている自分に気付き、小さく笑った。
9→
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