教訓のないお話をしよう
誰も明かすことのなかった秘密
誰も止める事の出来ない運命
与えられる選択はふたつだけ
ご褒美か、死か





かみもり





小さな村があった。
山深くにあり、細い細い川が幾重にも流れるその合間を縫って、数軒毎に寄り添うように建つ民家。猫の額ほどの畑に、細い川で獲れる小魚。後は森の恵み…それだけを支えに生活する、小さな山村。
それだけ…いや、そのように述べるには御幣がある。
その村は、貧しくはない。
抜けることもままならない山奥、入るも出るも不便極まりない場所。近隣に村はなく、交流もない。しかしそれでも、貧しくはない。
衣服は常に小奇麗に。村では手に入らない穀物は常に中央の倉に溢れ、村人ならば自由に持ち出すことが出来た。塩漬けではあるが海魚も貯蔵してあり、蒸留酒すら樽に詰められ飲みたければ好きなだけ持ち出せる。生活必需品などもなくなることはない。
変わっていることといえば、ひとつだけ。
その村の人々は、全ての情報から隔離されている。外界といえるだろう、森の外からの情報はなにひとつ入らず。村人はそれを疑問と思わぬよう、完全に管理されていた。
村に穀物や酒を持ってくる者は限られる。運び手と呼ばれる彼らは何代にもわたってそれを生業としているのか、けして見知らぬ者が入ることはなく。年齢や怪我などで交代を余儀なくされた場合必ず面通しが行われ、村人全員に顔が知れるまでは、ほぼ100%先代が同行する。その者達はけして、けして外の情報を村人に伝えることはない。
そもそもが、村人と会話をする者がいない。いたとしても、大抵は決まった相手。
唯一の例外はひとりだけいる。その者は衣服を専門に運び込み、常に幾人か会話を交わす者を決めていた。村人達は、外から来る者を邪険にしてはいけない、そのように育てられるからけして嫌がらない。しかし村人達の誰もが恐れていた、あれは人攫いだと。










嫌な笑みを浮かべた男が、ゆっくりと近づいてくる。
クロウは咄嗟に傍にいた子供達を庇うように立ち、それでも指先の震えを止めることは出来なかった。
外から来る者を邪険にしてはいけない。誰に対しても、話しかけられたら答える。
これが村全体の掟。馬鹿らしい、嫌なら嫌と言えばいい…クロウは常にそう思っているからこそ、完全にその男を無視し続けていたというのに。
今は子供達が傍にいる。こうなれば、クロウではなくても…この場にいる数人の子供達に話しかけられたところで、クロウが答えるのは目に見えている。それほどまでにクロウは、小さな子供達を可愛がっていたのだから。
一度話してしまったら、今後無視はし辛い。そうなると、何かの対象にはなってしまう。



人攫い、実しやかに囁かれるこれが狂言ではないことを、クロウは知っていた。小さい頃から同じ中州に住んでいた女性が忽然と消えたのは、この男と話すようになって暫くしてからだったのだから。
とても大人しい女性だった。村一番といえるほどに騒がしかったクロウを可愛がり、小さい頃いつも遊んでもらっていた。
女性が消えてから、いつの間にかその家に住み着いていた子供達。この村では出産はない。ただ家が人を選び連れて来る、それが定説。以前住んでいた者に関わりのある者が住む…そう伝えられていて、実際誰も疑問に思わない。勿論クロウも。
だからクロウは、何があっても傍にいるこの子達は助けたかった。
目の前まで来た男の口が緩く開く。貼り付けたような笑みは相変わらず、けれど嫌らしさが増した気がする。
確実に傍に子供がいるときを狙っていたのだろう。思惑通り、といったところか。
こうなってしまえば、逃れる方法は2つのみ。村長にのみある拒否権を使ってもらうか、もしくは…
「クロウ」
別の運び手によって、会話を阻止されるか。



振り向けば、京介がいる。まだ荷物を運ぶ時期ではないというのに、当然のように。
近づいてきた男も、それを考慮に入れていたのだろう。驚き、すぐ後怯えの表情を浮かべたのは、運び手には階級のようなものが存在するからだ。
ニッと笑って無言で子供達を家に帰るよう促した京介…鬼柳京介は、軽くクロウの肩を叩き親しげに首を傾げた。
「俺この間一樽忘れちまったみたいでさ、慌てて持ってきた。まだばれてないよな?」
あはは、と。その場の空気にそぐわない、能天気な笑い声を上げる京介。青白くも見える白髪にレモンイエローの瞳。
運び手は薄い色を持つほどに階級が上がる。村人達は関係ない、しかし運び手はそうなのだと、様子を伺うとすぐにわかる差。
「ところで、衣持」
話しかけただけで。
声を荒げるでもなく、表情を変えるでもなく。能天気な雰囲気のまま、京介は役名を呼ぶ。それだけで。男は目に見えるほど狼狽し、数歩後ずさった。
「クロウに用?」
「な、なんでもねぇ酒持!ガキ共が楽しそうだから、ちょっと見に来ただけだ!」
ふぅん?
首を傾げたまま、京介が笑う気配がする。クロウは京介に背を向け男を見ていたから、表情まではわからなかったけれど。笑った気配は、した。
「…俺を探したってことは、また運ぶの手伝えってことか?」
だからクロウは、あえて話を変える。
運び手の階級が、どのような内容にまで制限を発揮できるのかはわからない。でも男の怯えようから、最悪まで想定に入るのだということはわかったから。
「行こうぜ鬼柳」
猪を屠るように、鹿を屠るように。人間も、屠られるときがあるのだと。クロウは、知っていたから。
「…や〜さしい」
クツと笑って小さく呟いた京介の言葉を、クロウは無視した。










小さい頃。
クロウが小さい頃、京介の前任だった酒持が人を屠ったところを見た。
10年に一度くらいの間隔である、外界からの接触。全く知らずに入った者もいれば、何らかの意図で進入してくることもある、らしい。何者かが侵入してくると村人は家に逃げるから、正確なことはわからない。
しかしどのような理由であれ、きっと末路は一緒だ。
当時6歳だったクロウは、その頃まだいた近所の女性に抱きかかえられ、彼女の家にいた。
それでも好奇心旺盛で無鉄砲なクロウは、大人しくすることなんて出来なくて。家の傍で悲鳴が聞こえたとき、耳を塞いで蹲った女性の横をすり抜けて、裏口を細く開いた。
そこで見たものは、黒。
真っ黒。
赤が濃すぎて黒く見えたのだと、後にクロウは気付いたけれど。
猪を、鹿を、ウサギを。屠り解体する手順そのままに、切り刻んだ無表情の酒持は、クロウの視線に気付き緩く首を傾げた。
思えば、その酒持のことをクロウは覚えていない。なのに首を傾げる仕草だけが、強烈に記憶の中に残っている。顔も何も覚えていないのに。
そして彼が呟いた言葉…はっきりとは覚えていなくても、ニュアンスは『間違った』だった。
何を間違えたのか、何故間違えたのか。それはわからない、ただそのすぐ後に酒持が京介に変わったことから、多分運び手として何かミスを犯したのだろう。



京介の事は最初から覚えている。
ある日酒持が使うジープ(という名も動く原理も、京介に教えてもらうまでクロウは知らなかった)を、歓声を上げながら運転してきたのが京介だったから。
京介は面通しがなかった。前任者からの引継ぎも、短い期間の共同作業も。
多分、それすら出来ないほどに前任の酒持はミスを犯した。そして次に選ばれたのが、よりによって座席に座って運転したらブレーキに足が届かないという、ほんの子供。クロウよりは大きかったけれど。
立ったまま運転してきたという京介は、兎に角底抜けに明るい。ある程度のタブーは教え込まれたのか、恐る恐る顔を覗かせた村人達の誰にも話しかけはしなかった。傍に寄ろうともしなかった。けれど、クロウには違った。
相変わらずの好奇心で他の村人よりも前に出ていたからか、それとも同じ子供だったからか。京介は屈託なく笑って、荷台にぎっちり積まれた酒樽を叩いて見せて。
『俺、鬼柳京介、よろしくな。んでものは相談、俺ひとりでこれ運べると思うか?』
明らかに、クロウを見ての発言。
子供2人でどうにかなる酒樽ではない。にも関わらず京介は、クロウを選んだ。選ばれてしまった、荷物運び要員に。
『俺頭数にしても無理だろうが!』
文句を言いながらも、初めて運び手と話した事に喜びを感じたように思う。
今となっては日常化しすぎて、有り難味なんて全然感じないけれど。






そもそもが京介は、細身の見かけによらず怪力だ。クロウも村人の中では群を抜いて力があるほうだが、京介には及ばない。
何リットル入るだろうか、兎に角大きな酒樽を、蹴りひとつで難なく転がす。クロウが手伝うことといえば、ジープからリフトで酒樽を降ろす時の支えくらいのもの。それと、定位置に立てるときのささやかな手伝い。
樽一個なんて簡単なものだ。一瞬で、きっと京介ひとりでもあっという間に終わる。それでもあえてクロウが手伝いに名乗り出たのは、なんのことはない雑談が目当て。
村人達の中でも、コミュニティが出来ている。基本的に住む中洲が一緒であることが条件。クロウは気にせずどこの中州だろうと入り込む方でも、さほど多くない村人の話題など高が知れていた。
こんなときに、一ヶ月に一度程度外から来る京介は貴重。勿論タブーを犯すことはしないが、森の話や道中の話を面白おかしく話してくれる。
今日もそうだと。家に来て茶でも飲みながら雑談でもするのだと、そう思っていたクロウは。
「先にジャックんとこいかなきゃなんだ」
面倒くさそうに、それでも真っ直ぐ倉の傍に建つ家に向かった京介を、驚きの表情で見つめながらも慌てて後を追った。



運び手が村長に会う。
それは、年に2度ある祭り以外では滅多にないこと。特に京介は、ジャックの前では何処か緊張するから。付き合いの長いクロウにしかわからない程度の、ほんの些細な変化。それでも確実に、用がないなら京介はジャックには近づきたくないと知らしめている。
まあジャックを前に緊張しない運び手など、いるはずがないけれど。
何故なら村長は、運び手が村に入る許可を簡単に取り下げることが出来る、唯一の相手だ。村に物を運ぶのに何のメリットがあるのかわからないにしても、運び手は村長から拒否されることを酷く恐れる。



ジャックが村長になったのは、クロウが10歳のとき。
史上最年少での村長だと騒がれていたのを覚えている。そして、史上稀に見るワンマンだと騒がれたことも。
しかしワンマンな理由を、クロウはなんとなくわかっていた。甘やかされ過ぎ、これ以外の何物でもない。いや、甘やかされているというか…否定されない。誰にかといえば、ジャックが常に傍に置きたがる遊星に、だ。






他の民家よりも一回り大きな、しかし飛びぬけて豪華でもない家屋。
いつもならば玄関の脇で何かを作っている遊星が、珍しくいない。
本当は自分の家があるのに、ジャックの我儘でいつも村長の家にいる遊星。何かをずっとずっと作り続けているのに、何を作っているのか誰にもわかられない青年。
クロウの親友だ。
村ひとつ全部が家族であり兄弟であり親友ではあるけれど。クロウにとって遊星は、特別な友達。同じ時期に村に来て(らしい、覚えていないけど)同じように大きくなった唯一の相手。ジャックもそうだといえばそうだけれど、彼は最初から村長になることが決まっていたようなもの。村長の家にある日発生していたから。
遊星は、クロウにとって一番の家族、一番の兄弟、一番の親友。
だから玄関に姿がないときは緊張する。普段は声は大きくても手荒なことをしないジャックが、無理矢理家に引きずり込んだ証拠だから。
そうされたとき、遊星はクロウの知らない表情を見せた。不安、心細い…羞恥?わからない。
一度京介に、その表情の名前を聞いたことがある。しかし京介は、ニッと笑って言っただけ。
「知らなくていい」



玄関にいない遊星を心配しながらも、クロウは京介を追う。
遊星が作業できるほどに大きい玄関から入ってすぐに居間、その奥が不思議村長スペース、向いに座敷。京介は迷うことなく、村長スペースの扉を開けた。
「何故!!」
途端聞こえた大声音、ジャックだ。
慌てて京介を押しのけ部屋に入ったクロウは、ジャックに手首を掴まれながら俯く遊星を見た。
「ジャック!!」
「!っ…クロウ」
咎めるように叫んだクロウに答えたのは遊星。珍しくも慌てた顔で顔を上げ、クロウ…そして京介の姿を認め、顔を歪める。
痛い、痛い顔。
一瞬だけ眼を閉じすぐに開いたその表情に、もう痛みは存在しなかったけれど。一瞬でもそれは、クロウの胸を締め付けた。
「…ジャック、離せ」
「遊星!」
「離して、くれ」
なんて弱弱しい声だろう。遊星はけして、弱くはない。ジャックの言動の何も否定しないだけ。なのに今、遊星はささやかな抵抗を見せていて。
助けようと伸ばされたクロウの手が止まってしまうほどに、それは珍しいことだ。
「ジャック」
混沌、とでもいえそうな現状。誰もが多かれ少なかれ動揺し、憤慨し、わけのわからなくなっている状況。にも関わらず、京介が口を開く。誰の会話も状況も考慮せず。
「俺達は決別する」



ヒッと喉を震わせたのは遊星。振り解きかけていた腕を自ら掴み、ジャックを仰ぎ見る顔は真っ青だ。
ジャックは、一瞬眉を寄せただけ。
クロウはわけがわからず、京介とふたりを交互に見やる。
「お前が行った行為、行うだろう行為、どちらにも俺達に賛同する意思はねぇ。もし仮に、今後事態の悪化を招くならば…ってもう無駄なんだけどな、なんだけど一応口上ってやつだからなぁ。今後事態の悪化を招くならば、俺達は準備を整える」
「…今更?」
「ああ、今更」
ニィと京介が笑った。ジャックも相変わらずの、偉そうな笑み。
唯一取り残されているらしいクロウが、もどかしげに口を開きかける。しかしいつの間にか傍によってきた遊星が激しく首を振り、黙らせて。
「…出よう」
促され、強引に手を掴まれて。
だから。
「鬼柳京介…お前個人の見解として問う。お前は、俺の行動をどう思う?」
ジャックがそう聞いたときは、ほぼ部屋から出てしまった後だったから。
「…好きにすればいいと、最初から思ってたぜ?」
声を上げて笑い出しそうなほどに震えた、京介の言葉など。ほとんど、耳にすることはなかった。






外に出たクロウは、騒然とした村の気配に驚く。
本来穏やかな村。声を荒げることも、慌しく走り回ることもなく。一番煩いのはクロウだと、村人全員が口を揃えて言うくらい、静かな村が。祭りでもないのに、何処かざわついているように感じる。
ほとんど村人は外に出ていない。ただ、数多くの運び手が姿を見せていた。その運び手達が昵懇にしている村人も。
ざわ、ざわと。
何かが動き出している、何かを恐れている、そんな気配。
顔を上げた数人の運び手や村人が、遊星とクロウの姿を見つけては鋭い視線を送ってきた。多分同等に、しかし遊星の方がやや多いくらい。
「何だこれ…」
呟いたクロウの手を、遊星は強く握る。握りながら、沢山の橋を渡り中洲を抜けて。
辿りついたのは、村の入り口。多分そう、鬱蒼と茂った森の奥まで、ジープ一台ギリギリ通れるほどの道が出来ている。
多分としたのは、クロウ自身がその道を抜けたことがないから。途中までは狩場へ抜けるため通る時もある、しかしそこまでが限界。何故ならそこから先に道がない。どうやって抜けるのか、どうやってたどり着くのかわからないから、行きようがなかった。
そういう場所だ。村人ひとりでは、もしくは複数であっても、絶対に抜けることの出来ない森。抜けようと思う者もいないけれど。



「…遊星?」
何故ここに?
最後まで問う前に伸びてきた腕が、クロウを確りと抱きしめる。驚きもがこうと思う間もなく離された抱擁は、あまりにも唐突でわけがわからなくて。
「遊星…」
「何で!」
だから、突然叫んだ遊星の錯乱した態度も、言動もわからない。
「何でお前なんだクロウ!何で…何で俺なんだ…何でこの村があるんだ、何で皆欲しがる…欲しがって欲しがって全部欲しがって!残るのはなんだ、変わるのはなんだ?傷付いて汚して傷付いて汚して…何で俺達がいるんだ…」
「ゆうせ…」
「欲しいのは……たったひとつだけだったなのに…クロウ、もうお前に逃げてくれとも言えない…」
逃げる
何から?何処から?
誰から?
「口上を述べる」



振り向けば、また京介。いつの間にかジープも傍に、その後ろにはジャック。
ただひとりクロウだけが取り残され、何かを知っている遊星は俯きぎゅっと眼を閉じた。
「村の存続は保証する。どの種族にも属さぬ村人の身柄は村から出さない。今まで通りの物資援助はある程度まで行う。全てが終結した後村の実権は勝者が担う。かみもり一同同意を示した。…龍の持衰殿、反論は」
「………ない」
村の存続、種族に属する、物資の援助?勝者?かみもり?
…持衰?
龍の持衰?
「…鬼柳、どういうことか説明しろ」
「勿論。でも立場上この村にい続けることは出来ないから、道中でいいか?」
道中?
何がなんだかわからない。ただ唯一クロウにわかることはひとつ。
いつの間にか自分は何かに属していて、先ほど京介の述べた口上にある条件は自分が村から出る事によって満たされる。
多分子供達は助かる。何から助かるかは、わからないけれど。
「わかった」
理由なんてどうでもよかった。クロウにとっては、彼らが何かから助かるなら喜んで出る、それだけだ。



だって今、きっと世界が急激に回り始めた。
その渦の中の一片に、当然のように組み込まれていたらしい自分。
泣きそうな顔で さよなら 言った遊星も。
どこか満足げに遊星を引き寄せたジャックも。
笑みの崩れる暇がない京介も。





きっとその渦の中では、ただの一片に過ぎないんだ。
あまりにも、無力。



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